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樋口円香 LP、それは樋口円香コミュの最高傑作にしてシャニPコミュの最高傑作

途方に暮れている。自分はこのコミュを見て、どうすればいいのだろう。少なくともこうして感想を書くためのnoteを開いているが、書くことは決まっているものの、やはり途方に暮れている。夕陽とか見てる。ひとつ言えるのは樋口円香コミュの最高傑作であり、そしてシャニPのコミュの最高傑作だったということだ。

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樋口円香の完結

Landing Pointで樋口円香の物語が完結するのを見た。
『アイドルマスターシャイニーカラーズ』における樋口円香の完結は、アイドルを辞める以外にないと思っていた。
樋口円香にとってアイドル活動とは苦しみだった。ただ浅倉透の隣に立ててればいい。そのためにはじめたはずのアイドル活動は、強すぎる責任感故にファンの期待という形で走り出すことを強いられてしまう。
だが熱意を伴わぬ責任感だけのアイドル活動は、やがて才能ゆえに売れてしまうことの苦しみを生んでしまう(【UNTITLED】樋口円香…………アイドルマスターにおける樋口円香というメタ、あるいは異端を参照。お時間のある時に是非)。
それでも、樋口円香はアイドルを辞めることはできない。それは責任感でもあり、浅倉透とシャニPに対する執着でもあった。
執着が苦しみを生むなら、執着を捨てるしか完結はない。そして執着を捨てることは、アイドルを辞めることと同義である。だからこそ、樋口円香の物語に完結はないと思っていた。なぜならアイドルマスターというコンテンツに終着点は無いから。
それだけではない。樋口円香の物語が完結しないのは、シャニPが「ほかのアイドルの意志を尊重する」というスタンスを持つからだ。
シャニPの、「アイドルの一個人の意思を尊重する」というスタンスは、シャニマスにおける大切なテーマのひとつだと思う。しかし樋口円香と七草にちかの実装は、そんなシャニPのスタンスに対するカウンターとして鮮やかに機能していた。
八雲なみの靴を履いてくすんた色を放ちながら踊る七草にちかにシャニPはなにも言えない。なぜなら彼はアイドルの意思を尊重するから。全ユーザーを恐怖のどん底に突き落としたイベントシナリオ「ノー・カラット」で泥沼にはまっていく七草にちかにも「どうして幸せになることから逃げるんだ」くらいしか言えない。いつものピアノメロディーの処刑用BGMが流れても、シャニPによってなにかが改善することはない。

それと同様に、樋口円香がシャニPを否定する限り、シャニPは樋口に強く踏み込むことができない。
だからこそ、シャニPは樋口円香を救うことはできない。
言ってしまえばシャニPがゲームの舞台装置であり、自我が強くなってきたと言われる昨今でも、やはりどことなくシステマチックな存在だからだ。だけど、今回のコミュで樋口円香の物語は完結した。それは他でもない、シャニPに変化が訪れたからだ。

激情を受けて

多くの人がそう指摘しているように、LPのコミュは今までの樋口円香の集大成となっている。その中でも特に関わりが深いのが【ピトス・エルピス】だ。
【ピトス・エルピス】で、シャニPは樋口円香の中にある激情を目撃する。
読者視点で物語を追ってきたユーザーにとって『ピトス・エルピス』は再確認的なシナリオだったが、今ならLPのための重要な伏線とわかる。
シャニPはLPのコミュで、樋口円香にソロライブを提案する。それも樋口円香が自由に構成していいソロライブを。その提案は、明らかに【ピトス・エルピス】を経たシャニPだからこそ出た提案だ。
円香の激情を活かしたいという想いと、円香の激情が生み出すものを見たいという好奇心。しかし、ソロライブという樋口円香と樋口円香の純粋なファンとの衝突が起こるその現場は、樋口円香にある問いを突き付ける。
それは「アイドルとは?」という本質的な疑問。
その疑問に対する自分の中での答えが、樋口円香のアイドルに対する思いに小さく影を落とす。

アイドルとは

アイドルとは、生き様を見せるもの。樋口円香はそう結論づける。

表現とは、大なり小なり自分を曝け出すことだ。シャニPの提案したソロライブはまさに表現を試すものだった。
だが、樋口円香にとって、視線に晒されることほど恐ろしいものはない。
一方的な視線は時に暴力になり得る。樋口円香は誰のためにも歌っていない。だがファンはそれでも彼女の中に各々なにかを見出し、一方的なパッケージングを行う。

