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スケープゴート -00-

―プロローグ―


「おつかれさまです。お先に失礼します」

と元気良くハキハキと喋る女性がいる。

 荒木夕海は二十三歳。コンビニでバイトをして、早三年になる。有る程度仕事も覚えて、上司や先輩から可愛がられつつ、日々の業務もソツなくこなせている。何も問題のない、ただ普通の女性。
 そんな彼女にも人には言えない悩みがある。それは、家族仲の悪さ。元々、夕海は荒木家の人間ではない。母・幸枝の連れ子として兄と一緒に荒木家に養子として入った身だ。だからこそ、息苦しさ、肩身の狭さは当然あった。それだけならまだしも、どうやら夕海は母親から大が付くほど嫌われているようなのだ。多分それは実父の外見に夕海が似ているからなのであろうと推測される。
 義理の父親、荒木耕二。彼は農家の長男坊でありつつ、農業を嫌い二十代前半から三十代中盤まで、会社員をしたり、無職であったりしていた放蕩息子ではあるものの、義理とは言え、父としての役割はきっちりとこなしてくれていた。実母には嫌われている夕海も、何故だか分からないが、義理の父・耕二に好かれてはいたらしい。
 世間一般でいうと、両親揃っているので、完全たる機能不全家庭ではないのであろうが、荒木家に入ってから、兄も夕海も気苦労は耐えなかった。そして、兄はそのストレスからか、万引きや同じクラスの女子生徒を殴ったりと、問題は沢山あり、それでも母親は兄・修司を溺愛していた。兄の外見は母と瓜二つだったので、母が可愛がるのも納得がいく。
 なんだかんだで、そんな中で育った夕海も、明朗・快活な成人女性へと育ってはいた。だから、何も問題などないであろうと思われていたが、実のところはヘヴィな問題が待ち構えているのだ。それはというと、家庭内暴力である。
 家庭内暴力と聞くと、夫が妻に暴力を振るう。こう考えるのが自然だろう。だがしかし、荒木家では、両親と兄に拠る、夕海への家庭内暴力が横行していた。身体的にボロボロな状況ではあるが、折角雇って貰ったバイトに穴を空ける訳にいかない!という思いで三年間頑張ってきた。
 しかし、最近その暴力も激化してきていて、どうしようも無くなってきているのが実情だ。家に帰れば寝る間も与えられず、母・義父・兄の三交代で夕海を殴りにやってくる。時には言葉の暴力であったりはするのだが大抵は即物的な暴力に訴えてくる。兄は母に言われたからと、夕海を殴る。男性と女性の力の差。抗うだけ無駄だ。だから夕海はなすがままになる。しかし、顔だけはキッチリガードする。コンビニバイトは顔に傷があっては勤まらないから。
 そうして、やり過ごしていれば、朝がやってくる。バイトへ行き、バイトが終われば、日付が変わるか変わらないかの時間で帰宅し、自室に篭る。運が良い時は、何もなく朝を迎えられる。家では食事など一切与えてもらえない。しかし、運が良い事に、食事はバイト先のロス弁当で事足りていた。お風呂は、深夜に残り湯に入って、なんとか衛生的にしている。コンビニのバイトと言えど、客商売のサービス業なので、身なりにもそれなりに気を使っている。
 夕海は別に悲嘆してもいなかった。人生や家族に絶望しては居なかった。これが、夕海にとっての日常。普通なのだから、何も気にならなかった。お金を貯めて、車を買って、独り暮らしできる資金が欲しくて頑張っていた。それでも、今まで貯めた貯金を家賃だの、光熱費だのと言い、家族が法外な額を奪い取っていたので、夕海の自立への道は厳しかった。

―不意打ち―


 その日も、理不尽な理由で殴られていた。でも夕海は抵抗はしなかった。黙っていればやり過ごせる。何かを言ったって聞き入れてはもらえないし、理解してもらえない。それなら何も言わずに暴力を行使する相手の目をじぃっと見つめる。一挙手一投足に目を見張る。そうすることで、顔や、急所への攻撃を避けるためだ。毎日この繰り返し。
 夕海にとっては、どうってことない。然しながら、両親にとってはそうではないみたいであった。

 或る日の深夜。電気を消し、ベッドで横になっている夕海は階段を上がってくる足音を聞いて、ビクッと身構えた。彼らには時間は関係ない。気に入らないことがあれば、とりあえずいちゃもんをつけに夕海の部屋にまで追いかけてくる。何事かと震え上がる。いつもならこの時間。両親・兄共に寝ているはずなのだ。異常事態だと、夕海は感じた。
トントントンと階段を上ってくる音が近づいてくる。多分来る。そう思った夕海は布団から起き上がって、座位をとり、首から下は布団で隠していた。


