ショートショート・「コレがボクの働く1日だ」と、心の中でつぶやいた。
夕方6時過ぎ、ファミレスの店内はさらに賑やかさを増していた。窓の外では夕日が沈みかけ、薄い光が店内をぼんやりと照らしている。僕、トマチ君はカウンターの裏で、いつものようにコーヒーを注ぎながら、店内のざわめきを耳にしていた。
「トマチ君、今日も混んでるねー。優しいから、みんな助かってるよ」とタチ子ちゃんが明るく声をかけてくる。彼女は笑顔で客を迎えつつ、忙しそうにカウンターを拭いている。「どうだろうね」と返しながら、僕は客たちの会話が交錯する店内をぼんやりと見渡していた。
常連の内田さんが、カウンターに座って、独り言のように言っている。「歩行も自動運転の時代だよ、仙骨を押された感じで進むんだよ」と話し始め、隣に座る客が「ほうかいほうかい」と適当に相槌を打つ。内田さんの話は、いつもどこかおかしい。
その時、階段をドカドカと降りる音がして、子供たちが「お腹すいたよー! 」「ちょっと走らないで!」「チキンナゲット食べるー」と大声で叫びながら店に入ってきた。「早くパパ!」「ママだよ!」と母親が急かされながら、「走らないでよ」と子供たちに呼びかけ、袋をガサガサとさせている。「あー、何出すの?」と子供らはスピードを緩める。付いてきた父親はスマホをいじりながら「犬か」と言うが、誰も聞いていない。
入り口近くのテーブルでは、女の子二人が大声で話している。
「地元の元カレに告白されたんだって」
「え?行ったの、会いに行ったの?」
「そう、そしたらその日にやっちゃったんだって」
「ほんとに?好きだったの?」
「やったら好きになったみたい。でも、振られちゃった」「えー」
「でも追いかけてたらまた付き合うようになったって」
「え?なんで知り合ったの?」
「百合子ちゃんに紹介されて」
「ああ、あの子」
窓際のテーブルでは、別の親子が無言で食事をしている。母親が「パン食べる?」と聞いても、娘は無反応。「体育の時間に履くパンツ、最近長くなったね」と母親が何気なく話しかけるが、娘は黙々とパンをちぎって口に運ぶだけ。その静かな食事風景が、騒々しい店内の中で妙に際立っている。
また別のテーブルでは、若いカップルが話をしていた。 「オーストラリアにも彼氏いたじゃん」 「日本だからいいんだって」 「やばっ、羨ましい!」
その会話もまた、店内の混乱に混ざり合い、音の渦を作り出していた。僕はその一つ一つの会話が重なる瞬間を感じながら、手元のコーヒーカップを慎重に拭いていた。
「やっぱり内田のクラッカーだね、うちの内田商店よろしくー」と内田さんがまた独り言を続けて持ち込みのお菓子を食べている。「気持ちいい気持ちいい」と意味不明な返しをする隣の客。まいったなーと思うが、僕は彼らの言葉を流しながら、カウンター越しに客たちの姿をぼんやりと見ていた。
その時、ふと窓の外に視線をやると、歩道を一人の女性が歩いていた。肩までの黒髪、少し俯いた姿勢。その一瞬、僕の胸がドキッとした。アカリ?──彼女じゃないか?
思わず視線を追う。アカリが振り返るんじゃないかと期待してしまう。でも、彼女は振り返らず、ただ静かに歩き続け、やがて視界から消えた。
──違う。勘違いだ。彼女はもうこの街にはいない。それでも、僕の頭の中には、彼女との記憶がはっきりと甦ってきた。あの日、最後に会った日、彼女は何も言わずに去っていった。僕がそれを見送った時の気持ち、今も胸の奥の奥にしっかりと残っている。
僕はしばらく窓の外を見つめ続け、その場に立ち尽くしていた。やがて、店内のざわめきが再び僕を包み、僕は手元に意識を戻した。タチ子ちゃんが「鳩尾から引っ張られてるイメージで歩くと楽でいいよ」と、いつか内田さんに聞いた豆知識を言い、僕はそれに薄笑いで返したが、心の中ではまださっきの一瞬を引きずっていた。
午後8時を過ぎる頃には、店内のざわめきも少しずつ静かになり、客もまばらになってきた。外はすっかり暗く、冷たい風が窓ガラスに吹き付ける音が聞こえる。「今日は忙しかったね」とタチ子ちゃんが言いながら、カウンターを拭いている。「そうだね」と僕は返した。
再び窓の外を見た。もう彼女の姿はない。あの短い一瞬が現実だったのかどうか、今となってはわからない。それでも、心のどこかで、彼女がまだそこにいるような気がしてならなかった。店内の喧騒が遠のいていく中で、僕はその余韻に浸り続けた。