音楽を書くことくらいしかできない
私は今、抽象画のような音楽を作るのが好きです。
モチーフを明確にせず、感性のままにピアノを弾くというスタイル。
ほとんど即興演奏のような音楽を作るのが、自分にしっくりきています。
なのですが、世の中の多くの音楽は、やっぱりメロディがはっきりしている曲が多くて、私のこのスタイルだと聴いてもらえないのでは?!なんて思ってしまい、
迷うことがあります。
ちなみに、私の曲はこんな感じです。
Holos Musicさんから120曲くらいリリースさせていただいています。
それでも、まだ少ないですよね。
ピカソだって、坂本龍一さんだって、信じられないほどの作品を残している。
きっと模索しながら、あれこれ作っていたんじゃないかなと思います。
比べる対象がちょっと壮大すぎますが、偉大な方を例にしてみるとそういうことです。ありえないほど作品を作っています。
今は抽象的な音楽をメインに作りたくなるけれど、あれこれ弾いてるうち、即興だけではなくモチーフのしっかりした曲を書きたくなるかもしれません。
坂本龍一さんは、ポップスからエレクトロニカやら、本当にさまざま作っていらっしゃっています。
私も、「今」制作したいものを制作するのが一番なのでしょう、きっと。
きっと今作りたいものを思いのままに作っていって、
音楽や、こうしてnoteのような文章に残し、
それがきっと誰か自分のまだ知らない人に届いていき、
何かしら感じるものがあって、私の作品がその人の人生に何か影響することができたら
作曲家としてこれ以上のことはないなと思います。
私は今35歳で、あれこれ失敗もしてきました。
過ちを犯したこともあるし、穴に入りたくなるような恥ずかしいことも、本当にたくさんありました。
信頼を失うこともありました。
前の私を知っている人には、「あの時はね、」と弁解したくなるような気持ちです。
謝りたくなるし、忘れてほしくなります。
思い返すと、本当に未熟だったなと思います。
思い出したくないなと思います。
たまに過去のことを反芻すると、泣きたくなります。
でも、きっと神様が許してくれてるんです。
「過ちは過ちではないよ。未来から見て必要な栄養」
そんな風に言ってくれる人がいました。
心がスッと楽になりました。
過去はなかったことにはできないけど、今、幸せに創作ができていること、またこうして胸を打たれる言葉を返してくれる人が近くにいるということは、
どこかできっと、神様が許してくれたんじゃないかなと思います。
これから、前を向いて、創作を続けていきたいと思います。
私が自分のためや、
世のためにできることは、
音楽を書くことくらいしかないです。
本当に壮大になってしまうのですが、
音楽を書くこと、文章を綴ることで、私のように辛いことがあった人の
希望になるような作品を作っていけたらいいなと思います。
それが、私が表現したいことの一つです。