祈り
ヤマ・・・?
春に山から神が降りてきて、私達は豊作を祈る。秋に豊作を感謝し、 私達は神に祈る。
私達の暮らしの中での、春や秋のお祭り等から、これらの行為は過去から 引き継がれた特別な事ではないようです。
ヤマから先祖、神様が帰ってくる、ヤマに先祖、神様が帰っていく。
祖父母から聞いたことはありませんか?
このヤマとは山? 森? どこでしょうか?
「先祖に祈る」と「神に祈る」は関係があるのでしょうか?
神社・・・?
近くに山の無い平野部のとある街での、老人との会話の中で、ヤマの話が 出てきました。
その会話から、どうもヤマとは、家の近くにある神社(大木が鬱蒼と映えている山のような様を持つ神社)を指しているようです。 そこには、我家のご先祖様が近くから私達を見守ってくれている。
盆になると神となって我家に帰ってきて好物のイモ(里芋)を食べ、 また帰っていく。といった筋の話でした。
照葉樹林
中国の南部から西日本、東海地方辺りのエリアは、照葉樹林(常緑樹・ツバキ。モチ・樫・椎等の高中木とマンリョウ、カクレミノ等の中低木の樹林)帯の風土と文化を持つと言われています。
また神社の美しさや神社らしさの所以は、照葉樹の森にあり、それを保林 すべしとは、南方熊楠が柳田国男との書簡、神社合祀、神仏習合、廃仏希釈に触れ、言っていることでもあります。
ごく日常
照葉樹林の風土に生きる私達は、神社をヤマとし、先祖を神的なものとすることで、ごく身近にある、身近な親しい存在として、神も先祖も神社も樹木も認識していたのではないでしょうか。
身近故、先祖に祈る、神に祈る、自然に祈ることは、神も、人も、自然も 等価でワンセットであるとする
私達の宇宙・世界観や文化基調を形作っていったのではないでしょうか。
何か、解いてみたい、大きくて深いものに当たった気がします。