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熊野で世界遺産に浸かる②

温泉1人旅の2日目。大抵旅館に泊まった次の日の朝には前日疲れていても早く目が覚めます。世界遺産に浸かれる公衆浴場の「つぼ湯」は朝6時からやっているとの事で、朝食を食べてすぐに向かうことにしました。何故ならつぼ湯は定員3名ほどの貸し切り湯で、30分交代制のため順番待ちが発生すると1時間以上、長い時は3時間以上待つ事もあるそう。そのため、7時台の早めに行くことにしました。

つぼ湯のある公衆浴場の受付は湯の峰温泉の中心部にあり、天台宗の東光寺というお寺を囲むように温泉施設があります。湯の峰温泉の最初に発見された源泉は、東光寺の脇辺りから発見されたとの事。その時の温泉噴出物が固まって、東光寺で珍しい自然由来の薬師如来として祀られています。温泉と信仰が強く結びついているんですね。また、湯の峰温泉は歓楽街がある訳ではなく、小さい谷筋に旅館が15ほど立ち並んだこじんまりとした温泉街というか、温泉郷の方がしっくり来るような場所。公衆浴場の売店以外に、田舎の食料品店が1つだけあるだけの、言ってしまえば何にもない場所です。しかし、温泉しかないのが逆に良かったような気がします。独特の田舎の温泉地の風情が良いのです(まさにつげ義春的世界)。以前、草津温泉に泊まった時、湯畑の前の老舗旅館に泊まったのですが、夜中も人が湯畑に沢山来て、東京から来てる人が多いからか、若者のフリースタイルラップの集団の騒音に悩まされるという奇妙な体験をしました。それを思うと、これくらい静かで何もないのも良いと感じました。泊まったあづまや荘の横には池があり、久しぶりに蛙の声を聞きながら寝たのも心地良かったです。

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湯の峰温泉の公衆浴場には、つぼ湯、くすり湯、公衆浴場とがあり、それぞれに料金が違いました。つぼ湯は昔のままの足元湧出の貸し切り湯、くすり湯は加水なしで、ちょうど良い温度まで下げたお風呂、公衆浴場は加水ありだがリーズナブルといった違いでしょうか。これらに加えて、温泉が汲めるスタンドと、湯筒という温泉の井戸のようなものがあり、湯筒では90℃の温泉が勢いよく自噴しており、近所の方々が籠やネットに卵や野菜などを入れて調理する関西ではなかなかお目にかかれない施設がありました(観光客でも売店でお願いすればゆで卵セットを購入可)。川沿いに湯筒からの硫黄香る湯けむりの風景と、人々の暮らしに温泉が溶け込んでいる情景が、何とも言えない懐かしさを感じさせてくれました。

注意! 2021年9月現在、くすり湯、公衆浴場は現在改修中で、2022年春頃まで使用できないそうです。

つぼ湯へ

受付でお金を支払います。朝早かったためか、待ち時間無く入れました。お寺の脇を通って受付から少し離れた川沿いの一段低くなったつぼ湯に向かいました。昔は目隠しもなかったそうですが、今はつぼ湯の周りに小屋が被せてある形で、プライバシー設定されてます。ワクワク感を抑えながら、いざ小屋へ入ってみると、また階段が下に続き、河原の高さまで降りることになります。そしてつぼ湯を目にしました。

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写真では分かりづらいかも知れませんが、実際もうちょっと青白い印象でした。1日に7回色を変えると言われる不思議な湯。今まで見てきたどの温泉とも違う感じでした。別格な感じがします。それでは早速と、手を入れてみたところ、「熱っつー!」かなりの高温です。この時点で、どうも誰も入っていなかったようで、無加水のため源泉が冷まされずそのままのようです。最初は小さな小屋の中をゆっくり見回していましたが、「30分しかない!」と急に焦り出し、加水して良いとのことなので、浴槽に備え付けの冷水バルブを一気に解放し、湯揉みの鍬みたいなものでお湯を冷ます事暫く。やっとで入れる状態になりました。いざ入ってみます。湯つぼはまるで岩を滑らかにくり抜いたような窪みに、成人男性2名が入ったらいっぱいになるようなサイズ。サイズ感が1人で入ると、すっぽり包まれるようでちょうど良い。深さは結構あります。足元に玉砂利が敷かれていて、それがまた気持ち良い。お湯がなかなか冷めないのと、あまり薄めても温泉が勿体ないため、すぐ温まってしまいました。重曹泉であり、ナトリウムもあるため肌スベスベ感と、ポカポカ保温感があります。意外に旅館の内湯とかの方が、硫黄臭が強かったです。優しい匂い。初めての足元湧出の温泉でしたが、「じわっと湧いてるかな?」という感じのじんわり湧出でした。これが熊野詣の湯垢離の温泉で、数々の歴史や物語の登場人物が浸かったかも知れないと思うと、何だか敬虔な気持ちになりました。

