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退行療法でインナーチャイルドと会う

前世療法を受けようと思った理由

42歳の誕生日プレゼントに前世療法のセッションを受けることにした。
実は10年以上前にも前世療法を受けたことがある。
自分に必要なメッセージを自分の過去生から学ぶことができるのが前世療法の特長で、前世リーディングとは異なり、誘導催眠によって自らの過去生を観ることができる。誰かの言葉ではなく、「自分で自分の人生を観る」これが最大のメリットだ。初めての人には理解し難いのかもしれないが、今の自分の意識を保ちながら、脳内でもう一人の人生(もちろん主役として)再現を体感し、それをセラピストさんと共有し合いながら場面を進行していく。
さながら3Dバーチャルメガネをかけて別の人生を臨場感たっぷりに体験している感覚だ。

私はどんな過去生を見たかったか

私は、昨年次女との死別後、もっと自分らしく生きていきたい、そういう気持ちが強くなった。会社員として苦手な業務をこなしながら生きていることが、いよいよ辛くなってきた。今回のセッションも「何が自分の能力を開花する妨げになっているのか知りたい」という目的があった。スピリチュアルとか、精神世界や心理学に興味があるけれど、それで生きていける自信がなかった。
以前受けた前世療法で見た過去生では、石と会話したり、なんなら魔女狩りの弾圧も受けたりしていたぐらいだから、そういう世界で生きていたこともあるのになあと実は思っていた。


過去生より今生

セッションを担当してくれるセラピストのOさん。
穏やかなカウンセリングの中、簡単になぜ自分が前世療法を受けようと思ったかという経緯を話すなかで、現在母との関係もうまくいっていないことに話が及ぶ。

ーー母とは分かり合えないということがわかっていること
ーー長らく葛藤をしてきたけれど限界を迎えており同居の解消を考えていること
ーーいずれは親子関係をテーマにした支援の仕事も考えていること

セラピストのOさんが私の話を聞いたのち、こう言った。
“前世療法もいいのですが、今世のインナーチャイルドの癒しも必要なように感じます。”

実は当初その提案を私は素直に受けられなかった。
体が嫌がっている。

ーーもうインナーチャイルドの内観はだいぶワークしたし、これ以上新しく癒されるってことがあるかなあ。

そんな抵抗があった。分かり合えない母の存在を再確認したところで、辛いのは自分だからだ。もう母のことで泣きたくない、涙したくないのに、と正直思った。それにこのワークをしたところで、母に感謝とか和解したいという気持ちになるとも思えなかった。

当然幼少期の体験や親子関係が人生に与える影響がとても大きいことは認識している。世の中の生きづらさを抱えている人のほとんどがここに起因していると言ってもいい。私自身も自分の人生に対する無力感が、この毒親関係の中で出来上がってしまったことは頭では理解していたからだ。
無力感に襲われるたびに自分自身に言い聞かせる。

「あの時の自分とは違うの。大丈夫。」って。

それでも今の自分に必要なワークだという気持ちもあり、前世療法と退行療法の二つを観るということで合意する。


前世が見えない?!

ところが始まったところ・・・
前世療法の誘導に順調に乗っていたはずだが、肝心のところで私は前世が見えなかった。まるでDVDの再生ボタンを押すのに、全然反応しない感じ。CMまでは観られるのに、肝心の本編が見えない。自分の感覚はあるのに、画面は真っ暗だった。

そこで退行療法に切り替えて先にインナーチャイルドに会いに行くことにする。
序章のところは順調だった。自分の感覚がおかしいわけではなさそうだ。
そして本編に移り変わる。


インナーチャイルドとの再会

私の目の前に出たのは、小さい頃住んでいたマンションのリビングだった。
西日の入る腰高の窓。陽が傾いて、部屋の中がオレンジ色になっているような時間。3歳下の弟がブラインドの紐に絡まって泣いている。

ーーーあーーこのシーンなのね。

当時5歳か6歳だった私は、ブラインドの紐に捕まってくるくると回転させて遊んでいた弟が、急に泣き出したのを見てびっくりしていた。首近くに絡まって苦しがっているんだと思う。私は急いで母を呼びに行った。母は寝ていたのだろうか。それでもびっくりして弟に駆け寄って「何やってるの!」と言いながら絡まった紐から弟を外した。私を怒ったというよりも「どうしてこんなことになったの?」「ちゃんと見ててくれないと」みたいな空気を私は一瞬で感じとっていた。

Oさんの優しい声で尋ねられる
“そのときフジコちゃんはどんな気持ちでしたか?”
ーー怖かった。弟がいなくなったらいいと思ったことはあったけれど、泣いている弟を見て怖くなった。どうしていいかわからなかった。
“お母さんはなんと言っていますか?”
ーーどうしてこんなことになったの!ってびっくりして少し怒っている。口では言わないけれど、私にちゃんと見ててくれないとって思ってる。いつもそう。

