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生きやすくなるために① 自分と他者との境界線を守る
生きづらさを感じる要因を言語化してみると
具体的にはいくつかあるが、そのうちの一つが
私にとっては他者と自分の境界線が曖昧だということ。
他人の思考が自分の中に流れ込んでくる。
その結果、決断を自分ということだけで決めることができていない感覚が長いことあった。断るということがとても苦手だった。
境界線の混乱が生じるパターン
(1)親が子どもを自分の延長とみなす
自分が果たせなかった夢を託すなど。
結構ありがち。親のコンプレックス解消のために子どもにそこを補完させようとするってよく聞く話。例えば親が大学に行けなかったから子どもに大学に行かせるなど。ただし親の期待に応えるのが悪いわけではなくて、自分自身が決めたかどうかがポイントとなる。
(2)親が子どもに自分と同じでいることを求める
親と同じものを好きになったり、同じ感じ方をすることを強いるパターン。
それを求められている子どもは自分の感じ方を抑圧してしまう。
本来親から離れ自立して行くべきタイミングを阻害している。
(3)親のニーズが子どもより優先となる
親の飾りとなるタイプ
親のための受験や、就職など(※(1)に近い)
親にとっての利用価値で存在価値を左右されてしまう。
(4)親が子どもに責任を負わせようとする
親が本来持つべき自分の感情や行動、考えに責任を持たないパターン。
結婚がうまく行かないのは子供のせいと言ったり、あなたのせいで〇〇できないと言ったりするパターン。
子どもは力不足や無力感に襲われる・・・
(5)親が子どもを仲間として扱う
親がパートナーの問題を愚痴ったり、うまく行かない仕事の話をしたり。
不適切な情報は子どもに重荷と罪悪感しか与えないことを理解していない。
アダルトチルドレン6タイプ
毒親の元に育つと、子どもが犠牲を払う。
親の主張は強い場合もあるし、言葉はないけれど空気や態度でそうさせるように仕向けることもある。その親からの指令や要望に応え続けることをしていると、自分の気持ちがわからなくなってしまうのだ。
よく言われるアダルトチルドレンでいう6タイプを知りたい人はサイトなどでも概要は調べられる。なんとなく特徴を読むと自分のタイプがわかるはず。
全ては生きるために必要な力だったのだ。生き延びるための役割とも言える。
ちなみに私は1・4・6かな
(1)責任を負う子(ヒーロー・小さい大人・優等生)
(2)問題児(生贄・行動化する子)
(3)順応者(いない子・いないふり)
(4)なだめ役(世話役・家庭内ソーシャルワーカー)
(5)ピエロ(道化師、クラウン)
(6)イネイブラー(尽くす)
(1)ヒーロータイプ
勉強やスポーツなどで好成績をあげて、家族がよく見えるようにする子ども。
子どもは努力を積み重ね続ける。しかし、努力をしても上には上が存在するし、そのなかで 1 位を取れない「私」は無価値である。他人から見ればすばらしい子どもに見えても、本人は自分のことを「不完全」で「無価値な」存在だと考えている。
(2)スケープゴート
犯罪行為や逸脱行為、非行を繰り返したり、病気や怪我を頻繁にしたりする子ども。自分の存在に注目してもらうためや、家族内に問題があることを代表して表現するために、反社会的な行動を取る。
(3)ロストチャイルド
家族と何をするにもいっしょに行動しなかったり、気がついたらいなくなったりしている子ども。家族内の人間関係を離れ、自分の心が傷つかないようにしている。
(4)カアテイカー
家族の混乱を最小限に抑えるため、仲介役を取る子ども。
「小さなカウンセラー」、「リトルナース」とも呼ばれている。他人にばかり注意を向けるので、自分の感情を認識できない。
(5)ピエロ
家族のなかでおもしろく振舞い、家族の葛藤を減少させる子ども。
家族のなかではペットのような扱いを受けており、当人もそれを楽しんでいるかのようにみえる。しかし、道化の仮面の後ろに寂しさを抱えている。
(6)イネイブラー
幼いころから、他人の世話を焼いて動き回っている。
両親が不仲な場合、男の子が母親と、女の子が父親と、「まるで夫婦のような」関係を築く。この状態は、情緒的近親姦とも呼ばれており、性虐待を招くこともある。
今希望が持てなくて辛い人へ
私たちは大人になってもこれまでのパターンの中で生きている。
自分に課したルールや不必要な責任感と罪悪感に苦しめられながら。
だけど、それはいつでも変えることができる。
時間はかかるけれど、少しずつでも軌道修正すれば、数年後には劇的な変化が訪れる。
自分で幸せになると決めれば
自分で選ぶことを決めれば
いつからでも
何歳からでも
私たちは自分の人生を取り戻せる
生き方のコースを変えるのは、
「あなたがあなたでなくなる」ことではありません。
「本来のあなたでないもの」に縛られなくなるという意味なのです。
それは、痛みから自由になること。
あなたという人間は、痛みが洋服を着て歩いているわけではないのです。
自由になるために、あなたはいったん過去の痛みの中を通りなおす必要があるでしょう。けれども、今のあなたは一人ぼっちではないし、無力な幼い子どもでもありません。
そして忘れないでほしいのは、あなたがかつて子ども時代にどんな体験をしたにせよ、そのとき見たり聞いたり感じたことや、そこから受けとった解釈は、あくまで子どもの視点によるものだということです。
子どものあなたがその体験から「自分には価値がない」「私が悪いんだ」と言じこんだとしても、それは真実ではありません。あなたは決して、悪くなかったし、無価値でもなかった、そして今だってそうです。
私は、いつかあなたが心から言えることを願っています。「私は素晴らしい。私はこれでいい。私には価値がある」と。
過去を探り、過去と現在とのつながりを探ることは、暗い部屋に明かりをともすような作業です。部屋の内部にあるものは変わりませんが、今では自分の行く手が見えるし、危ない目にあうことなく自分の好きなときに入ることも出ることもできます。もう恐怖に突き動かされことはない自由が、あなたを動かす力となるのです。