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旅行をキャンセルしました 

この文章を読んで頂いている方は、これまでの人生において楽しみにしていた旅行を直前にキャンセルしなければならなかった経験はどのくらいあるのでしょうか?

旅行のキャンセルの思い出

私の場合、40年生きてきた中で記憶にあるもので、3回。多いのか少ないのかは分かりませんが、とにかく私の旅行を断念しなければならなくなった経験は夏場に多いのです。
1回目は小学生の頃、普段あまり旅行に行かない我が家(岐阜県の飛騨)が珍しく愛知の南知多に旅行に行くという前日に悲劇が起きました。私は久しぶりの旅行にはしゃいでいたのでしょう、就寝前にベッドでジャンプした時に首から「バキッ」と音がして、同時に激痛が走り立つこともままならなくなりました(この時首を打ちつけたりはしておらず、単純にベッド上でジャンプしただけ)。私があまりに痛がるので、柔道整復師の先生の所に連れて行かれたのですが診断は「寝違え」。湿布を出されたのですが、2、3日は起き上がると激痛と眩暈がして寝込んでいました。当然旅行はキャンセルとなり、楽しみだった旅行が残念でならず、悔し涙が止まりませんでした。
未だにこの時の診断の「寝違え」というのが納得いかないのですが(寝てもいないのに何で「寝違え」なんだ?)、後日整形外科で診てもらっても原因不明でした。それ以来、私は首から肩が凝りやすく、頭痛も起き易い体質になってしまいました。

行く予定だった南知多ビーチランド。
未だに一度も行った事がないです。
画像は「動物園・水族館特殊」のHPより

2度目

2度目の塩っぱい思い出は大学3年生の夏休み、趣味の翡翠拾いのために当時付き合ってた彼女と新潟の糸魚川まで旅行を計画していました。生まれ初めて石拾いとう自分のマニアックな趣味に付き合ってくれる異性との旅行に舞い上がっていましたが、そこにまた落とし穴がありました。
旅行予定日前日、何だか熱っぽい感じがして嫌だなーっと思っていたところ、一気に38℃台の熱が出始め、次の日も風邪症状は治らずキャンセル。予約していた旅館にキャンセルの旨を伝えると、キャンセル料を振り込んで欲しいと言われ、人生で初めてキャンセル料を払い、気持ちも懐も侘しい思いをしました。

翡翠海岸

そして3度目

3度目は、つい先月の7月終盤に起こりました。時期的に察しがつくとは思いますが、例の風邪に似た症状の流行りの病気になってしまい、またもや前日キャンセルとなったのです。

旅行の行き先はこれまでにも何度も訪れている長野を予定していました。度々訪れている長野ですが、私の好きな旧石器時代や縄文時代に石器の材料として用いられた黒曜石の原産地周辺に初めて行ってみようと計画していました。また、黒曜石の産地の一つである八ヶ岳の麦草峠の近くにある温泉、渋・辰野館に行こうと思っていました。渋・辰野館の温泉は単純酸性冷鉱泉で、冷泉にして強烈な酸性。夏場に訪れて冷温交互浴をするのが楽しみだったのです。

画像は渋・辰野館HPより

その症状は非常に分かりにくいものでした。旅行予定日前日、私は介護の仕事の夜勤の明けの日で、普段なら疲れ切って昼間でも眠れる私が眠れませんでした。暑いような寒いような変な感覚があり、身体のホメオスタシスが不安定な感じがしたのです。それと、身体全体が何となく怠く、鼻の奥の方が少しツーンとした違和感がありました。ちなみに夜勤の出勤前にした抗原検査は陰性でした。
疲れているにも関わらず寝れないのは初めてだったので、これはおかしいと晩に熱を測ったところ、平熱が低めの私が37.1℃。これはやっぱり変だ。職場の上司に相談し、職場から支給されていた抗原検査キットの使用許可が出たので試してみると、薄っすら「陽性」にラインが出ました。「遂に来た。」と思いました。連れ合いにも検査をしてもらうと、またこれも陽性。そうこうしているうちに職場でもほぼ同時に発熱、陽性者が続出している情報が入り、あっという間に大規模なクラスターとなってしまったのでした。

