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real

-逃避・遁走-

 高梨琴美は、現在23歳、数えで24歳になるごくそこらへんに居る女性。
彼女の23年間は、結構それなりに艱難辛苦で彩られている
だが、それはこの世の中にはよくあるというその程度。人によっては違うかもしれないが。

 彼女は現在、職にも就かず、連日を仮想世界に費やしている。
彼女は非情に怠惰で、堕落した精神、加えて排他的な生活を送ることによって生きている。

 そうして、思春期の少年少女にありがちな自己中心的な思想の持ち主でもある。世界のすべてを善しとせず、自分が世界に馴染めないのは世界の所為にしている。

 そして日夜、夢想に励んでいる。ある日、自分だけしか居ない世界・突然与えられた特別な力。幻想的な事象に自身が遭遇する事を心から望んでいる.選民思考であり、平凡をも望む。

 良くあるヒロイン願望。

 社会的少数派と呼ぶ事が適切かどうか判断に困るが、確かに彼女のマイノリティ振りは徹底されている。
 
  一時期は、人生に絶望を感じた自殺志願者になって自傷行為に耽ってみたり、そしてある時は、禁断の愛を貫こうとするレズビアンにも化けたりもする。売春、ヴァーチャル恋愛、アルコール中毒、薬物中毒などと節操なしだ。

 人生を斜にみているのだ。所詮、死ぬまでの暇つぶし。

 そんな彼女にも理想に向かって日々努力していた。そんな時期もあったのだ。健全に、善良に、そういう人間であろうと、社会に馴染もうと…









-怠惰- 









【人はとても曖昧で流動的、そしてとても脆弱なものなの】


 琴美は常々そう感じている。 

 カタカタカタと、キーボードのタイピング音が響く。今日も今日とてオンライン作業に没頭する琴美。 

「ぎゃははは、すげえバカ!こいつばっかじゃん!」 

 目下、チャットに興じている。相手は30代前半の男性。とあるボイスチャット機能を備えたメッセンジャーソフト。そのソフトを使い、Contact Me!という状態にしていると、他の利用者が検索機能を使い、コンタクトしてくるというもの。

 プロフィールを女性にしていると、お誘いメッセージは引く手数多。ネカマが氾濫して、性別など判別できないインターネット上で公開している性別なんて確かなものではない。 

 それでも、世の男性たちは日夜ネット上に出会いを求め徘徊しターゲットを定める。
8割くらいの男性は性的会話が目的であるからして、件の琴美のチャット相手もそのようだ。



 そして、彼女はそれをからかって遊んでいる。まぁ、彼女の性根が腐っているのもあるが、根底にある男性嫌悪がその原因だろう。



「っと、経験人数は何人?…んー適当に100人以上っと…ぶひゃひゃひゃ!」 

 醜悪である。からかっているというか、明らかに相手の男性にも解る嘘を平気で吐く。
ピコーン!と新しいチャットウインドウが開いた。 

「あははははははは、なんだよこの粗末なモノは!!仮性じゃないかよ!」

 

 キーボードに唾を飛ばし腹を抱えながら笑う琴美。新しく表示されたチャットウインドウ、そこには男性の局部写真が送信された。 

「やばっ、マジ腹筋どうにかなりそう…」 

 笑いを堪え、腹部を押さえつけこみ上げて来る笑いをなんとか抑えようとしている。 

「いんきんたむしのキンタマは~、馬に轢かれて千切れちゃえ~」 

 なんとも下品な即興の歌を歌いながら、局部写真を見せ付けているコンタクトを速やかに拒否登録。そして、経験人数を聞いてきた男性はというと。 

 ---hiroyukipon23の発言---
 へぇー結構多いんだね!すごいね! 

 などと、心にもないことを言ってくる。
本当、女性の気を引くためとはいえ、あまりにも芸のないお言葉。

琴美はつまらなくなったらしく、早々に切り上げることにしたようだ。



  ---cotton368の発言---
 あれれ~?お星様がみえるぅ☆

---hiroyukipon23の発言---
 ん?なになにどうした? 

---cotton368の発言---
 ピンクの象さんがぁ~ 

---hiroyukipon23の発言---
 なになに?どうしたの~?壊れちった?ww

 

---cotton368の発言---
 でました!蛇使いに尻を噛まれて毒で死亡します 

---hiroyukipon23の発言--- 
 大変!僕が毒を吸い出してあげる!さあおいで! 

 片腹痛い事この上ない、そして空しいやりとり。そっとパソコンの電源を落とし、闇夜に身を委ねる。

何も帰って来ない。









-理由- 









  琴美の男性嫌悪

  それは幼少期から続く、両親や周りからの

  ”女の子なのだから”

 などという一方的な価値観の押し付けもある。しかし、決定的だったのは、少年野球に属していた時のエピソードが原因だと思う。

その話の前に簡単に、琴美のことについて話そう。

 琴美には4歳年上で5つ学年の離れている兄がいる。その兄は所謂劣等性だった。それも極端に。

 兄の所為で、教師や同級生、ひいては上級生からいわれのない迫害を受けていた。

 小学生の頃は、登校時に石をなげられたり。時には教師からの口撃であったりした。だから琴美は、強くならざるを得なかった。琴美をいじめる人間を黙らせる方法は簡単だ。

勉強と運動の両立。文武両道。なにをやっても、トップクラスになること。

 そうすれば、周りの見る目が変わってくる。誰にも文句を言わせない。もし何か言って来ようものなら正論と理詰めでがんじがらめにする。だから皆、琴美には一目置くようになった。


 極端な優等生で、友人も多く、クラスのリーダーにまでなった琴美。
そんな彼女でも越えられないものがあった。

 それは”女の子だから”だ。

 琴美は小学校4年生の頃に少年野球に入団した。なまじっか、男子より上手くそつなくこなすのだが、いかんせん試合には出られない。この事については琴美以上に琴美の父親が激昂していた。なぜ琴美は上手いのに試合に出られないのか?

それは”女の子だから”

 そう監督から聞かされた。


要は、”男の子じゃないから”


 そこから琴美の人生は、”男の子じゃないから”という理由でさまざまなことが彩られ男性嫌悪とまでは行かないが、男性蔑視になる。

 何故、私より出来ない男子の方が選ばれるのか…その思いは成人するまでずっと変わらなかった。

 今まで、自分より出来ない男が多かったこともあり、余計に見下してしまう。使えない男に隷属・従属なんて出来ない。そういった理由が多分にあるのであろう。

 だからといって、その所為で琴美が女性に走ったとは努々勘違いしないで頂たい。これはまた、別の話。


 そう、彼女は優等生だった。優等生だったからこそ、沢山の理不尽に囲まれ、磨耗し歪んでしまった。物事をまっすぐ見られなくなった。ひいては自分自身さえもおかしくなってしまう。自己肯定の出来ない人間に成ってしまったのだ。


 病んでいるといえばそれでおしまいだろうが、彼女の問題は根が深い。

そして、彼女自身に変わる気がないから手がつけられないのである。

-今は昔-


 琴美は生来真面目で努力家であった。それは彼女が育った環境の所為であろう。

 琴美の母は再婚で現在の父は義理の父親である。そこから彼女の人生は大きく変わっていったのだと思う。

 ”連れ子”と蔑まれ、高梨家では肩身が狭かった。幸いなことに、義父が母以上に誰よりも琴美を可愛がってくれた。

 琴美もばかではない。どうすれば大人が、義父がよろこぶか理解できた。そうして、自分を装うことを続けた。大人の求める子供を演じ続けた。


 そんな琴美は、中学生の頃から息が詰まるような感覚に苛まれた。空気が足りない。息が上手くはけない。すえない。心身共にそう感じられた。実際に事実としては、このまま順風満帆な未来が約束されつつあった。でも、琴美の心はいつも夕闇だ。

 理由など分からない。否、分かっていても目を向けるつもりはない。答えは惨めな自分を露呈させてしまうだけだからだ。

 そう、高梨琴美は、装う事に疲れてきたのだ。思春期にありがちな反抗期もなく、両親の前では”良い子”を装う。勉強にしたって、スポーツにしたって純粋に楽しかった訳ではない。知らないことを識る事と、出来ないことにチャレンジして、出来るようにりたい。そういう願望だけは、他の同世代の子供より長けていたけれども。

 彼女は普遍的な思春期を代償に、大切なものを築けなかったし手放すしかなかった。それでも彼女は尚、純粋であろうとした。友人に裏切られようとも、実母から暴力を受けようとも。

 愛されたくて堪らなかった。見捨てられる事がたまらなく怖かった。だから彼女は演じる。装い続けてきたのである。

 琴美は、成績も優秀。文武両道なのは徹底されていた。そのおかげで、高校進学に関しても推薦枠で簡単に進学校への進学が決まっていた。しかしながら、義父の

「高校から寮生活などというのは認められない。家から出てはいけない」

 という手前勝手な理由で、家から通える、私立の学校に通うことになった。琴美は進学校に行きたかった。家から出たかった。だから、凄く不満が残った。どれだけ懇願しても取り付くしまがなかったのだから…


 周りはバカばかり。話も合わない。つまらない。こんなバカ学校。高校入学して1週間もすれば、大体全体のレベルが分かってくる。ばかばかしい。何のために私は此処に要るのか分からない。

 琴美は常に成績だけは学年トップだったが、友人と呼べる者はいなかった。纏わりついてくるのは、”学年トップの高梨さん”に取り入りたい奴らばかり。つまらない、もはやただのルーチンワークの毎日に飽きて呆れ果てていた。

 こんな生活から逃げ出したくて堪らなかった琴美は息苦しさからアメリカ留学をしてみたものの失敗、そのまま高校を中退ししてから紆余曲折あり、現在に至る。

-邂逅-


 ネットなんてものは、幻想。リアルとは相容れないモノ。そう感じていた。モニタの先には感情のある人間が存在はするものの、相手のことなんてどうでも良かった。だって、一度だって会ったこともなく、会うこともない相手を慮る行為自体無駄だと思った。

 琴美自身いつも現実では損な役回りばかりさせられてきた。人のことを思い行動し、いつも壁にぶつかる。何度それを繰り返して、ボロボロになったことか。そうしていつからか琴美は頑張るのをやめた。他人のことを慮ることもしない。引き換えに自分自身に関しても頓着しなくなった。

 今から4年前。琴美が20の時にある女性と出会い、恋に落ちた。相手の女性は年上の女性。精神疾患であり、自殺志願者である。そんな彼女とのひと時は琴美にとってとても大切な時間だった。実際に会ったり、家に泊まったりしたこともある。始まりは良かったのだ。彼女の支えとなり得て、自分の支えにもなってくれていたから。


しかし、ある日突然連絡が途絶えた。大量服薬したというメールを残して。

 それからの琴美は自分を責め苛んだ。音信不通。どのくらい経ったのか。時間感覚も麻痺してしまっていた。何をしていても彼女の事が頭を過ぎる。居ても立ってもいられなくなってしまった。確実に現実を蝕んでいた。ヴァーチャルとリアルが曖昧になりつつあった。その事に、戸惑いを感じ、どうしようもなく不安感に包まれる琴美。所詮、ヴァーチャル。されど、ヴァーチャル。晴天の霹靂だったのである。

 そんな中でも、ネットは便利なもので、琴美は次なる依存相手を見つけることに精をだした。誰でも良い、自分の言うことを黙って聞いて肯定してくれる、そんな都合の良い存在。相手には失礼ではあるが、琴美は大真面目だった。そして見つけた。都合の良い存在。

 それが、阿幽だった。は27歳のバツイチ。もちろん名前はHNだ。HNの由来は自分は幽霊のような存在だからだそうだ。自殺系サイトで知り合ったのだが、阿幽は精神疾患もなく(本人曰く)、積極的な自殺志願者でもない。ただ、アルコールとネットに依存していた。どうやら阿幽も都合の良い話の出来る人間を探していたのだようだ。


  利害の一致


 お互い、それ以上でも以下でもない存在。


-cage-


「あたしは籠の中の鳥なの。両親のお人形。だから、誰も好きにならないの」

 常々阿幽はそう言っていた。それに関して琴美も、大いに同意していた。それは、自分自身を阿幽の中に見出したから。
 凄く似ている…そう思っていた。誰にも愛されない・愛さないという共通点。だからこそ、琴美は阿幽と話すのが楽しかった。分かり合えるから。


「こっちゃんは好き。可愛いもん」

 阿幽はそう言う。”こっちゃん”とは琴美の愛称。琴美は基本的にHNを使わない。ファーストネームでネットをしている。使うとしても、誰もが読みづらい記号だったり、無記名にする主義。本名だろうがHNだろうが、皆どうでも良いというのもある。要は琴美はどうでも良かったのだ。HNなんてものを考えるのも億劫だからこその本名。

「またまたぁ、誰も好きにならないなら、私のことも好きじゃないでしょう?」

 琴美は、冷静に返す。分かっている。好きの意味など。だからこそそう返す。

「こっちゃんの事は、特別なの!」


 美しいソプラノボイスの阿幽。琴美にとってそれは好ましかった。ただの年上のお姉さん。話も合うし、価値観も似ている。


「そういう事言うから、男性が勘違いするんですよ。ほら、この間だって」

 と琴美が言うと、

「だから、男性は苦手なのよ。声とか聞くとすぐに”好きだ”とか”付き合ってくれ”とかいうんだもの。面倒くさい」

 ああ、と琴美は同調する。確かにそうだ、大抵の男性はネット上では特に、女性・20代・可愛い声というだけで、相手の顔も名前も素性も知らないのに、直ぐに付き合ってくれ。好きだと連呼する。琴美にも多々経験があるの。琴美の場合、声は可愛くはないのだが…それでも言い寄られる事の鬱陶しさはよくわかる。

「あっ、そうだ、ねぇねぇこっちゃん。歌をうたってよー!こっちゃんの声あたし大好きだから聴きたい!」

「えー、歌…ですか。どんな歌うたえばいいかわからないし、恥ずかしいですよ」

「じゃあ、今度CDを送るから、その中の曲を歌ってくれない?」

「別に良いですけど、そんなに上手くないですよ?」

「良いのいいの!あたしが聞きたいだけだから」


 などと毎日を過ごす。時には真面目に死生観について語ったり。おばかな会話をしたり。毎日、毎晩、数時間話していた。誕生日にプレゼントと称して、手作りのホールケーキを貰ったりもした。その他にも、20歳だった琴美はお酒の飲み方を阿幽から教えられたりもした。

 Give&Takeでネットと現実を交え交流を続けていたのだ。その段階で阿幽の本名は教えられた。ただ、住所の詳細は教えてもらえず、琴美が送る際はいつも郵便局止めで荷物は送っていた。

 だからこそ、とても心地良いひと時であった。阿幽となら長く細く、楽しい時間が紡いでいけると思ったいた。丁度良い距離感を保てていると自負していた。満足していた。

 だがしかし、そんなある日、琴美は阿幽に男性を紹介された。


「こっちゃんは私と違って可愛いから、良いヒトが必要でしょう?」


 胸にちくりと刺さるなにか。琴美は別に阿幽以外の人間なんて要らなかった。だからこそ、すこし複雑だった。

-envy-


 阿幽に紹介されたのは、30代の男性。HNは矢吹。阿幽とは仲が良く、女性を探しているありがちな出会いを求めている男性。琴美とっては疎ましい存在とすら感じられる存在。

 琴美は阿幽さえ居ればそれで良かった。だが、阿幽に求められたら琴美は何故か断れない。不承不承ながらも、阿幽の提案に従った。

「こっちゃんはさー、人生ナメてんねー。おれそう言うのなんとくわかんだわー。」

 矢吹の一言一言が癪に障る。どうしようもなくイラだってしまう。それは、図星だから…ということもあるだろうが、許容できない。


「うっさい、出会い厨のジジイが偉そうに説教かますな。ボケ。」


 と琴美は返す。大人な対応が出来ないお子様。


「まぁまぁ、こっちゃん、そんなに怒らないの!お姉さんメッってしちゃうよ?」


 ぐっ…となる琴美。


「失礼なこといってごめんなさい、矢吹さん。」


 これが精一杯。


「こっちゃんもさ、これを機に男性と仲良くなるのもいいんじゃない?。歳はちょっと離れてるけどさ!」


 と阿幽は言う。もう何度目だろうか。胸にちくりと刺さる。それはジンジンと痛み続けている。琴美はその感情から目を背けていた。

 気づいてはいけなかった。気づいたら、今までの楽しい凪のような阿幽との日々が失われるから。だから、気づいちゃいけない。

 そう言い聞かせて、琴美は心にブレーキを掛けていた。それは今までだってそうだ。だのに、矢吹という男性の出現で揺らぐ自分が居る。

 その事実こそが琴美とって疎ましいことだったのだ。


「矢吹ちゃん矢吹ちゃん、なんなら、こっちゃんに若い子紹介してあげてよー!!」


 阿幽と矢吹は、完全に琴美を置いてけぼり状態で会話を続ける。気が遠くなる。


「おお、そうだねー。こっちゃんは20歳だもんな、おれはちょっとおじさんだから…おっ、丁度良い奴が居るよ!!」


「えっ、マジでー!!ねぇねぇ、こっちゃん、紹介してもらいなよー。絶対その方が良いよ!!」


 調子に乗った矢吹と阿幽に対してもう我慢の限界だった!!もう、無理だと思った。今までクロゼットにしてたけど、かくしていたこともどうでも良くなった。


「私は、男性じゃなくて、女性が好きなんです!!所謂レズなんです。だから男は要りません!!」


 叫ぶように二人にぶつけてしまった。はっ、してももう遅い。バレてしまったのだ。もう後戻りは出来ない。

-友達-


 阿幽はバツイチ。もともと結婚も両親が勝手に決めたものだった。旦那のことも愛してなかった。セックスも苦痛でしかなかった。だから別れてよかった。しかし、阿幽は昔から支配的な親に全てを決められ、導かれていた。