そして、小栗判官のことに思いを巡らせました。ここで餓鬼の姿(ハンセン氏病とも言われます)から再生、蘇りを果たしたのかと。当時、介護の仕事から一旦離れて、別の福祉系の仕事に就いてみたもののあまりにそれが自分に合わず、元の介護の分野に戻る直前の1人旅だったのでした。どこか小栗と自分を重ねて、「自分はもっと出来ることがあったのでは?」「でもあのままでは自分が自分でない感じが耐えられず、遅かれ早かれ持たなかったか。」というモヤモヤの中から再生できたらと思いながらのお湯でもありました。

■湯の峰温泉公衆浴場 含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉 https://www.hongu.jp/onsen/yunomine/tuboyu/

その後、一旦休憩をした後くすり湯の方にも入ってから、つぼ湯すぐ裏の脇道から始まる大日越えの古道のルートを登っていきました。大日越えは1時間半ほどで一山越えて元々熊野本宮大社のあった大斎原おおゆのはらまで行くルート。4キロない短距離のルートですが、勾配がキツく少しハードめのルートです。

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■鼻かけ地蔵 風化して朽ちかけているのがまた良し。

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■行者が修行したとされる岩屋 短距離にしては色々見どころあります。

5月の晴れた日だったので、なかなか暖かくて温泉効果もあって汗が噴き出します。息も上がるし、少しは熊野詣の参詣者の気持ちが分かったような気もして、木々を抜け切ったところに熊野川と大斎原が見え、爽やかな気持ちになりました。

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向こうの杜が大斎原。一気に視界が開ける。

本宮に向かう前に大斎原に行ってみました。大斎原は元々の熊野本宮大社があったところで、明治22年の大水害の為に現在の高台に移動し、大斎原には祠があるのみです。しかし、行ってみると不思議と穏やかで、気持ちの良い開けた空間があったのです。

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確かに何もない。でも、何か暖かい風の吹く良い場所でした。この場所は元々中洲の様な場所で、しかも参拝する人々は総べからく歩いて川を渡ってきたそうです。また、近くの音無川で水垢離して参拝される事もあったそうです。そこまでして皆が来たかった場所。熊野川は暴れ川としても有名なので、天災に対する神への祈りの地というのもあったでしょうが、元々何も無かったこの場所である何らかの理由があったのでしょう。物質や社会の理りとは違う理由が。そう思わせる場所でした。

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■大斎原の巨大鳥居 大斎原も現在も信仰の対象として思われているのを感じます。

大斎原を後にして、最後に熊野本宮大社にお参りして帰りました。感想といえば、古い形式の厳かな社殿だなっといった印象で好きな雰囲気でしたが、自分の勝手な好みでは大斎原にグッと惹かれてしまったのでした。

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■現在の熊野本宮大社

おわりに

また来た時は、熊野川の河原にもう一度来てみたいと思いました。河原です。ただの河原。でも、この河原がだだっ広くて視界に山と川しかない風景が良かったです。流れはさほど多くなかったですが、広い広い石の転がった風景を見ながら堤防でのんびり昼ごはんのパンを食べていた時、心穏やかだったのを良く覚えています。水の量に比べて石の転がった面積が広く、向こう側に平地がなく山が迫っている感じ。今は穏やかだけど、荒れている時は凄い水なんだろうというのが見なくても分かります。熊野って、こういう自然が近すぎるくらい近い場所と印象づけられました。そこから自然への畏敬の想いや、感謝の想い(温泉)が人々の中で信仰に繋がったのかなと勝手に思いました。

熊野への旅行は本当に印象に残る旅行でした。地方へ旅すると、ガイドブックやネットの情報とは違った生の体験を経ての地方のイメージが出来上がるのが嬉しいです。自分の中で肌感覚の地方の空気感みたいなものが記憶に残るのです。だから散歩も好きです。徐々に地域のイメージがアップデートしていく感じ。熊野のイメージは自分が飛騨の田舎育ちで、色々な地方を行ったことはありましたが、本当に自然が肉迫してくるような近さがありました。そして、熱い温泉が火山もないのに湧いている。それだけで非常にありがたいというか、神秘的な気持ちになりました。また、何度でも行きたい温泉地です。

■今回は長い記事になりました。読んで頂いた方ありがとうございました!■

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