我が子を看取る⑧ 仕事をどうしたか
異動の打診があったときに、第二子を望んでいるということは伝えていたのだが、実際異動して一ヶ月も経たないところで不妊治療の成果が実った。
ホワイト企業かつ人事に近い部署ということもあって、私は何も咎められることもなく(当たり前といえば当たり前だけれど)その職場では何の役にも立たずに休職するという形となった。
職場の反応
大きくなりはじめたお腹だったけれど、ストールや大きめの作業着を羽織っていると多分妊娠しているとはわからなかったはずだ。
当時私はその部署で、「母」とも言える存在の重鎮の後任として異動となったばかりだった。もう20年以上もその部署を一人で支えてきた人で、とても包容力のあり、職場の誰しもが彼女を慕い頼っていた。
彼女の退職にあたり、私がその要職に就くことになったのだが、異動して間も無く妊娠発覚。一生懸命引き継ぎを受けたが、私はその後早めに休職となり、その部署で彼女の中継ぎの役割すら果たすことはできなかった。
こうして私の高齢妊娠も喜んでくれて、私が期待された戦力として役に立てないことを謝っても、一つも嫌な顔をせずに、出産を応援してくれた。
その後私のおなかには爆弾が入っているかのような状況ということを知ったときも、我がことかのように心配してくれた。
そのとき、私はもちろん無力感もあったし、職場にも申し訳なさしかなかったのだが、幸いにして温かい家族のような人しかいない恵まれた部署だったため、私は嫌な思いをすることもなく休みに入った。
結局、いつから休みに入ったか
法律で定められているのは、産前産後休業は産前6週間、産後8週間だが、母性保護制度によって私は10週前に休みに入った。
ドクターストップだった。
私はお気楽だったようだけれど、担当医はお腹の中で亡くなってしまうケースも想定されていたようで、赤ちゃんとの時間を過ごしてもらったらどうかと提案してくれた。
意外と気づかないものだが、自分は「休む」ということが上手くない。
どこかで罪悪感を感じたり、もっと頑張ったほうがいいのではと思ったり、結局自分が自分の人生を義務とタスクで埋め尽くしていただけだった。。。
そのほうが自分の価値を感じられていたのかな。
でもいよいよそれにも疲れてきた。
本当だったら一番楽しみにしていた休職期間。
これで働かなくてもいいんだって思ったときの安堵。
それまで必死で引き継ぎについていくばかりだったが、とりあえずはもう全部忘れようと思った(笑)
私はただの妊婦になった。