『ヤエル49』 第十章、そしてエピローグ【最終回】
◆タモタン対ユビナガ
あさみの目の前で、大口を開けるタモタン。
あさみはただ、突っ立っている事しかできない。
そのあさみを突き飛ばしたのは――ユビナガだった。
間一髪、あさみはタモタンの捕食から免れた。あさみは突き飛ばされ、神社の壁にたたきつけられる。
あさみはその衝撃で、腰が抜けたように倒れ、気を失う。あさみの限界は、もうとっくに来ていたのだ。
ユビナガは、吠えた。
そして、ヌシ熊から取り返し手にしていたナタを、タモタンが開いたままにしている口の中に斬りつけた。
見れば、ユビナガの片腕はちぎれている。
先の熊との戦いで食いちぎられたのだろう。だが、ユビナガの攻撃力には全く変わりがないように見えた。
タモタンはナタで切りつけられ、その傷がよほど痛かったのか、大きく咆哮を上げると口を閉じ、地面に転がりまくった。
ユビナガもまた、叫び声を上げる。
ユビナガはナタに力を込め、また斬りかかる。倒れ暴れているタモタン。そこに馬乗りになろうとのしかかるユビナガ。
「……ッ!」
だが、予想を超えるタモタンの体温の高さに、ユビナガは思わずのけぞった。
それでも―― ユビナガは地面に転がるタモタンの脳天に何度もナタを叩きつける。
殴りつけている間に、タモタンの体液に触れた部分が、異様に痛く、しびれる。
それでも暴走するユビナガは叫び声を上げ、何度も何度もタモタンを殴りつけた。
だが、一瞬だった。
タモタンは倒れたまま突如大口を開き、ナタを叩きつけていたユビナガの上半身を、
丸ごと、
一瞬で、
飲み込んだ。
下半身はそのまま食いちぎられて、地面にうち捨てられる。
ユビナガを飲み込んだタモタンは、よく消化しようと、のっそりと立ち上がる。
タモタンの体内で、腰から上だけの状態になったユビナガは暴れる。タモタンの腹が、何度も何度も膨張する。
あまりに暴れるので、タモタンは姿勢を崩す。なかなか消化のための直立姿勢を保てない……。
◆スープラ、到着
そこに現れたのが、スープラだった。
そして、さすがのスープラもこの光景を理解するのに、やや時間がかかった。
道中に、およそこの島には存在しないはずの巨大なクマが死んでいた事。
頂上に上がり、神社の壁にたたきつけられ倒れている女に、下半身だけ残された死体、何かを捕食したらしいお腹の突き出たタモタン、ボコボコと膨れ上がるお腹――。
スープラは、その無表情の顔はそのまま、僅かに、「ん?」と、
首を傾げた。
◆スープラ対タモタン
数分前――。
スープラは井上より先行し、タモタンに接敵した。
タモタンはまだ体力温存状態の小さな体型だったが、スープラの鋭い手刀の一撃を背中に食らうと、バタリと倒れる。
スープラは容赦せず体重をかけフットスタンプ、後、タモタンを背中から馬乗りになり、ぬるぬるとした体液に表面を焼かれながらキャメルクラッチの体勢でキリキリ締め上げる
タモタンは締め上げられながら、170cmの人間擬態体型「森下タモタン」に体を変化させると、左右に大きく揺れて強引にスープラを引きはがそうとするが、スープラの手は離さない。
するとタモタンは手を伸ばし、ムチのようにしならせながら、スープラの首に襲い掛かる。
スープラはこれを察知し宙返りしてタモタンから離れる。
スープラはタモタンの攻撃を予測し、体の体勢を整えそのまま距離を置いて防御姿勢を取るが、タモタンは一瞥したのち、背を向け、山頂の「位相断面の環」へ向かいだす。
スープラはその動きに対応しようと先回りを試み、タモタンの進路に向かおうと動き出した瞬間、不意にタモタンは振り向き、スープラの腹へ伸縮する手刀を突き刺す。
スープラは倒れるものの受け身を取るが、タモタンは追手にかまわず、スープラが倒れたのを見るとそのままスルスルと山頂に登っていく。
スープラはダメージを回復させるためしばらくその場にしゃがみ込む。
腹の穴を恐るべき速度で再生させながら、タモタンの向かって行く進路を見逃すまいと、その行く先をじっと睨みつけ、再生がまだ途中にもかかわらず、タモタンの方へダッシュして向かって行く。
◆あと、一歩だった
「位相断面の環」は、まさに神社の鳥居付近に出現していた。
タモタンにとって、ゴールは間近だった。
