ゴールデントライアングルへようこそ
「見てください。地元住民の生首です」
ガイドはにこやかに語りかける。
「ああして仕事を拒否した人を、晒し首にするわけですね」
腐りかけの生首を小鳥が啄んでいる。そのそばで農作業に従事するのは、生首と同じ村の者たちだ。
「彼らは日が昇ってから沈むまで、こうして芥子の栽培を行っています。暴力で脅すことで、安い労働力を得られるわけです。労働基準法? そんなものはありませんよ。なんたってここは」
「黄金三角地帯」
ガイドは頷いた。
「その通り。アジアが誇る、麻薬密造地帯です。ようこそ、ゴールデントライアングルへ」
広くなだらかな芥子畑をサアッと大きな風が撫でる。畑の向こう側ではどこまでも広がる熱帯雨林が深い緑を湛えた枝葉を揺らしている。
「いい景色ですね」
「でしょう」
アジア最大の麻薬密造地である黄金三角地帯はラオス、タイ、ミャンマーの国境周辺に位置する。ここペトリコール村はミャンマー側に位置する麻薬密造村で、ミャンマーの軍閥の一つであるオルトマーレ将軍が支配している。
そんな彼の打ち出したビジネスの一つが、この黄金三角地帯ツアーだ。
その時である。どこか遠くの方から銃声が聞こえる。
「はじまったようですね」
ガイドのクォーツサイトさんが顔をあげる。
「銃撃戦ですか?」
心配そうに聞くと、クォーツサイトさんは笑顔で答えた。
「それは着いてからのお楽しみです」
そこは、植え付け期前の田んぼのような場所だった。泥でぬかるんだそこに、やせ細った男たちが横並びになっている。背後の土手には自動小銃を持った兵士が威圧するように並んでいる。兵士の中で一人、上半身裸の男が上空に向かって発砲する。すると、やせ細った男たちが、ジャングルのほうに向かって一斉に走り出した。
「あっ」
私はその光景に見覚えがあった。記憶の糸を探っていると、田んぼで走っている男の一人が突如爆発して吹っ飛んだ。
「おや、これは」
その男だけではなかった。ジャングルに向かって走る男たちが次々と爆発していく。
「これ、ランボー最後の戦場で見たやつだ!」
「その通り」
「すごい、本物だ~」
捕虜を地雷原の中を走らせ、生き延びた者だけ見逃す処刑方法で、ランボー最後の戦場における名シーンの一つだ。
「実はオルトマーレ将軍の支配地域であの処刑方法はやっていなかったんですけど、あの映画を見てからツアーの一環としてはじめたんですよ」
「なんかマサイ族がスマホ使ってるみたいながっかり感がありますね。なんでツアー客に言うんですか?」
「楽屋ネタ好きなんですよ」
そう話している間にもやせ細った男たちは次々と吹っ飛んでいった。全身バラバラになる者、足だけ吹っ飛んで悶え苦しむ者。こうしてリアルに処刑されているのを見ると、実際すごい臨場感だった。
「楽しんでるカ」
先ほど、空に向けて発砲した上半身裸の男が話かけてきた。
「はい、ええと」
「彼はディヴェニーレ。今回あなたの警護を担当する者です」
ツアーガイドが紹介する。
「ええと、ディ……ヴェ」
その名前は、私の舌では発音が難しかった。
「デイヴと呼んでくレ」
デイヴは手を差し出し、私はそれを握り返した。よく見ると彼はインドネシアの俳優、ヤヤン・ルヒアンに似ていた。
彼らとぽつぽつ話ながら人が吹っ飛ぶところを眺めていると、捕虜の中の一人が地雷原を抜け向こうの土手にたどり着いた。
「あ、これ生き残った人も結局撃たれるんですよね。ランボー最後の戦場で見た」
すると、デイヴが激昂して私の肩を小突いてきた。
「チョ、それネタバレ奴! ネタバレ奴!」
「いてッいててッ」
「ネタバレ奴! ネタバレ奴!」