その後の職場の状況は過酷を極めるものであったのは、後から職場を支え続けてくれた同僚から聞きました。自分自身が感染を広めていた可能性も高く、責任を感じました。また、所謂第6波の時にも感染者が出たのですが、その時は隔離対応ですぐ封じ込めできました。しかし、ウイルスの変異による感染力の強さは、まるで別のウイルスのように肌感覚で感じました。

発症と私の症状

陽性と分かったのですが、職場から医療機関を受診するよう指示があったため、電話で色々問い合わせるもかかりつけ医でないためと断られ、結局上司から受診できそうな診療所を聞き、発症翌日に夫婦で受診できました。結果陽性。熱は37.9℃まで初日は出ましたが、その後は上がらず。ただし、2日目以降軽い咳と頭痛、倦怠感、3日目に痰が出て4日目でそれも寛解しました。ただし、診療所で出された抗生剤が合わなかったみたいで、激しくお腹を下し、それに伴って強烈な痛みのある口内炎が舌の先にできた事が辛かったです。味覚・嗅覚障害は3日ほど感覚が薄く感じたのはありましたが、その後改善しました。妻に関してはもっと軽症で、咳が少しと一時的な軽い味覚・嗅覚障害のみでした。

自宅療養


一般的には軽症の部類でしたが、国の決めた通り発症から10日間は自宅療養、外出禁止という事で缶詰の時間がいたずらに過ぎて行きました。私はおおよそ身体が持ち直すまで5日ほどかかったので、それまでは昼間寝ても夜も寝れるほど寝続けたのですが、療養期間後半は体力を持て余していたので、室内で体操、筋トレをしたり、普段しない所の掃除をしたりと過ごしていました。幸い料理や家事をする体力があったので、朝から晩まで食事をきちんと作っていました。朝はパン食の自分が朝から味噌汁を飲む生活は実家を出て以降初めての体験でした。
軽症で後遺症も特に無かったので、私にとっては一番の苦痛は外に出られない事と、喋るのも嫌になるくらい痛い口内炎くらいでした。食材や日用品は近くのイオンのネットスーパーが使えた事で誰かにお願いしなくても生活はできたし、身体も動いたので、それができない自宅療養の人はそれは大変だろうと思いました。

療養期間を終えて

療養期間の始めの頃は果てしなく長く感じましたが、過ごしてみるとあっという間で、近いてくる解放の日と同時に夜戦病院のようになった職場に戻る事を考えると気持ちが重くもありました。
今はその戦場のようなゴタゴタも一区切り付き、やっとでこの文章を書ける余裕も出てきましたが、やはりあんな大変な事はもうゴリゴリだという事。そして、ひとまず今の所身体に大きな支障もなく生きている事を感謝したいと思います。

日常の有り難み

病気をすると日常の有り難みを改めて思い知らされます。しかし、現金なもので、暫くするとそれが当たり前に思えてくるのが人の性なのでしょう。今回の療養が終わり、久しぶりに外に出た時は8月初旬の一番暑い時で、身体がそのギャップになかなか着いて行けず、異常なほど汗が出ました。久しぶりにいつも行ってるスーパー銭湯に行って身体を擦ると、垢がポロポロ出て来たのには驚きました。いつも当たり前に行ってた温泉も、久しぶりに行くとその気持ち良さや、匂いや肌触り全てが新鮮に思えました。つくづく当たり前に思ってはいけないなと思います。

キャンセルした事を受け入れる

旅行に行けなかった事でショックは大きかったのですが、旅立つ前に異変に気付けたのは幸いだったと思います。旅先で療養とか、人に迷惑をかけることが無かったことは本当に良かった。そして、感染して感じたのはギリギリまで抗原検査が陰性だったり目立った症状がなくても、現実のそれは急に現れるのだと感じました。
今後もこの病の状況がどうなるのかは分かりませんが、今回の旅行に関しては「今はタイミングじゃなかったんだ。」と思って、あの奥蓼科の冷泉に浸かれる日を夢見てまた機会を伺っていきたいと思います。すんなり行けなかった分、その感動は一段と高まるのではないかと期待してます。

行く予定だった八ヶ岳の山々


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