 離婚は唯一の反抗。

 それがまずかった。離婚以来、阿幽は以前よりも厳しい監視の下で生活を続けることになる。週数日のパートと必要最低限しか外出の許されない毎日。何度か逃げ出そうと試みた。しかしながら、兄が警察官なのもあり、国家権力によりすぐに見つけだされ強制送還の繰り返し。その所為で、阿幽も諦めた。

 そうしてからずっと、阿幽はインターネットとお酒で毎日を誤魔化し誤魔化し生きていた。深い仲になることは避けていた。好きだの嫌いだの、面倒だから。みんなどうでも良かった。相手のことなんて考え始めるとキリがないし、振り回されるのはごめんだ。自己責任だと思っている。


 琴美に出会った時、なんとなく阿幽は自分と同じにおいを感じた。初めて、ネットで他人に興味をもった。無意識の内にいつの間にか惹かれていった。


 ある程度やり取りをし、仲が深まって来たとき、阿幽はまずいなと思った。このままでは、琴美が自分に依存して行くのも目に見えてたし、阿幽にはそれが拒めないと思ったからだ。そして、阿幽は少なからず、琴美のことを好まじく思うようになっていた。どういう類のものかは考えてはいけない。目を背けた。


「あたしは誰も好きにならない」


 そう誓ってから、誰かの特別になる・誰かが特別になるのは避けて来た。友達くらいが丁度良い。友達なら悲しい別れもない。だから友達でいよう。


 それでも阿幽は琴美に惹かれてしまっていた。どこかでブレーキをかける事が必要だった。


 「こっちゃんの事は、特別なの!」

 そう口に出した時に阿幽は、まずいなと思った。これでは、好きになっているではないか。この場合好きの意味なんて関係なかった。とりあえず、他人に好意を持つのはタブーなのだ。

 焦った阿幽は即座に解決策を見出だすことにした。阿幽と琴美の間に第三者をいれる。そして、そこには理由がちゃんと介在する事。琴美に男性を紹介するという名目。そう言い聞かせて、阿幽は行動に移したのだ。

苦肉の策

-混迷・困惑-



「私は、男性じゃなくて、女性が好きなんです!!所謂レズなんです。だから男は要りません!!」

 言ってしまった。これまでネットでは隠し通していたのに、つい口をついて出てしまった言葉。なぜあんな事を言ってしまったのだろう。阿幽が男性を紹介してきたことに憤っていたから?

 ううん、ちがう。私は、嫉妬なんてしてないし、独占欲なんて感じちゃいない。だとしても、私は、阿幽に対してそういう感情を向けてはいけないし、抱いてもいけない。だって、そんなことしたら、友達でいられなくなる。きっと、気持ち悪がられる。

*
*
*

「阿幽さん、この間はすみませんでした。あの時言った事は嘘なんですよ。矢吹さんがしつこくてつい…」

と乾いた笑い混じりに、琴美は言った。

「んーん、いいのいいの、あたしも余計な事したかなって思ってたから。あたしこそごめんね」

 良かった、上手く誤魔化せた。と琴美はホッと胸を撫で下ろす。知られたらいけない。絶対に。阿幽との良好な関係を継続することが琴美の望みだからだ。いつもより、少しぎこちなかったが、その日の会話は何事もなく終わった。通話終了ボタンを押した琴美は、安堵を覚えつつも胸の奥にうずまく感情があることに気づいた。

 でも、目を向けちゃいけない。まっすぐ見てはいけない。それはとても醜悪なものだから。自分の感情に嫌悪感を抱くだなんて、まっとうな人間のようだ。

 琴美は歪んだ社会不適合者なのだから、まっとうな感情なんて持ち合わせていない。あってはならない。そうでなければ、何の為に今まで時間を費やしたのか。

 世界を拒絶し、世界から否定され続けて来た自分が、世界、そのごく一部分でも許容なんてしてはいけない。

 暗澹たる思いでベッドに入る。手を天井に向けてあげて、手を握ってみる。確認作業だ。ほうら、何もつかめない。何も見えない。何も得られない。

 そう自分に言い聞かせながら眠りにつく。

明日から再び、元通りの毎日が続きますように…
願って目を瞑った。

*
*
*

 しかし現実はそう甘くもなく、あれからというもの阿幽の琴美への態度が以前と微妙に違う。会話もかみ合わず、不穏な空気が漂っていた。阿幽がどうやら距離を置き始めたようだ。琴美はそんなことにすら気づかず、いつも通りやれていると思っていたようだが、事態は確実に変化していた。阿幽と話す時は、矢吹や、その他の阿幽や琴美の友人という第三者を挟んでという形が増えていった。
 
 それを催促するのは、阿幽。

「みんなで話すと楽しいから、こっちゃんもおいでよ」

 あっけらかんと、

 琴美に対して投げかけられる言葉。琴美にはそれは好ましくなかった。阿幽以外の何者も要らない。そう強く思うようになりつつあったから。

 だからといって、阿幽と話せないくらいなら、みんなと一緒に話したほうが良いと思い、自分を装う。”楽しさ”を阿幽が求めてるのなら、場を楽しませることに集中した。阿幽とまともに話せやしないのに、それでも、琴美は阿幽の為に自分を装った。どのくらいの間だったろう、そんな日々が続く。

 もう限界が近づいていた。

*
*
*

 阿幽は戸惑っていた。琴美の突然のカミングアウト。後々嘘八百だとフォローはされたものの、どうも信じられない。琴美はレズビアンなのか?という疑問で渦巻いていた。

 不思議なことに阿幽にとって琴美がレズビアンであったとしても変わらない。今までと同じままで良い。本当のことが知りたかっただけなのだ。

 そこで阿幽は少し琴美と距離を置いてみることにした。レズビアンだろうがなんであろうと、あの子は私に対して依存しすぎていると最近とみに感じていたから。別に男性をあてがおうなんて考えてない。ただ純粋にあの子の偏狭さが少しでも良くなるように…と願いつつ、阿幽は行動に移した。

 琴美は概ね皆と仲良くやれている。最近阿幽と話すより皆を交えて話すほうが自然だ。とても良い傾向だと思った。

 ”籠の中の鳥”

 琴美と阿幽の共通項であり、ある意味ではソウルメイト。生まれた場所、年齢は違えど、似た尺度で物事を測り、見ることのできる数少ない人間。そんな琴美に肩入れしてしまうのは阿幽としても無意識だったのだろう。

 阿幽にとって琴美は特別だ。琴美が言ったように琴美がレズビアンだとしても関係ない。でも、恋愛対象にはなりえない。特別な人ほど大切だから、そんなもので縛れない。だから友達。

 これが阿幽のスタンス


 毎日が上手く行っているようで、阿幽はとてもうれしかった。お酒の量も減ったし、趣味の製菓など、現実での生活にもハリが出てきた。このままで居られればきっと、どんなに良いだろうと思いながら日々をすごす。


 そんなある日、恐れていた最悪の事態が訪れる。

-恋情と迷走-


 琴美は次第に阿幽への思いを募らせて行く。そしてそれを恋情だと認識していた。阿幽とだけ話したい。他の誰もが皆、邪魔者だ。二人の間に入ってくる異物なんて要らない。そう考えるようになっていった。

 だが、それは独占欲。恋や愛などではない。そういえば、阿幽は琴美の事をファーストネームで読んでくれている。私だって、阿幽の本当の名前を呼びたい。住所も知りたい。いつも局留めなんて嫌だ。

 阿幽との共通の友人のとある男性はパソコンの組み立て依頼を受けて、本名と住所を知っているのに、私が知らないなんて耐えられない。本人に聞かないと!!

「阿幽さん、いつも阿幽さんだけ私の本名で呼んでてずるいですよ〜。私も本名で呼んでもいいですか?」

 と、いつになく琴美が阿幽に詰め寄る。阿幽は戸惑った風に答える。

「えー、こっちゃんとは今までどおりのやり取りで何も問題ないでしょー?」

 コロコロと笑いながらかわす阿幽。まんじりともしない状態に琴美はついに行動を起こす。

「うぇっ…うっ…阿幽さんは私の名前を呼んでるのずるいよう、ずるい。遠回しな拒絶をされてるみたいで悲しいですっ…ぐすっ…」

 そう泣き落とし。

 ここまで言われると、さすがの阿幽も誤魔化し切れない。元々本名で呼ばれる必要性がなかっただけなのだが、ネット上ではHNがあるし。しかし、押しに負けて2人きりの時にという条件で本名呼びを許可した。

 阿幽のファーストネームはあきら。男性名なので、あまり好きじゃないけど、正真正銘の本名である。

 
 琴美に本名呼びを許可からというものの、”あきらさん”と呼ばれるようになる。阿幽としては、距離が急に縮まった感じがして少し落ち着かない。これ以上は踏み込ませてはならない。そう感じながら、琴美とのやり取りをしていく。

 琴美も琴美で、皆と話すのも頑張るから、二人きりで話せる時間が欲しいなどと、阿幽の携帯メールのアドレス・携帯番号などなどを、聞き出す始末。

 だめなんだよなぁ、この子にお願いされると断れない自分がいる、と感じる阿幽。ありえないけど、交際を申し込まれてもほだされてお付き合いしてしまいそうな勢いだ。それはよろしくない。お互いに。

 少なからず、好意があるからこそ、中途半端ではいられない。だから、この子とは本当にグレーゾーンでやっていかなければ、どちらかが、否、双方が傷ついてしまう。それだけは避けたい。


 その日は、珍しく琴美がお酒を飲んでいて、酔っていた。阿幽は、毎日ほろ酔い状態、平常営業で通話しているのだが、普段なら琴美はいつも素面。それでも話題が豊富でコロコロと変わる様が非情にかわいらしい。阿幽はそんな琴美を純粋に好いていた。だから、お酒の飲み方を教えたり、いろいろアドバイスもしたりした。

 今までの阿幽からは考えられないほどの特別待遇。出来上がって来た琴美も結構大胆になってきている。

「あきらさん、わたしがこの間言った言葉覚えてます?」

 と先ほどまで下ネタ連発していた琴美が言う。

「この間っていつ?毎日話してるからどの事かわからないわよ~」

 と突然の言葉に慌てて笑い交じりに阿幽が答える。なんとかとぼけて誤魔化そうとする。

「え、わかんないですか…?まぁ私も誤魔化したから、そんなに記憶に残ってないのかもしれないですけど…」

「まぁそうねぇ、毎日話してるし、冗談だったり真面目な話を沢山してきてるからね」

 沈黙、突然琴美は黙りこくった。ついつられて阿幽も黙ってしまう。一体何のことなんだろう?思い出せない。何かそんな重要な話をしたかしら?などと考えつつ、もしそうなら忘れていて申し訳ないと思う阿幽。沈黙に耐え切れずに、他の話題を振ろうとした。

「そういえば、矢吹ちゃんがさ〜…」
「話を逸らさないで!!」

 間髪入れずに、そして強めに言う琴美。声は今までになく低かった。琴美がこんな感情的になるだなんて、予想だにしなかったし、まさかこんな声を出すなんて思っても見なかったから。

「ご、ごめんね?こっちゃんが黙っちゃうから居たたまれなくなっちゃって…。でも、言いにくい事なんじゃないの?」

 と、阿幽が言うと、また黙る琴美。

「この間の事と言われても、こっちゃんとは毎日いつも色んな話してるから、どのことか見当がつかないよ?でもごめんね。分からなくて…」


 またまた沈黙。ここまで来ると、さすがの阿幽も琴美が心配になってくる。元々繊細で感受性豊かな子だから、ちょっとの事で傷ついてしまう。

 今、この状況は琴美にとっては良くないのではないか、などと考えてしまっていた。沈黙してるという事は、言い出そうと努力してるんだ。きっとそうに違いない。そう思う。見守りの姿勢に出た。

「良いよ、こっちゃん話せるまで付き合うから、ゆっくりで良いから、ちゃんと教えてくれる?」

 小さな声ではいと聞こえる。


 何分経過しただろう、阿幽も流石にちょっと面倒くさくなりかけていた。今までこんなことがなかった琴美だから、楽しくやっていけたのに、なぜこんな事になってしまうのか。

 阿幽には全く判らなかった。しかし、ここまで引っ張られると、矢張り気になる。何の話なのだろう。興味本位もある。そんな中、琴美が再び口を開いた。

「私はあきらさんが、好きです。その…女性として、恋愛対象としての好きって事です」

 突然の告白、正直阿幽は吃驚していた。

 暫く二人の間に沈黙が続いた。

「やっぱりそうだったんだ…」

 ぽつりとつぶやく阿幽。レズビアンなのは事実だったのだ。阿幽の勘は当たっていた。続けて阿幽は琴美に問う。


「なんで今まで隠してたの?どうして本当の事言ってくれなかったの?言ってくれてたらあんなことしなかった。」

 全部、阿幽にとっては本音である。

 琴美は、予想外の方向からの返事を阿幽から受けて、黙る。彼女の問いに答えることが出来ないから。最初から意図的だったからだ。女性を選んだのもそう。男性相手だと、男性にアプローチされるのが面倒だという理由もあった。しかし、心の奥底から女性を求めているだなんて、相手に告白できない。だからこそ、琴美は隠し続けていた。

 苦い過去の思い出。初めて女の子に恋をした時。あの時と同じだ。詰問され、自分の意見を言わせて貰えない。言いたくても、黙るしかなくなる。だって自分の本当の気持ちなんて言ったとしても受け入れて貰えないもの。それなら黙って、去るしかないじゃないか。

 琴美は、やっとの思いで言葉を紡ぐ。

「あきらさんにとって私が気持ち悪いのはよく分かります。でもこうなると分かってたからこそ隠してたんです。」

 ふむ、と阿幽はあいづちを打つ。その実、阿幽にとってそのような事はどうでも良かった。ただ隠し事をされていた事が気にいらなかった。だからといって、阿幽は琴美の気持ちに応えられようはずもない。セクシュアリティ云々ではなく…「誰も好きにならない。」という自らの戒律だけはやぶれない。

 だからといって、阿幽にとって琴美がレズビアンだからという理由で関係性を切るなどという選択肢もなかった。とりあえず、以前のようにお互い気楽に話していたいのだ。

「こっちゃん、ごめんね。こっちゃんの気持ちには応えられない。知ってるよね?私が誰も好きにならないのは。こっちゃんのことは嫌いじゃないし、他の人よりかは特別だけど、私の思いはこっちゃんの好きとは違うから。別にこっちゃんがレズビアンだからといって、気持ち悪いとも思わないし、どっちかっていうと今まで隠し事をされてたっていうのが凄いショックなのよ。」

 続けざまに阿幽が言う。

「それに、出会った時、最初にこっちゃんには私言ったよね。”誰も好きにならない”って。それに対してこっちゃんも同じだって、自分もそうだって言ってたでしょ?なんでこっちゃんは私の事なんか好きになっちゃったの?私はそこが凄く不思議。」


「そっ、それは…嘘じゃないです。本当です。私も誰かを好きになるなんて思ってもなかったんです!」


 と琴美は必死に答える。

「はっきり言うね、私は今までもだけどこれからもこっちゃんの事をこっちゃんの求めている”好き”にはならない。言葉遊びや弾みでそういう言葉を言ったことは認める。でも、こっちゃんもそれは理解できてたよね?」

「あっ、はい、それはもう。その場のノリだとちゃんとわかってました…」


 阿幽は畳み掛ける。

「だからわかんないんだよね~?なんで?どうして?好きになられても、疑問だらけで気持ち悪い。レズビアンが気持ち悪いとかじゃなくて、なんでそんな余地もなかったのに好きになれるのかなって思うの。どうして?」


 矢継早に琴美に疑問をぶつける阿幽。反論の余地も与えさせない。それに対して、なにも言えない琴美。ずっと黙って聞いてる。阿幽も言い切ったのか黙る。数分が経っていたが、琴美にとってもは数十分にも感じられた。沈黙をやぶったのはやはり阿幽である。


「ん、わかった。こっちゃんの気持ちはわかった。でも、私は今までのままが良いな、それじゃダメ?」

 と、琴美に選択の余地を与える。ここで切るか、今まで通りに続けるか…二択である。

「そ、そうですね。今まで通りで、楽しく話せれば私も、はい…」

 なんとも歯切れが悪いが、琴美も必死で声を絞り出す。当たり前だ、琴美は阿幽のことが好きなのだから。自分から切るなんて出来ない。

 それで通話は終了した。琴美自身が気まずいのもあり、早々に急用が出来たからと通話を切り上げたからだ。そして、阿幽は、ホッと胸を撫で下ろした。

 いつになく饒舌に、しかもあそこまで琴美に対して迫った自分に自分自身が驚いていた。何故私はあんなにムキになったのだろう。その答えはみつからないまま。

 それからというもの、琴美からの連絡がなくなった。どのくらいだったろうか、1週間、いや2週間は越えていたであろう。その間、阿幽は他の友人と毎夜お酒と会話を楽しんでいたのだが、琴美からは一切音沙汰がない。流石の阿幽も、言い過ぎたかもしれないと思い始めた。携帯にメールしてみる。返事はない。電話を掛けてみる。出ない。一体琴美の身の上に何が起こっているのだろう?