「10年前の映画にネタバレもクソもねーから!」
デイヴに小突かれてると、案の定生き残った捕虜は射殺された。
乾いた銃声が連続して轟き、ジャングルから小鳥たちが飛び立った。
お昼になり、ツアーガイドのクォーツサイトさんは私とデイヴを引き連れて食堂に案内してくれた。
そこは簡易的な柱とトタン屋根でできた半屋外の食堂で恰幅のいい女将さんが一人で切り盛りしていた。
「ツアー客さんかい!」
「はじめまして」
「かわいい顔だね! たんとお食べよ」
この日のご飯は、地元の食材を使った豆のスープと、メコン川で獲れた魚介をバナナの葉っぱで包み焼きした焼き魚だった。
一口食べると、言いようのない美味しさが口に広がった。
「美味しいですねこれ。食べたことのない味ですよ」
実際、食えば食うほど腹の減る味だった。
「だろう。心を込めた手料理さ。私はね、みんなの母ちゃんなんだよ」
「なるほど」
「ここにいるのは脛に疵を負ったような連中だからね。でも、そんなやつらにも、誰かに受け入れて欲しいものなのさ。だから、私はみんなの母ちゃん」
「なるほど」
「あんたも、ここにいる間はあたしのこと母ちゃんと思ってくれていいからね。黄金三角地帯の母ちゃんだ」
「黄金三角地帯の母ちゃん」
私は豆スープを飲み干すと、器を女将さんに差し出した。
「母ちゃん、おかわり」
夜になり、芥子畑の近くでクォーツサイトさんとデイヴと横になって星空を眺める。近くの焚火意外明かりのないこの農村では、驚くほど星が綺麗に見える。
今日1日色んなことがあった。農村の奴隷たちと芥子づみ体験や、捕虜拷問の見学、麻薬工場ツアーやジャングル体験ツアーなど、どれも刺激的で瑞々しい経験だった。
奴隷労働の子供が私に向かって「ファッキュー!」と叫んで鞭打ちの刑に処されたり、デイヴがジャングルで大蛇に捕まって丸呑みされそうになったり、本当に色んなことがあった。特に目の前で少年兵がアヘンをキメていたのには驚いた。ああやって恐怖心を打ち消しているようだ。
「アッUFO!」
デイヴが夜空を見上げて唐突に叫んだ。
「嘘つけ」
「本当だモン絶対見たモン」
「流れ星では?」
「それはそれで見たいけどな」
この一日でこの二人とも随分仲良くなった。こうして無駄話しているとどこからか銃声が聞こえる。
デイヴが跳ね起き、無線でどこかへ連絡を入れる。
「なんですか? これもツアーの一環ですか?」
「いや……」
無線を切ると、デイヴがこちらの方を向く。
「ヤツらダ」
「なるほど」
クォーツサイトさんは眼鏡の位置を中指で調整する。遠くからまばらに銃声が聞こえる。
「もしかしてマジのやつですか」
「あなたは運がいいですよ」
クォーツサイトはニカッと笑うと、
「人質体験ツアーのはじまりです」
拳銃をコッキングした。
ジャングルの近くで警官隊とオルトマーレ将軍の兵士たちが向かい合っていた。何度かの銃撃戦を経て、膠着状態に陥っていた。
「どうやらジャングルの警備隊のようですね。たまたま将軍の支配地域に迷い込んだようです」
「それ、まずいんじゃないですか?」
「妨害電波を飛ばしているので、援軍を呼ばれることはありません」
「てことは」
「ここで全員仕留める必要があります」
「大変そうですね」
「そこであなたが必要になるわけです」
「なるほど……はい?」
「動くなビッチども!」
クォーツサイトさんは私の後頭部に拳銃を突き付けると、警官隊の前に躍り出た。
「この人質がどうなってもいいってのか! ああー!?」
警官隊の銃口が私のほうを向いていた。クォーツサイトさんの銃口も私を捉えていた。私が混乱していると、クォーツサイトさんは耳元で「警官隊に向かって助けを求めてください」とひそひそ声で言う。
