ぼくがビックリマンから学んだこと:第31弾〜日本サッカー界のスーパースター・中田英寿とビックリマンシールの話。
ビックリマンを愛する皆さん、こんにちは。
どうも、いしかわごうです。
前回は、スーパーゼウスのモデルが、プロ野球の阪神タイガースの助っ人外国人ランディ・バースだったことを書きました。
あらためて、両者のシールを並べて比較してみました・・・・
・・・やっぱり似てますな。
■ビックリマンシールになった日本サッカー界のスーパースターとは?
実は日本サッカー界のスーパースターも、かつてビックリマンシールのモデルになったことがあります。ご存知でしょうか?
それは誰かというと・・・・中田英寿!
日本を初めてワールドカップ出場に導いたと言っても過言ではないレジェンドプレーヤーです。僕も大好きでした。中田語録、めっちゃ読んでたもん。
2006年のドイツワールドカップで引退したので、現役だったのはもう12年以上前なんですね。。。。時が流れるのは早いものです。
■画期的だった、アスリートが本音を綴るnakata.net
中田英寿といえば、1998年のフランスW杯の頃ぐらいから、自身の公式ホームページnakata.netで日記を更新していました。
今から20年前でインターネットが普及したばかりで、まだブログというサービスが登場する前の時代です。
当時の中田英寿といえば、日本サッカーの絶対的な選手。そしてその一挙手一投足が注目されるほどのスーパースターでしたが、メディアの取材にはほとんど話さなかった時代です。そのHPで「素顔の文章」が読めることが実に画期的で、すこぶる人気があったんですね。
なにせ普段のクールな印象と、HPの文章ではあまりにギャップが大きかったですから。この日記は大人気で、何冊も書籍になっています。
■nakata.netで見せた、ヒデのビックリマンファンぶり。
HPのアクセスがどのぐらいあったのかはわかりませんが、サッカーという枠を超えて、若者のカリスマ的な存在でしたから、相当なアクセス数だったのではないでしょうか。
そこの日記で度々登場していたのが、ビックリマンの話題だったんです。
お菓子好きである彼は、当時発売していたビックリマン2000を買って、それで出たシールをよく報告していたんです。サッカーに関係するキャラクターが出てきたときや、スーパーゼウスが出た時なんか、やたら高いテンションで大興奮していました。
・・・・ヒデさん、あなたただのビックリマンファンじゃないすか、みたいな。笑。
■中田英寿をモデルにしたキャラクター「司令闘神」
そんな中田ヒデのビックリマン好きはロッテにも届き、その後、中田英寿本人をモデルにしたビックリマンシールが本人協力で製作されたようです。
その名も・・・「司令闘神」!
まさに日本サッカーのゲームメーカー、司令塔でしたからね。
コロコロコミックの付録についてきたバージョンと、ビックリマン2000のチョコに封入されていたバージョンがあります。
まずはコロコロバージョン。
日本代表というよりは、セリエAで長らくプレーしていたので、イタリア風味が強いですね。8番は、ローマでスクデットを獲った時の背番号ですね。
シールは切り離しになっていて、その周りに中田英寿の写真や説明が付いています。
裏面もしっかり。発行が2003年なので、時期的には、新天地のパルマでプレーしていた頃ですかね?
「ヘッドクラスの統率力を持つ実力派天使!更なる戦いの場を求めて新天地に旅立った。得意のキラーパスで凶悪魔を蹴散らせ!」
ビックリマン2000にも封入されていたようです。こちらも、ちゃんと入手しましたよ。
いやー、当時の資料があまり見当たらないのであれですけど、本人もきっと喜んだことでしょうね。
・・・ということで、今回は日本サッカー界のスーパースター・中田英寿のビックリマンシール話でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
3月12日に、ビックリマンの新作出ますよ。
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