今まで、樋口円香を突き動かしていたのは視線だった。
アイドルはファンの視線を独占するものだ。そして視線を独占するということは、長くない人生の貴重な時間と金を消費させてしまうこと。その重みを、樋口円香は誰よりも知っていた。
だからこそ樋口円香は熱意を持たないまま走り出した。なまじ才能があるばかりに独占してしまった視線に対して責任をとるために。何百、何千、何万人もの時間を無駄にしてしまう恐怖を胸に。
それは目的のない、ゴールの見えない長距離走のようなものであり、終わらない責め苦を負わされているのと同じだった。ファンからの期待に自分がそれほどの価値があるのかと苦悩し、ただ潔癖じみた責任感が樋口円香の足をトレーニングルームに向かわせる。
今まで他者からの視線に晒される恐怖を吐露しつつ、生きていく限り避けようのないパッケージングに諦観を見せていた樋口円香は、シャニPに自由裁量のあるソロライブを受けさせられたせいで再び恐怖と嫌悪感を見せる。
今まで表面的な表現力をコーティングすることで自身が曝されることを避けてきた樋口円香は、シャニPに己を表現することを要求される。

己を表現し、視線に晒されることを樋口円香は明確に拒否する。他ならぬ樋口円香自身の意思で。「視線なんかに晒されたくない」「誰にも縛られない」だがそんな樋口円香にシャニPは、他でもない彼女自身が己を縛っているのだと突き付ける。
樋口円香は激情を持っている。歌を唄い、表現したいという情熱を持っている。だが他者からの視線に恐怖し、その視線の持つ重さを知る樋口円香はその思いを封じ込めていた。

潔癖で自傷じみた強い責任感。アイドルを続ける動機だったそれが、今では樋口円香を縛る鎖となっていた。そのことをシャニPは樋口円香に突きつける。

だが他者の心を暴き、踏み入り、「お前はこうだ」と突きつける行為ほど不躾なものはない。それは尊重なんてものからは程遠い。シャニPのスタンスからは対極にあるもの。
さらに言えば、自分自身を他者から突きつけられるのは最悪だ。それも嫌いな相手ならなおさらだ。
シャニPに自分の心の内を暴かれた樋口円香は、返す言葉もなくただ背中を向けて逃げ出すしかない。

この時点で、シャニPは自分の定義する「正しさ」から大きく逸脱していた。

こう言っていたはずのシャニPが、見守りもせず、無遠慮に彼女の領域に踏み込んでいる。そしてそれが正しくないことは、他でもないシャニP自身が理解していた。

ゲームの舞台装置だった男

【ピトス・エルピス】はやはり、樋口円香のコミュであると同時にシャニPのコミュでもあったと思う。
樋口円香のLPは【ピトス・エルピス】が必修コミュだと言われているが、それは樋口円香の心情の動きを追うためではなく、シャニPの心情の動きを追うために必須だからだ。
樋口円香の激情を目撃したシャニPには欲が芽生えた。それは、樋口円香を自由にしたいという思い。そして自由になった樋口円香を見てみたいという思い。樋口円香の激情を受け、シャニPの中にも激情が芽生える。

初期のシャニPは、ゲームの舞台装置のような男だったと思う。決められた選択肢によってアイドルの望むことを言うシャニPは、彼女たちの成長を促し、必ずW.I.N.G.優勝に導く。言い過ぎかもしれないが、シナリオ上の舞台装置として駆動していたのは確かだと思う。
だからこそ、シャニPを拒否し、なにも望まない樋口円香というキャラクターは舞台装置であるシャニPに対するアンチテーゼであった(このことは、アイドルマスターにおける樋口円香というメタ、あるいは異端という記事で少し書いてあります。時間がありましたら是非)。
だが、樋口円香の激情を目撃してしまったシャニPは、欲が芽生えてしまった。だから樋口円香の望まない言葉を話すし、樋口円香の望まないこともする。
樋口円香は舞台装置としてのシャニPに対するアンチテーゼである。だからこそ、シャニPは変わる必要があったのだ。

シャニPの前から逃げ出す樋口円香の背中を見て、シャニPは己を戒めようとする。「絶対に追いかけるな」と。「選択を間違えるな」と。

シャニPにとって、なにが正しいことかは、今までもそうしてきたようにはっきりと分かっていた。それも「絶対」と言い切るほど。この場では「追いかけない」という選択が正しいことが分かっていた。まるでなにもかもがプリセットされているかのように。
だが、シャニPは走り出す。

選択を越え、それが間違いだと知りながら樋口円香の背中を追いかける。それはもう正しさでもなんでもない。ただのエゴと衝動がシャニPを突き動かす。
そして【カラカラカラ】の時のように河原で躓いてしまった樋口円香に手を伸ばす。

樋口円香はいつだってシャニPを拒否してきた。踏み入ることを拒んできた。それは河原で躓こうとも変わらない。

だが、樋口円香が望もうと望まざるとも、彼女の意思を無視してシャニPはその腕を掴み取る。
「勝手に助ける」それはもう誰のためでもない。樋口円香のためでもない。ただ己のエゴで、樋口円香を助ける。彼自身がそうしたいから。
舞台装置だった男は、今や強烈な自我を獲得した。自ら課した規定から大きく逸脱し、自由意志のもと生きていく。
それは今までのシャニPの姿からはかけ離れたものであり、だからこそ樋口円香に届くことができた。
やはり、この物語は樋口円香の物語であると同時にシャニPの物語でもあったのだ。