震える手で、タモタンは「位相断面の環」に触れようとした、その時……。
タモタンはあさみの作ったブルーシートの地滑り罠にかかり、あと一歩で触れるのを逃したのであった。
◆スープラ対タモタン・2nd
山頂へ追いついたスープラ。
超人的な跳躍でタモタンの頭を飛び越し背後に着地すると、分解酸の体液まみれになっているその顎を後ろから掴む。
ユビナガを取りこんだばかりで、暴れるユビナガを制しきれなかったタモタンは姿勢を崩し、顎にも力が入らない。
タモタンは苦し紛れに先ほど口にしたユビナガの着ていた服を吐きだす。
分解酸の体液で消化しきれない特殊迷彩コートやナタ、着こんでいた鎖帷子などが、体液と共に巻き散らかされる。
スープラはしかし、つかんだ顎を話さない。驚異的な膂力で、口を強引に開けようとする。
「井上!」
スープラは叫んだ。
すると井上は神社の鳥居方面から駆け上がり、ダッシュで向かってきた。
スープラは井上の姿を認めると、井上が現れた方向にタモタンの開いた口を向ける。井上は突進する。
手には、二リットルペットボトルほどの大きさの強化ペプチターゼ管のカートリッジが握られている。
その握った手で、口の開いたタモタンの喉の奥に拳を突き立てる。
「おらぁっ!」
手が体液まみれになり、皮膚が裂けるような痛みを感じる。
すぐさま手を引き抜くと、後方にジャンプする。
それを見てスープラも手を離す。タモタンの口が、鋭く閉じられる。
沈黙が、数秒。
タモタンは、まったく動かない。
「……やったか?」
だが……。
◆タモタンβ(ベータ)
「ああああああああ!!」
タモタンの体が、ボコボコと膨張を繰り返す。
やがて――タモタンの体は、先ほどよりも一回り大きくなる。
先ほど取り込んだばかりの、ユビナガのような顔になり、体はユビナガの筋肉質な体を受け継いだのか、固くパンパンに膨れ上がっていく。
肌の色も浅黒く変化していた。
そしてその指……手、そのものの大きさが尋常ではなく、大人一人ぶんを握れる大きさまでに巨大化した。
その中指は異様に発達し、長く伸びている。
「ペプチターゼ、効いてないって感じ……?」
井上は、痺れるような痛さをこらえながら、がんばって軽口で聞く。
「どうやら、さらに人間を取り込んでいたようね。二体以上の生物を体に取り込んだ個体は、ヤエルでは確認してない」
「ま、今確認したよね。なるべくなら生きて帰って報告したいよ。『とんでもない怪物だ』ってね」
井上とスープラは、その変身しつつある怪物から、位相断面の環を背に、距離を取る。
環に触れさせてもいけない、かといって、近寄って攻撃するにも、もはや手段はない。
だが、ユビナガを取り込んだタモタン――「タモタンβ」とも呼べる怪物は、二人を見逃さない。
「ボー……ダム……」
中指の長い手を、勢いよく伸ばして井上につかみかかろうとする。
人ひとり掌でつかめるような、巨大な手だ。
間に割って入り、スープラはその伸びた手から身を挺して井上を護る。
スープラはそのきゃしゃな体を長い中指のある手でつかまれてしまった。
「スープラ!」
「私に……かまうな!」
スープラもまた、怪力を発揮する。
全身を大の字にして、両手と両足でタモタンの万力のような掴みかかりに、抵抗している。
体は徐々に開き、スープラはタモタンβの手から脱出しかけている……。
「ボー……ダム……」
タモタンβはそこへ、ゆっくりと腕を収縮させながら近づいてくる。
スープラを掴む腕にさらに圧力がかかったのか、開きかかった手が縮まり、スープラは押し込まれていく。
「うおおおっ!!」
井上はタモタンβの本体に立ち向かう。
手には、何もない。プロテクターもほぼ用をなさない、丸腰だ。
「井、上……!」
スープラがうめく。井上は突進する。
「意味ねえかもしんねえけど……でもやるンだよ!」
井上はそう思いながら、タモタンβの顔面近くまで掻い潜ると、拳を、タモタンβの顔面にヒットさせる。
だが、その最後の抵抗は、タモタンβの頭の上に乗っていた黒縁のメガネを叩き落しただけであった。
タモタンの体には、蚊ほどのダメージも与えていない――。
◆そして、決着
しかし――タモタンβは驚いたような表情を浮かべる。
スープラを掴んでいた手を引き戻し、目前となった位相断面の環も、目の前の井上をほっておいて、自分の顔面を触る。