 そういえば阿幽は琴美の事についてあまり多くを知らない。琴美はただ楽しく、当たり障りのない世間話や笑い話しかしていなかった。琴美の不調には自分以外の何かが原因なのかもしれない。でも、それも定かではない。阿幽の中でモヤモヤした感情が渦巻いていた。

 そんなある日琴美から1通のメールが届く。添付ファイルもあるみたいだ。なんだろうと思いそれを見た阿幽は衝撃に包まれる。









-底なし沼-









 琴美の日常は、義父・実母・異父兄からの暴力が主だ。だからこそ、琴美はネットに拠り所を求めた。しかしながら、両親や兄から監視されながらの生活。携帯電話は持ってはいるものの、自分名義ではない。そして、毎日携帯のあらゆる履歴をチェックされている。普段はロックを掛けて見れないようにしているが、暴力によりロック解除を余儀なくされる事も多々ある。

 特に母の監視は常軌を逸している。発端は、小学生時代の親友との問題。当時琴美は、ある日の登校時に下駄箱に1通の手紙を発見した。内容としては、いたずら的なもので、日時指定で学校の体育館裏に来いとの事であった。よくあるいたずら。琴美は面白そうなので体育館裏へ行ったが、誰も来なかった。ただ、季節の所為もあり大風邪をひいてしまい両親に叱られた上、仔細を話した。

 すると両親は激昂し、子供同士のいたずらを学校に報告して犯人を特定した。その犯人が件の親友。冬休みに入り、琴美と親友は学校に呼び出され職員室で話し合いをして仲直りをしろと教師に言われる。仲直りしろと言われても、お互いいたずらなのはわかっていたし、悪意があった訳でないのは琴美にも理解できた。ただ、琴美の両親が学校を巻き込んで大事にしてしまった所為で琴美と親友の仲はギクシャクし始めた。

 両親からは一切口をきいてはいけない。絶対に関わりを持つな!と命令された。中学進学時、琴美はバスケットボール部に入部。親友は美術部に入部。クラスも違う。接点がないので親の言いつけ通り、話をする事も関わることもしばらくなかった。しかしながら、突然親友は美術部からバスケットボール部に移籍してきた。そうなると琴美は両親にその事実をひた隠しにする事に奔走した。

 親友とは元々、バスケットボールが好き。という共通点があり、なによりウマが合った。元々、親友だった二人はバスケットボール部では普通に関わりあった。それでも、親友とは多少なりとも喧嘩があった。それでも、琴美たちは、お互いの両親にバレない様に交流をし続けた。

 そんな中、何が原因かは思い出せないが些細なことでその親友と口喧嘩をした。それにより、部活内で親友による悪意あるいじわるが始まった。それ自体は別に構わなかったが、琴美は試合で故障した足が原因で部活動に参加しなくなっていた。顧問の教師に何故参加しないのか?と訊かれ、琴美は正直に答えた。

「練習も出来ない上、自分より下手糞なやつらの練習を見る事によってバスケが上手くなるんですか?練習が出来ないなら、無駄な時間を費やすよりその時間を有効に使いたいです」

 この一言から、バスケ部全体から嫌われた。顧問にも親友にも。もう何もかも面倒臭い。そして足が治ってから練習に参加すると誰も琴美にパスをくれなくなった。琴美だって今思えば、自分はなんて高慢な態度をとったかは理解できるがその頃の琴美にとっては事実を言って何が悪い!と思っていたのでタチが悪かった。

 どうせ、琴美だけが上手くても周りが下手だと試合にも勝てないしなんだかんだ顧問は琴美が試合に出られる状態になったら重用する。その所為で、試合中に再度足を故障した。そして、顧問は一度捻挫したにも関わらず継続して琴美を試合に出した。そのせいで、整形外科で受けた診断は靱帯断裂。第二次成長期でこれから身長も伸びる可能性があるので外科的手術は避けたい。第二次成長が終わってからオペをしてそれからまたバスケットボールをしなさいと言われた。

 結局、琴美はバスケットボール部を休部するしかなかった。14の夏であった。休部するしない。顧問との軋轢もあり両親はバスケットボール部なんて辞めてしまえ!と言う。休部届を出してはいたが、結局は卒業までバスケットボール部には顔を出す事がなかった。ただ、卒業アルバムの部活紹介の写真を撮る為に無理やり呼び出された。その上、バスケットボール部でゴタゴタがあったことにより、私が親友と再度交流を持っていた事に対して両親は激昂していたのもあり、引き離すためにバスケットボールを諦めさせたと聞かされたのは高校受験の時の話になる。そしてたまたま推薦で進学が決まっていたのだが、奇しくもどうやら親友もその学校に進学するという理由でダメだと言われた。地元の公立高校も、異父兄を知る教師たちのいびりが中学でもあったのでダメだと言われた。

 そんな事もあり、琴美は両親に拠って完全管理された。友人も両親が気に入った者でないと付き合ってはいけない。常に支配されていた。

 そうしてようやく親元を離れて一人暮らしをしていた4年前に自殺志願者の精神疾患の女性と付き合った。その時の彼女はバイセクシュアルで、彼女に呼ばれ彼女の家に泊まりに言った際にセクシャリティの事などで言い争いになり、なにを思ったかその彼女がいきなり琴美の両親へ電話をした。時間は深夜2時を回っていた。強制カムアウト。(アウティング)

 それが原因で、琴美が同性愛者であると両親に露見してしまう。当然両親は、娘の性癖について否定的で母に至っては暴力と罵詈雑言が酷く、病気だと決め付ける。

 その頃琴美は学校の課題で不眠気味でもあった。ひっそりとメンタルクリニックに通ってもいた。ただ、悪いことに精神疾患の彼女に感化されたのか引きずられたのか、彼女のようにODと大量のアルコール摂取をするようになった。眠れないから眠る為と自分に言い聞かせて睡眠を確保していた。

 学校に行く前にウイスキーをワンショット飲み干して通っていた。それが益々エスカレートしていって常に酔っ払い状態に。そんな年のGW。琴美は実家に帰っていた。両親から見れば言動もおかしく、かなり奇異な状態だったのだろう。その事について両親とは言い争いをした。病気である事を望む両親への当てつけのように、リストカットのみならず、アームカットを繰り返し、腕から血を流しながらカラカラと笑う娘の状態を見て義父が居た堪れなくなったのだ。

 両親は琴美を精神科の閉鎖病棟へ入院させる。
 
 
 入院した病院では、所謂多剤大量投薬により小学生レベルの能力までに引き下げられ、毎食後10錠以上の薬を服薬していた。


 その時の主治医は、琴美を統合失調症+性倒錯症と診断し、退院するには矯正(主に性倒錯症に関して)の必要があると判断していた。最初は琴美は徹底的に主治医に対して抵抗していた。何故なら、自分のセクシュアリティを否定される謂れは無いし耐えられない。自分自身が悩み、苦しんで、それでも変えられなかったからだ。だが、次第に琴美はどうでも良くなった。


 閉鎖病棟での閉塞感や不自由に不満が積もり積もっていた頃に知るの退院の条件。性倒錯症の完治が確認出来たら退院は認められると医師が言った。至極明確な条件なので程なく難なく琴美は退院する事が出来た。

「女性が好きなんて自分で気持ち悪いし、どうかしてたと思います。これから社会復帰に向って頑張ります」

 その一言で退院は決まった。薬漬けの中でよくここまで判断力が残っていたと、後になってから考えてみると琴美自身が当時の自分の事を凄いとも思う。結局は、精神科の薬じゃあ琴美の病気(そもそも統合失調症でもないし、性倒錯症はまあ時代的に仕方ないが)の根源は解決されないことを無意識に悟っていたのだろう。とにかくやっと閉鎖病棟から抜け出した。


 退院して、両親から聞かされたことなのだが、付き合っていた女性は、琴美の両親の要請で琴美へ面会へ来るように依頼したみたいだ。だが、相手の返事はNO。まぁ、そういうものなのである。あんなに好きだ嫌いだなんて言いあっていたとしても、所詮は他人。女同士。それに彼女はバイセクシュアル。琴美の他に男性を何名かキープしているのも知っていた。だから、納得した。

 
*
*
*

 阿幽への告白以降、琴美は両親や異父兄からの監視がいつにも増してきつくなっていた。理由としては、阿幽との事で、精神的に不安定になったりしていたからだ。流石にODやアルコールには走らなかったが、両親に対する言動が不評だったらしく、制裁として母に携帯を取り上げられてしまった。同時に、暴力も受けていたので、連絡したくても出来ないのだ。

 それに加え、義父には包丁で追いかけ回され、髪の毛をズタズタに切られ、母からは煙草の火を首筋に押し付けられたり。異父兄は、母の指示の元、大変嬉しそうに琴美への暴力を愉しんでいた。


 琴美としては、もう、慣れている。殴られることも、人格否定されることも謂れのない罵詈雑言も、拒絶されることも、一方的に裁かれることも全て。もう、どうでも良かった。その場をやり過ごせば、多少なりとも自分の時間が出来る。その自分の時間というのは、阿幽とのやり取りなのだが。

 それにしても阿幽さんはレズビアンが気持ち悪いではなく、何故か阿幽さんに好意を向ける相手の心境が気持ち悪い・理解できないなどというの言葉を明言したのか?別に好意事態は数多くの男性から寄せられている人だし、言葉遊び程度に交わすのもお得意な筈なのに…

 ”なんで嘘をついていたのか”

 などと琴美に詰問したのだろう。何故阿幽が嘘をつく事にこだわっていたのか?琴美には全く理解できなかった。

 幸いなことに、阿幽は琴美に対して、拒絶はしないし、今まで通りの関係で居たいと言ってくれた。それが何よりの僥倖だといえる。琴美は現状、義父・実母・異父兄からの暴力でベッドから動ける状態でもなく、通話ソフトにログインするのも禁止されていた。まあ、日にち薬というか日月を経ると母のガードも甘くなる。そんな中で何とか携帯は回収する事に成功する。

 多分、阿幽がとても心配してるはずだ。琴美はメールを打つことにした。そのときになって漸く気づいた。阿幽からの数多いメールと着信。要らぬ心配を掛けてしまっているし、前回の事で誤解さているかもしれない。

 という訳で文字だけのメールだけでなく、写真も添付した。傷跡だらけの身体と無残な髪型を。

 琴美としては、阿幽が原因で音信不通になった訳じゃないとわかってもらいたかった。ただそれだけ。狂言自殺を企てたわけではなく、自分自身におきている事実を知ってもらえれば、この間のこととは無関係だと思ってもらえると思っていた。


 だが、そんなに甘くは無かった。









-彷徨-









 阿幽としては、琴美を突き放す形にはなったが、今まで通りの関係で居たかった。だからこそ、阿幽は饒舌に琴美が自身を責めないように言葉を選んで言ったつもりだ。しかし、あのメールの添付画像が衝撃的だった。まさか琴美が家族から暴力を受けていたなんて思いもよらなかった。

 いつも勝気で、誰にも負けない強さを持っている子だと思っていたのに。そう考えると、阿幽にとって、自分がとても恵まれているように感じてしまう。毎日早朝からパートに数時間出て、昼前にはお酒を買い、家に帰る。家では愛犬が出迎えてくれて、暇なときはネットをし、製菓作りに精をだす。

 ごくごく当たり前の日常を送っていた。

 ”籠の中の鳥”というのは、本来はあの子のような子の事を言うのかもしれない。しかし、阿幽の思考はそこで停止する。別にどうでもいい。否、琴美のことは心配だ。だからと言って、自分自身を”籠の中の鳥”などではないと肯定することは到底出来なかった。

 そんなことをしてしまえば、阿幽の27年間を否定せざるを得なくなる。今まで必死で親の過干渉に耐え続け、ついには結婚相手まで親が選んだ。破局は自然と訪れた。

 今だから言えるが、阿幽は別に結婚したままでも良かった。ただ、相手の男性が、阿幽の表情や感情表現に乏しいところに気味の悪さを感じていた。炊事・家事などはソツなくこなす。文句の言い様のない妻。それは、夫にとってはただの作為的な振舞いにしか感じられない。

 阿幽は妻として、完璧さを求めすぎたのがよろしくなかったのか、夫は段々と妻との距離を感じ始める。

「こいつは、一生俺といて楽しいのか?幸せなんだろうか?」

 別れ話を切り出したのは夫からだった。

「あきら、おまえは俺の事を愛していないだろう?それは初めからわかっていた。だけど、なぜこんなに俺の身の回りのサポートを一生懸命するんだ?」


「両親に結婚したらそうしろと、言われたからです。」

 と、無表情で答える阿幽。その表情と、理由に愕然とする夫。もう答えは言わずもがな、聞かなくても分かる。

「それじゃあ、お前は少なくとも俺と一緒になってからは幸せではなかったんだな。」

「申し訳ないけど、そうです。」


 離婚はあっさりだった。夫も自分に執着はせず、離婚後即再婚したくらいだ。ああ、と胸を撫で下ろす。子供が出来てなくてよかった。子供なんていたら、枷にしかならない。だから私はこのままで良い。もう2度と結婚なんてしたくない。世の大多数の女性達と交わっても価値観があわない。だって彼女たちはどうやったら他の女より良い男を見つけられるか?そのような会話しかしないのだから。

*
*
*

 阿幽は、琴美からのメールにどう返していいかも分からずいた。だからといって携帯に電話を掛ける気も起こらなかった。ただただ、琴美のことが心配ではあった。一体彼女は何処でどうして誰といるの??などただ好奇心もあり知りたかった。


 深夜2時を回ったころだろうか、ついに好奇心に負けてしまった。


*
*
*


 阿幽は琴美に電話した。コールする。8度目のコールで琴美がでた。

「もしもし、あきらさん?」

 無言のままの阿幽。拍子抜けしたのだ。あまりにもいつもどおりで、元気な琴美の声を聞いて…脱力し、何も考えられなくなった。今まで私がしていた心配という名の好奇心は何だったのだろう?そんなことを考えていたら、

「心配掛けてすみません。メールに書いたような状況だったので、連絡したくてもできなかったんです」


 と琴美がコロコロとした声で言う。
 
 
「パソコンはまだ使わせてもらえないですけど、あと数日もすればほとぼりが冷めるのでそれまで待っていてください」


 相変わらずトーンの高い声で琴美は言う。

「ねぇ、今までずっと、私と話している時にもご両親やお兄さんから暴力を受けていたの?」

 と聞く阿幽。

「んー、まぁ今回のはちょっとでかい波でしたけど、ちょっとしたのならしょっちゅうですよ。」

 笑いを含んだ声で琴美は答える。

 
 分かった、この子がおどけるのは、辛いこと・痛いことを受け流すための手段なのだ。琴美が楽しそうに振舞えば振舞うほど、傷口は広がり、痛みは更に増すばかりなのだ。

 今までのことを振り返って阿幽はそう思った。だからといって、阿幽に琴美を救えるはずもなく、そんな気持ちは切り捨てないと阿幽自身が引きずられて壊れてしまう。この子にとって、現実は幻想で、ネットが現実なのかもしれない。正常で居られる場所。拠り所。呼び方はどうでもいい。

