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我が子を看取る③ 診断が下される

新年の祈りも虚しく

2023年が明けた。  
長女が初詣で祈ってくれた。
ーー赤ちゃんが健康で生まれますように
ーー世界が平和でありますように

当たり前が
当たり前じゃ無いということを
痛感させられた一年

良きことも
悪しきことも
コインの裏表のようなもの

だからこそ出来事と義務に
エネルギーを費やすのではなく
今に在るという意識で
自分の感受性を制限しないで生きたい

初日の出 眩しい光の中にいると
自分の中に巣食う黒い存在が
小さく溶けていきそうだ

当時の日記:2023年1月1日(19週0日)


個人産院からNICUのある大病院へ転院

年明け早々の検診で、やはり胎児が小さいと指摘を受け、私は個人産院から県立のこども専門の病院に転院が確定する。出生後に医療の助けが必要なる可能性が高いとのことだった。夫は努めて前向きに捉えていて、当時のトツキトオカというマタニティアプリにも日記が残っていた。

Y産院で県立こども医療センターへの転院を勧められた
より良い環境で赤ちゃんがお迎えできるようママとパパも気持ち新たに妊娠生活を過ごしていくよ^_^
安心して元気に出ておいでー♪(パパより)

アプリ:夫の記録:2022年12月27日(18週2日)

良いお産?なんだろう。
そう思いながら転院先の病院に予約をとった。
予約を取りながら、どうしてこんなことになっちゃったのだろうと一気に感情が込み上げてきて耐えきれず職場のトイレで泣いた。
私が仮にこれからどんなに健康な妊娠生活を送ろうとも、赤ちゃんの疾患が急に回復するとは思えず、何の問題もない赤ちゃんが生まれるはずはないという事実をどこかで悟っていた。

今日でちょうど折り返し^_^
おなかの中の君はどんな様子かな?
来週以降新しい病院に移る予定だよ
とても安心できるところへママとパパと一緒に行くから何も心配はいらないよ
スクスク育ってね
会えることを心から楽しみにしています♪ (パパより)

アプリ:夫の記録:2023年1月8日(20週0日)


当時の気持ち

そのころの気持ちを一言で言えば、洗濯機に放り込まれような感覚。
時が来れば洗濯機は停止するのかもしれない。
それまではぐるぐるとあらゆる感情の波に揉まれるしかない。

ただじっとその時が過ぎるのを待てばいいかといえばそうではない。
私の大切な赤ちゃんはいつ死んでしまうかわからない。
悲しんでばかりいたら赤ちゃんに失礼だ。
私のお腹に来てくれて私はこんなに幸せなのに、近いうちにお別れが待っているなんて納得できなかった。

はじめてみたよ♪可愛いお顔

おなかがぽこっと動くときママはとっても幸せです
どこに行っても 何を食べても 今は赤ちゃんと一緒だから
美味しいかなー あったかいかなーと
まるいおなかに話しかけると
幸せなのに 涙が出てくるの

どうかお願いだから
元気で生まれてほしい

欲張りなのかもしれないけれど
やっぱり赤ちゃんの声も聴きたいし
笑ったり 走ったり 食べたりしてる姿がみたい

当時の日記:2023年1月10日(20週2日)

人間は誰しもがいずれ死ぬ。
それは事実だとしても、赤ちゃんが死ぬなんて信じたくなかった。


初めまして 県立こども医療センター受診

本当に漫画コウノドリに出てくるような病院だった。新生児から小児医療専門の大きな病院で、駐車場も朝から大行列だった。


生存率は10%未満と告げられる

ここでのエコー診断結果は、18トリソミーの疑いということだった。
一番ショックだったのは、一歳まで生きられる子は10%ということ。
ほとんどの子が、生まれることなく亡くなるか、合併症によって生まれても早くに亡くなってしまうのだ。

20週だったので、妊娠中断のリミットと妊娠継続であれば精査入院の案内を受ける。病院の対応は丁寧なんだけれど今の私には何一つ救われるものがなくて、涙をこらえてその場をやりきることしかできなかった。


このフロアにいる妊婦さんたちはみんな何かしら抱えているんだなと思う一方で、
病気だけれどぴこぴこ歩いている小さい子や泣いている赤ちゃんをみているとそれだけで涙が止まらない。

努力の余地がない。
人智の及ばないゾーンにいる。
それだけは事実で、私の胎内で動いているこの子は、エコー画面ではわたしの心配をよそに、いつも元気にしていた。

誰からも 可哀想だと思われたくなかったけれど
それでも病院で色んな子どもを見ても
ただ歩いているだけで
ただ食べているだけで
ただ大きくなっているだけで
それすら羨ましいと思ってしまっている自分は
矛盾している気がする

まだ未来はわからないのに
どうして信じてあげられないのだろう
天使のような 光に祝福されている魂を

当時の日記:2023年1月12日(20週4日)


帰宅してから吐いて、眠くないけれど疲労感でいっぱいで、ずっと横になっていた。
酷い頭痛だった。
価値観の崩壊なのかもしれない。

大好きな第一子が帰宅してきて、私を抱きしめてくれる。
どこかでもう一度この子の小さい頃に会いたいと思っていた願望は、小さな人間の驕りでしかなかったのだと思わされる。
「可愛いから」
ただその一点で赤ちゃんを欲しがった自分は一体どこへ行くのだろう

当時の日記:2023年1月19日(21週4日)

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