【小説:恋する異世界】王子様、この国の貴族たる者の責務をお忘れですか!
どの国でも創世期にまつわる逸話があり、それは後世の者たちにとって侵さざる心の礎として深く信じ守られているものだ。
かつて敵国に攻め込まれた時、この国の王子は王宮で迎撃した。
重い甲冑を身に着けている敵兵たちは、王宮へなだれ込んではツルツルの床に足を取られ、勇敢なる王子にどんどん打ち取られた。
敵兵はその数を減らし、この国は戦いに勝ったのである。
この故事にならい、ヒロイズム王朝の王宮は氷のようにつるつるである。
時が経ち歴史が下るに従い、この国では、なめらかな床で行う優雅な所作が貴ばれるようになった。
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実は私、サージュ・ドートリッシュは、少しだけ前世というものの記憶があると感じています。
といっても些細な事なので関係なさそうですが。
どこかで聞いたことのある単語だって、まるで昨夜の夢に思い当たったような気分に時々なるのです。
初めてこの王宮の名前を聞いた時もそうでした。
「カーリング宮」って言うんですもの。
「冬のオリンピック」って単語が思い浮かびました、まぁ、関係なさそうです。
さて、今日は、立太子のイベントで、王宮まで出向いてきました。
入口からツルツルの床を優雅に滑って、謁見の間へ向かいます。
むろん、従者を何人か連れて、ほうきで滑る先を微調整しながら目的の方へとすべって移動します。子どもの頃から、しっかり練習してますから、チームワークはばっちりです。
おや。
今すれ違ったのは王家の方ですね。
それはそれは、神がかりの美しさで舞うようにクルクルと移動していきます。
その所作の美しさは王家の象徴。
つるつるの床に赤子の頃から親しんでいる王族なればこそのスベリです。
この王宮で催されるダンスパーティでは、王族の皆さまは、すばらしいスピードで数々の妙技を披露されます。きっとこの王宮に暗殺者が紛れ込んでも、とうてい近づく事すらできないでしょうね。
そもそも奥に入っていけるか。入っても出てこれるのか。
今日の立太子の儀に列席するよう、王宮からお呼び出しを受けている私、サージュ・ドートリッシュは、アルトゥール王子の婚約者なのです。
ドートリッシュの家は公爵家ですが、家柄で選ばれたというよりは、反射神経で婚約者として選ばれました。
王子の妃として、王家の一族としてふさわしいスベリを実現できる身体能力が大きく評価されたと申せましょう。
今日は立太子といって、次の王様の公式発表を、由緒あるカーリング宮で行うのです。他の国からのお客様も招いて、婚約者の私を紹介、結婚式までの日程発表を行います。
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ところが、とんでもない事が起きてしまいました。
立太子の儀が無事に終わったあと、アルトゥール王子は私ではなく他の令嬢の手をとって中央に立ちました。
あ、あの子、男爵令嬢さんですね。ほかの国から最近こちらへ移ってこられたんですね。
この床に慣れていないので、王子様の腕につかまっています。
普通の方では、このカーリング宮では満足に立つこともできないのですが、大丈夫でしょうか?