“フジコちゃんはお母さんに本当はなんて言いたかったですか”
ーー私は何にもしてない。ママがちゃんと見てればよかったのに。私も怖かったのに、どうして私の気持ちをわかってくれないの?私にも怖かったね、大丈夫よって言ってほしい。二人だけにしてごめんねって言って欲しかった。弟だけじゃなくて私のことも見てほしい。

最初から私の目からは涙が止まらない。悲しくて怖くて寂しい。その感情がひたすら押し寄せてくる。それから次の誘導で私自身が、小さいフジコちゃんのところへ降りて行って抱きしめてあげる。大丈夫、頑張ったね、怖かったね。本当はフジコちゃんが母に言って欲しかった言葉をひたすら小さいフジコちゃんに伝えていく。
(なんで母からはこうしてもらえないんだろう)そんな理不尽な怒りすら湧いてくる。

“お母様は当時30歳前半ぐらいでしょうか。今のフジコさんより年下ですが、今のフジコさんがお母さんに言葉をかけてあげてください”
ーー(あー嫌だな。だってどうせ反応もないだろうし自分は悪くないっていうだろうから)自分のことで精一杯なんだろうけれど、どうしてもっと子供たちのことをわかってあげようとしないの?子供たちはあなたを無条件に愛しているのに。あなたは自分は悪くない。いつだって誰かに幸せにしてもらうとか他力本願だけれど、ずっとそのままでいるつもり?(あー実際ずっとそのままだけどね苦笑)

※色々ありすぎてセッションの詳細を覚えていないのが残念だ。
でも本当にずっと幸せそうじゃない母を見ているのが辛かったし、それも長く続きすぎていい加減うんざりしている。言ったって変わらない。変わることを期待しても仕方ない。そこまではわかっているのに、辛い記憶を塗り替えることができないまま心に留まっているのだけが腹立たしかった。


毒親と対峙する

そして、想像していなかったのだが、セッションはここからがすごかった!!
自分がインナーチャイルドに会って、親と対峙するだけではなかったのだ。

“・・・では、私からもお母様に一言いいでしょうか”
そう言ってOさんは淡々と私の母に向けて説教を始めた。

色々大変なことがあるとあなたはおっしゃるのかもしれません。
それでもお子さん二人がこんなにあなたを思いやっているのに、それに気づいていない。あなたが本来すべきことは、この大切な二人の子供に安心安全の場所と空間を提供することではないですか。それをしないで子供を責めるのは自分勝手すぎませんか。フジコちゃんはこんなにもお母様を愛して、ただ笑っていてほしいと思っている。それをご存知ですか?休んでいるお母さんを気遣って頑張って弟を見ていました。あなたにただ笑っていてほしい、そんな健気な子ども気持ち。そのこともわからないのですか。

淀みなく続けられるOさんの言葉に私は癒されていく。
私の気持ちを代弁してくれる大人が、私の母に客観的に伝えてくれるなんて。
心の中でそうだそうだ!その通りだ!って思いながら涙が流れる。
ただOさんの言葉にも何も返答しないだろう、私の母は。

ーー自分は悪くない
ーーじゃあどうしたらいいの
反省もせず、プライドだけが残って、おそらくそう言うだろう。

私から見たら自分の責任を放棄したような、自分で人生を拓こうとしない母にずっと苛立っていた。子どもの私がどんなに頑張ってもありがとうという感謝もなかった。私の気遣いも全部当たり前のように消費したのだ。それは今も変わらない。
母は母の言い分がある。とっておきの一言だ。

【私の気持ちもわからないくせに。私の何が悪いっていうの。】

はい、出たーー開き直り。
私が次女を亡くした後、無神経な母に対して距離を置き始めた私に母はこう言ったのだ。これが子どもを亡くした娘にかける親のこ言葉か?!苦笑

自分が不倫して父と揉めているときも、父に対して開き直っていたなあ苦笑


インナーチャイルドを癒す

Oさんは小さいフジコに寄り添い続けた。
フジコちゃん、本当に頑張ったのね。もういいのよ。あなたは本当は何も頑張らなくてよかったの。ただ遊んで、ぼーっとして、好きな時にお昼寝してよかったの。お母さんは何もわからない子供のくせにって思っていたかもしれないけれど、それは間違っている。あなたの方が全部わかっていて、何も解ろうとしないお母さんに代わってなんとか頑張ろうとしていた。こんなに優しくて賢い子。いいのよ、あなたは頑張らなくてもいいの。そのままでいいの。もう十分頑張ったのよ”


小さいフジコちゃんは答えた
ーー寝ているときがいい。何も感じなくていいから。それに子供でいるのはつまらない。遊ぶのも楽しくない。いい子でいても面白くない。パパもママも笑わないし、全然幸せそうじゃない。みんな仲良くすればいいのに。

それからOさんはフジコちゃんに何がしたいの?と尋ねた。
ーー色を混ぜて遊びたい。大人に見られて絵をあれこれ言われたくない。好きに描きたいの。おままごともしたい。でもおともだちはいらない。気を使うから。