「なんだー、そうだったんだ、いやーリスカやODなんて事してるのかと思ったじゃん!!ほら、この前私がこっちゃんに結構色々言ったでしょ?言い過ぎたかなぁ~。って責任感じてたのに、もう!違ったんだもん!でも、安心したよ。」

 と、いつもどおりのテンションで返す阿幽。


「はい、リスカやODなんて面倒なことはしません。両親・兄の暴力と監視のせいなので阿幽さんには責任ありませんから!」

 答える琴美。

「みんな、心配してたから、私からこっちゃんは元気だって伝えておくね。次通話できそうな時は会議に来る?」

「いいですねぇ、丁度みんなが恋しかったんです。ほら、殴られてる時って暇なんですよねー。殴られてる時は身体の痛みはあるんですけど、心は別に痛くないじゃないですか。暇なんで他の事考えたりするんですよー。あー、今頃みんなは会議で楽しんでるんだろうなーって。私会議得意じゃないですけど、やっぱり恋しくなったりするんですよね。」

 あはは、と笑いながらサラリと言ってのける琴美。


 琴美にとっては暴力は日常的で、”慣れて”いるからこそ出る言葉であろう。阿幽はそんな琴美が痛々しかった。でも、どうしようもなかった。何もしてやれないことは明白だ。取りあえず安否確認は出来た。それでよしとしよう。と自分に言い聞かせつつ、携帯通話なので通話料が発生する。最低限の確認はしたので、早々に通話を切り上げる。


 部屋に戻り、愛犬2匹に囲まれながら、阿幽は琴美の事を思う。私がなんとかしてあげられるとしても、琴美は拒否するだろう。そして、そもそもそこまでする義理はない。だがしかし、琴美が今この一瞬でも気になるのは変わらない。泣いていたり、痛みに震えているかもしれない。大変興味深い。阿幽は自分自身に湧き上がっていく感情の正体に気づかないまま。多分このままずっとわからないのだろう。


 阿幽は観察対象としての琴美の復帰を願った。

-彼岸-









 間もなくして、琴美も無事ネットに復帰した。阿幽にとっても、いつも通りの日常が戻って来る筈だった。阿幽自身も何か違和感を覚えつつも琴美とのやり取りは続く。大人数での会議、個人通話さまざまな形をとっていたが以前と何も変わらない。ただ、阿幽が気づいていなかった。気づこうとしなかっただけなのだ。日に日に変化する自分自身の琴美への想いを。

 今まで、阿幽にとってネットでの交流関係は広く浅く。”来る者拒まず、去る者を追わず”が常だった。なぜかといえば、今まで関わった人間の多くが心を病んでいたからだ。深入りすると引きずられる。かろうじて生の側にいる阿幽としては、死へと傾いてはならなかったからだ。それに、琴美と知り合ったのも自殺系サイトだった。

 だからか、まともに話が出来る琴美を好ましく思っていた。何があっても「大量服薬をした」「リストカット・アームカットをした」などと、振り回されることがなかったからだ。日々の出来事。楽しいこと、時にはシリアスに死生観について語り合いもした。そんな琴美だからこそ、阿幽の特別になっていたのに、阿幽自身はそれを認めようとしない。


 今回の事だってそうだ、いつもなら連絡が途絶えたらそのまま放置して自然消滅で終了。だのに、阿幽から連絡を取ってしまった。普段なら捨て置く筈の阿幽が自ら連絡を取り、安否確認するなんて事が異常なのだ。だがそんな事実を阿幽は意図的に見ないようにしていた。


 辛くてもいつも楽しそうに話をする琴美。会議になるとその場の空気を読み、おどけてみんなを楽しませる琴美。だが阿幽は知っている。琴美の笑顔の裏に深い深い闇が眠っていると気づいてしまった。殴られながらも、微笑みを浮かべているであろう琴美が想像できるほどだ。

 あの子は本当に自分のことなんてどうでも良いのだ。だからこそ、物理的な自傷になんて興味を持たないのだ。話に聞いたところによると、以前は大量服薬やアルコール大量摂取にリストカット・アームカットをほんの少しだけしていたらしい。
 
 だが、それにより、精神科の閉鎖病棟への強制入院をさせられてから琴美は変わる。波風を立たせず、ただただ日々を凪のように過ぎ去るのをやり過ごすことに費やしていた。そんな中一筋の光が阿幽だったのだ。

 
 
 阿幽にとっては、そんな琴美のバックボーンを知った上でついこの間の出来事とで色々とショックを受けた。今までのように気軽に接することが出来なくなって来ていた。琴美の事を考えすぎるあまり、言葉も選ぶようになった。そして、会議で沢山の人と話している時の琴美のおどけ具合がもう見てられない。

 居たたまれなくなる。痛々しすぎて目も当てられなくなってきていた。悩んでいたのだ。今後の琴美との交流をどのようにすれば良いかわからなかった。自分ではどうすることも出来ないと感じていた。私はどうしたいの?と自問自答しても答えは見えない。そんなある日とある人に相談してみた。


 相談の相手は琴美との共通の話し相手の矢吹。阿幽と琴美の両者を一番良く知る人物だ。要は阿幽は自分が混乱しているので、アドバイスが欲しい。いつもではありえないほどの剣幕で矢吹に相談していた。矢吹は言う。

「そろそろ、自分の気持ち認めちまったら良いんじゃねぇか?」

「やだっ!!それだけは譲れない。そんなことを認めたら、私の今までが無意味なってしまうじゃない!!」

 と答える、阿幽。

 天地がひっくり返っても、阿幽自身に変わる気はないらしい。要は琴美を自分の都合の良い存在・素材に戻すために奔走しているらしい。そんな阿幽を見て矢吹は、

「どうやら治療が必要なのは阿幽の方だな…俺からみてこっちゃんはそんなに問題あるようには思えないし…」

 なんだかんだと話してもラチがあかない。阿幽の主張は、琴美をどうにかして欲しい!の一点張りだったのだから。無意識だとしても、それはとても手前勝手な願望だ。やれやれと思いながら矢吹が提案した。

「荒療治だけど、なんなら俺がこっちゃんに話してやろうか?そうすれば阿幽はこっちゃんから解放される。本当の意味で。もうこれ以上煩わしい思いもしなくて良くなると思うけど…?」

「なにそれ、こっちゃんを切ってしまえってこと??それも嫌だってさっき言ったじゃない」

 じゃあどうすりゃいいんだよと内心でひとりごちる、矢吹。

「じゃあ、まぁ、簡単に言えば今までと同じ風に話したい阿幽の気持ちを伝えつつ、こっちゃんにも妥協の余地を見出して貰うって話だよ。」


 黙る阿幽。

「わかった。でも、すぐにはしないで。時期を見て、限界だと思ったらその時にお願いしてもいいかな?」

 おいおい、もうその時期じゃないのか?と内心突っ込みをいれつつ矢吹は了解した。

 だが、その日はそう遠くなかった。矢吹に相談するまでもなく、阿幽は切羽詰まっていたから、暴走し始めたのだ。阿幽は徹底的に琴美を避けるようになっていた。他の共通の友人とは通話とお酒を楽しみつつ。

 琴美にとってはどれだけ傷つく行為だっただろう。意図的に距離をとられ始めた。何が原因?告白にしても、いつも通りでって言ってくれたし、琴美が連絡取れなくなったときのことも納得してくれた。一体琴美が何をしたのだろう?

 そしてある日、珍しく阿幽から琴美に声を掛けて来た。いつも通りの楽しい会話。お酒を飲んで丁度良く出来上がっていた二人。楽しいこと・面白いことに話題は終始した。そしてご機嫌で通話は終わった。

「また明日ね~!」


 という言葉を残して。

*
*
*

 避けられ続け、つい最近ようやく通話をしたものの、そのやり取りは琴美にとっては漫然としていた。だって、いつも通り当たり障りの無い会話。   

 否、それはいい。私も望んでいることだから。だからと言って、今まで避けられていた理由を明言しない阿幽には正直煩悶とした。琴美はストレートに阿幽に問うが、阿幽はのらりくらりと論点をズラしてかわす。琴美にとっては納得が行かなかった。そして、その通話以降3ヶ月。阿幽からのメッセージもない。琴美からメッセージを送っても、「今忙しいから!」と断れ続けられる日々。

 どうしたものか、何が阿幽さんを変えたのだろう。私が何か粗相をしたのだろうか?そんなはずは無い。琴美は琴美の一身上の都合のことなど、阿幽にとってそんなに問題ではなかったのだから。嘘をついたという点以外についてはだけれども。それに嘘なんてついていない。ただ、聞かれなかったから答えなかっただけだし、自らの不幸を他人に吹聴して回る趣味も琴美には無かったから。


 理解しがたい現状を打破するにはどうすれば良いか。実際琴美の欲望としては、実際に阿幽にいや、あきらさんに会って話がしたい。顔がみたい。声が聞きたいとい思いで一杯になってきていた。そこで琴美は思いついた。そういえば、本名も教えてもらった。住所は分からないけど、最寄の郵便局は分かる。そうだ、この情報を頼りに直接会いに行こう!そう思った。しかしながら、あまりにも無鉄砲な計画なので、琴美は悩む。ふと、そんなとき思い出した。

 阿幽がパソコンの組み立てを頼んだ友人がいた。名は有吉。有吉は阿幽の住所を知っている。何とかして聞き出せないかと画策した。幸い有吉は琴美のことを気に入っていて、アプローチされていたことも利用し、琴美は阿幽の住所を聞きだす事に成功した。


 さあ!あとは行動あるのみ。琴美は、公共交通機関に乗り込む。阿幽がいるであろう町に向って。不思議とワクワクしていた。お互い写メ交換で顔は知っている。少し殴られた傷の治りが遅く、顔や体中に痣や傷跡があり、ズタズタに包丁で切られた髪の毛のことなんて気にならない。そんなのお構いなしだった。


 とにかく現実で阿幽に会いたかったのだ。









-分水嶺-





 「今あきらさんの家の近くにいます。出てきてくれませんか?」

 1通のメールに阿幽はとても戸惑った。実際に来ているのなら会ってみたい。なんて思ってしまったからだ。でも、会ったらダメだ。あの子への気持ちにブレーキを掛けているのだから…。実際に顔を見たうえで"特別"だと思ってしまってはダメ。

 あの子の事はその他大勢と同じにみなければ今後続かない。阿幽は自分自身の中にある感情が他人に傾倒することを善しとしない。自分自身が保てなくなるからだ。そんなこんなで30分程経過する。意を決して阿幽はメールの返信をした。

「こっちゃんとは会えない。だから帰って。」

 とだけ。実際来てる来てないかなんて分からない。会わなければどうってことはない。ただのジョーク、琴美のお遊びかもしれない。だからこれで良いのだ。しかしながら、琴美から驚くべきメールが届く。

「それじゃあ、家の前まで行きます。待っていてください。」

 阿幽に衝撃が走る。もしかして、あの子は本当に私の家に来るつもりで居る?でもなんで住所なんて知っているのだろう?ふと思い当たる。有吉か、あいつはこっちゃんにもアプローチしてたから、なんだかんだで教えてしまったに違いない。


 まずいことになったと思った。別に家の前にまで来られるのは構わない。今なら家族は家に居ないから。琴美が来たら追い払えば良いだけのこと。そう、それだけのことなのだが阿幽には引け目があった。それは写メだ。流石の阿幽も琴美と写メ交換はしていた。がしかし、それは別人。阿幽の送った写真は阿幽の姉がうつっていた。

 そうなのだ、実際琴美と顔を合わせる時に、ったくの別人として振舞わなければならない。とりあえず、"あきら"の不在に関してしつこく聞かれたら、上手くごまかす自信はあった。なんとでも取り繕える。などと、考えていたら玄関からチャイムが聞こえる。来客を告げる音。そう、琴美だ。ドアの覗き穴から確認する。写メの通りの女の子。だが、髪の毛がグチャグチャで顔や腕に痣がある。まだ治ってなかったのか。などと考えつつ、すぐに出て声をかけてあげたい衝動に駆られた。いけないっ!!ぐっと自分を抑える阿幽。余計に出づらくなってしまった。

 居間に戻って愛犬たちが鳴き喚くのを諫めながら、これからどうしようかと、考えた。このまま無視し続けても良いかもしれない。諦めて帰ってくれるかもしれない。家を間違ったと思ってくれるかもしれない。グルグルと頭の中で色んな考えが回る。その間も何度かチャイムは鳴る。吠える犬たちを尻目に阿幽はどうしよう!?と考え込んでいた。小一時間位経っただろうか?ハッとして、居間の窓から玄関先を見る。するとそこには座り込んで頭を抱えた琴美が佇んでる。

 まずいわね。このままだと、夕方になると家族が帰ってくるし、何かあったら阿幽自身も困る。かと言って、阿幽にどうすれば良いかなんて名案は浮かばない。ワンッワンッと吠える犬。阿幽に絡み付いて、来訪者が玄関先に居ると伝えてくる。犬をあやしつつ、阿幽は思いついた。丁度いつもならこれから犬の散歩に出る。都合がよい。散歩ついでに玄関先で、他人のフリして琴美を帰してしまおう。そう考えたのだ。阿幽は、即行動に移す。リードを手にした阿幽を見て犬たちは尻尾をブンブンと振り回す。お散歩の合図。そして、ウンチ袋を用意する。日よけの帽子をかぶる。よし!と阿幽は玄関先に立つ。


 玄関を開けた先には、玄関先に腰かけた琴美の背中が見えた。こっくりこっくりしてる。多分、眠っているのだろう。だが、すぐ阿幽の存在に気づき飛び起き振り向く。驚いた琴美の表情を見て内心、よし!と思う。阿幽。

「あ、あきらさん…?」

 と案の定驚いた声と表情で言う琴美。阿幽は自然に声を掛ける。

「何か御用ですか?先ほどからうちのインターフォン押してましたよね?もしかして、どなたかのお宅と間違ってらっしゃいます?」

 こういえば、誤魔化せる。そう思っていた。だが、それが甘かった。阿幽の声を聞いた途端に琴美の表情が柔らかくなった。


「あきらさん、声で分かります。写メも嘘だったんですね。別に構いません。私、直接会ってお話がしたかったんです。」


 2人の間に沈黙が訪れる。そんな場合じゃないっ!ここまで来たらシラを切りとおさなければ!阿幽は必死に声を出す。


「どなたか存じませんが、今から犬の散歩がありますので、失礼します。どうかお引取り願います。では!」

 とだけ言い残し、犬を先導して足早に去る。いつもの散歩コースと逆方向へ行くので犬たちは抵抗したが、それも無視した。とりあえず、あの子から離れなければ!!という気持ちで一杯だった。散歩もいつもより長めにし、家路につく。もし、まだ玄関先にあの子が居たら…多分、家族が帰ってきている時間なので、通報なりなんなりして追い返してるだろう。と考えつつ自宅玄関前に着く。諦めて帰ったのか?それとも家族とひと悶着あったのか??などと、一抹の不安を残しつつ家の中に入る。

「ただいま~。」

「あら、今日はのんびりだったのね。いつもならもっと早く帰ってるのに…」

 と阿幽の母が答える。良かった。早々に諦めて帰ってくれたのだ。ホッとして犬たちからリードを外し、ご飯の準備をし与える。阿幽も自分の食事やお風呂など日常的なことを大方済ませて、自室に戻り、パソコンに電源をつける。


 通話ソフトを起動し、矢吹がオンラインなのを確認して阿幽は声を掛ける。


「もう無理。なんでも良いからあの子から離れたい。もう連絡を取り合うのも無理。」 

「おいおい、穏やかじゃないなー。俺は何も言わないよ。阿幽の好きなようにしな。あとは俺がなんとかしてやるさ。」


 とだけ、その日はそれだけで阿幽はパソコンの電源を落とした。

 部屋の明かりを落とし、暗くなった部屋の中で布団に包まり震える。阿幽は何かにおびえていた。

 それは何かわからない。だからこそ、やり過ごすために布団に巻かれて朝までやり過ごすのであった。









最終章 -虚堂懸鏡-









 阿幽は琴美と会ってから徹底的に琴美避けていた。琴美は何が原因なのか分からない。写メと姿の違う阿幽の本当の顔すら気にならなかった。別に嘘を吐かれていたこともどうでも良かった。顔を見て、会話としては成立しては居なかったが言葉は交わせた。それだけでも琴美は満足だった。