ガチャリ


 部屋の扉が開かれた。階段の明かりで来た人物を視認する。母だ。だが、様子がおかしい。バケツに柄杓を持っている。夕海としても訳が分からなかった。母は、部屋の入り口に立ち、夕海の部屋の電気をつけることもなく、仁王立ちでそこに居た。母からは夕海がどう見えていたか知らないが、母はおもむろに、バケツに入っている液体を柄杓で掬い、夕海に向って放ってくる。
 !?一瞬何が起こったかわからない。何故あの状況で柄杓で液体を夕海に放ったのかすら、わからない。何かを掛けられたのだ。布団をかぶっていたので、何が自分に放ってこられたのか理解できない。しかし、数秒すると、布団をつたって夕海の皮膚に触れる。熱い。多分、これは熱湯だと思った。揚げ油よりはマシか…などと考えていた夕海だが、母がしつこく柄杓で熱湯を夕海に対して放ってくる。布団もびしょ濡れになるし、布団も熱湯で熱く入っていられなくなるから、仕方なくベッドから降り、母と対峙する。正直夕海は、顔以外なら何処にでも掛けられようが構わなかった。一通り、柄杓で熱湯を放ったため満足したのか母は、踵を返し、階段の方へと向き直る。
 これで終りなのだと、ホッと胸を撫で下ろす夕海。そしてベッドに目をやる。掛布団はびしょびしょだが、敷布団までには被害はそう及んでいないので、使っていない予備の掛ぶとんを出せば、眠れるなと考えて居た。その瞬間。


ジャバー!!


!?

熱さと驚きで、何が起こったか把握できない。おかしい、母は去った筈。ドアを閉める音も聞こえた。いきなりの仕打ちにとうとう夕海もキレてしまった。母の手から柄杓を引ったくりなげ、バケツを奪い取り、母にも同じように頭から熱湯をぶっ掛けていた。母は突拍子もなく奇声を上げた。
「お父さんーーー!!!」
助けを呼ぶ母。深夜なので、中々駆けつけてこない。しかし、夕海の部屋の隣には兄がいる。兄が母親の奇声に対して何事かと飛び起きて出てくる。
「おまえ、ママに何したんだ?」
と聞く兄に
「何って、熱湯ぶっ掛けて来たから、同じことしてやっただけ…」
ぶっきらぼうに答えるも、兄は聞き終えると同時に、階下へ降りて行き、母のためにアイスノンとバスタオルを持ってくる。ついでに、義父を起こして連れてくるのも忘れない。
「お前は何をやっとるんだああああああ!!」
怒声を上げる義父に対し、冷静に答える。
「何って、私がされた側なんですけど。先にやってきたのはこの人でしょう。私が責められるいわれはないです。後ろからいきなり熱湯を掛けてきたんだから。私は寝ていたのに、この時間にわざわざバケツと柄杓持ってこんなことするこの人の方がおかしいでしょう?」
 普段なら、なすがままの娘が反抗的な言葉を言ったことに言葉を失った義父は、夕海に対して罵詈雑言を浴びせる母を宥めつつ、事の次第を把握したようだ。流石に、やりすぎていたのは母だと認識できたのか、
「とりあえず時間も時間だ。後日話合おう。さ、母さんも下に降りて身体を冷やしなさい。火傷などしてないかい?」
「まぁーたおまえは余計なことして、事を荒立てて、こっちはいい迷惑なんだよ!!」
と兄。
 閉口する。この家族(私を除く)の者たちはマトモではない。だって、どうやっても私に正当性があるとしても認めようとしない。いつも悪いのは”夕海”となってしまうからだ。それにしても、今夜の母の奇行は今までにないほど異常だった。幸い、夕海には火傷とまでは行かないが、軽症ですんだ。今までの暴力の中で一番ヌルイものではあったけど、今回はあまりにびっくりして、抵抗してしまった。面倒くさいことになるのはごめんなので、夕海は次からはこのような事にならないようにしようと、自省した。

 翌日、朝が来て、バイトへ出勤する。朝八時から夕方五時までの九時間拘束の八時間勤務。今日は、客の入りは少ない。夕海は品出しや、発注の必要な商品のチェックをしつつ、レジの中でクーポン折りをしていた。おだやかな午後だった。
 カランカランと店の入り口の開く音。自然と夕海は
「いらっしゃいませ、こんにちはー」
条件反射で夕海は応える。お客様の顔なんていちいち確認しない。入り口の鐘が鳴れば、自然と出る言葉。当たり前のこと。
 入って来たお客様の様子がおかしいとすぐに感じる夕海。なぜかレジの中に居る夕海に対して注がれる視線。しかしながら、そのお客様は夕海には見覚えのない男性だ。なので、無視して、業務に戻る。きっと、用事があるとしたら、道に迷ったから道を教えてくれとかそう言う類のもだと思っていた。夕海は気にせずバックヤードに戻り、品出しを再開するために、メモを持ってカゴに商品を入れる。それを持って店内に戻った時に、同僚の畑中さんに呼ばれる。
「荒木さーん、お客様が荒木さんに御用があるみたいです」
 夕海はハテ?と思いつつも閉まり掛けたバックヤードのドアの内側にカゴを置き、レジ前に行く。そこには先ほど夕海を凝視していたお客がいた。なんだろう?と思い、問いかける。