そんな無茶な要求を。私は咳払いすると、とりあえず警官隊に向かって声を張り上げた。
「た、助けて~! 助けて~!」
「……」
「助けて~! 助けて~!」
「……」
頬が上気していくのを感じた。当然私は演技の素人であり、人生で命乞いをすることは無かった。思わず声が裏返ってしまう。
「助け」
「この日本人が死んでもいいのかオラーッ!」
私の演技をクォーツサイトさんが遮った。
「国際問題になるぞコラーッ!」
問題なのは私の演技のほうだった。
「くッ卑怯な」
「だが、人質を死なせるわけにはいかない……!」
警官らはうまく騙されてくれたようだ。とても良い人たちだ。
「銃を置けオラーッ!」
クォーツサイトさんが啖呵を切ると、上官らしい警官が指示して銃を地面に置かせる。それを見届けたクォーツサイトさんが顎で指示すると、銃声がまばらに轟き、警官たちは地面に倒れた。
「うわ~」
私が呆けた声を出していると、デイヴが小突いてきた。
「よかったヨ」
「本当か?」
「うん、アカデミー賞モン」
「それは言いすぎだろ」
「アカデミー賞ヘタクソ部門」
「そんなのねーから!」
私たち三人の笑い声と硝煙の匂いが、夜空に吸い込まれていった。
夜も深まり、寝床に案内される。オルトマーレ将軍の基地はジャングルの中の廃寺院にあり、その地下は捕虜収容所となっていた。
「こんなとこで寝るんですか?」
地下収容所とは名ばかりで、ほとんど洞窟のような有様だった。地下にも関わらず、暗闇の奥のほうから風が蠢くような音が響いてくる。
「嫌ですか?」
「いや、むしろウエルカムですね」
「さすが~」
クォーツサイトさんの先導に従って地下収容所を歩く。壁には崩れかけのブッダが彫られている。牢屋からは捕虜が落ちくぼんだ目でこちらを見てる。
その時であった。
急に牢屋の向こうから捕虜の人が腕を掴んでくる。
「うわッなんだ!」
「た、助け……助けて」
やせ細ったガリガリの腕からは想像できない力で掴んでくる。
「助け……助け……」
これもツアーの一環か? しかしよく見ると、捕虜の気迫から本当に助けを求めているように思えた。これは……。
デイヴが柵を蹴る。ミャンマーの言葉で、なにかチンポコを切り落とすようなことを言う。捕虜はすごすごと暗闇のほうへと消えていった。
「ビックリした~」
「大丈夫カ?」
「うん、なんか……」
私が考え込むように顎を撫でていると、クォーツサイトさんが声をかけてくる。
「なにか気になることが?」
「いや、なるほどなって」
「なるほどな?」
クォーツサイトさんが眼鏡の位置を直す。
「なるほどなとは?」
まるで私の内心を探るような目だ。まさか、私になにかあるんじゃないかと疑っているのではないだろうか。私は小さく破顔する。
「いや、こう命乞いすればよかったのかってね」
「そこかよ」
クォーツサイトさんはズコッと肩を落とす。デイヴが小さく笑い、肩を小突いてくる。
「次に活かせるナ」
「いや二度とごめんだわ」
ツッコミを入れるように胸をはたく。
私たちは、捕虜の前でひとしきり笑いあった。私たちの間に本当の絆が芽生えた瞬間だった。
寝室に入ると、私はベットに倒れ込んだ。寝室は、簡素な作りの牢屋だった。壁には仏像の他に、かつての捕虜が彫ったであろう文字が刻まれていた。それは当初「HELP」と刻まれたものだったのだろう。だがなんの心変わりか「HELL」と刻み直されていた。
その他には机やテレビといった普通のホテルと変わらない有様で、壁に埋め込まれた蝋燭の明かりが落ち着いた空間を演出していた。