 しかし状況は悪化の一途を辿る。

 矢張り、突然会いに行ってしまったのが原因なのか?そうとしか考えられない。でも、琴美には自身の衝動を抑えられなかったのだ。ただただ阿幽に会いたいと願い、行動した。


 会いに行ったことが原因にしても、このままでは嫌だと思った。なので琴美は阿幽にメッセージを沢山送った。だからといって、阿幽と話が出来る訳ではない。


 そんなある日。琴美は矢吹に声を掛けられた。あのおちゃらけた男がいつになく真面目に声を掛けてくるもんだから個人的に通話をすることにした。

「こっちゃん、阿幽に煙たがられてるぜ。何があったのかは知らないが、共通の友人にこっちゃんのある事ない事言い回ってる。俺も聞いたよ。会いに行ったんだって?ストーカーみたいで気持ち悪いって言ってたよ。」


 衝撃の事実。琴美は阿幽にそんな風に思われていたことがショックだった。そのまま続ける矢吹。

「俺や他の人をあてがおうとしたのも、別に男を紹介する云々じゃなくて、面倒くさかったってからだって阿幽が言ってた。要は、こっちゃんは阿幽に煙たがられてたんだよ。諦めなよ。現に阿幽はこっちゃん以外の人間とは俺含めて毎日会議してるし、俺としてはこっちゃんが可哀相でさ。誰かが本当の事を教えてやらなきゃいけないと思って。傷つけるのは分かってたけど、理由のわからない事に傷つくより理由を知ってる方が良いかと思ったんだ。」


 それから何を話したか、話して聞かされたか琴美は覚えていない。阿幽が自分を疎んでいたこと。面倒くさくて、誰かに任せてしまいたかったこと。地面が音を立てて崩れていく。もうこれ以上立っていられない。でも、まだ、ちゃんと阿幽の口から本当の事を聞かないと、納得できない。ようやっと言葉を紡ぐ。


「矢吹さん。なんとかあきらさんと二人で話せる場を作って貰えませんか?」

 と、矢吹に請う琴美。

「お、おう、俺はいいけどよ、阿幽が逃げるんじゃねぇの?まぁ聞くだけなら構わねぇけどよ。おっ丁度今阿幽からメッセージ来たわ。ちょっと言ってみるよ。」


 またひとつの事実に驚愕する琴美。阿幽はおそらくオンライン状態を隠してはいるのはわかっていたが、琴美が送ったメッセージには応えず、矢吹や他の人には応えているのだ。

 矢吹は阿幽とのメッセージのやり取りをしている。カタカタカタと矢吹のタイプ音をマイクが拾い、スピーカーから流れる。何故だか妙に耳に障る。

「ところで、今こっちゃんは阿幽のこと見えてる?」

 と矢吹が問う。

「いいえ、見えてません。私からはオフラインに見えます。」

「そっかー、実は俺は阿幽がオンラインに見えてんだわ。この意味分かるよな?」

「ええ…はい…」

「ということはだ、こっちゃんはもう阿幽から拒否されてんのよ。もう終わってんだよ。俺はどちらかのカタを持つ気はないけど、諦めな。こっちゃんとしても阿幽に振り回されんのしんどいでしょ?」

 などと、諦めを促され慰められる琴美。でも一言だけ、聞いておきたかった。確かめたかった。"誰も好きにならない"と言っていた阿幽。でも人間に絶対なんてない。

 確かに自分は特別だった。好かれていた。じゃなかったら毎日話してくれてなかった筈だ。琴美が親・兄弟から暴力を受けて連絡出来なかった時、メールをくれた。電話もくれた。だからこそ、自惚れていた。

「最後に聞いておいてもらいますか?"あきらさんはほんの一欠けらも私のこと好きじゃなかったのか?少しでも私の事を好き又は特別だと思った瞬間がありましたか?"と。」

 意味は問わない。認めて欲しかった。阿幽から受ける特別待遇。琴美もバカではない。種類が違えど好意を感じていた。だからこそ、琴美は矢吹に頼んだ。

 矢吹は暫く沈黙し、静かに口を開いた。


「わかったよ。」


 カタカタとメッセージを打つ矢吹。返事は即来たようだ。


「こっちゃん、聞きたいか?」

「はい、もう何も驚くこともありません。」

 琴美には想像できていた。阿幽を良く知るからこそ、どう答えるかが想像できた。

「"今まで誰に対してもそんな気持ちを抱いた事なんてないし、今回も例外ではなかった。勘違いさせてごめんね"だってよ。」


 ああ、と思った。そういう人だ。阿幽はそう言う人間だ。意固地で凝り固まっていて、自分の世界を守る為にはどんな手段をも厭わない。

 誰に対しても冷淡で、冷酷で。でも、その氷を少しでも溶かすことが出来ていたかもしれない。なんて、おこがましかった。

 阿幽は変わらなかった。琴美が変わったように、阿幽が変わる事を求めていた。それはとても傲慢だったのだ。もうここまで来たら、二人の関係は終わり。ただそれだけなのだ。

*
*
*


 あれからどれくらい経っただろうか。琴美は、未だネットの世界に身を委ねている。

 ただひとつ、以前と違うのは誰ももう信じない。心を開かない。”誰も好きにならない”ということだけだ。その決意は確固となり、琴美を支えている。

 日夜、暇潰しの相手を求める。男女構わず誰でも良い。1分でも1秒でも長く暇がつぶせるなら。悲惨な現実から目を逸らす事が出来るなら手段は問わない。

 純粋だった琴美は、自分自身の何かと問われれば形容しがたい大切なものと引き換えに変わってしまった。毎夜、男性相手にして罵り、嘲笑しながら日々が過ぎていく。

 だが不思議なことに、何故か今でも矢吹とは交流がある。あれ以来、阿幽の話題は一切でない。矢吹自身も阿幽と縁が切れたようだ。矢吹はと言うと、毛生え薬やEDに悩んで薬の個人輸入の為に琴美に英語の翻訳を頼むなどというくだらない用事で琴美の時間を奪う。

 琴美にとっては別に苦ではなかった。阿幽を失ってから、変わらない者もいるという事に何故か安堵を覚えつつ矢吹とのやりとりは続く。そんな中でもあの最後の日、阿幽を失った時の矢吹の言葉が忘れられない。

「"こっちゃんは偏狭だ捻じ曲がってる"って常々言っていた本人が一番のわからずやだったのさ。気にするな。時間掛かるだろうけど、ゆっくり自分を取り戻しな。俺が見た限り、こっちゃんのが善くなる余地はあると思うぜ。」


 などと言われても、何の慰めにならない。だけで、何となく言いたいことは分かった。少し救われた気もした。

 だからといって、あの楽しかった日々は失われたんだ。多分悪いのは私だ。と思う琴美。自身を責め苛んでも、過去は戻ってこない。いつの日もあの日々より眩しくはない。

 あの時、あの頃、私は確かに倖せだった。ひとりだった琴美は確かにひとりではなかった。阿幽の不在は今でも琴美を苦しめる。

 夢にまでみる。夢で逢えるだけ倖せ。なんて強がれる程阿呆ではない。これからもネットの夜闇の中でこのまま変わらずにいるのであろう

 幻想が現実に変わる日まで――――

おわり

-逃避・遁走-

-怠惰- 

-理由- 

-今は昔-

-邂逅-

-cage-

-envy-

-友達-

-混迷・困惑-

-恋情と迷走-

-底なし沼-

-彷徨-

-彼岸-

-分水嶺-

最終章 -虚堂懸鏡-

29563 文字

New

-逃避・遁走-


 高梨琴美は、現在23歳、数えで24歳になるごくそこらへんに居る女性。
彼女の23年間は、結構それなりに艱難辛苦で彩られている
だが、それはこの世の中にはよくあるというその程度。人によっては違うかもしれないが。

 彼女は現在、職にも就かず、連日を仮想世界に費やしている。
彼女は非情に怠惰で、堕落した精神、加えて排他的な生活を送ることによって生きている。

 そうして、思春期の少年少女にありがちな自己中心的な思想の持ち主でもある。世界のすべてを善しとせず、自分が世界に馴染めないのは世界の所為にしている。

 そして日夜、夢想に励んでいる。ある日、自分だけしか居ない世界・突然与えられた特別な力。幻想的な事象に自身が遭遇する事を心から望んでいる.選民思考であり、平凡をも望む。

 良くあるヒロイン願望。

 社会的少数派と呼ぶ事が適切かどうか判断に困るが、確かに彼女のマイノリティ振りは徹底されている。
 
  一時期は、人生に絶望を感じた自殺志願者になって自傷行為に耽ってみたり、そしてある時は、禁断の愛を貫こうとするレズビアンにも化けたりもする。売春、ヴァーチャル恋愛、アルコール中毒、薬物中毒などと節操なしだ。

 人生を斜にみているのだ。所詮、死ぬまでの暇つぶし。

 そんな彼女にも理想に向かって日々努力していた。そんな時期もあったのだ。健全に、善良に、そういう人間であろうと、社会に馴染もうと…









-怠惰- 








【人はとても曖昧で流動的、そしてとても脆弱なものなの】


 琴美は常々そう感じている。 

 カタカタカタと、キーボードのタイピング音が響く。今日も今日とてオンライン作業に没頭する琴美。 

「ぎゃははは、すげえバカ!こいつばっかじゃん!」 

 目下、チャットに興じている。相手は30代前半の男性。とあるボイスチャット機能を備えたメッセンジャーソフト。そのソフトを使い、Contact Me!という状態にしていると、他の利用者が検索機能を使い、コンタクトしてくるというもの。

 プロフィールを女性にしていると、お誘いメッセージは引く手数多。ネカマが氾濫して、性別など判別できないインターネット上で公開している性別なんて確かなものではない。 

 それでも、世の男性たちは日夜ネット上に出会いを求め徘徊しターゲットを定める。
8割くらいの男性は性的会話が目的であるからして、件の琴美のチャット相手もそのようだ。



 そして、彼女はそれをからかって遊んでいる。まぁ、彼女の性根が腐っているのもあるが、根底にある男性嫌悪がその原因だろう。



「っと、経験人数は何人?…んー適当に100人以上っと…ぶひゃひゃひゃ!」 

 醜悪である。からかっているというか、明らかに相手の男性にも解る嘘を平気で吐く。
ピコーン!と新しいチャットウインドウが開いた。 

「あははははははは、なんだよこの粗末なモノは!!仮性じゃないかよ!」

 

 キーボードに唾を飛ばし腹を抱えながら笑う琴美。新しく表示されたチャットウインドウ、そこには男性の局部写真が送信された。 

「やばっ、マジ腹筋どうにかなりそう…」 

 笑いを堪え、腹部を押さえつけこみ上げて来る笑いをなんとか抑えようとしている。 

「いんきんたむしのキンタマは~、馬に轢かれて千切れちゃえ~」 

 なんとも下品な即興の歌を歌いながら、局部写真を見せ付けているコンタクトを速やかに拒否登録。そして、経験人数を聞いてきた男性はというと。 

 ---hiroyukipon23の発言---
 へぇー結構多いんだね!すごいね! 

 などと、心にもないことを言ってくる。
本当、女性の気を引くためとはいえ、あまりにも芸のないお言葉。

琴美はつまらなくなったらしく、早々に切り上げることにしたようだ。



  ---cotton368の発言---
 あれれ~?お星様がみえるぅ☆

---hiroyukipon23の発言---
 ん?なになにどうした? 

---cotton368の発言---
 ピンクの象さんがぁ~ 

---hiroyukipon23の発言---
 なになに?どうしたの~?壊れちった?ww

 

---cotton368の発言---
 でました!蛇使いに尻を噛まれて毒で死亡します 

---hiroyukipon23の発言--- 大変!僕が毒を吸い出してあげる!さあおいで! 

 片腹痛い事この上ない、そして空しいやりとり。そっとパソコンの電源を落とし、闇夜に身を委ねる。

何も帰って来ない。









-理由- 








  琴美の男性嫌悪

  それは幼少期から続く、両親や周りからの

  ”女の子なのだから”

 などという一方的な価値観の押し付けもある。しかし、決定的だったのは、少年野球に属していた時のエピソードが原因だと思う。

その話の前に簡単に、琴美のことについて話そう。

 琴美には4歳年上で5つ学年の離れている兄がいる。その兄は所謂劣等性だった。それも極端に。

 兄の所為で、教師や同級生、ひいては上級生からいわれのない迫害を受けていた。

 小学生の頃は、登校時に石をなげられたり。時には教師からの口撃であったりした。だから琴美は、強くならざるを得なかった。琴美をいじめる人間を黙らせる方法は簡単だ。

勉強と運動の両立。文武両道。なにをやっても、トップクラスになること。

 そうすれば、周りの見る目が変わってくる。誰にも文句を言わせない。もし何か言って来ようものなら正論と理詰めでがんじがらめにする。だから皆、琴美には一目置くようになった。


 極端な優等生で、友人も多く、クラスのリーダーにまでなった琴美。
そんな彼女でも越えられないものがあった。

 それは”女の子だから”だ。

 琴美は小学校4年生の頃に少年野球に入団した。なまじっか、男子より上手くそつなくこなすのだが、いかんせん試合には出られない。この事については琴美以上に琴美の父親が激昂していた。なぜ琴美は上手いのに試合に出られないのか?

それは”女の子だから”

 そう監督から聞かされた。


要は、”男の子じゃないから”


 そこから琴美の人生は、”男の子じゃないから”という理由でさまざまなことが彩られ男性嫌悪とまでは行かないが、男性蔑視になる。

 何故、私より出来ない男子の方が選ばれるのか…その思いは成人するまでずっと変わらなかった。

 今まで、自分より出来ない男が多かったこともあり、余計に見下してしまう。使えない男に隷属・従属なんて出来ない。そういった理由が多分にあるのであろう。

 だからといって、その所為で琴美が女性に走ったとは努々勘違いしないで頂たい。これはまた、別の話。


 そう、彼女は優等生だった。優等生だったからこそ、沢山の理不尽に囲まれ、磨耗し歪んでしまった。物事をまっすぐ見られなくなった。ひいては自分自身さえもおかしくなってしまう。自己肯定の出来ない人間に成ってしまったのだ。


 病んでいるといえばそれでおしまいだろうが、彼女の問題は根が深い。

そして、彼女自身に変わる気がないから手がつけられないのである。

-今は昔-


 琴美は生来真面目で努力家であった。それは彼女が育った環境の所為であろう。

 琴美の母は再婚で現在の父は義理の父親である。そこから彼女の人生は大きく変わっていったのだと思う。

 ”連れ子”と蔑まれ、高梨家では肩身が狭かった。幸いなことに、義父が母以上に誰よりも琴美を可愛がってくれた。

 琴美もばかではない。どうすれば大人が、義父がよろこぶか理解できた。そうして、自分を装うことを続けた。大人の求める子供を演じ続けた。


 そんな琴美は、中学生の頃から息が詰まるような感覚に苛まれた。空気が足りない。息が上手くはけない。すえない。心身共にそう感じられた。実際に事実としては、このまま順風満帆な未来が約束されつつあった。でも、琴美の心はいつも夕闇だ。

 理由など分からない。否、分かっていても目を向けるつもりはない。答えは惨めな自分を露呈させてしまうだけだからだ。

 そう、高梨琴美は、装う事に疲れてきたのだ。思春期にありがちな反抗期もなく、両親の前では”良い子”を装う。勉強にしたって、スポーツにしたって純粋に楽しかった訳ではない。知らないことを識る事と、出来ないことにチャレンジして、出来るようにりたい。そういう願望だけは、他の同世代より長けていたけれども。

 彼女は普遍的な思春期を代償に、大切なものを築けなかったし手放すしかなかった。それでも彼女は尚純粋であろうとした。友人に裏切られようとも、実母から暴力を受けようとも。

 愛されたくて堪らなかった。見捨てられる事がたまらなく怖かった。だから彼女は演じる。装い続けてきたのである。

 琴美は、成績も優秀。文武両道なのは徹底されていた。そのおかげで、高校進学に関しても推薦枠で簡単に進学校への進学が決まっていた。しかしながら、義父の

「高校から寮生活などというのは認められない。家から出てはいけない」

 という手前勝手な理由で、家から通える、私立の学校に通うことになった。琴美は進学校に行きたかった。家から出たかった。だから、凄く不満が残った。どれだけ懇願しても取り付くしまがなかったのだから…


 周りはバカばかり。話も合わない。つまらない。こんなバカ学校。高校入学して1週間もすれば、大体全体のレベルが分かってくる。ばかばかしい。何のために私は此処に要るのか分からない。

 琴美は常に成績だけは学年トップだったが、友人と呼べる者はいなかった。纏わりついてくるのは、”学年トップの高梨さん”に取り入りたい奴らばかり。つまらない、もはやただのルーチンワークの毎日に飽きて呆れ果てていた。

