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天職はPR。社会との断絶を経験したからこそ伝えたいPRの大切さ BさんのSTORY

私は、PRのお仕事をしているBです。
PRとは、”価値あるもの”を”社会につなげる”ことで、必要としている人にその価値を伝えること。

なぜ、私がPRの仕事をしているかというと、もともと価値ある商品やサービス、人が存在しても、社会から断絶されて誰にも知られなければ、その価値を存分に発揮できないと体感したからです。もともと、商品やサービス、その人にはかけがえのない価値があるのにもかかわらず。悲しいことですよね。
私は、これまでの人生で、社会と断絶される苦しみ、悲しみを2度経験してきました。そして、そのどん底の中でも「PRが小さな頃から大好き」だったことを思い出しては、いつも社会との繋がりを回復して人生を立て直してきました。

私は自分の人生を通して、「PRでによって、人生がまるっきり変わる」ということを経験してきました。だからこそ、社会との接点が苦手な人、必要な人のために、PRのお仕事を日々頑張っています!

そんな私のPRの最初の先生は祖母でした。
祖母は、「いいもの」を沢山の人の教えてあげたいという想いが強く、草木染めや陶芸を極め、先生をしながらその良さを広めていました。
そんな凝り性な祖母。ある時、なぜかカスピ海ヨーグルトの菌に注目して勉強を始め、勉強した内容を周りの人に伝えていたら、広島大学で講演するまでになっていました。それを見た私は、こんな風に人に伝えていけば、みんなを巻き込んで良いことを広げていけるんだ!というPRの基本を体感して学びました。

祖母に影響されてか、私も小さい頃から「良いものをみんなに教える」ことが大好きで自然とやってきました。

ある時おじいちゃんから花火を買ってもらった時のこと。私は、大好きな花火ができる!と嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。「これは絶対に、みんなに花火を味わって欲しい。」と思い立ち、ご近所さんみんなに、ピンポーン「みんなーーー、花火やるよ〜」ピンポーン「今日、花火やるから来てねーーーー」と言い回り、沢山のご近所さんを巻き込んで花火を楽しみました。
いいものを、沢山に知ってもらって、みんなで価値を共有できるとすごく楽しい!小さいながらに、そう思っていました。

また、高校生の頃、通っていた高校の野球部が奇跡的に甲子園予選の準決勝(決勝だったかな?)まで勝ち進みました。絶対観戦したい!しかし、先生からは、「授業があるの観戦できないよ」と言われました。
こんな奇跡的な試合、絶対みんなで応援すべきだと思った私は「授業をしている場合じゃない!」と言って署名活動を始め、校長先生らへプレゼン。校長先生と試合観戦のための条件を調整し、学校全体で試合観戦にいけるようにしました。

このように、子供の頃から、「いいものをみんなに知って欲しい。」「体験してほしい。」「広めたい。」そう思っていました。

そして、この想いは、私が専業主婦になって社会から断絶された経験をすることで、さらに強くなりした。

私は大学卒業後に就職し、妊娠を機に専業主婦になりました。その後、娘を出産。
この子をちゃんと育てないといけない、という不安と責任の怖さに押しつぶされそうになったのを覚えています。

特に、私は娘が病気なんじゃないか?など不安になることも多く、娘に危険が及ばないようになかなか外出もできませんでした。そうすると、どんどん社会から断絶されます。

孤独。寂しい。怖い。
でも、娘を危険に晒したくない。
気づけば、日々どんどん孤独になっていく。

社会に全く貢献していない私。無価値。無力。
そんな気持ちが、頭と心を支配します。

せめて、専業主婦として家を守らなければならない責任だけは果たさなければ。そう思うほどに、頭の中は家族のことでいっぱいになり、どんどん視野が狭くなる。こうして、意識が社会から離れ、完全に自分を社会から断絶していました。

本当は楽しく働きたいのに、そんな選択肢を持てなかったあの頃。本当に苦しかったです。

でも、「もう限界だ!どうにか打破したい!」と思う時が来ました。
すがる思いでネットを検索。たまたま2駅先にある子連れママが集まるカフェを見つけました。行ってみたい。でも、外に出る勇気が出ない。

ただ、その日は天気が良かった。
「今日は天気もいいし、ちょっと行ってみるか」
本当は怖かったけど、天気が良かったおかげで勇気を振り絞ることがき、カフェに行きました。

