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「三千の夜と一つの朝」 (ACLE MD8・セントラルコースト・マリナーズ戦:2-0)

割引あり

 “3191”

34歳の安藤駿介が、再びピッチに立つまでに乗り越えてきた日数である。

前回の公式戦出場は2016年5月25日、ルヴァンカップの前身となるナビスコカップのベガルタ仙台戦だ。

この試合は2-1で勝利している。喫した1失点は試合終盤に与えたPKによるもの。当時25歳だった彼は、若さゆえの自信を持ってゴールマウスに立っていた。試合中に感情が渦巻くことがあっても、それを周囲に悟らせないように、常に堂々とプレーし続けることを信条としていた。

 あれから9年。
3000日以上、試合に出場しない日々を乗り越えてきた34歳はベテランと呼ばれる領域になっている。そして2025年2月18日、ACLエリート第8節、セントラルコースト・マリナーズ戦で、ついに出番が巡ってきたのだ。

「すごく長かった。他の選手からしたら単なる1試合かもしれないですけど、自分にとっては待ち望んでいた瞬間だった」

 試合前日の練習で、自分が先発することは把握していた。周囲からは「やっと来たね」と声をかけられたが、心は落ち着いていた。

 自分の中で決めていたのは、背伸びせずにやること。
年齢を重ねるにつれて、力まず、自然体でゴールマウスに立てるようになっていたからだ。そして試合前日には、頭の中でどういうプレーが起こり得るかも入念にシミュレーションしている。

「どういう声をかけたりとか、どういうポジショニングを取ればいいのか。常に最悪の展開を考えながら、逆算していくのが僕の個人戦術の一つ。長谷部さんが監督になって今は守備の大事さを説いているところ。自分が守備者だからかもしれないけれど、そこに納得しているし、共感している」

 3191日ぶりに守ることになるゴールマウス。
試合が始まってからも、終始落ち着いてプレーできていた。

 例えば前半29分。センターバックであるセサル・アイダルの背後を狙って、敵陣から際どいロングフィードが飛んできた。ストライカーのアルー・クオルがそこに鋭く走り込んでおり、ボールを巡って斜めに背走する形になっているアイダルとの競争となっていた。

 次の瞬間、鋭い出足でゴールマウスを飛び出し、右足で鮮やかにクリアしたのが安藤駿介だった。しっかりと読みを効かせた判断と、勇気あるプレーで生まれた的確なクリアに、スタジアムからは拍手が起きている。

「裏のケアというのは常に考えているところ。いい具合にボールが伸びてくるピッチ状態でした。自分が絶対に触れるという確信を持って飛び出したプレーだった。100%に近い確率で自分が先に触らないといけないプレーだったし、一歩間違えれば味方と交錯してフリーになるし、もし相手に当たってしまうとレッドになる。迷ったらダメだと思っているので、あそこは自信を持ってやれましたね」

 ピッチに漂っている、試合に出ないと味わえない緊張感を噛み締めながら、安藤駿介は勝負に没頭し始めていた。

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話は2024年の夏にさかのぼる。

8月、プロ3年目を迎えた早坂勇希が、横浜F・マリノス戦でJリーグデビューを飾った。

翌9月のルヴァンカップでは、FC町田ゼルビアから期限付き移籍でやってきた山口瑠伊が川崎フロンターレのゴールマウスを守っている。

自分以外のGKに、出場機会が巡ってくる。それでも、34歳の安藤駿介が自分に矢印を向け、麻生グラウンドで研鑽していく日々は変わらなかった。

出場機会がなくとも、チャンスを掴むために高い志を持ってやり続ける。

それが、安藤が安藤であり続ける力だったからだ。

 だがプロキャリア16年目を迎えていた安藤駿介の感情が、これまでにないほど強く揺れ動く出来事が起きた。

この年の9月から開幕するACLエリートの大会エントリーで、メンバー登録外になったのである。

 ACLからACLエリートとなって大会フォーマットが変わり、「外国人5人+アジア枠1人」が完全に撤廃。年齢や育成に関する新ルールも加えられた。選手登録の上限「35人」に変更はないものの、25人(リストA)と21歳以下の選手10人のみと改定されたのである。

 34歳の安藤駿介は、その25人の枠からエントリー外となった。
トップチームの所属選手でエントリー外となったのは、退団予定だったバフェティンビ・ゴミスと、夏以降に出場機会を失っていたゼ・ヒカルド、そしてGKである安藤駿介の3人だけだ。

 竹内弘明GMからその事実を告げられたが、大会フォーマットが変わり、登録人数の変更など把握していない安藤にとっては、まさに寝耳に水だった。

説明を受けて「分かりました」とは言ったものの、どうしても感情の折り合いをつけられなかった。

 これまでのように、単に1試合だけメンバー外になるわけではない。少なくとも、年内開催の6試合にベンチ入りすら出来ないことを意味していたからだ。

 この時の心境を語る安藤の表情には、苦いものが残る。

「正直、ガクっときました。自分はエントリーすらされないんだって。そういう扱いされるようになっちゃったのか・・・っていうところで、考えなくてもいいことを考え出していました。受け入れるのがきつかったっていうのが正直なところです。何かしてないと気が落ち着かないのはあったし、そんな時期が1か月と少しあって、本当に難しかった」

プロ生活16年で初めて、心が折れそうになった。

クラブに長く所属している安藤は、これまで出場機会に恵まれずに腐りかけたフィールドプレイヤーの姿もたくさん見てきている。長らく出場していない安藤自身がそんな彼らのフォロー役に回ったことも少なくない。だが今回ばかりは、自分自身が腐りかけた。あれだけ落ち込んでいる安藤の姿を見たことがないとクラブ関係者が証言したほどだったので、過去にない落胆ぶりだったのだろう。

 ただ彼は、最終的にはこの受け入れ難い難しい時期を乗り越えている。そして翌年2月、この大会のピッチに立っている。

 一体どんな風に向き合い、乗り越えたのだろうか。

※2月20日に追記しました。→■安藤駿介の9年ぶりの公式戦出場について、試合後の脇坂泰斗と車屋紳太郎、そして試合翌日の大島僚太が語ったこと。


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