人生の豊かさを教えてもらった日-在宅医療の日々からつれづれに-
静かで気持ちのいい朝にちょっとだけハーブティーを入れて、最近出会った患者さんのことを思い出していました。
在宅医療の道に進んで7年、自分の診療所を開いて4年が経過しました。
今日は、ある特別な出会いについて書いてみようと思います。
70代後半の女性の方でした。僕が出会ったときには進行がんのステージ4でしたが、発見時にはステージ1だったとのこと。
普通なら「もっと治療を」と考えるところですが、彼女の選択は違いました。「もう十分。最期はゆっくり過ごしたい」そう、静かな笑顔でご家族にも語られたそうです。
この回答自体は、医師としてよく聞くことなので、本人の意思を最大限尊重して、自宅で最期まで穏やかに過ごしたいという彼女の希望を叶えるために在宅での緩和ケアを提供することになりました。
彼女と過ごす時間が増えるにつれ、その選択に深い意味があることに気づかされていきました。
毎朝、大切に育てているハーブに水をあげる。
そのハーブを摘んでお気に入りのカップにハーブティーを淹れる。
お客さんにハーブティーと、自分の一番好きなお茶受けを提供し、ゆっくりとハーブティーを飲む。
僕が診療に行くたびに彼女が僕に提供してくれた素敵な時間でした。
ゆっくりとお話をする中で「最期にやりたいことは残っていないのか?」とACP(アドバンス・ケア・プランニング)を推進するつもりで聞いたことがあります。
これまでにも多くの経験をしてきた彼女だから、どんなことを言うのだろうと好奇心があったことは認めます。
「明日もハーブに水をあげたいわね」
思い出の1品を食べたいとか、どっか旅行に行きたいと言われることを想像していたのですが、彼女からのオーダーは、なにか特別なことではなく、何気ない日常を守ってほしいというものでした。
これまで積み上げてきた人生に満足していて、その日々の中に恐らく確かな喜びを見出して、それが日常のハーブティーに集約されていたように感じました。
ぼくら医療者は、つい「治療」や「延命」に目が行きがちです。
そこを抜けても尚、人生の最期には旅行をしたいんじゃないか?思い出を振り返りたいんじゃないかみたいな発想を持っていました。これは少し医療職のロマンというか、こっちの希望の押し付けを投影していたのかも…と自戒をする瞬間でした。
彼女との出会いは、「生きる質」の大切さを改めて教えてくれました。QOL(Quality of Life)。よく使う言葉ですが、その真の意味を、彼女の生き方から学んだ気がします。
印象的だったのは、彼女の「もう全部やったよ。私の人生は思い残しなんてない」という言葉。マズローの欲求階層説で言う「自己実現」をした人の言葉ですが、教科書で学ぶのと、目の前の患者さんから感じ取るのとでは、まったく重みが違います。
彼女は最期まで、友人や家族との時間を大切にしていました。在宅医療で、患者さんの社会的なつながりをサポートすることの大切さ。頭ではわかっていても、その重要性を身にしみて感じたのは、この時かもしれません。
医療者として、時に「もっと何かできたのでは」と悩むこともあります。
でも、彼女は「あなたがいてくれるだけで安心」「来るのを楽しみにしている」と言ってくれました。
そうか、僕は臨床的に痛みを取るだけでなく、ただ存在していることだけでも安心を与えられるようにならないといけないんだな。
緩和ケアは、単に痛みを和らげるだけではない。その人らしい最期の時間のそばにいつづけること。それが私たちの大切な役割なのだと、改めて気づかされました。
彼女との出会いは、私自身の人生観も変えました。社会的に「すごいこと」をすることだけが決して人生の価値ではない。大切な人たちと心を通わせ、お互いの幸せに貢献できること。自分だけの大切な時間を作れること。
そんなところに本当の「豊かさ」が眠っているのかもしれません。
今日も、どんな出会いがあるだろう。そんな期待を胸に、往診鞄を手に取ります。 在宅医療の日々は、まさに私にとっての患者さん全員が教師の学校です。今年も色々な方から人生を学ばせてもらいました。
そして、この学びはプラトーになるどころか、まだ底が見えない課題で、僕自身また来年にどんな出会いがあるのかとて楽しみです。
永遠にドーパミンが出るような臨床現場だな!
と今日も全く反省を活かしていないのでした。
よし、ハーブティーを飲んで落ち着こう。