そこで出会ったのは、友達ではない先輩ママ。
少し距離があるからこそ話せる子育ての悩み。
先輩ママたちは、私の悩みに対して「そんなこともあるよね」と、さらっと肯定してくれた。
すごく気分が軽くなりました。

そこから、私は、そのカフェにハマり、毎週のように通います。
それどころか、小さい頃からのPR好きもあって、勝手に知人に「このカフェいいよ〜」って言い回る私。カフェに来るのが初めてのお客さんに遭遇したら、「おいでおいで〜〜」と積極的に話しかけていました。
私と同じように、社会から離れて孤独を感じてる人かもしれない。そう思ったら、繋がって欲しくて、勝手にカフェをPRしていました。

そうしているうちに、気づけばスカウトされて、そのカフェで働くようになっていました。夫に内緒で保育園を探し、毎月のパート代はまるまる保育園代に消えていく。それでも仕事が楽しくて仕方ありませんでした。
なぜなら、私は両親からの影響もあって、働くことが大好きだから!当時、広島の田舎では珍しかった共働きの両親。自分の大好きな仕事を自由に楽しむ母。自分の理想に向けてどんな困難も乗り越える父。そんな両親を見て活発に育ったからか、私は社会と関わって誰かの役に立つことが大好きです。だからこそ、本当に楽しい日々でした。

でも、そんな順風満帆だった私に、次の試練がやってきます。
夫の仕事で東京で3年間暮らすことになりました。
生まれてからずっと広島で暮らしてきた私にとって、東京は知り合いが全くいない場所。
大好きな仕事も手放さざるを得ず、また、孤独に戻ってしまいました。

苦しかったのは、東京で出会ってママ友とは、そんなに仲良くできなかったこと。小さいことのように聞こえるかも知れないけど、自分の方言やイントネーションが気になって、心を開いて話せなかったのです。
そんな中でも仲良くなれたママ友が一人いました。しかし、その人はしばらくして職場復帰しました。
その時、私はまた絶望を味わいました。

また、私、一人取り残されるんだ。
奈落の底に落ちた気分になりました。

人生2度目の社会との断絶。
カフェで働いた時に感じていた通り、私には本当は価値があるはず。でも、社会との関わりがなくなることだけで、また無力感、無価値感に打ちひしがれてしまう。

そんなの、もう嫌だ。

私はどこかで知っていました。カフェに訪れた日のように一歩勇気を踏み出せば、またチャンスを掴めることを。

そこでまたネットを調べると、ワーキングママのインフルエンサーさんを発見。どうしても会ってみたいと思い、勇気を出して会いに行きました。そこで、人生が変わり始めます。

その方の紹介で、今勤めているPR会社の社長の出版講演会に参加することになりました。そして、私はその講演会で、なんと社長に「会社に入れてください!」と直談判をしました。

ただ、私は1年後には広島に帰ることが決まっていたので、社長からは短期の社員を採用できないと断られました。でも挫けたくない。粘って粘って自己PRし続け、採用していただくことができました。

こうして、私は大好きなPRの仕事に関わることができました。

自分でも、なんで直談判なんて大胆な行動が取れたのか不思議です。当時はただただ夢中でした。でもそれは、どうしてもPRの仕事に興味があったからだと思います。
小さい頃からPRすることが大好きだった私。東京に来て、広島の良さを実感し、もっと広島をPRしたい。だから、PRの仕事をしっかり学びたい。その想いが原動力になりました。

そうしてPR会社で働けるようになって感じたのは、PRって知れば知るほど面白くて、「もっとやりたい。もっと広げたい!」という強い想い。日々、ワクワクが溢れてきます。

しかし、PRが必要なお客様にかぎって「私の商品なんかが世に広まるはずはない」「私なんかが、、、」と、社会と断絶されていた頃の私のように、無価値感、無力感を感じてらっしゃいます。
でも、違うんです。
私がそうだったように、勇気を出してPRし、ひとたび社会と繋がれば価値を再確認してキラキラ輝き出します。
自信がないのは、社会にしっかりPRして繋がってないからです。

だからこそ、皆さんにPRが大切な理由を伝えていきたいです!PRって、ただ商品を売るためだけにするものではないんですよ♪PRすることで、自分が自信を持てるようになり、自分や商品、サービスの価値を必要な人に届けることができるのです。

そして、私は、社会に認識されていないけど本当は価値がある人やもの、サービスに、価値を発揮する機会を作れるPRという仕事を愛しています。だからこそ、私はこれからも、この信念を元に、より良いPRサービスを提供していきます!

written by MIYUKI

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