見出し画像

暮らしの復権

案ずる神様  

高低の違いはあるものの、三方を山々で囲まれ、面積の違いはあるものの、山の麓には茶畑や田畑、林、集落 の散在する美しい農の営みを持った村、町は全国に未だ多く存在します。東アジアの風土が作った美しい村町、 ここが失おうとしているものがあります。かつては美しい村町だった、となろうとしています。とても残念に 思えます。 固有の文化の消滅=存在の消滅=尊厳の否定のように思えるからです。神も心配しているでしょう。 ロードサイドのチェーン店、工場直送の組立キット型住宅群、ヘッドクォーターの無い工場等、いわば村町型 の大きな開発(「小さな開発、大きな開発」参照)が都市計画の壁を越えてやってきています。(これらの施設で 働く人々や住む人々には非は無く、供給サイドの問題です。)かつての農の風景の変化に?を持っているのは僕 だけでしょうか?

 一方、それらの土地には所有者がいます。所有者には各々事情があります。だから仕方の無い事で留まる事は、 むやみに反対、非難するよりは民主的ですが、関係する人全員に、一度立ち帰ってみましょうと言いたくなる 気持ち、分かりません? 田、農は個人のものであると同時に社会が共有すべく財産、社会的資本だと看破した コモンズの考えに立ち帰ってみましょう、(「共と私 宇沢弘文」参照)と言いたくなりそうです。  

そこで、立ち帰るべき主体は、開発行為に関わる土地所有者や事業の主体者となる企業の双方と関係する交りの 立場にある行政のようです。行政の思考停止的?非を問うであろう生産性の低い(解決能力の低い)ありがちな 意識高い系的論点ではなく、行政の政策事業に関わる主体者としての知、とりわけ小さな開発(「小さな開発、 大きな開発」参照)を論点とすべきのようです。実効性が高いように思われるからです。  

小さな開発には工業化以前(明治期、戦前期)に立ち帰る思想が必要となります。工業化とは、言うまでもなく 大量生産消費のための産業経済システムと、それを支える単純化と分業化の思想です。農が村の中で、消費まで のプロセスに関わり、循環する多様な営みを持つ人々や、人々が集まる町をかつて生んでいた事を指し、柳田 国男が、農の振興は村単位で行う村町づくりにあると看破しています。(「柳田国男」「都市と農村」参照) 単純化と分業化とは、全く異なる逆ともなるアプローチです。しかし今日示している美しい村町の状況を案ずる ことと捉えるならば、柳田の思想なり、小さな開発のアプローチを選択する意味が見えてきましょう。   

美しい村町

例えば、未だ多く存在している農の営みを持つ美しい村町。その村町が、生産者の人々の農産品に、料理、食を生業とする人々が村町の人として新たに加わるようになる。そこから出来た物を流通する人々も新たに加わる、更にはそれらをPRしたりデザインする人々も加わる、そしてこの村町の「循環」する人々の営みから生まれるモノ(農作物、商品店、料理の品々等)が評判になる、すると、それらは村町の生産者の人々の励みとなり、新たなトライが始まる。「単純化」の元、田の管理上し易い米作りだけではなく、多様な作付けにトライする気持ちが起きる。その動きは、料理、流通、PR,デザイン等をする人々の新たなトライへと伝播する。村町の人として新たに加わった人々は地域と暮らしと仕事が一つの世界として「循環」する様に、自らの生業の姿を見、自らの「暮らしの復権」を自覚していく。彼らとの交流にある生産者の人々と同様に。こうした物語が村町に生まれ、共感した人々が新たに都市からも入ってくる、暮らし方と仕事の双方があるからです。地域の人々も自らの古里観、街観に美を見るようとなる、と思えませんか?こんな絵が描けませんか?美しい村町の新たな美しさは、社会システムにあるようです。グリーンをクリエイティブすることにありようです。

グリーンクリエイティブ

一方、この社会システムは、これ迄のシステムとは異なります。多様なシステムを受け入れることを、村町に求めます。その例は新たな人々(これまでの村町から見れば、余り見かけない人々)を村町が受け入れることとも同意です。これは腐心する所でもあります。私達が、定住を選択し常民(定住稲作民)となったことで、支配被支配の社会的ヒエラルキーを生み、文化(思想)の2文脈を持つこととなります。このヒエラルキーは人=自己=エゴ、ケガレな存在を強化することともなりました。他を排除する、共同体の負として語られた、それです。(都市から見る立場によるもの)しかし、定住以前、移動遊動の暮らしを選択した山人はヒエラルキーを避け、フラットで平等な共同体社会を所有の観念を持たない事で成立させました。そこには排除はありませんでした。これも、脳の発達が今日の我々と全く同じ構造を持つに至った人々の行ったことです。この山人達を常民達同様に理解する所から始めませんか? と思います。
美しい村町は、山人への祈り、氏神への祈り、多様な神への祈りによって成り立っている事を自覚する知にあるようです。美しい村町は、私達の暮らしの復権へのきっかけなのです。こんな村町を作ってみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?