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【Merry】樋口円香を経て想う、シャニP、どうか樋口円香が一番であってくれという願い

【Merry】樋口円香のコミュを見てまず思ったのは「いいのか?」ということだ。だってこんなコミュ、いいのか?本当に許されるのか???明らかにアイドルマスターというビッグタイトルで描いていいものを越えている。だからこそ言いたい。許されるわけねえ。いいわけがねえ。でもそれ故に【Merry】樋口円香はシャニマスというコンテンツにおいてひときわ強く、深く心に刻まれたコミュとなった。本当に大変なことです。大変なことが【Merry】樋口円香でおこっています。助けてくれ。

樋口円香に関する過去の記事はこちら

シャニPは樋口円香の夢を見る

コミュのはじめ、シャニPは夢の中の樋口円香に「なぜ自分を助けたのか」と尋ねられる。これはLPのことを言及している。LPにおいて、踏み込まれることを拒否する樋口円香に「アイドルの意思を尊重する」というスタンスを持つはずのシャニPが踏み込んで助けた。この「なぜ?」は夢の中の「なぜ?」なので、結局のところ自問のようなものだと思う。
それに対しシャニPは答える。「プロデューサーだからだ」と。つまり、彼は職務の延長線上で彼女を助けたのだ。
「じゃあ」夢の中の樋口円香は続ける。「私が『アイドル』ではなくなったら?」と。アイドルでない樋口円香を、シャニPは助けるのか?

シャニPがアイドルたちに真摯かつ誠実に接するのは、彼がプロデューサーだからだ。ではアイドルでなくなった少女たちに、プロデューサーはどう接するのだろうか?プライベートが決して描かれず己の時間をひたすら仕事に費やす男が、担当アイドルでなくなった少女に今までと同じ熱量で接することができるのだろうか?そんな時間があるのだろうか?そうして浮き彫りになるのは、シャニPという男の仕事とそうでないことの境界線だ。
そして【Merry】樋口円香は、その境界線を壊すコミュだった。

仕事だけではない、樋口円香とシャニPの関係

結局のところ、【Merry】樋口円香の衝撃はこれに尽きる。シャニPから樋口円香への感情は「全部が全部、仕事としてとしてではない」なのだ。確かにシャニPの個人的な感情がそこにあるのだ。これは本当に衝撃だった。すごかった。そして「いいのか?」と思った。今までシャニPはどのアイドルに対しても「仕事として」全力で接していた。それがシャニPのスタンスだったはずだ。例えば【夜よこノ窓は塗らないデ】七草にちかのコミュでは、疑似家族に陥りそうなシャニPとにちかの関係を「仕事を全力で尽くす」ということで寄り添いつつも一線を引いた。なのに樋口円香にだけ「仕事としてではない」と伝えるのは、相対的に彼女だけは特別ということになる。これはよくない。本当によくない。だってシャニマスはゲームだ。多数のユーザーを抱えるビッグコンテンツだ。ユーザーにとってはそれぞれのアイドルがオンリーワンにしてナンバーワンなのに、そこにシャニPからアイドルに対する感情に偏りがあるのだとしたら、それはシンプルに贔屓していることになる。
なぜ樋口円香にだけシャニPの特別扱いが許されるのか。なぜシャニPは樋口円香にだけ「仕事としてではない」と伝えたのだろうか。
それは、樋口円香という存在自体が、シャニPに対するアンチテーゼであるという側面があったからだと思う。

樋口円香という、シャニPに対するアンチテーゼ

これは上記のnoteで既に書いたことだが(最高のnoteです)樋口円香はシャニPという舞台装置である男に対するアンチテーゼであった。だからこそ樋口円香の物語は、シャニPの物語なのだ。
今でこそシャニPはタッパのあるケツがでかいイイ男(ケツがでかいのは私の妄想かもしれません)という愛嬌のあるキャラクターとして受け入れられているが、特に初期のシャニPは舞台装置としての完全性を持っており、そこが不気味にみえる男だった。そんなシャニPの完全性に対して、樋口円香は一抹の嫌悪感と共に懐疑的な視線を向ける。「本質はどこにある?」「そこに本当の自我はあるのか?」と。そしてそのことを仄暗い感情と共に「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」と表現している。シャニPの完全性の象徴であるそのスーツをめちゃくちゃにしてしまえと。

そして来たる樋口円香LP。そこでシャニPは自らその完全性を捨て、プリセットされた選択肢ではなく己のエゴによって「樋口円香を助ける」という正解ではない答えを選んだ。樋口円香というたった一人のアイドルの物語で、今までなかった変化と成長を起こしたのだ。
樋口円香を通して、シャニPは人間となった。エゴを出せるようになった。
だからこそ疑問が浮かび上がる。エゴを出せるようになったシャニPという概念は、他のアイドルのシナリオでも適応されるのか。

シャニPはみんなのシャニPか?

