我が子を看取る⑤ 涙の止まらない日々をどう過ごすか
この想定外のポテンシャルを持った赤ちゃんが私の元に来てくれたことによって、私は人生や自分の在り方を本気で振り返ることができた。
それは本当に赤ちゃんに感謝。
苦しみから逃れたくて読んだ本
命というどうしようもならない苦悩の波に飲まれた私が、読み漁ったのはアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書。この方はスリランカ上座仏教の僧侶で、お釈迦さまの根本の教えを通じて、仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであることを説かれている。
私は生きづらさから抜け出すために20代から生きることはどういうことか、真理とはなんなのかということをずっと探求していたが、結婚して子育てを始めてから、
人生は知識ではなく、実践や経験・体験であること。
愛することは、行動であること。
いわゆる「地に足をつけて生きる」ということにシフトして、この手の本からは、しばらく遠ざかっていたので、とても懐かしい感じがした。
求めていた時に出会う言葉は、薬のようなもので自分の心の痛みによく効く(笑)
生きるとは何かの答え
全ては苦であるということ。
このブッタの答えが、その当時自分の現状を納得させることができたし、自分の人生だけじゃなく、人生という視座を引き上げてみたらその通りだなと思えた。
(現在苦しみの渦中にいない人には、この元も子もないようなブッダの答えはピンとこないことだとは思う笑)
じゃあその苦しみからどうやって出るのかということをブッダも探し求めたわけで私もそのプロセスを追いかけていく(笑)
苦しみから逃れるプロセスとは
ストレスの原因は貪瞋痴(トンジンチ)であると理解する。
いわゆる仏教でいう三毒。むさぼること、怒ること、迷い惑って理非のわからないことの三つの煩悩。好きなものを追いかけ(欲)嫌いなものを破壊する(怒)そしてそれ以外は無視する、という生き方。
それを捨てるには世の中を正しく観なさい。(自分の偏った見方に気づく)
欲や怒りの感情に任せて歪めてみるのではなく、あるものをあるがままに知っておきなさい。しようとすることに対して中立的な立場でいること。
ストレスのない柔らかな心でいること(=善行)
落ち着いて平和な心でいること(=忍耐)
今の瞬間が全て。一分一秒やるべきことをやる(=精進)
つまり幸せとは、終了宣言。
為すべきことは為し終えたという状態になればいいのだと私はその時理解した。
その充実感を自分が体感してこそ、実感となるということなのだから、私はどんな苦しい状態だったとしても、為すべきことを為すということしかないと思えた。
為すべきことを為すために(やりたいことワーク)
どうしたらこの出来事を乗り越えられるかを考え、やりたいことをやるべきことをまずは整理することにした。
やりたくなくても気になっている現状の仕事のことや、この先人生でやりたいことや、ずっと気になっていたことや、自分の理想など、短期的長期的、現実的非現実的かなど関係なく書き出した。(100個)
私が取り組むと決めたことリスト
その結果私の為すべきことが明確になった。スッキリ!!
車の免許取得(産後通院する可能性があるため)
マタニティフォトを撮る(ちゃんと思い出を形に残したい)
リラックスしてマタニティライフを過ごす(毎日それしかない)
可愛い赤ちゃんを産んで幸せに過ごす(私の役目!)
仕事はとりあえず現状整理し切っておく(その上で休業する)
幸せなのに幸せじゃない?
↑これが私の妊娠初期の正直な気持ちだ。
こんなはずじゃなかったのに、どうして?と勝手に描いていた理想と現実のギャップについていけなかったからだ。
そこに転換期が訪れて、私は再び幸せってなんだっけ?という問いに向き合うことになった。以前からノートに気持ちを書き残すことをしていたけれど、日々乱高下する自分の気持ちと、神の恵のように絶え間なく降ってくる本からの言葉を私はずっと書き留めた。
苦しみフォーカスしてメリットがない。
私にできることは、自分の限られた時間をどうやって過ごすのか
その視点を変えていくことしかないと思った。
本だけじゃない、私を支えてくれたもの
もちろんいわゆる「普通」の赤ちゃん、「普通」の出産ではないことが確定した中で、私を支えてくれたのは、本の言葉だけではない。他にも
セッションを受けたり、
カウンセリングを受けたり、
一人で泣いて感情を吐き出したり、
夫と一緒に泣いたり、
ノートに書き殴ったり、
数少ない友人に不安を打ち明けたり
そして何より、平均値よりはゆっくりだけど、赤ちゃんはちゃんと大きくなっていって。いつも一緒にいてくれる赤ちゃんの存在が私を最後まで強く支えてくれた。