ちなみにフジコは遊び方がわからなかった。
でもOさんが小さな空間で、フジコちゃんの好きにしていいの。好きなだけ汚してもいいし、おままごとも好きなものを好きなだけ使っていい。そうやって少しずつフジコちゃんが安心した中で世界を広げていけるようにサポートしてくれた。

程なくしてお友達が一人、二人、いーれーて♪ってやってきた。
自分のテリトリーに来てもらうのはフジコちゃんは好きみたいだ。優しいお友達と心を通わせられるのはすごく楽しそうだ。
本当は私はカラフルな世界で、たくさんのおもちゃを次から次に遊びたかった。柔らかなぬいぐるみを抱えながら。まるでモンテッソーリに出てくるようなカラフルで優しい時間が流れていく。子供らしい。そういう無邪気な時間。それは私が味わったことのない感覚だ。

フジコちゃんはこの空間に安心したのか、笑っている。楽しそうにしている。それを見て私はすごく嬉しかった。自分のインナーチャイルドなのに、どうやって喜ばせていいかわからなかったから。こうして少しずつ彼女の心が開くのを待ってあげることも大事だったのだなと思った。
笑っているフジコちゃんは眠っている時と同じく可愛いらしかった。
そうして、笑ったフジコちゃんの方から私に手を振ってきた。

ーーあ、バイバイなのね。

セッションの学び

最後にフジコちゃんが言った
ーー不機嫌な大人は嫌い。一緒にいて楽しくない。

フジコちゃんからの学びはシンプルだった。
空気すらリトマス試験紙のように敏感に読み取る子。
フジコちゃんは多くを求めていなかった。大好きなママが笑っていてくれること。たったそれだけだった。そして気持ちを分かち合うこと。大好きって言って欲しかった。幸せって、本当に目の前にあるもの。笑顔でいること、そして感謝とか気持ちを共感し合えること。それ以上のものは望んでいない。


残念な親の取り扱い方

Oさんが言った
“そのことにいまだに気づいていないお母様は、残念な人としか言いようがありません。相手を変えることは確かにできないからです。そのことはご本人が学ぶしかないことだから。こんなに子供から愛されていたということに、感謝もないなんて・・・普通のお母さんではないのですね苦笑”

Oさんの言葉は心に沁みた。頭でわかって結論づけたことが、ゆっくりとハートを通過している感じがした。ずっと私の中に燻っていたこと。
わかってくれないという怒りは「わかってほしい」という敵わない健気な願い。

確かに私は母から理解されることはなかった。私の気持ちを知ろうとも解ろうともしない親だったから。そして同じく母も同じセリフを私に言うであろう。
「あなただって私の気持ちはわからない」

この誰も救われない負のループはもしかしたら、母の代、そのまた母の代からずっと続いているのかもしれない。母も祖母からの愛情が足りずに生きてきたのだと思う。それでもそれは子供を愛せない理由にならないはずだ。
私自身のことで言えば、長女の育児はずっと自分のインナーチャイルドを育ているような感覚になれたから。ママ!!ママ!!と全力で愛してくれる娘に全力で応えたいと思ったし、子供は親の愛で生きているんじゃないかと思うぐらい、毎日毎日娘は私の愛情を欲しがった。ママを独占し、ママに甘え、ママからの愛情を確かめる。山ほどのぬいぐるみを大事にして、片時もお気に入りの毛布を手放さず、自分の心の安心安全の状態を構築する我が娘。私ができなかったことを全て得ている笑
そして私もそれでよかったと思っている。


自分の傷を引き継ぎたくない、それが私の一番の恐れだったからだ。


ありのままの自分とは

ありのままの自分というのは、本来何も頑張らなくてもいい自分のことだった。
寝ているだけで可愛い
役に立とうとしなくてもよくて
できなくてもよくて
できなくても当然
だってその時は子供だったんだもの

ずっと何者かになって頑張り続けようとしていた自分は、親のために頑張ろうとしていたフジコちゃんそのものだった。
無邪気で人生楽しく、と言われても子供時代にそれを味わっていなかった私がそれを実践するのは難しいとしか言いようがなかった。ただ今インナーチャイルドのフジコちゃんが、安心安全の場にいて、好きなものを選び、好きな過ごし方を始められることになって、私の意識がオセロのように一気にぱたぱたと白黒逆転を始めたような気がする。

頭ではわかっていたこれ以上どうしようもないという親子関係のやるせなさと苦しみに対して、どんどん距離が取れていく感じがした。
結果だけ見れば何も変わっていない。
親にはわかってもらえないということがOさんにもわかってもらえた(笑)
ただセッションを通じて、もう一度親と対峙したことと、その場で苦しかった自分を自分の手で救ってあげられたことが、記憶の塗り替えになったような気がする。

親だとはいえ、残念な人の人生までは背負えない、それが腑に落ちていく感覚。
そしてずっと頑張り続けていた自分への労い。
健気な子ども時代への自分を抱きしめる。
そして自分は自分で幸せになっていくという決意。



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