 こんな生活から逃げ出したくて堪らなかった琴美は息苦しさからアメリカ留学をしてみたものの失敗、そのまま高校を中退ししてから紆余曲折あり、現在に至る。

-邂逅-


 ネットなんてものは、幻想。リアルとは相容れないモノ。そう感じていた。モニタの先には感情のある人間が存在はするものの、相手のことなんてどうでも良かった。だって、一度だって会ったこともなく、会うこともない相手を慮る行為自体無駄だと思った。

 琴美自身いつも現実では損な役回りばかりさせられてきた。人のことを思い行動し、いつも壁にぶつかる。何度それを繰り返して、ボロボロになったことか。そうしていつからか琴美は頑張るのをやめた。他人のことを慮ることもしない。引き換えに自分自身に関しても頓着しなくなった。

 今から4年前。琴美が20の時にある女性と出会い、恋に落ちた。相手の女性は年上の女性。精神疾患であり、自殺志願者である。そんな彼女とのひと時は琴美にとってとても大切な時間だった。実際に会ったり、家に泊まったりしたこともある。始まりは良かったのだ。彼女の支えとなり得て、自分の支えにもなってくれていたから。


しかし、ある日突然連絡が途絶えた。大量服薬したというメールを残して。

 それからの琴美は自分を責め苛んだ。音信不通。どのくらい経ったのか。時間感覚も麻痺してしまっていた。何をしていても彼女の事が頭を過ぎる。居ても立ってもいられなくなってしまった。確実に現実を蝕んでいた。ヴァーチャルとリアルが曖昧になりつつあった。その事に、戸惑いを感じ、どうしようもなく不安感に包まれる琴美。所詮、ヴァーチャル。されど、ヴァーチャル。晴天の霹靂だったのである。

 そんな中でも、ネットは便利なもので、琴美は次なる依存相手を見つけることに精をだした。誰でも良い、自分の言うことを黙って聞いて肯定してくれる、そんな都合の良い存在。相手には失礼ではあるが、琴美は大真面目だった。そして見つけた。都合の良い存在。

 それが、阿幽だった。は27歳のバツイチ。もちろん名前はHNだ。自殺系サイトで知り合ったのだが、阿幽は精神疾患もなく(本人曰く)、積極的な自殺志願者でもない。ただ、アルコールとネットに依存していた。どうやら阿幽も都合の良い話の出来る人間を探していたのだようだ。


  利害の一致


 お互い、それ以上でも以下でもない存在。


-cage-


「あたしは籠の中の鳥なの。両親のお人形。だから、誰も好きにならないの」

 常々阿幽はそう言っていた。それに関して琴美も、大いに同意していた。それは、自分自身を阿幽の中に見出したから。
 凄く似ている…そう思っていた。誰にも愛されない・愛さないという共通点。だからこそ、琴美は阿幽と話すのが楽しかった。分かり合えるから。

「こっちゃんは好き。可愛いもん」

 阿幽はそう言う。”こっちゃん”とは琴美の愛称。琴美は基本的にHNを使わない。ファーストネームでネットをしている。使うとしても、誰もが読みづらい記号だったり、無記名にする主義。本名だろうがHNだろうが、皆どうでも良いというのもある。要は琴美はどうでも良かったのだ。HNなんてものを考えるのも億劫だからこその本名。

「またまたぁ、誰も好きにならないなら、私のことも好きじゃないでしょう?」

 琴美は、冷静に返す。分かっている。好きの意味など。だからこそそう返す。

「こっちゃんの事は、特別なの!」


 美しいソプラノボイスの阿幽。琴美にとってそれは好ましかった。ただの年上のお姉さん。話も合うし、価値観も似ている。


「そういう事言うから、男性が勘違いするんですよ。ほら、この間だって」

 と琴美が言うと、

「だから、男性は苦手なのよ。声とか聞くとすぐに”好きだ”とか”付き合ってくれ”とかいうんだもの。面倒くさい」

 ああ、と琴美は同調する。確かにそうだ、大抵の男性はネット上では特に、女性・20代・可愛い声というだけで、相手の顔も名前も素性も知らないのに、直ぐに付き合ってくれ。好きだと連呼する。琴美にも多々経験があるので、よく分かる。

「あっ、そうだ、ねぇねぇこっちゃん。歌をうたってよー!こっちゃんの声あたし大好きだから聴きたい!」

「えー、歌…ですか。どんな歌うたえばいいかわからないし、恥ずかしいですよ」

「じゃあ、今度CDを送るから、その中の曲を歌ってくれない?」

「別に良いですけど、そんなに上手くないですよ?」

「良いのいいの!あたしが聞きたいだけだから」


 などと毎日を過ごす。時には真面目に死生観について語ったり。おばかな会話をしたり。毎日、毎晩、数時間話していた。誕生日にプレゼントと称して、手作りのホールケーキを貰ったりもした。その他にも、20歳だった琴美はお酒の飲み方を阿幽から教えられたりもした。

 Give&Takeでネットと現実を交え交流を続けていたのだ。その段階で阿幽の本名は教えられた。ただ、住所の詳細は教えてもらえず、琴美が送る際はいつも郵便局止めで荷物は送っていた。

 だからこそ、とても心地良いひと時であった。阿幽となら長く細く、楽しい時間が紡いでいけると思ったいた。丁度良い距離感を保てていると自負していた。満足していた。

 だがしかし、そんなある日、琴美は阿幽に男性を紹介された。


「こっちゃんは私と違って可愛いから、良いヒトが必要でしょう?」


 胸にちくりと刺さるなにか。琴美は別に阿幽以外の人間なんて要らなかった。だからこそ、すこし複雑だった。

-envy-


 阿幽に紹介されたのは、30代の男性。HNは矢吹。阿幽とは仲が良く、女性を探しているありがちな、出会いを求めている男性。琴美とっては疎ましい存在とすら感じられる男性。

 琴美は阿幽さえ居ればそれで良かった。だが、阿幽に求められたら琴美は何故か断れない。不承不承ながらも、阿幽の提案に従った。

「こっちゃんはさー、人生ナメてんねー。おれそう言うのなんとくわかんだわー。」

 矢吹の一言一言が癪に障る。どうしようもなくイラだってしまう。それは、図星だから…ということもあるだろうが、許容できない。


「うっさい、出会い厨のジジイが偉そうに説教かますな。ボケ。」


 と琴美は返す。大人な対応が出来ないお子様。


「まぁまぁ、こっちゃん、そんなに怒らないの!お姉さんメッってしちゃうよ?」


 ぐっ…となる琴美。


「失礼なこといってごめんなさい、矢吹さん」


 これが精一杯。


「こっちゃんもさ、これを機に男性と仲良くなるのもいいんじゃない?。歳はちょっと離れてるけどさ!」


 と阿幽は言う。もう何度目だろうか。胸にちくりと刺さる。それはジンジンと痛み続けている。琴美はその感情から目を背けていた。

 気づいてはいけなかった。気づいたら、今までの楽しい凪のような阿幽との日々が失われるから。だから、気づいちゃいけない。

 そう言い聞かせて、琴美は心にブレーキを掛けていた。それは今までだってそうだ。だのに、矢吹という男性の出現で揺らぐ自分が居る。

 その事実こそが琴美とって疎ましいことだったのだ。


「矢吹ちゃん矢吹ちゃん、なんなら、こっちゃんに若い子紹介してあげてよー!!」


 阿幽と矢吹は、完全に琴美を置いてけぼり状態で会話を続ける。気が遠くなる。


「おお、そうだねー。こっちゃんは20歳だもんな、おれはちょっとおじさんだから…おっ丁度良いの居るよ!!」


「えっ、マジでー!!ねぇねぇ、こっちゃん、紹介してもらいなよー。絶対その方が良いよ!!」


 調子に乗った矢吹と阿幽に対してもう我慢の限界だった!!もう、無理だと思った。今までクロゼットにしてたけど、かくしていたこともどうでも良くなった。


「私は、男性じゃなくて、女性が好きなんです!!所謂レズなんです。だから男は要りません!!」


 叫ぶように二人にぶつけてしまった。はっ、してももう遅い。バレてしまったのだ。もう後戻りは出来ない。

-友達-


 阿幽はバツイチ。もともと結婚も両親が勝手に決めたものだった。旦那のことも愛してなかった。セックスも苦痛でしかなかった。だから別れてよかった。しかし、阿幽は昔から支配的な親に全てを決められ、導かれていた。

 離婚は唯一の反抗。

 それがまずかった。
 離婚以来、阿幽は以前よりも厳しい監視の下で生活を続けることになる。週数日のパートと必要最低限しか外出の許されない毎日。何度か逃げ出そうと試みた。しかしながら、兄が警察官なのもあり、国家権力によりすぐに見つけだされ強制送還の繰り返し。その所為で、阿幽も諦めた。

 そうしてからずっと、阿幽はインターネットとお酒で毎日を誤魔化し誤魔化し生きていた。深い仲になることは避けていた。好きだの嫌いだの、面倒だから。みんなどうでも良かった。相手のことなんて考え始めるとキリがないし、振り回されるのはごめんだ。自己責任だと思っている。


 琴美に出会った時、なんとなく阿幽は自分と同じにおいを感じた。初めて、ネットで他人に興味をもった。無意識の内にいつの間にか惹かれていった。


 ある程度やり取りをし、仲が深まって来たとき、阿幽はまずいなと思った。このままでは、琴美が自分に依存して行くのも目に見えてたし、阿幽にはそれが拒めないと思ったからだ。そして、阿幽は少なからず、琴美のことを好いていた。どういう好きかは考えてはいけない。
目を背けた。


「あたしは誰も好きにならない」


 そう誓ってから、誰かの特別になる・誰かが特別になるのは避けて来た。友達くらいが丁度良い。友達なら悲しい別れもない。だから友達でいよう。


 それでも阿幽は琴美に惹かれてしまっていた。どこかでブレーキをかける事が必要だった。


 「こっちゃんの事は、特別なの!」

 そう口に出した時に阿幽は、まずいなと思った。これでは、好きになっているではないか。この場合好きの意味なんて関係なかった。とりあえず、他人に好意を持つのはタブーなのだ。

 焦った阿幽は即座に解決策を見出だすことにした。阿幽と琴美の間に第三者をいれる。そして、そこには理由がちゃんと介在する事。琴美に男性を紹介するという名目。そう言い聞かせて、阿幽は行動に移したのだ。

苦肉の策

-混迷・困惑-



「私は、男性じゃなくて、女性が好きなんです!!所謂レズなんです。だから男は要りません!!」

 言ってしまった。これまでネットでは隠し通していたのに、つい口をついて出てしまった言葉。なぜあんな事を言ってしまったのだろう。阿幽が男性を紹介してきたことに憤っていたから?

 ううん、ちがう。私は、嫉妬なんてしてないし、独占欲なんて感じちゃいない。だとしても、私は、阿幽に対してそういう感情を向けてはいけないし、抱いてもいけない。だって、そんなことしたら、友達でいられなくなる。きっと、気持ち悪がられる。

*
*
*

「阿幽さん、この間はすみませんでした。あの時言った事は嘘なんですよ。矢吹さんがしつこくてつい…」

と乾いた笑い混じりに、琴美は言った。

「んーん、いいのいいの、あたしも余計な事したかなって思ってたから。あたしこそごめんね」

 良かった、上手く誤魔化せた。と琴美はホッと胸を撫で下ろす。知られたらいけない。絶対に。阿幽との良好な関係を継続することが琴美の望みだからだ。いつもより、少しぎこちなかったが、その日の会話は何事もなく終わった。通話終了ボタンを押した琴美は、安堵を覚えつつも胸の奥にうずまく感情があることに気づいた。

 でも、目を向けちゃいけない。まっすぐ見てはいけない。それはとても醜悪なものだから。自分の感情に嫌悪感を抱くだなんて、まっとうな人間のようだ。

 琴美は歪んだ社会不適合者なのだから、まっとうな感情なんて持ち合わせていない。あってはならない。そうでなければ、何の為に今まで時間を費やしたのか。

 世界を拒絶し、世界から否定され続けて来た自分が、世界、そのごく一部分でも許容なんてしてはいけない。

 暗澹たる思いでベッドに入る。手を天井に向けてあげて、手を握ってみる。確認作業だ。ほうら、何もつかめない。何も見えない。何も得られない。

 そう自分に言い聞かせながら眠りにつく。

明日から再び、元通りの毎日が続きますように…
願って目を瞑った。

*
*
*

 しかし現実はそう甘くもなく、あれからというもの阿幽の琴美への態度が以前と微妙に違う。会話もかみ合わず、不穏な空気が漂っていた。阿幽がどうやら距離を置き始めたようだ。琴美はそんなことにすら気づかず、いつも通りやれていると思っていたようだが、事態は確実に変化していた。阿幽と話す時は、矢吹や、その他の阿幽や琴美の友人という第三者を挟んでという形が増えていった。
 
 それを催促するのは、阿幽。

「みんなで話すと楽しいから、こっちゃんもおいでよ」

 あっけらかんと、

 琴美に対して投げかけられる言葉。琴美にはそれは好ましくなかった。阿幽以外の何者も要らない。そう強く思うようになりつつあったから。

 だからといって、阿幽と話せないくらいなら、みんなと一緒に話したほうが良いと思い、自分を装う。”楽しさ”を阿幽が求めてるのなら、場を楽しませることに集中した。阿幽とまともに話せやしないのに、それでも、琴美は阿幽の為に自分を装った。どのくらいの間だったろう、そんな日々が続く。

 もう限界が近づいていた。

*
*
*

 阿幽は戸惑っていた。琴美の突然のカミングアウト。後々嘘八百だとフォローはされたものの、どうも信じられない。琴美はレズビアンなのか?という疑問で渦巻いていた。

 不思議なことに阿幽にとって琴美がレズビアンであったとしても変わらない。今までと同じままで良い。本当のことが知りたかっただけなのだ。

 そこで阿幽は少し琴美と距離を置いてみることにした。レズビアンだろうがなんであろうと、あの子は私に対して依存しすぎていると最近とみに感じていたから。別に男性をあてがおうなんて考えてない。ただ純粋にあの子の偏狭さが少しでも良くなるように…と願いつつ、阿幽は行動に移した。

 琴美は概ね皆と仲良くやれている。最近阿幽と話すより皆を交えて話すほうが自然だ。とても良い傾向だと思った。

 ”籠の中の鳥”

 琴美と阿幽の共通項であり、ある意味ではソウルメイト。生まれた場所、年齢は違えど、似た尺度で物事を測り、見ることのできる数少ない人間。そんな琴美に肩入れしてしまうのは阿幽としても無意識だったのだろう。

 阿幽にとって琴美は特別だ。琴美が言ったように琴美がレズビアンだとしても関係ない。でも、恋愛対象にはなりえない。特別な人ほど大切だから、そんなもので縛れない。だから友達。

 これが阿幽のスタンス


 毎日が上手く行っているようで、阿幽はとてもうれしかった。お酒の量も減ったし、趣味の製菓など、現実での生活にもハリが出てきた。このままで居られればきっと、どんなに良いだろうと思いながら日々をすごす。


 そんなある日、恐れていた最悪の事態が訪れる。

-恋情と迷走-


 琴美は次第に阿幽への思いを募らせて行く。そしてそれを恋情だと認識していた。阿幽とだけ話したい。他の誰もが皆、邪魔者だ。二人の間に入ってくる異物なんて要らない。そう考えるようになっていった。

 だが、それは独占欲。恋や愛などではない。そういえば、阿幽は琴美の事をファーストネームで読んでくれている。私だって、阿幽の本当の名前を呼びたい。住所も知りたい。いつも局留めなんて嫌だ。

 阿幽との共通の友人のとある男性はパソコンの組み立て依頼を受けて、本名と住所を知っているのに、私が知らないなんて耐えられない。本人に聞かないと!!