外国からのお客様には、最初から見目よいデザインの椅子が準備されていて、座ってご参加されています。
しかし、このカーリング宮のつるつるな床で立っていられる事はこの国の貴族としての暗黙の条件なのです。
一瞬でも油断すれば這いつくばるような激烈なスベリの床で笑顔かろやかに立ってみせられるのは子供の頃から訓練してきた猛者でないとできない事なのです。
この謁見の間、王族の立つ一角は周辺の何倍もツルツルになっています。 これは、暗殺者対策であり、そしてこの国の貴族をはじめすべての人々に王家の人間の卓越たる能力を知らしめることも目的の一つなのです。
つまり、王子の立つあたりはカーリング宮の中でも最高のツルツルであると申せましょう。
みんなハラハラして見ています。男爵令嬢があまりしがみつくとバランスを崩します。
そんな中、高らかにアルトゥール王子が宣言しました。
「わが婚約者、サージュ・ドートリッシュよ。貴様を断罪し、婚約を破棄する」
なんという事でしょう。
アル王子は私との婚約を破棄すると言い出しました。
私は、従者の肩をそっと押して広間の真ん中へ滑り出ました。
王子の前にすこし間隔をあけて静止してみせた所作に周囲からはため息がもれます。
「おおー。さすがサージュ様」「なんとお美しいスベリでございましょう」
なんとなく「お笑い」って単語が思い浮かびました、まぁ、関係なさそうです。
「王子様、恐れながら婚約破棄の理由をお教えください」
「そしてお隣におられる方はそれと関係があるのですか?」
「ふっ。婚約破棄の理由、それは」
といったん話を切って、軽やかに王子は舞い始めます。
なんと美しいのでしょう、回転するスピードに変化をつけながら7回転半して、わたくしを指し示してぴたりと止まって見せます。
「貴様がこの令嬢にしかけた悪行の数々である」
輝く床の上、静止してみせる王子の姿は神々しく、私はまばたきも忘れて見つめてしまいます。 こんなにすばらしい王子から断罪を受けてしまうなんて、私はその罪深さにおののきました。
声をあげて弁解しようかという考えは、この姿を見て春の雪のように消えてしまいました。
王子のスベリは皆を魅了し、わたくしの弁解など誰の耳にもはいらないでしょう。
「きゃぁ」小さな声が広間に響きました。
男爵令嬢が、なんと、床に手を付けています。
なんと無作法な姿勢なのでしょう、ころびそうになって支えたつもりでしょうか?
たしなみを忘れた男爵令嬢の姿をみな眉をひそめてみています。
でも、危なげな姿を王子は儚げに愛らしく見ているのです。
あ、なんとか床から手を離して立ち上がりました。
さりげなく、私の従者に目配せして、フォローに入ってもらいました。
しかし王子はそれを見とがめて言うのです。
「そうやって、ご令嬢の無作法をあげつらうとはなんという悪行」
「あげつらっておりません。そもそもカーリング宮でのスベリはこの国の貴族のたしなみではございませんか」
私は言葉を続けた。
「見事にスベって見せることがこの国に生まれた高貴なる者の務めでしょう」
こぼれそうな泪をこらえながら前を向きます。
「この王宮の床ににふさわしくなるまでスベリの練習をしてから、デビューするのが定めの筈です」
あ、男爵令嬢さん、せっかくの従者の手を振り払いました、反動でくるくる回って止まらないみたいです。
目が回らないといいのですが。
そんな令嬢はほっといて、私は王子様のそばへ。
至近距離で背中を向けてピタリと静止してみせました。
周囲からはため息と緊張の声がもれます。
この姿勢の指し示す意味を皆知っていますから。
「王子様、この所作を二人で練習した日々を覚えておられますか」
ツルツルに慣れる為、こごえる真冬の湖、氷の上で二人で特訓した絆はどこへ行ったのでしょう。
誰からも美しいといわれるような完璧はスベリをできようになるまで、わたしたちは血のにじむような努力をしてきたではありませんか。
この王宮では、選ばれて努力した者だけが王子の横に立つことができるのです。
王子に背を向けた姿勢で私はすこし涙声で訴えました。
「おそばにいる事をお許しいただけないのなら、どうぞ私の背を押してくださいまし、力の限り」
そばにいる事が能わないなら、私などどうなってもいいのです。
なんとなく「ダチョウ」って単語が思い浮かびました、まぁ、関係なさそうです。
そんな決意の姿勢に、王子は近づき私の肩をそっと抱こうとしました。
「うぎゃぁ。」そこには、回り続ける男爵令嬢の姿が。今では立つ事をあきらめて背中で丸くなってクルクルしています。
なんとなく「ブレイクダンス」って単語が思い浮かびました、まぁ、関係なさそうです。
どうしてこんな事になってしまったのか。
アルトゥール王子からは何の説明もありません。
悲しくなってきた私は、王子に向き直り、力いっぱい右ストレートを顔面に差し上げました。
すばらしいスピードで離れていく二人。
そして、私は泣きながら謁見の間を後にしました。
お読みいただいてありがとうございます。ゆるーい異世界のお話を【恋する異世界】として、毎週月曜日に更新しています。
それぞれ短いお話です。どうぞ肩の力を抜いてお楽しみください。