見出し画像

雑草退治による苦手克服法の傾向と対策

2週間以上、ほったらかした花壇

この中に芝桜とマリーゴールドが埋まっている

風邪も治ったので(まだ咳は出るが…)道路沿いだけでも綺麗にしないと…姉と二人でがんばった!

救出成功!

芝桜、がんばって咲いていた
マリーゴールドも大きくなっていた
みんなこの猛暑の中、がんばっていたのねぇ
そう考えると雑草だってがんばっているんだけどねw
何を優先するかで物事の優劣が決まる
花を綺麗に見せるためには雑草が憎き相手となる
不思議なもので草むしりはずっと母がやってくれていた
雑草など私の人生では存在すらしていなかった
母亡き後、数年は草が凄かった…と思う(あまり記憶にない)
「草むしりしないと、と思うんですけどねぇ…」
と、お客さんに言うと
「今は草が見えないでしょ?でも不思議なものでそのうち草が見えてくるわよ。そうなると草むしりをしなきゃいられなくなるからそれまで待ちなさい」
と言われた
いやいや、草は見えてるんだけど…
と、思っていたが、今ならわかる
本当に草が見えてくるのだ
言葉を変えると
「草を意識する」ようになる、と言うことか…
意識すると、雑草が気になってくる
気になると綺麗にしたくなる
雑草を受け入れたくなくなるのだ
雑草にも長所はあるだろうがそんな所は見えなくなり短所だけが見えてしまう
だから憎き雑草!の、図式が出来上がる

そのうち、身体が衰えて草むしりも大変になってくると、雑草だって見方によっては綺麗ではないか…とか思ったりするのであろう(笑)

この考えは何かに応用できるのではないか…
そう、人間関係における苦手な人克服に応用できそうだ
苦手と思う人がいたとして…きっと必要以上に意識してしまっているのだ
苦手な人との付き合い方として大正解なのは距離を置くこと!だが、それが出来ない関係上の人だとしたら、この「雑草の見方」は、参考になるのではないか
「他人に不当な重要性を与えない」
社会学者加藤諦三さんの言葉である
分かりやすく言えば「自分の人生に必要以上に存在させない、意識しない」と言うことか…
などとどーでもいいようなことを思いながら今日も黙々と草むしりをする
今日はグラジオラスとネギ救出作戦だ!
がんばれ、自分!

と鼓舞したのに…雨である…霧雨だが雨である…
人生とはこんなものである(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?