27歳、そろそろ幸せの所在がわかってきた
27歳。この歳になって、自分がどんな時に幸せを感じるか理解できてきた気がする。
住み慣れた関東を離れ、神戸に住み始めて3年半。家族・親戚・友達もいない地で1人で過ごすことが増えた。
学生時代それなりに友人はいたし、趣味も特になかったので、休みの日は友達や家族と過ごす事がほとんどだった。1人で行動するようになったのは社会人になってからだ。
1人で過ごすようになった結果、自分なりの幸せの解像度が上がってきた感覚がある。
昔から人と遊びに行く時、相手のやりたいことに合わせてしまう。それは優しいからではなく自分のこだわりや好きなことを否定されるのが怖かったからだ。人に合わせ続けると自分の意思がだんだん見えなくなった。
だから、1人になる期間が必要だと思い、社会人になるタイミングで関西に来る決意をした。
私が幸せを感じる瞬間はいつなのか。
具体的に私が幸せを感じる瞬間について書いて行きたいと思う。
銭湯
銭湯が好きというと、流行りのサウナ好きだとよく勘違いされるのだが、私はサウナよりも湯船派。風呂に入ること自体も好きだし、何よりも建築物としての銭湯が好き。銭湯の魅力は、スーパー銭湯の整った設備や広さという魅力とは全く異なるもので、家に風呂が無かった時代に近隣住民の日常利用のために作られた名残で、最低限のざっくりとした作りや、昭和特有の装飾足し算のデザインが、現在に若者目線だと新鮮だし可愛い。
また、だいたい銭湯は「え!こんなところに?」という場所にあるところも好き。銭湯はまちなかのアクセスの良い場所に小さく佇んでいる事が多く、まちで銭湯を見つけると宝物を発見したようなワクワク感がある。特に遠くから煙突を発見したときのワクワク感と言ったら・・・。
今や継承問題や建物の老朽化などで存続が危ぶまれる銭湯。どうせ残すならば、建築物ごと残さないと銭湯らしさがなくなってしまうという危機感の元、大学院時代に銭湯の事業承継問題(非血縁者の事業承継)や建築物の継承についての修論を書いた事もある。
最近もせっせと神戸の銭湯巡りをしている。常連になった銭湯もある。神戸は有馬温泉があることもあり、源泉掛け流しの銭湯が多い事が嬉しい。ただ、建物の風情は東京や京都の方が圧倒的にいいので、今後は京都方面にも少し足を伸ばそうかなと思う。
飲み屋街で一人飲み
お酒も好きだし飲みの席も嫌いじゃない。でも一番好きなのは銭湯と同様、飲み屋街の街並みや居酒屋の雰囲気だ。
これはよく論争になるテーマだが、私は一人飲みの方が、人と飲みに行くよりその店の雰囲気や味を堪能できている感覚がある。人と行くとおしゃべりに集中してしまい、ぶっちゃけ場所や食べ物はどこでもよかったりするからだ。
関西に住み始め、大阪はいい飲み屋街が多くて驚いた。
地元埼玉の田舎町にも大学時代住んでいた東京・八王子にも、繁華街はあるものの赤提灯の細々とした居酒屋が立ち並ぶいわゆる飲み屋街がなかった。
大阪には自分が夢見ていたガチャガチャした飲み屋街が多く、安くて美味しくて雰囲気の良い居酒屋が多い。私が好きなのは、十三、天満、大阪駅前ビル(治安的に一人では行きにくいが西成方面も良店が多い)。
ないものねだりだが、私が育ってきた地域では体験したことのなかった”治安の悪さ”が大阪にはある。
また、居酒屋に行くと大阪の人の値段と味への厳しさは本物だと思う。値段相応の期待感を超えてくる美味しさのお店が圧倒的に多い。
工芸品(特に器)の産地への旅行
その地域らしいものづくりや手仕事に惹かれる。その地域の自然環境や歴史にルーツを持つものはそこでしか手に入らないし、ストーリーがある分愛着が湧く。
また、地域の産業は町並みにも現れる。産地に行くと、特定のものを工房・工場や店が立ち並んでいるし、そのまちの住民のほとんどが職人さんだったりすることもある。それは私にとってはとても異様な光景だしとても面白いと思う。
なので、工芸品をただ単に買うのではなく、わざわざ産地に足を運び工芸品を買うということが最近の趣味だ。その地で買うことで、作り手とお話できることもあるし、旅行の思い出も付加価値となり、ものへの愛着がより強くなる。
器がもともと好きだったし、大学院時代山口県の萩焼の調査をした経験もあるため、特に器の産地が大好き。登り窯やそこらへんに器が投げ捨てられている光景など、器の産地独特の景観も好き。
最近は、このままだと私の小さなマンションの小さなキッチンの収納には収まらなくなるほどの器を収集している。
以上、私の幸せを感じる瞬間、好きなことについてツラツラ書かせていただいたが、今後も上記の趣味を深めつつ、もっと幅広い手段で幸せの総量を増やして行きたいなと思う。