「……ガネ?……ガネ??」
ユビナガのような顔は、森下のような顔に戻る。
両目はあらぬ方向を向き、やがてタモタンは膝をつく。
「メガネ……?メガネ……?」
メガネを探すため、四つん這いになったタモタンの体から、しゅぅぅぅという、肉が溶ける音……大量の白い煙が、タモタンの口から、尻から、鼻から、漏れ出ていく。
「ああああ、ぁあああああ、あああああ……」
生まれたての胎児がうめき声を上げるような声を上げながら、タモタンは次第に胴体部分を中心に収縮していく。
地面に崩れる頃には、タモタンは白い脂身のようなあぶくとなり、やがて土の中に染みこんでいった。
◆服務規程違反
「……倒したのか」
井上はつぶやく。
「……生体反応は見受けられない。ペプチターゼが体内に回るのに、予想以上に時間がかかったというわけか。井上の立てた作戦は間違ってなかった」
スープラが冷静に言い放つ。
「時間……ってあ、そうだ。時刻は?」
「5時2分前。今、ヤエルに連絡した。危なかった。あと2分で、水爆は使われる所だった」
スープラの耳から、アンテナのような棒が出ている。
スープラ専用のプロテクターの一部だ。ヤエルの本部とのホットラインになっている。
「……生きてるな」
「死んだわ」
「そうじゃないさ。俺達がって事」
井上は呆然としながらいう。
スープラは、タモタンが吐きだしたユビナガの衣服を見る。
「死んだ者もいる」
「運命だろう。あんたが背負う事はないさ。それに、生きている者だっている」
そう言うと、井上はユビナガが突き飛ばしたあさみを見る。
まだ死んでおらず気を失っている事が、井上のバイザーにあるセンサーを通じて分かる。
「服務規程によれば、宇宙外生命体を目にし、接触した者は、機密保持のため処分する必要がある……」
「その人を、消すの?」
スープラはあくまでも無表情に、しかし若干の怒気が含まれていることを井上は察した。
無表情に見えるスープラも、よく観察すればさまざまな感情をむき出しにしていることに、井上は気づきだしている。
「……今回の俺たちの仕事は、もう終わっているさ。今やったのは、仕事じゃない。だから、服務規定も関係ない……」
「じゃあ」
「でも、記憶が残っていると厄介だ……」
そう言うと、井上はプロテクターの腕ポケットから錠剤を取り出し、あさみに含ませる。
「それは?」
「俺、よく服務規定違反をするんだよね」
井上は、睡眠剤を常に持ち歩いている。
井上の通常の業務は、ヤエルの存在を人々から隠匿し、漏えいした秘密を抹消すること。
ただし大規模になればなるほど、目撃者や接触者と言うのがどうしても出てくる。
本来であればそうした人々は皆機密保持のため殺害しなければならないが、井上はそんな所で事を大げさにするのを嫌っていた。
この睡眠剤は、人に浅い眠りを誘発させる。いわいる夢見の睡眠剤だ。
井上はそうした人々には、この睡眠剤を含ませて、すべては夢だと思うように仕組ませているのだ。
「目が覚めたら、この娘、すべてを夢だと思うかしら」
「……どうかな」
◆そして、仕事の時間
その時、空気の対流を感じる。
……音もなく――ヤエルのステルスヘリが、山頂の上空に出現した。
光学迷彩を施されたそれは、曇りの日や靄の日などは肉眼ではきわめて識別しにくい構造になっている。
「井上氏!」
「後片付けでお困りではないですか?」
カナンとバドが、ヘリの窓から顔を出す。
「ったく、俺の撤退命令は無視かよ」
井上はため息をつく。
「ええ拝命しましたよーそれで帰還しようとしたら、道中にたまたまあなた方が居たって所ですかね、エエ」
カナンが甲高い声で言葉をだらだらと繋げる。
「それに私は、ミス・スープラの講義をまだ聞いておりません。よければ帰りの便の中でお聞かせ下さいませんか」
バドも笑顔だ。二人とも、怪我は極めて軽傷らしい。
「さてと……とりあえず後片付けが先だ。周辺の証拠物はすべて採集した後、この島全域に強化 ペプチターゼの空中散布を行う。とはいえ、結構厄介な仕事になるなこれは……」
「もう仕事なのね、井上」
スープラが無表情で井上に聞く。
「……そ、仕事」
その顔には、極わずかに、笑顔のようなものが感じられる。
NDG・不死人間スープラは、やはり人間だ。俺たちと同じ、人間だ。
