創業と『奇奇怪怪』
石原書房の石原です。今年(2023年)の初めに出版社の国書刊行会を退職し、一人版元を始めました。
先日、ラッパーのTaiTanさんとミュージシャンの玉置周啓さんによる大人気ポッドキャスト番組を書籍化した『奇奇怪怪』を刊行し、現在各所で話題騒然・好評発売中となっています。
退職から創業一冊目の『奇奇怪怪』刊行まで(刊行後も)いろんなことがあり、その経緯について書き残しておこうと思います。
退職まで
今年(2023年)の1月、国書刊行会の編集部から他部署への異動辞令が出ました。自分の刊行点数や働き方を考えても(*1)これは経営判断として全く合理的で、私としても不服はありませんでした。
しかし編集部から離れるということは、現在進行中の企画が自分で担当できなくなるということです。それだけは回避したい、と思いました。確かに自分が編集以外の仕事をすることが会社にとっては最適なのでしょうが、今自分が編集しようとしている本を私以外の編集者が担当するということは、その企画にとって、一緒に話を始めた著者にとって、その本を手に取る読者にとって、ひいてはその本が存在することになる世界にとっては最適とは言えないのではないかと、大袈裟なようですが思いました。
外部の編集者となって企画を担当し、国書を版元として刊行する道や、他社に企画ごと移籍することも考えたのですが、前者の場合、今までなんとか通してもらってきた無理が通りづらくなるのは必定であり(無理が通らねば作れないような本の企画しか立てられないのでこれは致命的です)、後者を選んだとしても、国書刊行会ほどのびのびとやらせてくれる編集部が他にあるとは思えませんでした。
それに加えて、もともといつかは自分で版元をやりたいと考えていたこともあり、「今なのかもしれない」との思いが頭をよぎりました。本を編集・刊行することの面白さを知ってしまった以上、やはり書籍を作って売るにあたってやるべきこととやるべきでないことの決定権と責任が自分にあるという状態は理想的でした。
とはいっても、進行中企画の著者の方々に納得して頂けなければ、企画を持ち出しての独立は不可能です。辞令が言い渡されてすぐ、『奇奇怪怪』の著者の一人であるTaiTanさんに連絡を取り、翌日とある中華料理屋さんで会うことになりました。
実は辞令が出た当日も打合せでTaiTanさんと顔を合わせており、「上司と人事の呼び出しを受けたので、編集部から離れることになるかもしれません」という話はしていたのですが、改めて退職・創業を考えている旨を告げると、
「自分の全ネットワークを使ってバックアップします」
と言ってくれ、退職祝いとして美味しいかりんとうをお土産に持たせてくれました。腹が決まった瞬間でした。
その後、2023年秋に刊行予定だった『IMONを創る』の著者・いがらしみきおさんほか、担当企画の執筆者の方々のご諒解を得て、退職と担当企画を抱えての独立の準備が整いました。
その時点で創業を決めてはいたのですが、毎朝「本当にやっていけるのか? 自分がこれらの企画を形にできるのか?」という思いに襲われ、胃の痛みと胸苦しさで目覚める日々が続いていました。
そうした状態から引き揚げてくれたのが、1月20日(金)に青山ブックセンターで行われた、夏葉社の島田潤一郎さんとウィー東城店の佐藤友則さんの『本屋で待つ』(夏葉社)刊行記念のトークイベントでした。
そもそも私がいつか自分で版元をやりたいと思い始めたのも、新卒一社目で入社した工作機械メーカーの、青木ヶ原樹海にほど近い社員寮(*2)の狭苦しい部屋で島田さんの『あしたから出版社』(晶文社/ちくま文庫)を読んだからであり、「今の会社でお金を貯めて、十年後くらいに実現出来たらいいな」と思っていたところに国書刊行会の新卒採用の情報が流れてきて、第二新卒枠で応募してみたらご縁があって出版業界に入ることができたという次第なので、ことここに至るすべての始まりにいる人の話をもう一度聞いておこうと思ったのでした。
その日の島田さんと佐藤さんのお話は、インディペンデントであることのかっこよさと大変さと面白さに否が応でも惹きつけられてしまうものでした。イベント終了後、おそらく明日からも不安で眠れなかったり目覚めが悪かったりが続くことは分かっているのですが、不安に震えながらでもなんでも、とにかくやってみればいいんだと、不思議と静かな気持ちになっていました。
サイン会の列に並んで島田さんに挨拶をすると、島田さんは私のことを覚えて下さっていました(国書の営業部時代に一度、その後イベントで二度ほどお話させてもらったことがありました)。自分で版元を始めることを話すと、「じゃあ今度、事務所に遊びに来てください」と言って下さり、その後本当に夏葉社の事務所にお邪魔して、色々と教えて頂くことになりました。