先述した通り、ユーザーにとっては自分が好きなアイドルこそオンリーワンにしてナンバーワンだ。だからこそシャニPはみんなのシャニPでなければいけない。そしてシャニPは実際に、どのアイドルに対しても「君が一番だ」と告げる。全てのアイドルがシャニPにとって均等にオンリーワンでナンバーワンなのだ。だが果たしてそんなことが人間に可能なのだろうか?
25名のアイドルと全力かつ真摯に接し、その感情に偏りがないよう均等に想うことが人にできるのだろうか?

冬優子のコミュではシャニPがみんなのシャニPであることにちゃんと批判的に言及しつつ、同時に一種の諦観めいた受容がされている。シャニPはみんなのシャニPなのだ。それは揺るがない事実であり、受け入れるしかない。
シャニPの舞台装置性に偏執的なまでの拒否感を示す樋口円香は、そこすらも【ピトス・エルピス】で否定的な視線を向けている。

舞台装置であるシャニPにキャパはなく、それぞれのアイドルを均等に扱い同じ重量の感情を向けることができただろう。
だが、舞台装置ではないシャニPにそのようなことはできないし、そもそも許されない。25人全員に全力かつ均等な対応などできないし、全員に偏りのない感情を向けるなんて人のすることではない。
人間たるシャニPには好き嫌いがあるし、好きの比重に偏りが生じることもある。そしてシャニPはその偏りを樋口円香に向けた。
恐らく、シャニPは樋口円香以外にエゴを出すことはないだろう。樋口円香のシナリオで起こった変化を他のアイドルのシナリオで出したら、そのアイドルの物語だけを追っているユーザーは戸惑うことになるからだ。
そしてなによりシャニPの持っていた「アイドルの意思をなによりも尊重する」というスタンスも、とても大切なことなのだから。
だからシャニPは他のアイドルのシナリオでエゴを出すことは無い。「仕事」という一線を越えてくることはない。
それは他でもない、シャニPの本質を暴こうとした樋口円香にだけ得られる恩賞、あるいは呪いなのだから。

シャニマスという、アイドルの実在性を追い求めるコンテンツ

話は変わるが、今年10月に行われた「見守りカメラ」という企画を憶えているだろうか?「事務所に設置された見守りカメラ」という体でひたすらアイドルの衣擦れの音と吐息だけを聞くというシャニマス運営の気持ち悪さと変態性の粋を集めた超気持ち悪い企画のことだ。
あれは本当に気持ち悪かった。超気持ち悪かった。そしてあの(超気持ち悪い)企画から浮き彫りになるシャニマス運営のスタンスとは、「アイドルは実在する」ということ。そう、シャニマスは「アイドルの実在性」を追求することに関しては他の追随を許さない変態コンテンツだ(シャニマスのユーザーには改めて言うことではないですが)。
そんなシャニマスにおいて唯一ファンタジーな存在がシャニPである。
真面目で誠実で、折り目正しいスーツの男。現実にシャニPのような男はいない。いるわけがない。
実在性を追求するコンテンツに、本来ならばこのような非現実的な男がいていいはずがない。だからこそシャニマスは樋口円香を通じてシャニPの解体をはじめたのだ。

シャニPはアイドルでない樋口円香を助けるのか?

そして改めて問いたい。「シャニPはアイドルでない樋口円香を助けるのか?」と。これは非常に複雑な問いだ。恐らくシャニPにも答えはわからないのではないだろうか。
夢の中のシャニPは、「(樋口円香を助けたのは)プロデューサーだからだ」と答える。彼女を助けたのは仕事だからだと。だが「アイドルではなくなった樋口円香を助けるのか?」という問いにぶち当たってはじめて(つまり【Merry】樋口円香のコミュを通じて)ようやく自分の感情が「仕事としてではない」ということを自覚できたのではないだろうか。
それでもシャニPはプロデューサーである。プロデューサーであることがアイデンティティの大半を占める。
思うに「アイドルではなくなった樋口円香をシャニPは助けるのか?」という問いに対する答えは「どんな時でも、シャニPは樋口円香を自分の担当アイドルにする」だ。そもそも、自分の担当アイドルでない樋口円香を許容しないのだ。
コミュの最後にこんなやりとりがある。「もし過去に戻って、あの日の出会いをやり直せたらどうするか?」というじゃれ合いみたいな会話だ。樋口円香は「事務所に行かない」と言う。シャニPと出会わないことを選択する。
しかし、シャニPはそれでも「自分と樋口円香は必ずどこかで出会っていたはずだ」という。なぜなら、もし自分が過去に戻ったら絶対に樋口円香を探しにいくから。探して見つけ出し、必ず自分の担当アイドルにすると。
そこに彼女の意思は関係ない。自分がそうしたいからそうする。
どこまでもエゴイスティックに、樋口円香を己のそばに置こうとするのだ。

