断捨離の本質① 自問自答ともノート術との共通項
2024年11月に毒母との同居を解消して新しい生活をスタートさせた。
かなりものを減らしたつもりが、そうでもなかったという事実に引っ越しの荷造りの最中に気づいて愕然とした。
例えばたくさん捨てたはずの本も、いざ数えてみると手元に残った本が100冊😭
頑張って減らしたはずなのに全然減らしきれてない・・・。
そんな不完全燃焼感を感じながらも、タイムリミットが迫り、段ボールに詰めて新居に持ち込むしかなかった。
捨てるのは手段であって、目的ではない
かの有名な山下ひでこさんの断捨離本は誰しも一度は読んだことがあるだろう。
それでもどんどん出てくる断捨離本は一体何が違うのだろう、と私はずっと不思議に思っていた。
断捨離、それは私もこの引っ越しの時に「スッキリしたい」「身軽になりたい」そう思って使っていた言葉だった。でも未だに解決していない気がしていて、読んだ本。この本は私が山下ひでこさんが提唱する「断捨離」を本質的には理解できていなかったんだなと思えた。
それぐらい断捨離の本質を伝えることは、作者にとっても難しいことだったのかもしれない。
あなたの目的はなんですか?あなたの願いはなんですか?
きっと断捨離の本来の目的は、自分の願いを叶えるために行動することなのだと本を読んで思った。捨てられないということ=「何を手放したくない」と思っているのか。その想いに気づいてあげないといけなかったのだ。
私は自分のエリア以外はかなり洗練されている自負がある。
問題はやっぱり自分のエリアだけ(苦笑)
・クローゼット
・捨てられていない過去のセミナー関係のノートや資料
・本
断捨離とは自分にとって大切なものを選び抜く決断の作業
今の自分にとって不要・不適・不快なものを取り除く行為を繰り返しながら選択・決断能力を高めていくのです。
捨てたいのに捨てられないということは、未来や今を信じきれていないということに他ならない。
でもそれを自問自答していく作業が断捨離のプロセスだったのだ。
大抵の場合、目の前にあるものではなく「過去」に意識が向いているのは、「現在の自分」に不全感を感じているから。
自分で自分と対話する
私が得たかったのは「スッキリ」「身軽」という感覚
それなのに手放しきれていないのは、これまで頑張ってきたということが頑張ってこられるものばかりな気がした。
そしてまた「その世界に戻りたい」と願っているのかもしれない。
山下ひでこさんは「唯一無二と思うのであれば大切にすると決めてとっておけばいいだけ」とおっしゃる(笑)
おそらく決めきれていないのは、私自身が「どうなりたいか」という未来像。
それから迷っているということをずっと自分で自分を責めていた。
そのことに気づいた。
断捨離の初心者は、「モノ」「ココロ」「コト」「ヒト」を分けて考え、まずはモノを「捨てる」、それが終わったらココロを「片づける」、その次にコトを「やめる」、そして最後にヒトと「別れる」という風に、段階を踏んで進んでいくと誤解しがちです。
しかし、これは大きな間違いです。
断捨離は、モノと向き合って自分にとってそれが「要・適・快」なのかを考え、決断していく行動療法です。そして、そのモノは「見える形」と「見えない想い」がセットになって成り立っているのです。
断捨離の本質(いつだって今ココしか答えはない)
時間は管理するものではなく仲良くするもの
そして空間も時間も同じで区別するものはありません。
自分の「要・適・快」で満たしていくこと
あなたの部屋の中はあなたの心の中。
あなたにとって余計なものはあなたにとっての余計な思い。
捨てる理由も捨てない理由も
捨てたい理由も捨てたくない理由も
全て自分の心の中にある。
それをしっかりと言語化するしかないということ。
そして断捨離というのは「今、ここ、私」にしか焦点を当てないということ。
服であっても過去を大切にするのではなく「今、私が、着たいもの」を揃える。
ノートであっても「今、私が、感じていること、望んでいることを聴き取る作業」
共通点ばかりだ。
私がずっと惹かれて探求してきたものは、自分を大切にしたいという思いだったのかもしれない。
(後編に続く)