こうして1月末、私は上長に退職の意志を告げ、創業の準備が始まりました。
『奇奇怪怪』制作開始
2月に入り最終出社を終え、『奇奇怪怪』の制作が本格的に始動しました(*3)。
先年からの打合せで「『百科事典』から『漫画雑誌』へ」というコンセプトは既に固まっていたので、まずやらねばならないことは収録する配信回の音声文字起こしでした。
前作『奇奇怪怪明解事典』の時は、収録回の半分は業者さんに文字起こしをお願いして私がそれを編集していたのですが、今回はそんな予算もないので、全45回(+語り下ろし1本)を全て自分で打ち込みました。第一弾の時もそうだったのですが、単純に音声を聞きながら文字を打つのはもちろん、TaiTanさん、周啓さんの会話のリズムとスタイルを活字で再現するのは大変な作業でした。「ここの間は三点リーダーいくつぶんだろうか?」、「この『てめえ』はひらがなで『てめえ』か、カタカナで『テメー』か?」などと細部に頭を悩ませたり、各エピソードの分量や構成の問題に四苦八苦しながら、月末には原稿が出来上がりました。
前作『奇奇怪怪明解事典』が百科事典を模した造本で本文も明朝体だったため、文字起こしも書き言葉寄りにかなり調整しているのですが、今回のコンセプトは漫画雑誌であり、本文もゴシック体想定ということで、ラフな話し言葉の割合を多めに残したスタイルを採用しました(*4)。
漫画家・藤岡拓太郎さんに「解説漫画」を依頼したのも2月中旬のことでした。
依頼概要の書面をお送りする時は緊張しました。著者のお二人とのご関係や、前作『奇奇怪怪明解事典』刊行の際に推薦コメントを使用させて頂いたご縁があるとはいえ、突如会社を飛び出して出版社を始めてしまったヤタケタ人間のお願いにはさすがに面食らわれるのではないか……と心配していたのですが、藤岡さんは快諾してくださいました。
番組の初期から笑いと不気味さ、人生で出会う「謎」のザラッとした手触りを貴ぶ『奇奇怪怪』的精神の守護聖人として度々配信でもその名前と作品が挙がっていた藤岡拓太郎さんに巻末解説を描き下ろして頂けるということは、大きな励ましとなりました。
3月に入ると、デザインの布陣が固まりました。本文レイアウトは第一弾『奇奇怪怪明解事典』でも超絶技巧の装丁&組版で本を形にして下さった川名潤さん、表紙デザインはmaxillaの俊英Shimpei Umedaさん、装画は番組アートワークでおなじみのmesoismさん。以後、「路上の明朝」を大コンセプトとして、この本をどういう形にしていくかの打ち合せが始まりました。
また周啓さんには、もともと昔の雑誌/新聞広告風のイラストを何点か描いて頂くつもりだったのですが、何度かの打合せを経て、周啓さんの発案で各エピソードのタイトル作字をお願いすることになりました。それが決まったのは5月の後半、ちょうどMONO NO AWAREのワンマンツアー『泳げ!』が始まる時期と重なっており、密なスケジュールのさなかに無茶な〆切をお願いすることになってしまったのですが、このあたりの経緯は『奇奇怪怪』所収の「跋」でも詳しく触れられています。
本文用紙問題・小口三方塗り問題
制作の体制が整い、あとは書き下ろし・語り下ろしの原稿を待って具体的なデザインがいよいよ始まるというところで、大きな問題が発生しました。流通在庫の品薄のため、本文に使用する予定の紙が必要納期までに手配できないということが発覚したのです。漫画雑誌というコンセプトに則って厳選した紙だったので、これには困りました。妥協して他の用紙を使えば企画の根幹が崩れてしまうことはもちろん、代官山蔦屋書店でのポップアップ「圧と密」の会期も決まっているので刊行時期を後ろ倒して在庫の安定を待つわけにもいかず、何とかしなければならないがどうにもならないかもしれない、と真っ暗な気持ちになりました。
重苦しい気分のまま、その週末にMONO NO AWAREのツアー『泳げ!』の渋谷公演を聞きに行きました。ライブが後半に差し掛かり、「そこにあったから」の演奏が始まって、舞台上にまっすぐ立っている周啓さんを見ていたら、急に「こんなところで膝を折ってたまるか」という気がしてきました。新曲「風の向きが変わって」の一節一節にも生きるための力のようなものを注ぎこまれるようで、渋谷クラブクアトロを出る頃には何の根拠もないのにかなり元気になっていました。