誰のためでもない

Landing Pointoは終わった。己の激情を理解した樋口円香は、誰のためでもない、自分のためだけに衝動のまま歌を唄う。
もはやそこに他人の視線を恐れる少女はいない。病的なまでの責任感を負う少女はいない。アイドル活動は、樋口円香にとって苦しみではなくなった。

シャニPには樋口円香を変えられないと思っていた。そう侮っていた。
シャニPは舞台装置であり、だからこそ樋口円香は自分で変わるしかない。そしてそれは執着を捨て、アイドルを辞めることだと。
だが、シャニPは正しい選択を捨て、エゴを貫くことで樋口円香を変えてみせた。
ここに樋口円香の物語だと自分が思っていたものは完結した。もはや樋口円香に苦しみはない。

樋口円香の苦しみも、シャニPの問題点も全てが想像通りだった。だからこそ、不可能だと思っていたことが完全に成し遂げられてしまい、茫然としている。
シャニPがエゴを獲得する。それは唯一無二の解であり、シャニマスがブラウザゲームである限り不可能だと思っていた。実際、シャニマスが変化を恐れるコンテンツだったらここには至れなかっただろう。
アイドル活動を続けながら、樋口円香の物語が完結する。アイドル活動を続けながら、樋口円香が苦しみから解放される。
不可能だと思っていたそれを樋口円香のライターはやってのけた。それも恐らく最初から想定していた通りに。あまりにも、あまりにも凄まじい。
シナリオライターの想像を絶する技量に、ただただ茫然としている。

樋口円香にとってのファン

この先も樋口円香は誰のためでもない、自分のために歌い続ける。では樋口円香にとってファンは不要な存在なのだろうか。言うまでもないことだが、それは違う。
ファンからの視線は、一つとして同じものはない。好奇の視線、羨望の視線、敬愛の視線。それは数えきれないほど様々な色をしている。ステージの上ではそんな視線がぶつかり合って混ざり合う。色は混ざり合えば濁る。だが視線は、放たれた光を屈折して跳ね返す。

物語は続く

熱意がなく、誰かのために歌っていないという自身のあり方に苦しんでいた樋口円香はもういない。激情を胸に、誰のためでもない歌を乗せる自分を肯定して、自由に生きていく。
そしてシャニPもまた誰かのためではない、強いエゴで、自由意志のもと樋口円香に寄り添い、時に踏み込んで生きていく。

このシナリオが樋口円香の物語であると同時にシャニPの物語であるのは、元から樋口円香が舞台装置としてのシャニPに対するアンチテーゼだったからだ。だからこそシャニPが変わるのに樋口円香が必要不可欠であり、樋口円香が変わるのにシャニPが必要不可欠なのだ。
樋口円香のLPは最後、樋口円香とシャニPの言葉が同時に重なって終わる。これはピトス・エルピスのリフレインであり、同時にこのコミュが樋口円香とシャニPの物語であることを示している。
LPが終わってもふたりの物語は続いていく。それを追う必要があるのかはわからない。蛇足のような気がするし、もう少し覗いてみたい気もする。
少なくとも、自分はこの物語に必要ない。だからこそ、途方に暮れている。
とはいえ、二人の行き先に幸あらんことを、と願うことはできる。
もちろん、願ったところで意味のないことだが。

蛇足のようなあとがき

このnoteを書き終えて、自分の中のアイドルマスターシャイニーカラーズはほぼ終わった。わはは寂しい。まさか終わるとは思わなかった。
自分がシャニマスをやる理由の9割は樋口円香の物語だった。その物語が完結してしまい、今やシャニマスをやる理由はほぼない。本当にめちゃくちゃ寂しい。でもあまりにも鮮やかで完璧な完結を見たため、気持ちはどこまでも晴れやかだ。
だからここで終われれば、きっと自分は幸せなのだと思う。
シャニマスが長く続き、いつしかマンネリが訪れて、ダラダラと毒にも薬にもならないコミュを垂れ流すようになって、「もういいかな…」ってなるより幸せだと思う(シャニマスがマンネリを許容するとは思えないが)。
とはいえ、樋口円香の物語がLPで完全に語り終えたわけではない。ノクチルとしての樋口円香の物語はまだまだこれからだし、【UNTITLED】で見せた浅倉透に対する澱のような感情の終着点も見たい。
そう、アイドルマスターシャイニーカラーズに完結はないと思っていた。だが樋口円香の物語がここに完結した。ならばシャニマスのアイドルたちが抱えるアレやコレの終着点が見れるのではないかという期待が新たにある。
この完璧な終わりに後ろ髪を引かれる思いもあるが、なんだかんだやはりシャニマスは続けていくと思う。樋口円香のLPは、そういう光を見せてくれた。
あとここ数年で最もこちらを惑わしたキャラクターの物語を描いた樋口円香のライターさん。それから樋口円香に命を吹き込み、恐らく生涯忘れないであろう演技を見せてくれた声優の土屋李央さん。マジありがとうございました。

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