「阿幽さん、阿幽さんだけ私の本名で呼んでてずるいですよ〜。私も本名で呼んでもいいですか?」

 と、いつになく琴美が阿幽に詰め寄る。阿幽は戸惑った風に答える。

「えー、こっちゃんとは今までどおりのやり取りで何も問題ないでしょー?」

 コロコロと笑いながらかわす阿幽。まんじりともしない状態に琴美はついに行動を起こす。

「うぇっ…うっ…阿幽さんは私の名前を呼んでるのずるいよう、ずるい。遠回しな拒絶をされてるみたいで悲しいですっ…ぐすっ…」

 そう泣き落とし。

 ここまで言われると、さすがの阿幽も誤魔化し切れない。元々本名で呼ばれる必要性がなかっただけなのだが、ネット上ではHNがあるし。しかし、押しに負けて2人きりの時にという条件で本名呼びを許可した。

 阿幽のファーストネームはあきら。男性名なので、あまり好きじゃないけど、正真正銘の本名である。

 
 琴美に本名呼びを許可からというものの、”あきらさん”と呼ばれるようになる。阿幽としては、距離が急に縮まった感じがして少し落ち着かない。これ以上は踏み込ませてはならない。そう感じながら、琴美とのやり取りをしていく。

 琴美も琴美で、皆と話すのも頑張るから、二人きりで話せる時間が欲しい、携帯メールのアドレス・携帯番号などなどを、聞き出される始末。

 だめなんだよなぁ、この子にお願いされると断れない自分がいる、と感じる阿幽。ありえないけど、交際を申し込まれてもほだされてお付き合いしてしまいそうな勢いだ。それはよろしくない。お互いに。

 少なからず、好意があるからこそ、中途半端ではいられない。だから、この子とは本当にグレーゾーンでやっていかなければ、どちらかが、否、双方が傷ついてしまう。それだけは避けたい。


 その日は、珍しく琴美がお酒を飲んでいて、酔っていた。阿幽は、毎日ほろ酔い状態、平常営業で通話しているのだが、普段なら琴美はいつも素面。それでも話題が豊富でコロコロと変わる様が非情にかわいらしい。琴美を純粋に好いていた。だから、お酒の飲み方を教えたり、いろいろアドバイスもしたりした。

 今までの阿幽からは考えられないほどの特別待遇。出来上がって来た琴美も結構大胆になってきている。

「あきらさん、わたしがこの間言った言葉覚えてます?」

 と先ほどまで下ネタ連発していた琴美が言う。

「この間っていつ?毎日話してるからどの事かわからないわよ~」

 と突然の言葉に慌てて笑い交じりに阿幽が答える。なんとかとぼけて誤魔化そうとする。

「え、わかんないですか…?まぁ私も誤魔化したから、そんなに記憶に残ってないのかもしれないですけど…」

「まぁそうねぇ、毎日話してるし、冗談だったり真面目な話を沢山してきてるからね」

 沈黙、突然琴美は黙りこくった。ついつられて阿幽も黙ってしまう。一体何のことなんだろう?思い出せない。何かそんな重要な話をしたかしら?などと考えつつ、もしそうなら忘れていて申し訳ないと思う阿幽。沈黙に耐え切れずに、他の話題を振ろうとした。

「そういえば、矢吹ちゃんがさ〜…」
「話を逸らさないで!!」

 少し強めに、声は低かった。琴美がこんな声を上げるだなんて、予想だにしなかったし、まさかこんな声を出すなんて思っても見なかったから。

「ご、ごめんね?こっちゃんが黙っちゃうから居たたまれなくなっちゃって…。でも、言いにくい事なんじゃないの?」

 と、阿幽が言うと、また黙る琴美。

「この間の事と言われても、こっちゃんとは毎日いつも色んな話してるから、どのことか見当がつかないよ?でもごめんね。分からなくて…」


 またまた沈黙。ここまで来ると、さすがの阿幽も琴美が心配になってくる。元々繊細で感受性豊かな子だから、ちょっとの事で傷ついてしまう。

 今、この状況は琴美にとっては良くないのではないか、などと考えてしまっていた。沈黙してるという事は、言い出そうと努力してるんだ。きっとそうに違いない。そう思う。見守りの姿勢に出た。

「良いよ、こっちゃん話せるまで付き合うから、ゆっくりで良いから、ちゃんと教えてくれる?」

 小さな声ではいと聞こえる。


 何分経過しただろう、阿幽も流石にちょっと面倒くさくなりかけていた。今までこんなことがなかった琴美だから、楽しくやっていけたのに、なぜこんな事になってしまうのか。

 阿幽には全く判らなかった。しかし、ここまで引っ張られると、矢張り気になる。何の話なのだろう。興味本位もある。そんな中、琴美が再び口を開いた。

「私はあきらさんが、好きです。その…女性として、恋愛対象としての好きって事です」

 突然の告白、正直阿幽は吃驚していた。

 暫く二人の間に沈黙が続いた。

「やっぱりそうだったんだ…」

 ぽつりとつぶやく阿幽。レズビアンなのは事実だったのだ。阿幽の勘は当たっていた。続けて阿幽は琴美に問う。


「なんで今まで隠してたの?どうして本当の事言ってくれなかったの?言ってくれてたらあんなことしなかった。」

 全部、阿幽にとっては本音である。

 琴美は、予想外の方向からの返事を阿幽から受けて、黙る。彼女の問いに答えることが出来ないから。最初から意図的だったからだ。女性を選んだのもそう。男性相手だと、男性にアプローチされるのが面倒だという理由もあった。しかし、身体の奥底から女性を求めているなんて、相手に告白できない。だからこそ、琴美は隠し続けていた。

 苦い過去の思い出。初めて女の子に恋をした時。あの時と同じだ。詰問され、自分の意見を言わせて貰えない。言いたくても、黙るしかなくなる。だって自分の本当の気持ちなんて言ったとしても受け入れて貰えないもの。それなら黙って、去るしかないじゃないか。

 琴美は、やっとの思いで言葉を紡ぐ。

「あきらさんにとって私が気持ち悪いのはよく分かります。でもこうなると分かってたからこそ隠してたんです。」

 ふむ、と阿幽はあいづちを打つ。その実、阿幽にとってそのような事はどうでも良かった。ただ隠し事をされていた事が気にいらなかった。だからといって、阿幽は琴美の気持ちに応えられようはずもない。セクシュアリティ云々ではなく…「誰も好きにならない」という自らの戒律だけはやぶれない。

 だからといって、阿幽にとって琴美がレズビアンだからという理由で関係性を切るなどという選択肢もなかった。とりあえず、以前のようにお互い気楽に話していたいのだ。

「こっちゃん、ごめんね。こっちゃんの気持ちには応えられない。知ってるよね?私が誰も好きにならないのは。こっちゃんのことは嫌いじゃないし、他の人よりかは特別だけど、私の思いはこっちゃんの好きとは違うから。 別にこっちゃんがレズビアンだからといって、気持ち悪いとも思わないし、どっちかっていうと今まで隠し事をされてたっていうのが凄いショックなのよ。」

 続けざまに阿幽が言う。

「それに、出会った最初にこっちゃんには私言ったよね。”誰も好きにならない”って。それに対してこっちゃんも同じだって、自分もそうだって言ってたでしょ?なんでこっちゃんは私の事なんか好きになっちゃったの?私はそこが凄く不思議。」


「そっ、それは…嘘じゃないです。本当です。私も誰かを好きになるなんて思ってもなかったんです!」


 と琴美は必死に答える。

「はっきり言うね、私は今までもだけどこれからもこっちゃんの事をこっちゃんの求めている”好き”にはならない。言葉遊びや弾みでそういう言葉を言ったことは認める。でも、こっちゃんもそれは理解できてたよね?」

「あっ、はい、それはもう。その場のノリだとちゃんとわかってました…」


 阿幽は畳み掛ける。

「だからわかんないんだよね~?なんで?どうして?好きになられても、疑問だらけで気持ち悪い。レズビアンが気持ち悪いとかじゃなくて、なんでそんな余地もなかったのに好きになれるのかなって思うの。どうして?」


 矢継早に琴美に疑問をぶつける阿幽。反論の余地も与えさせない。それに対して、なにも言えない琴美。ずっと黙って聞いてる。阿幽も言い切ったのか黙る。数分が経っていたが、琴美にとってもは数十分にも感じられた。沈黙をやぶったのはやはり阿幽である。


「ん、わかった。こっちゃんの気持ちはわかった。でも、私は今までのままが良いな、それじゃダメ?」

 と、琴美に選択の余地を与える。ここで切るか、今まで通りに続けるか…二択である。

「そ、そうですね。今まで通りで、楽しく話せれば私も、はい…」

 なんとも歯切れが悪いが、琴美も必死で声を絞り出す。当たり前だ、琴美は阿幽のことが好きなのだから。自分から切るなんて出来ない。

 それで通話は終了した。琴美自身が気まずいのもあり、早々に急用が出来たからと通話を切り上げたからだ。そして、阿幽は、ホッと胸を撫で下ろした。

 いつになく饒舌に、しかもあそこまで琴美に対して迫った自分に自分自身が驚いていた。何故私はあんなにムキになったのだろう。その答えはみつからないまま。

 それからというもの、琴美からの連絡がなくなった。どのくらいだったろうか、1週間、いや2週間は越えていたであろう。その間、阿幽は他の友人と毎夜お酒と会話を楽しんでいたのだが、琴美からは一切音沙汰がない。流石の阿幽も、言い過ぎたかもしれないと思い始めた。携帯にメールしてみる。返事はない。電話を掛けてみる。出ない。一体琴美の身の上に何が起こっているのだろう?

 そういえば阿幽は琴美の事についてあまり多くを知らない。琴美はただ楽しく、当たり障りのない世間話や笑い話しかしていなかった。琴美の不調には自分以外の何かが原因なのかもしれない。でも、それも定かではない。阿幽の中でモヤモヤした感情が渦巻いていた。

 そんなある日琴美から1通のメールが届く。添付ファイルもあるみたいだ。なんだろうと思いそれを見た阿幽は衝撃に包まれる。









-底なし沼-








 琴美の日常は、義父・実母・異父兄からの暴力が主だ。だからこそ、琴美はネットに拠り所を求めた。しかしながら、両親や兄から監視されながらの生活。携帯電話は持ってはいるものの、自分名義ではない。そして、毎日携帯のあらゆる履歴をチェックされている。普段はロックを掛けて見れないようにしているが、暴力によりロック解除を余儀なくされる事も多々ある。

 特に母の監視は常軌を逸している。発端は、小学生時代の親友との問題。当時琴美は、ある日の登校時に下駄箱に1通の手紙を発見した。内容としては、いたずら的なもので、日時指定で学校の体育館裏に来いとの事であった。よくあるいたずら。琴美は面白そうなので体育館裏へ行ったが、誰も来なかった。ただ、季節の所為もあり大風邪をひいてしまい両親に叱られた上、仔細を話した。

 すると両親は激昂し、子供同士のいたずらを学校に報告して犯人を特定した。その犯人が件の親友。冬休みに入り、琴美と親友は学校に呼び出され職員室で話し合いをして仲直りをしろと教師に言われる。仲直りしろと言われても、お互いいたずらなのはわかっていたし、悪意があった訳でないのは琴美にも理解できた。ただ、琴美の両親が学校を巻き込んで大事にしてしまった所為で琴美と親友の仲はギクシャクし始めた。

 両親からは一切口をきいてはいけない。絶対に関わりを持つな!と命令された。中学進学時、琴美はバスケットボール部に入部。親友は美術部に入部。クラスも違う。接点がないので親の言いつけ通り、話をする事も関わることもしばらくなかった。しかしながら、突然親友は美術部からバスケットボール部に移籍してきた。そうなると琴美は両親にその事実をひた隠しにする事に奔走した。

 親友とは元々、バスケットボールが好き。という共通点があり、なによりウマが合った。元々、親友だった二人はバスケットボール部では普通に関わりあった。それでも、親友とは多少なりとも喧嘩があった。それでも、琴美たちは、お互いの両親にバレない様に交流をし続けた。

 そんな中、何が原因かは思い出せないが些細なことでその親友と口喧嘩をした。それにより、部活内で親友による悪意あるいじわるが始まった。それ自体は別に構わなかったが、琴美は試合で故障した足が原因で部活動に参加しなくなっていた。顧問の教師に何故参加しないのか?と訊かれ、琴美は正直に答えた。

「練習も出来ない上、自分より下手糞なやつらの練習を見る事によってバスケが上手くなるんですか?練習が出来ないなら、無駄な時間を費やすよりその時間を有効に使いたいです」

 この一言から、バスケ部全体から嫌われた。顧問にも親友にも。もう何もかも面倒臭い。そして足が治ってから練習に参加すると誰も琴美にパスをくれなくなった。琴美だって今思えば、自分はなんて高慢な態度をとったかは理解できるがその頃の琴美にとっては事実を言って何が悪い!と思っていたのでタチが悪かった。

 どうせ、琴美だけが上手くても周りが下手だと試合にも勝てないしなんだかんだ顧問は琴美が試合に出られる状態になったら重用する。その所為で、試合中に再度足を故障した。そして、顧問は一度捻挫したにも関わらず継続して琴美を試合に出した。そのせいで、整形外科で受けた診断は靱帯断裂。第二次成長期でこれから身長も伸びる可能性があるので外科的手術は避けたい。第二次成長が終わってからオペをしてそれからまたバスケットボールをしなさいと言われた。

 結局、琴美はバスケットボール部を休部するしかなかった。14の夏であった。休部するしない、顧問との軋轢もあり両親はバスケットボール部なんて辞めてしまえ!と言う。休部届を出してはいたが、結局は卒業までバスケットボール部には顔を出す事がなかった。ただ、卒業アルバムの部活紹介の写真を撮る為に無理やり呼び出された。その上、バスケットボール部でゴタゴタがあったことにより、私が親友と再度交流を持っていた事に対して両親は激昂していたのもあり、引き離すためにバスケットボールを諦めさせたと聞かされたのは高校受験の時の話になる。そしてたまたま推薦で進学が決まっていたのだが、奇しくもどうやら親友もその学校に進学するという理由でダメだと言われた。地元の公立高校も、異父兄を知る教師たちのいびりが中学でもあったのでダメだと言われた。

 そんな事もあり、琴美は両親に拠って完全管理された。友人も両親が気に入った者でないと付き合ってはいけない。常に支配されていた。

 そうしてようやく親元を離れて一人暮らしをしていた4年前に自殺志願者の精神疾患の女性と付き合った。その時の彼女はバイセクシュアルで、彼女に呼ばれ彼女の家に泊まりに言った際にセクシャリティの事などで言い争いになり、なにを思ったかその彼女がいきなり琴美の両親へ電話をした。時間は深夜2時を回っていた。強制カムアウト。(アウティング)

 それが原因で、琴美が同性愛者であると両親に露見してしまう。当然両親は、娘の性癖について否定的で母に至っては暴力と罵詈雑言が酷く、病気だと決め付ける。

 その頃琴美は学校の課題で不眠気味でもあった。ひっそりとメンタルクリニックに通ってもいた。ただ、悪いことに精神疾患の彼女に感化されたのか引きずられたのか、彼女のようにODと大量のアルコール摂取をするようになった。眠れないから眠る為と自分に言い聞かせて睡眠を確保していた。

 学校に行く前にウイスキーをワンショット飲み干して通っていた。それが益々エスカレートしていって常に酔っ払い状態に。そんな年のGW。琴美は実家に帰っていた。両親から見れば言動もおかしく、かなり奇異な状態だったのだろう。その事について両親とは言い争いをした。病気である事を望む両親への当てつけのように、リストカットのみならず、アームカットを繰り返し、腕から血を流しながらカラカラと笑う娘の状態を見て義父が居た堪れなくなったのだ。

 琴美を精神科の閉鎖病棟へ入院させる。
 
 
 入院した病院では、所謂多剤大量投薬により小学生レベルの能力までに引き下げられ、毎食後10錠以上の薬を服薬していた。


 その時の主治医は、琴美を統合失調症+性倒錯症と診断し、退院するには矯正(主に性倒錯症に関して)の必要があると判断していた。最初は琴美は徹底的に主治医に対して抵抗していた。何故なら、自分のセクシュアリティを否定される謂れは無いし耐えられない。自分自身が悩み、苦しんで、それでも変えられなかったからだ。だが、次第に琴美はどうでも良くなった。


 閉鎖病棟での閉塞感や不自由に不満が積もり積もっていた頃に知るの退院の条件。性倒錯症の完治が確認出来たら退院は認められると医師が言った。至極明確な条件なので程なく難なく琴美は退院する事が出来た。

「女性が好きなんて自分で気持ち悪いし、どうかしてたと思います。これから社会復帰に向って頑張ります」

 その一言で退院は決まった。薬漬けの中でよくここまで判断力が残っていたと、後になってから考えてみると琴美自身が当時の自分の事を凄いと思う。結局は、精神科の薬じゃあ琴美の病気(そもそも統合失調症でもないし、性倒錯症はまあ時代的に仕方ないが)の根源は解決されないことを無意識に悟っていたのだろう。とにかくやっと閉鎖病棟から抜け出した。


 退院して、両親から聞かされたことなのだが、付き合っていた女性は、琴美の両親の要請で琴美へ面会へ来るように依頼したみたいだ。だが、相手の返事はNO。まぁ、そういうものなのである。あんなに好きだ嫌いだなんて言いあっていたとしても、所詮は他人。女同士。それに彼女はバイセクシュアル。琴美の他に男性を何名かキープしているのも知っていた。だから、納得した。