「お客様、私に何か?」
「荒木夕海さんですね。ご両親から相談頂いている三ツ木病院、医師の藤崎と申します。ここではプライバシーに関わりますので、少し外で話せませんか?」
同僚の畑中さんに視線を送ると、行って来て良いよと目くばせしてくれたので、不承不承ながらも、医師と名乗る男の後について店外に出る。
「ここまでくれば、話は出来ますね」
「私には何の話だか、さっぱりです」
「あのですね、ご両親とお兄様からお話は伺いました」
「はあ?どのようなことでしょうか?」
「あなたが深夜にお母様に熱湯を掛けたりするという危険行為があるということですので、精神科の方にご家族で相談に来られたのです。見た感じ、異常はないみたいなのですが、取り急ぎ、精神状態の検査などさせていただきたいのですが…」
「あの、それって、事実が歪曲されて伝わっているようですけど、母に熱湯を掛けたのは事実ですが、先ずは母の方から私に熱湯を掛けてきたんです。それも後ろから。流石に吃驚して、私もキレましたけど、それがそんなに問題ですかね?」
ははあ、と唸る男。本当に医師なのかも胡散臭い男との会話なんてすぐにでも終わらせたかったのだが、男は食い下がる。
「一応、他傷・他害の疑いがあるんですよ。そうなりますと、精神科への強制入院となりますが…よろしいですか?」
と、言われる。
「はぁ!?他傷・他害なら、私じゃなくて、私以外の家族の方じゃないですか!!私は入院する必要性も感じませんし、するつもりもありません!!」
「わかりました。お仕事が終わられるのは午後五時ですよね。もう一度、ご家族もご一緒に話合いをさせて頂きます。とりあえずは失礼します」
といい、足早に去って行く。

 その後、夕海の業務はほぼ滞りなく終り、帰路に着く。それにしても、昼間の男性の訪問はなんだったのか。話し合いなどと言っていたが、まさか自分が入院するだなんて思ってなかった。というより、そんな余地すらないと思えていたし、まず不可能だと思っていた。
 いつも通り、日付変更ギリギリまで暇を潰し、家に帰る。なんだ、昼間の男は居ないじゃないか。と、ほっとする。しかし、あの男は夕海の家庭の事情を知っていた。という事は、医師じゃないとしても、家族とは何か親しい間柄にあると思われる。だが、そんなことはどうでも良かった。自室に戻り、お風呂の残り湯に入り、身支度を整え、明日の出勤へと備える。その日は珍しく何も起こらなかった。

 翌日、朝七時に目を覚ました夕海は、ボーっとしつつも、出勤する為にメイクをしつつ、コーヒーを飲んでいた。このコーヒーは職場で買った缶コーヒーだ。便利なことに夕海の部屋には備え付けの小さな冷蔵庫があるのでそこにしまえば、冷たいコーヒーが飲める。準備が終り、家の外に出る。
そこには、昨日の医師と名乗る男性と屈強な男性二名と夕海の家族が居た。
「娘さんは、緊急入院が必要です。妄想が激しいので、統合失調症を疑っています」
「ああ、やっぱりそうだったんですか。娘はどこかおかしいとずっと感じていたので、そうじゃないのかと…」
と母が嬉しげに答える。義父と兄はだんまりだ。え?どういうこと?と夕海が思ったとしても、どうにもなりゃしない。そうだ、母の奇行はこのための布石で、義父も兄も嘘の証言をして、私を精神科の病院へ追いやる為にこうやってこの場に居るのだ。
「夕海さん、昨日はどうも。ご家族から聞く限り、あなたは精神的に少し休養が必要なので、うちの病院に入院して頂きます。もちろん、強制はしませんが、どうしても嫌がるようなら、強制入院という形を取らせて頂きます。どうされますか?」
 そんな事いきなり聞かれても、答えなんて出せない。どちらにしても入院はさせられるのだから…咄嗟に夕海がとった行動は、自分のバッグを片手に玄関から外へ全速力で走って逃げる。勿論、医師と名乗る男性・屈強な男性二人・家族に追われて、結局は捕まってしまい、五点拘束をされ、ワゴン車に放り込まれた。

 そのまま夕海は車に載せられ運ばれた。病院までの道すがら、喚いたり、暴れたりするが、完全に無視される。なんていう悪夢。なんで私が精神科へ入院しなければならないのだ…なんという事だろう…悪夢に他ならない出来事だ。

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イシダ チアキ
エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。