なぜ結婚中の共同親権は形骸化しているのか?日本は単独親権制度(家制度)の国だから
この親権問題についての連載で、5回目に「子ども連れ去り」について扱いました。DVは4%程度であり、90%以上の連れ去りに正当理由なんてないことも書きました。では、なぜ連れ去りをするのでしょうか?
理由は2つです。
1つ目は、別居をしないと離婚が難しいからです。子どもがいた場合、親権がない方は、おそらく親子断絶になりますから、親権争いで両者が合意するのは難しく、合意離婚(民法763条)は困難です。
そうなると、片方の意思だけで離婚するには正当理由が必要になります。離婚の有責主義(民法770条)と言います。代表的な離婚理由は相手の不倫です。
ただし、両者の人間関係が完全に破綻していることが確認されれば、裁判所は離婚を認めるようになりました。そのためには一定の別居期間が必要です。かつては5年以上でしたが、今では3年くらい、2年に近づきつつあります。
でも、別居しようと言っても、子どもをどちらが引き取るかを合意してから別居するのは困難です。子どもを引き取った方が離婚後の親権を取ることにつながりますから。子どもを置いて別居すれば、おそらく親権を失います。
そのため、子ども連れ去りをせざるを得なくなるのです。
「いや、同居しながら、離婚訴訟をすればいいではないか」と言われても、険悪な関係で何年も同居するのは嫌ですし、相手が先手必勝で巧妙に子どもを連れ去ったり、自分が家から追い出されたら親権を失ってしまいます。
つまり、2つ目は、別居にあたり夫婦間の紛争を解決する手段を、現在の民法は用意していないからです。法定別居制度がないのです。
そして、連れ去りが起きた後も、現在の民法は、紛争解決手段を用意していません。連れ去った者勝ちです。
連れ去りは刑法224条の誘拐に当たりますが、犯罪として扱われないどころか、子どもすら返してもらえません。
なぜ、こんな無法がまかり通るかというと、法律の前提の理念があるからです。「法は家庭に入らず」
つまり、家制度ということです。家のなかは治外法権で、家庭内自治ということになります。
とはいえ、この法格言は見直されつつあります。いや、はっきりと廃止すべきで、家庭だろうが、法は等しく運用すべきです。家制度は廃止しなくてはならないのです。
共同親権制度の国だと、法は家庭に普通に入ってきます。他人同士の関係と変わりません。警察や児童相談所などの行政機関もすぐに来ます。
また、裁判所も夫婦のどちらかから申し立てがあれば、速やかに別居についての仲裁もします。子どもの進学先で揉めて、両者の言い争いが決着がつかない場合も、裁判所が白黒をつけてくれます。日本の場合は、揉めてどちらも妥協できなければ離婚しか選択肢はありませんが。
結婚中の共同親権も、欧米のものと日本のものは違うのです。日本の場合は、本質的には単独親権ではないでしょうか。
パスポートについても、入院についても、進学についても、ほとんどの親権者同意欄は1つしかありません。建前としては、2人で合意したとみなされていますが、実際のところは片親が同意すれば、それで合法となります。要は、先行行使した方の単独親権なのです。
結婚中も家制度なので、「家に1個親権がある」と理解するとわかりやすいと思います。その1個を、子ども連れ去りで持ち逃げされたら、自分の家には親権はありません。連れ去った側の事実上の単独親権のような感じになってしまいます。
欧米の共同親権だと、連れ去りは刑法で逮捕されますし、民法でも親権停止になります。日本の婚姻中共同親権では、逮捕もされなければ、親権停止にもなりません。つまり、日本の婚姻中共同親権は形骸化しており、未婚・結婚・離婚の全てにおいて、「単独親権制度(家制度)」と言えるでしょう。