スープラの無表情の笑顔を見て、井上はそう思った。
「さて、どう仕事したもんかな……」
すると、遠くから自衛隊のスピーカーの声がする。
「大規模な地滑りの発生が予測されております……島民の皆さまは、速やかに批難を――」
自衛隊員のタケナカがやってきた。
タケナカはこの光景に驚きつつも、井上を見つけると、井上に敬礼する。
正直、タケナカにはこの状況が分からなかったが―――それでも、自分の成すべき仕事を悟ったのだった。
◆エピローグ
◆すべては夢だった、のか
「あさみ……あさみ、起きて!」
身体全身が痛い……。
あさみが目を開けると、目の前にはよく知った二人の顔があった。二人は心配そうにあさみの顔を眺めている。
「よかった!!大丈夫、痛いところない?」
あさみは周囲を見渡す。ここは森林官事務所の小屋のベッドだ。
「これって……え、どういう」
「どういうもなにもないよ……本当にあさみって無茶するんだから」
すると、カホとさっちんの隣にいた迷彩服を着た男が声をかけてきた
「森林官の福原あさみさんですね……。」
「え……え、ちょっと?」
まだ状況がつかめていないあさみ。タケナカはあさみに状況を説明する。
「昨晩深夜零時、神鳥山で大規模な地滑りが予測され、自衛隊が派遣されてきました。しかし、あさみさんが一人で地滑りの予兆のあった山頂に向かわれたと連絡が入り、山頂付近で倒れているあさみさんを発見したという次第です」
「あさみ、たった一人で地滑りを防ぐ気だったの?」
「本当、森林官だからって、無茶するんだから……」
「ち、違うって、あたし、確かに――」
――そう、停電があって、配電盤が壊され、森の方から奇妙な声が聞こえて、謎の男に森へ拉致されて、熊がいて、死んで、巨大な怪獣が暴れ回って……そう説明しようとしたが、その内容があまりに荒唐無稽すぎる事にあさみは気がついた。
すべては、夢だったのだろうか。
「でも、地滑りは思ったよりも小規模で済んだって」
「ええ。集落まで至らず……住民の皆様をお騒がせさせてしまいましたが」
そう、タケナカは頭をかく。
とはいえ結果的に、あさみを救出することができたため、タケナカも動いた甲斐があったと笑う。
あさみは、まだ呆然としている。あの恐ろしい出来事は、すべて夢だったのか。
草や枝で擦り切れたはずの自分の太ももに触れるあさみ。
だがその傷も不思議と消えている。井上が施した事件隠匿の技術の一つで、あさみの体の目に見える部分の傷を消していたのだ。
◆わたしの島
山頂付近。
あさみは、「まずは診療所で検査を」と促すタケナカの声をふりきり、森林官として地滑り被害状況を確認しに行く。
カホとさっちんはすっかりカメラマンとディレクターの顔で、そんな制服姿のあさみを追い、撮影する。
山道も崩れているため途中までしか行けなかったが、あさみが罠を仕掛け、怪物が暴れ回った山頂付近は、地滑りのため何もかもが洗い流され土色がむき出しになっている。
あれが夢だったのか、現実だったのか。
こうなってしまっては確かめようがない。
それに森林官として、これから山の被害状況の確認や全な山道の整備など、やらなければいけない仕事が山積みだ。しかし――
だけど何故か今、島が違って見える。
どうしてかはわからないが、島の小さな事、些細な所が、鮮明に見えるようだ。
夜はすっかりと明け、島には朝日が昇っている。
太陽が、この島の緑を美しく照らす。
私、この仕事をがんばろう。もっともっと、働こう。
島の日の出の光景を見て、あさみは人知れず、そう思った。
そんなあさみの姿を、カホとさっちんはカメラの画面越しに見ている。
そこには、二人が撮りたがっていた「力強く働く女性」の姿があった。
◆そして少年はまた空を見る
さんさんと太陽が注ぐ島――
そんな島の空を、今日もUFOファンの少年が、めげずに観察している。
空から、何か落ちてこないか……この退屈で、boredom(ボーダム)な日常から、自分を救ってくれないかと、祈りを込めながら――。
「……UFO?」
少年は、何かを見た。
それは雲と雲の切れ間を、井上らを乗せたステルスヘリの一部だった。
少年はあわてて望遠鏡をのぞく。
だが――そこには美しい島の青空が、ただ広がっているばかりであった。
(了)