そして週明けから八方手を尽くし、イレギュラーなルートながら用紙の在庫をなんとか確保でき、漫画雑誌的なザラ紙のページを実現することができました。その後「風の向きが変わって」がリリースされてから『奇奇怪怪』が完成するまで、この曲を聴かない日はなかったと思います(*5)。
用紙の件が解決して少しほっとしていたところで、新たな問題にぶつかりました。判型の制限や、表紙に使おうとしていた用紙の薄さのために、特殊仕様の小口三方塗りができる製本所が見つからないという事態でした。
そもそも漫画雑誌的な用紙と造本は一週間ほどでその本の流通が終わることを前提としているので、愛蔵版など高価な本で採用される三方塗りとは本来相容れない組み合わせで、製本所としては先例がないので請け負えるとは確言できない、ということらしく、三方塗りに対応している製本所に問い合わせを送っては門前払いにあうことが続きました。
表紙を通常の書籍に使う厚紙にして三方塗りをするか、三方塗りをやめて表紙を薄いもののままにするか二つに一つの選択を提案頂くこともあったのですが、その「本来矛盾し合うものが同居して成立している」という状態こそが実現したかったことでもあり、これも譲れるものではありませんでした。
そんな中で「スケジュールはタイトですが、実験してみましょう」と言って下さったのが、東日暮里の渡邉製本さんでした。三方塗りの発色と塗料の沁み込み具合をみるために、実際に印刷を乗せ、本番と同じ表面加工を施した表紙に本番と同じ本文用紙を使った束見本を二度にわたって制作し、これなら大丈夫だろうというものが出来上がりました(*6)。
この一件で、前例の見当たらないものにはないなりの理由がちゃんとあるということが身に沁みて分かりました。
『奇奇怪怪』完成・刊行とその後
そんな大小さまざまの困難を経て、『奇奇怪怪』は7月11日に校了日を迎えました。
その後印刷所での立ち合いを経て、私が完成した現物を手にしたのは同月27日、渡邉製本さんに立ち合いに伺った時のことでした。実際に目の当たりにした三方塗りの作業と本の仕上がり――ページを開いて目に飛び込んでくる川名さんのキマりきった本文レイアウトと、B5の大判で見る拓太郎さんの漫画の迫力!――に感動し、見本を一冊持ち帰らせてもらって、その足で千駄木の往来堂書店さんに最初の営業に行きました。
著者のお二人に本を手渡したのはその翌週、まずヨーロッパツアーから帰ってきたTaiTanさんの家に本を届けに行きました。
渡邉製本さんで初めて完成した本を受け取った時にももちろん感慨はあったのですが、「本当に出来たんだな」という実感が湧いたのは、制作中に何回打合せをやったか分からないご自宅のリビングで、10冊入りの包装紙を破り、本を手に取ってページをめくるTaiTanさんの姿を目の前に見てからでした。独立の相談をした中華料理屋の夜から今ここに至るまでの時間が地続きになっていることが信じられないような、不思議な気分でした。
「本当に自分がこの企画を形にできるのか?」と毎朝うなされていた頃のことも思い出していたのですが、本番と同じ条件の印刷を乗せた本紙の束見本を二回作ったり、一般的でない方法で用紙を手配したり、その他もろもろの会社の中にいては通りづらいことがただちにできたのも、やるべきことを自分で決められる立場だったからこそで、それを思えばやはり私がこの企画をやるべきだったのだと、そこに至ってようやく実感することができたのでした。
かくして創業一冊目『奇奇怪怪』は刊行され、各地の書店さんに並ぶこととなり、代官山蔦屋書店で開催中のポップアップ「圧と密」もありがたいことに大盛況となっています(2023年9月17日に終了)。
これも読者/『奇奇怪怪』リスナーの皆様、『奇奇怪怪』を置いて下さっている書店の皆様、そして本書に広告を寄せて下さった皆様をはじめとして、制作の過程でご尽力を頂いた方々の志と愛の賜物です。改めまして、御礼申し上げます。
その後、発売日の翌日に尿路結石で救急搬送されたり、それが治ったと思ったらamazonの不具合が発生したりと踏んだり蹴ったりの時期が続くのですが、それすらもちょっと昔に感じられるほど目まぐるしい日々を送っています。
どうぞ今後とも、『奇奇怪怪』と石原書房をよろしくお願いいたします。
以下、『奇奇怪怪』ご注文履歴のある書店さん(最新の在庫状況は各お店にお問い合わせください)、各種ネット書店のリンクをまとめております。ご参考となれば幸いです。
『奇奇怪怪』書店MAPとネット書店
『奇奇怪怪』書店MAP(随時追加)
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