言い訳をさせてくれ

このnoteを書くにあたって、ひとまずタイトルを「シャニP、どうか樋口円香が一番であってくれという願い」とした。なぜなら、「シャニP、どうか樋口円香が一番であってくれ」と思わず願いたくなるようなコミュだったからだ(ちなみに冬優子のコミュをやるたびに「冬優子が一番であってくれ」と思ってます)。しかし、こうしてnoteを書き上げて思うのは、「シャニP、樋口円香が一番じゃん」ということだ。

こう書くと「お前は樋口円香が好きだからシャニPが特別扱いしてるように見えるんだろ」と思われるかもしれない。しかしそもそも自分はPまど派ではない。断固としたとおまど派だ。ただ与えられた物語を素直に色眼鏡を通さず解釈すると、否応なく「シャニPは樋口円香に感情を傾けている」という結論に落ち着くのだ。
先述した通り、アイドルの実在性を追求するシャニマスにおいて、シャニPは舞台装置であってはならない。そして舞台装置ではないシャニPは本人が望まざるとも感情を傾ける相手が発生してしまう。そしてそれが樋口円香だったというだけだ(それも「現段階で」という話でしかなく、今後どうなるかは知らない)。

恐らくこのnoteは人によってはそうとう鼻持ちならないものに写るのではないだろうか。言い訳させていただくと自分ではなくシャニマス運営(というかシナリオライター)がそのような物語にしたのです。私は悪くない。樋口円香のシナリオライターが悪い。
それから念のため。シャニマス運営は別に樋口円香を依怙贔屓しているわけではない。ガチャの実装順は大体均等だし(むしろ今回は随分遅かった)他の扱いについてもクソッたれのpixiv数やアホどもが出力させたAI絵の数には左右されない(というかされて欲しくない)。
ただ前提として、シャニマスの世界に実装された瞬間から樋口円香はシャニPのアンチテーゼ的側面を持ち、樋口円香の物語はシャニPの物語でもあったのだ。

未来へ…

お気づきかもしれないが、自分はこのnoteでコミュ4の内容に一切触れていない。そして【Merry】で描かれる樋口円香の感情に一切触れていない。
というのも、「樋口円香の感情の正体はなにか?」は以前から濁して描いてあったが、LP以降は明確にシナリオライターがわからせないように書いている。そもそも樋口円香自身も己の感情をあまりよく理解していないのだから、それを赤の他人が「こうだ」と断言することはできないし、してはいけないのだ。
もっともコミュ4の内容は明示的だという人も言うだろう。でもそこに関してはまだ慎重でいたい。【オイサラバエル】のこともある。まだまだ断言する段階ではない。
ちなみに樋口円香のコミュは暗示的なようで結構明示的であり、テーマに対する回答がはっきりと描かれていることが多い。だからダ・ヴィンチ・コードもかくやといった感じで暗示的な要素をこねくり回して今すぐ暗号解読する必要はない。
言いたいのは、これはまだ途中の物語だということだ。

それはそれとしてびっくらこいた

コミュの最後、シャニPと樋口円香は互いにクリスマスプレゼントを送り合って終わる。シャニPは仕事でない時間に、空っぽの宝石箱を送る。樋口円香は事務所のどこかに、プレゼントを「忘れてきた」という形で送る(それもシャニPのスーツがめちゃくちゃなタイミングで)。
これもまた随分暗示的な感じであり、なんとなくわかりそうな感じがするが、たぶん今のところ無理にわかろうとしなくていいのだと思う。
シャニPの物語としては、エゴを自覚したことでようやく始まったばかり。自分は樋口円香LPを「アイドル樋口円香の完結編」とした。ならば人間としてのシャニPと樋口円香の物語はむしろこれからなのだ。

それにしても樋口円香のせいでシャニPがスーツを脱ぐ(素を見せる)と興奮するようになってしまった。誰も見てないところで何度も海に飛び込んだり、TVで初詣の様子が流れているのを見てたった一人で「行くか!」とウキウキしだすところとか、あとエイプリルフールの企画で担当アイドルたちと二度と会えないことを知り絶望して「彼女たちと過ごした大切な記憶を消してくれ」と慟哭する姿とかに、ひどく興奮するようになってしまった。
ああどうかシャニPよ、スーツを脱いでくれ。そして願わくは、樋口円香が一番であり続けてくれ。

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