私は天井についた血のしみを数えながら今日一日のことを反芻する。
非常に刺激に満ちた、充実した一日だった。デイヴはいいやつだし、クォーツサイトさんは意外にもノリがよく、親しみやすいヤツだった。
村人たちは最初は無愛想だったが、クォーツサイトさんに小声でなにか囁かれたあとは笑顔を浮かべるようになった。
旅行とは。私は思う。誰かにとっての当たり前を経験することなのだと。そしてそれは他人であればあるほど素晴らしい。そういう意味では、今回のツアーは本当に素晴らしいものだった。
徐々に眠気がやってくる。その前に確かめたいことがあった。
私は、ホテルに来たら机の引き出しや冷蔵庫の中身を全部確かめるタイプなのだ。冷蔵庫はないので、とりあえず机の引き出しを開ける。
「あッ」
そこには、黒革で出来た一冊の本があった。
「ここ、机の引き出しに聖書があるタイプのホテルだったのか!」
意外であった。
望まずとも陽は昇る。別れの朝がやってきた。
送迎用のジープがホテルの前に停まる。あたりは村人でいっぱいだった。みんな、別れを言いに来てくれたのだ。
「あんたがここを去っても、わたしは黄金三角地帯の母ちゃんだからね」
「ありがとう。黄金三角地帯の母ちゃん」
私は黄金三角地帯の母ちゃんとハグを交わす。
「これ、良かったら使ってくだサーイ」
ヴェンダー拷問官が私の首にネックレスをかける。切り取った捕虜の耳でできたネックレスだった。
「ありがとう。大切にするよ」
「私とアナタは離れてても一緒デース」
私とヴェンダー拷問官はハグを交わす。彼のハグは強すぎて痛いくらいだった。こっそり私の耳をかじろうとしたことは、目を瞑るとしよう。
「よオ」
今度はデイヴが声をかけてきた。彼はポケットに手をつっこみ、落ち着かなさげに体をゆらゆら揺らしている。
「んだよ」
問うと、デイヴは小さく鼻をすする。そして肩を小突いてきた。
「アバヨ」
「……おう」
私はデイヴの肩を小突き返す。
デイヴはこくりと頷くと、私に背を向けた。
「……これでお別れですね」
「クォーツサイトさん」
しばらく、私とクォーツサイトさんは無言で見つめ合う。
すると、クォーツサイトさんは小さく破顔して手を差し出した。私たちに湿っぽい別れは似合わないということだろう。
私は彼の手を握り返した。
「バイバーイ!」
ジープが発進する。少年兵たちはバギーと並走しながら手を振ってくる。私も全身を使って少年兵や村人たちに手を振り返す。
黄金三角地帯の母ちゃんが、ヴェンダー拷問官が、デイヴが、クォーツサイトさんが、そして芥子畑がどんどん遠ざかっていく。
さらば、デイヴ、さらば、クォーツサイトさん。
そしてさらば、ゴールデントライアングル。
風が頬を撫で、木漏れ日を吹き飛ばす。
夏が終わろうとしていた。
黄金三角地帯ツアー ★★★★☆
今までしたことのない経験ができるという意味では、この黄金三角地帯ツアーは最高のツアーだったと言える。捕虜の拷問や麻薬密造体験、極めつけは銃撃戦など、新鮮かつ刺激的な体験ができる。
ホテルはまさかの捕虜収容所で、体験型のアミューズメントホテルという点では東京ディズニーランドのホテルに近い。意外にもアメニティは充実しており、特に拳銃があるのはうれしい誤算。
村人はみんな温かく、料理も美味いので最高のツアーだったと言える。
ただちょくちょく「田舎に泊まろう」みたいな演出をいれてくるのが難点で、別れ際に少年兵が駆けよってくるなど、あまりに演出過多が目立つと時々萎えてしまうことも。
黄金三角地帯というだけで十分刺激的なので、素材本来の魅力で勝負してみてはいかがだろうか?
おわり