我が子を看取る② 妊婦になったけれど
この記事からの続き
胎児に異常が見つかるというのは全妊婦の中でも3%程度と言われている。
まさか自分がそこに入るとは思わなかった。
不妊クリニックからの卒業
着床の知らせを受けてから、ずっとホルモン補充を受け続けて、妊娠を継続させていく。
もしかしてダメになった時のことを思うと
心が勝手にブレーキを踏んで授かったことを思いっきり喜べない。
妊娠検査薬で喜ぶという当たり前のことができない。
淡々と病院に経過観察で通い ようやく産婦人科へ紹介を受ける。
エコー検査での異変
不妊治療病院でようやくおめでとうございますと送り出された。成果報酬などもなく、あっけなくクリニックを後にした。長女を産んだ地元の個人産院に早速予約を取り、七年振りに妊婦健診を受診する。
不妊クリニックとは様相が違う。
当然のことながら、平均年齢が若い(笑)
夫と二人で健診を受ける。(夫は長女の時も毎回健診についてきてくれた。)
「おめでとうございます」と形式的に言われたのち、エコーに移る。
あっという間終わるはずのエコー検査。
ところが妙に時間がかかっている。
私は嫌な予感がして、画面ではなく担当医の顔を見ていた。
「何かあったんだ」
長い診察の末、私たちに告げられたことは、
・胎児が少し小さいこと。
・首に浮腫が見られること。
・心臓の構造欠陥
首の浮腫が何を示すか、そんなことも知る由もなかったが、その後待合室で検索してあっという間に状況がわかった。
ーー染色体異常の可能性
もちろん首の浮腫が全て染色体異常とは限らないが、可能性が高いということはわかった。その時夫婦で思ったのは「ダウン症」ということ。
悪い想像もしたくなかったけれど、現実的に突きつけられた「我が子がダウン症」という可能性。
その後次の診察までにどうやって過ごしたのかあまり記憶にない。
なるべく考えないようにして過ごしていた気もする。
私は悪阻がひどく、生きるのに必死だった。
それに杞憂かもしれないという可能性を信じて生きている方が楽だった。
次の検診でもやはり首の浮腫は改善することはなかった。
でもいろんな状況を考慮して、個人参院で産むのは難しい可能性も示唆された。
染色体検査についても情報提供を受け、夫婦で言葉なく帰った。
自宅に帰れば、長女と母が何も知らず待っている。
夫と私は、車の中で泣いた。
なんの涙だったのだろう。
想像していた明るい未来ではないから?
健康で生まれてきてくれる可能性が低いから?
自分の思い通りではなかったから?
少なくとも自分の価値観で勝手に描いていた未来があったことは事実だ。
元気な子で
男の子だったら〜
女の子だったら〜
いわゆる残念な出来事を自分が引き当ててしまっているのだと思いながら、頭のどこかでこれとても何か私の人生に必要なことなのか?と一歩ひこうとしている感覚も芽生えていた。
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