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映画「夢に生きる」来年春公開

私の初の長編映画監督・脚本作「夢に生きる」の完成の目途がやっと見えてきました。
来年春公開に向けて、着々と準備を進めています。
かれこれ脚本を書き始めてから、4年もかかってしまいました…
この映画は、夢に生きるすべての人に捧げる映画です。

映画「夢に生きる」への想いを、今回は書いてみようと思います。

4年かかっていることの証拠に、
4年前のnoteの記事を貼っておきます。(笑)

当時のタイトルは「夢とアキラとシンジ」制作を進めていきながら、「夢に生きる」に変わったんだな。
この記事が4年前の1月だから、来年春公開したらもう5年か、(笑)_| ̄|○
有名な監督でもないのに、なぜこんなに時間をかけてしまったのか・・・
お金もない、時間もない、色んなことがあった、
この5年間の怨念が詰まっている。(笑)
「映画をつくりたい」という夢と、
「お前には無理だよ、やめておけ」と押し寄せてくる現実。
その葛藤の中でこの映画をつくってきた。
いや、その葛藤そのものが、この映画になっている。
それが「夢に生きる」なんだ。
この映画は、夢ってサイコー!みんなで夢を目指そー!的なキラキラ青春映画ではなく。
夢を目指す人間が抱えるリアルな葛藤、現実、苦しみ、もがき、を生生しく描いた映画だと思っている。
だから、この脚本を見た人の中には、苦しくて見れないと言っている人もいた。
夢を目指す人の苦しみや現実を描いているから、それにぶち当たっている人からしたら、自分の見たくないところを見せられているようで、辛いのかもしれない。
だから、この映画には、夢を叶える人は誰一人出ないし、誰も夢を叶えずに映画が終わる。
夢を叶えることが素晴らしい、夢を追うことが正しいなんてことは一切言っていない。
夢を目指す人、夢を諦めた人、夢を諦めそうな人、夢を忘れた人、夢に妥協する人、夢と上手く付き合う人、夢を通じた色んな人生、それを描きたかった。
だから、「夢に生きる」なんだ。
僕は「夢に生きる」人間そのものが好きなんだ。
夢を叶えることが美しいのではなくて、夢を叶えるために、葛藤したり、悩んだり、苦しんだり、もがいたり、その姿こそが人間臭くて、美しい。それを描きたかった。
YouTubeとか、SNSとかで、いくら稼いだとか、何万人フォロワーがいてすごいとか、
それで金持ちになって、夢が叶ったとか、
それに憧れる子供たち、
なんか薄っぺらいし、全然美しくない。
スマホ画面に映った目立つ情報に踊らされて、
それが世の中のすべてみたいに、
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、
作品も缶ジュースのように飲んだら次、飲んだら次、
大量に消費されて、流されて、どんどんどんどん忘れ去られていく。
タイパ、コスパ、効率よく、短く、インパクト、パッと出してパッと消える。
その繰り返し、
それで人生終わっていく。
それでいいのだろうか。

僕は孤独で、辛くて、自分に何も価値がないと思った時に、
映画を見て救われた。
映画の中に自分がいた、自分は1人じゃないんだ。
自分みたいな人間がいてもいいんだ。
その時に、生きてて良かったと思えた。
世界が無限に広がる感覚になった。
僕もそんな作品を作りたいと思った。
その作品が、どんだけ儲かったとか、どんだけ有名かとか、そんなのどうでもいい、
その作品と、自分との間に生まれた感動が、
生きる実感であり、生きる証になった。

だから僕は、生きる証を作るために、
この作品を作りました。
夢に生きる自分の人生の証を残すために。
夢に生きるすべての人にこの映画を見て欲しい。
そこに感動が生まれれば、
新たな証がそこに生まれると思うから。

映画のラストに全ての想いが込められています。
このシーンを脚本で読んで、号泣してくれた人もいました。
ラスト、シンジの叫びが、私の叫びです。
エンドロールの後、アキラの行動が、私の証です。
ここまで読んでいただいた方は、ぜひお楽しみに。




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