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嫌われるという愛し方

自分の子に誰よりもに嫌われるという状況を
誰が望むだろう?

けれど子どもの側の立場としては
結構よくやっている。
なんでうちの親はああなんだ?と、
誰しも一度は思うだろう。

そして同時にそんな孝行心のない自分に
すっかりうんざりする。

世界で最も分かり合えない関係性が
親子であり、夫婦であろう。

けれど、ある友人が言った。
母は、自分の子に誰よりも嫌われるという役目を
勇気を持って買って出てくれた、
おかげで私は精神的に、経済的に
自立することができた、
だから今は感謝しかないのだ、と。

今あなたが嫌っている人、苦手に思っている人が
どんな役割を持ってそこに立っているのだろう?
あなたがその人を嫌がり回避することで
何を得ているのだろう?

その人がいなければ変わらなかったことが
その人との、ある意味残念な関わりが背中を押して、
実現したのかもしれない。

その人がもっと思いやりがある人ならば、
その人がもっと目配りができる人ならば、 
その人がもっと聞く事ができる人ならば、
こんなにエネルギーを奪われなかったのに。

その人がもっと思いやりがある人ならば、
その人がもっと目配りができる人ならば、 
その人がもっと聞く事ができる人ならば、
私は今のように自分を信じ、行動し、
自ら結果を生み出せるようには
なれなかったかもしれない。

前者がダメで、後者がすごいと
言いたいわけではない。

渦中にいる時は前者しか、
思い浮かばないだろう。
けれど、後で振り返った時に
後者と思えたら、その先何かが変わるだろう。

嫌う側でも、嫌われる側でも
何かの約束がそこにあるのだ。
それに気づける感性を持っていたい。

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