 ようやくだが本題に入る。


 阿幽への告白以降、琴美は両親や異父兄からの監視がいつにも増してきつくなっていた。理由としては、阿幽との事で、精神的に不安定になったりしていたからだ。流石にODやアルコールには走らなかったが、両親に対する言動が不評だったらしく、制裁として母に携帯を取り上げられてしまった。同時に、暴力も受けていたので、連絡したくても出来ないのだ。

 それに加え、義父には包丁で追いかけ回され、髪の毛をズタズタに切られ、母からは煙草の火を首筋に押し付けられたり。異父兄は、母の指示の元、大変嬉しそうに琴美への暴力を楽しんでいた。


 琴美としては、もう、慣れている。殴られることも、人格否定されることも謂れのない罵詈雑言も、拒絶されることも、一方的に裁かれることも全て。もう、どうでも良かった。その場をやり過ごせば、多少なりとも自分の時間が出来る。その自分の時間というのは、阿幽とのやり取りなのだが。

 それにしても阿幽さんはレズビアンが気持ち悪いではなく、何故か阿幽さんに好意を向ける相手の心境が気持ち悪い・理解できないなどというの言葉を明言したのか?別に好意事態は数多くの男性から寄せられている人だし、言葉遊び程度に交わすのもお得意な筈なのに…

 ”なんで嘘をついていたのか”

 などと琴美に詰問したのだろう。何故阿幽が嘘をつく事にこだわっていたのか?琴美には全く理解できなかった。

 幸いなことに、阿幽は琴美に対して、拒絶はしないし、今まで通りの関係で居たいと言ってくれた。それが何よりの僥倖だといえる。琴美は現状、義父・実母・異父兄からの暴力でベッドから動ける状態でもなく、通話ソフトにログインするのも禁止されていた。まあ、日にち薬というか日月を経ると母のガードも甘くなる。そんな中で何とか携帯は回収する事に成功する。

 多分、阿幽がとても心配してるはずだ。琴美はメールを打つことにした。そのときになって漸く気づいた。阿幽からの数多いメールと着信。要らぬ心配を掛けてしまっているし、前回の事で誤解さているかもしれない。

 という訳で文字だけのメールだけでなく、写真も添付した。傷跡だらけの身体と無残な髪型を。

 琴美としては、阿幽が原因で音信不通になった訳じゃないとわかってもらいたかった。ただそれだけ。狂言自殺を企てたわけではなく、自分自身におきている事実を知ってもらえれば、この間のこととは無関係だと思ってもらえると思っていた。


 だが、そんなに甘くは無かった。









-彷徨-








 阿幽としては、琴美を突き放す形にはなったが、今まで通りの関係で居たかった。だからこそ、阿幽は饒舌に琴美が自身を責めないように言葉を選んで言ったつもりだ。しかし、あのメールの添付画像が衝撃的だった。まさか琴美が家族から暴力を受けていたなんて思いもよらなかった。

 いつも勝気で、誰にも負けない強さを持っている子だと思っていたのに。そう考えると、阿幽にとって、自分がとても恵まれているように感じてしまう。毎日早朝からパートに数時間出て、昼前にはお酒を買い、家に帰る。家では愛犬が出迎えてくれて、暇なときはネットをし、製菓作りに精をだす。

 ごくごく当たり前の日常を送っていた。

 ”籠の中の鳥”というのは、本来はあの子のような子の事を言うのかもしれない。しかし、阿幽の思考はそこで停止する。別にどうでもいい。否、琴美のことは心配だ。だからと言って、自分自身を”籠の中の鳥”などではないと肯定することは到底出来なかった。

 そんなことをしてしまえば、阿幽の27年間を否定せざるを得なくなる。今まで必死で親の過干渉に耐え続け、ついには結婚相手まで親が選んだ。破局は自然と訪れた。

 今だから言えるが、阿幽は別に結婚したままでも良かった。ただ、相手の男性が、阿幽の表情や感情表現に乏しいところに気味の悪さを感じていた。炊事・家事などはソツなくこなす。文句の言い様のない妻。それは、妻にとってはただの作為的な振舞いにしか感じられない。

 阿幽は妻として、完璧さを求めすぎたのがよろしくなかったのか、夫は段々と妻との距離を感じ始める。

「こいつは、一生俺といて楽しいのか?幸せなんだろうか?」

 別れ話を切り出したのは旦那からだった。

「あきら、おまえは俺の事を愛していないだろう?それは初めからわかっていた。だけど、なぜこんなに俺の身の回りのサポートを一生懸命するんだ?」


「両親に結婚したらそうしろと、言われたからです」

 と、無表情で答える阿幽。その表情と、理由に愕然とする男。もう答えは言わずもがな、聞かなくても分かる。

「それじゃあ、お前は少なくとも俺と一緒になってからは幸せではなかったんだな」

「申し訳ないけど、そうです」


 離婚はあっさりだった。男も自分に執着はせず、離婚後即再婚したくらいだ。ああ、と胸を撫で下ろす。子供が出来てなくてよかった。子供なんていたら、枷にしかならない。だから私はこのままで良い。もう2度と結婚なんてしたくない。世の大多数の女性達と交わっても価値観があわない。だって彼女たちはどうやったら他の女より良い男を見つけられるか?そのような会話しかしないのだから。

*
*
*

 阿幽は、琴美からのメールにどう返していいかも分からずいた。だからといって携帯に電話を掛ける気も起こらなかった。ただただ、琴美のことが心配ではあった。一体彼女は何処でどうして誰といるの??などただ好奇心もあり知りたかった。


 深夜2時を回ったころだろうか、ついに好奇心に負けてしまった。


*
*
*


 阿幽は琴美に電話した。コールする。8度目のコールで琴美がでた。

「もしもし、あきらさん?」

 無言のままの阿幽。拍子抜けしたのだ。あまりにもいつもどおりで、元気な琴美の声を聞いて…脱力し、何も考えられなくなった。今まで私がしていた心配という名の好奇心は何だったのだろう?そんなことを考えていたら、

「心配掛けてすみません。メールに書いたような状況だったので、連絡したくてもできなかったんです」


 と琴美がコロコロとした声で言う。
 
 
「パソコンはまだ使わせてもらえないですけど、あと数日もすればほとぼりが冷めるのでそれまで待っていてください」


 相変わらずトーンの高い声で琴美は言う。

「ねぇ、今までずっと、私と話している時にもご両親やお兄さんから暴力を受けていたの?」

 と聞く阿幽。

「んー、まぁ今回のはちょっとでかい波でしたけど、ちょっとしたのならしょっちゅうですよ。」

 笑いを含んだ声で琴美は答える。

 
 分かった、この子がおどけるのは、辛いこと・痛いことを受け流すための手段なのだ。琴美が楽しそうに振舞えば振舞うほど、傷口は広がり、痛みは更に増すばかりなのだ。

 今までのことを振り返って阿幽はそう思った。だからといって、阿幽に琴美を救えるはずもなく、そんな気持ちは切り捨てないと阿幽自身が引きずられて壊れてしまう。この子にとって、現実は幻想で、ネットが現実なのかもしれない。正常で居られる場所。拠り所。呼び方はどうでもいい。

「なんだー、そうだったんだ、いやーリスカやODなんて事してるのかと思ったじゃん!!ほら、この前私がこっちゃんに結構色々言ったでしょ?言い過ぎたかなぁ~。って責任感じてたのに、もう!違ったんだもん!でも、安心したよ」

 と、いつもどおりのテンションで返す阿幽。


「はい、リスカやODなんて面倒なことはしません。両親・兄の暴力と監視のせいなので阿幽さんには責任ありませんから!」

 答える琴美。

「みんな、心配してたから、私からこっちゃんは元気だって伝えておくね。次通話できそうな時は会議に来る?」

「いいですねぇ、丁度みんなが恋しかったんです。ほら、殴られてる時って暇なんですよねー。殴られてる時は身体の痛みはあるんですけど、心は別に痛くないじゃないですか。暇なんで他の事考えたりするんですよー。あー、今頃みんなは会議で楽しんでるんだろうなーって。私会議得意じゃないですけど、やっぱり恋しくなったりするんですよね。」

 あはは、と笑いながらサラリと言ってのける琴美。


 琴美にとっては暴力は日常的で、”慣れて”いるからこそ出る言葉であろう。阿幽はそんな琴美が痛々しかった。でも、どうしようもなかった。何もしてやれないことは明白だ。取りあえず安否確認は出来た。それでよしとしよう。と自分に言い聞かせつつ、携帯通話なので通話料が発生する。最低限の確認はしたので、早々に通話を切り上げる。


 部屋に戻り、愛犬2匹に囲まれながら、阿幽は琴美の事を思う。私がなんとかしてあげられるとしても、琴美は拒否するだろう。そして、そもそもそこまでする義理はない。だがしかし、琴美が今この一瞬でも気になるのは変わらない。泣いていたり、痛みに震えているかもしれない。大変興味深い。阿幽は自分自身に湧き上がっていく感情の正体に気づかないまま。多分このままずっとわからないのだろう。


 阿幽は観察対象としての琴美の復帰を願った。

-彼岸-








 間もなくして、琴美も無事ネットに復帰した。阿幽にとっても、いつも通りの日常が戻って来る筈だった。阿幽自身も何か違和感を覚えつつも琴美とのやり取りは続く。大人数での会議、個人通話さまざまな形をとっていたが以前と何も変わらない。ただ、阿幽が気づいていなかった。気づこうとしなかっただけなのだ。日に日に変化する自分自身の琴美への想いを。

 今まで、阿幽にとってネットでの交流関係は広く浅く。”来る者拒まず、去る者を追わず”が常だった。なぜかといえば、今まで関わった人間の多くが心を病んでいたからだ。深入りすると引きずられる。かろうじて生の側にいる阿幽としては、死へと傾いてはならなかったからだ。それに、琴美と知り合ったのも自殺系サイトだった。

 だからか、まともに話が出来る琴美を好ましく思っていた。何があっても「大量服薬をした」「リストカット・アームカットをした」などと、振り回されることがなかったからだ。日々の出来事。楽しいこと、時にはシリアスに死生観について語り合いもした。そんな琴美だからこそ、阿幽の特別になっていたのに、阿幽自身はそれを認めようとしない。


 今回の事だってそうだ、いつもなら連絡が途絶えたらそのまま放置して自然消滅で終了。だのに、阿幽から連絡を取ってしまった。普段なら捨て置く筈の阿幽が自ら連絡を取り、安否確認するなんて事が異常なのだ。だがそんな事実を阿幽は意図的に見ないようにしていた。


 辛くてもいつも楽しそうに話をする琴美。会議になるとその場の空気を読み、おどけてみんなを楽しませる琴美。だが阿幽は知っている。琴美の笑顔の裏に深い深い闇が眠っていると気づいてしまった。殴られながらも、微笑みを浮かべているであろう琴美が想像できるほどだ。

 あの子は本当に自分のことなんてどうでも良いのだ。だからこそ、物理的な自傷になんて興味を持たないのだ。話に聞いたところによると、以前は大量服薬やアルコール大量摂取にリストカット・アームカットをほんの少しだけしていたらしい。
 
 だが、それにより、精神科の閉鎖病棟への強制入院をさせられてから琴美は変わる。波風を立たせず、ただただ日々を凪のように過ぎ去るのをやり過ごすことに費やしていた。そんな中一筋の光が阿幽だったのだ。

 
 
 阿幽にとっては、そんな琴美のバックボーンを知った上でついこの間の出来事とで色々とショックを受けた。今までのように気軽に接することが出来なくなって来ていた。琴美の事を考えすぎるあまり、言葉も選ぶようになった。そして、会議で沢山の人と話している時の琴美のおどけ具合がもう見てられない。

 居たたまれなくなる。痛々しすぎて目も当てられなくなってきていた。悩んでいたのだ。今後の琴美との交流をどのようにすれば良いかわからなかった。自分ではどうすることも出来ないと感じていた。私はどうしたいの?と自問自答しても答えは見えない。そんなある日とある人に相談してみた。


 相談の相手は琴美との共通の話し相手の矢吹。阿幽と琴美の両者を一番良く知る人物だ。要は阿幽は自分が混乱しているので、アドバイスが欲しい。いつもではありえないほどの剣幕で矢吹に相談していた。矢吹は言う。

「そろそろ、自分の気持ち認めちまったら良いんじゃねぇか?」

「やだっ!!それだけは譲れない。そんなことを認めたら、私の今までが無意味なってしまうじゃない!!」

 と答える、阿幽。

 天地がひっくり返っても、阿幽自身に変わる気はないらしい。要は琴美を自分の都合の良い存在・素材に戻すために奔走しているらしい。そんな阿幽を見て矢吹は、

「どうやら治療が必要なのは阿幽の方だな…俺からみてこっちゃんはそんなに問題あるようには思えないし…」

 なんだかんだと話してもラチがあかない。阿幽の主張は、琴美をどうにかして欲しい!の一点張りだったのだから。無意識だとしても、それはとても手前勝手な願望だ。やれやれと思いながら矢吹が提案した。

「荒療治だけど、なんなら俺がこっちゃんに話してやろうか?そうすれば阿幽はこっちゃんから解放される。本当の意味で。もうこれ以上煩わしい思いもしなくて良くなると思うけど…?」

「なにそれ、こっちゃんを切ってしまえってこと??それも嫌だってさっき言ったじゃない」

 じゃあどうすりゃいいんだよと内心でひとりごちる、矢吹。

「じゃあ、まぁ、簡単に言えば今までと同じ風に話したい阿幽の気持ちを伝えつつ、こっちゃんにも妥協の余地を見出して貰うって話だよ」


 黙る阿幽。

「わかった。でも、すぐにはしないで。時期を見て、限界だと思ったらその時にお願いしてもいいかな?」

 おいおい、もうその時期じゃないのか?と内心突っ込みをいれつつ矢吹は了解した。

 だが、その日はそう遠くなかった。矢吹に相談するまでもなく、阿幽は切羽詰まっていたから、暴走し始めたのだ。阿幽は徹底的に琴美を避けるようになっていた。他の共通の友人とは通話とお酒を楽しみつつ。

 琴美にとってはどれだけ傷つく行為だっただろう。意図的に距離をとられ始めた。何が原因?告白にしても、いつも通りでって言ってくれたし、琴美が連絡取れなくなったときのことも納得してくれた。一体琴美が何をしたのだろう?

 そしてある日、珍しく阿幽から琴美に声を掛けて来た。いつも通りの楽しい会話。お酒を飲んで丁度良く出来上がっていた二人。楽しいこと・面白いことに話題は終始した。そしてご機嫌で通話は終わった。

「また明日ね~!」


 という言葉を残して。

*
*
*

 避けられ続け、つい最近ようやく通話をしたものの、そのやり取りは琴美にとっては漫然としていた。だって、いつも通り当たり障りの無い会話。   

 否、それはいい。私も望んでいることだから。だからと言って、今まで避けられていた理由を明言しない阿幽には正直煩悶とした。琴美はストレートに阿幽に問うが、阿幽はのらりくらりと論点をズラしてかわす。琴美にとっては納得が行かなかった。そして、その通話以降3ヶ月。阿幽からのメッセージもない。琴美からメッセージを送っても、「今忙しいから!」と断れ続けられる日々。

 どうしたものか、何が阿幽さんを変えたのだろう。私が何か粗相をしたのだろうか?そんなはずは無い。琴美は琴美の一身上の都合のことなど、阿幽にとってそんなに問題ではなかったのだから。嘘をついたという点以外についてはだけれども。それに嘘なんてついていない。ただ、聞かれなかったから答えなかっただけだし、自らの不幸を他人に吹聴して回る趣味も琴美には無かったから。


 理解しがたい現状を打破するにはどうすれば良いか。実際琴美の欲望としては、実際に阿幽にいや、あきらさんに会って話がしたい。顔がみたい。声が聞きたいとい思いで一杯になってきていた。そこで琴美は思いついた。そういえば、本名も教えてもらった。住所は分からないけど、最寄の郵便局は分かる。そうだ、この情報を頼りに直接会いに行こう!そう思った。しかしながら、あまりにも無鉄砲な計画なので、琴美は悩む。ふと、そんなとき思い出した。

 阿幽がパソコンの組み立てを頼んだ友人がいた。名は有吉。有吉は阿幽の住所を知っている。何とかして聞き出せないかと画策した。幸い有吉は琴美のことを気に入っていて、アプローチされていたことも利用し、琴美は阿幽の住所を聞きだした。


 さあ!あとは行動あるのみ。琴美は、公共交通機関に乗り込む。阿幽がいるであろう町に向って。不思議とワクワクしていた。お互い写メ交換で顔は知っている。少し殴られた傷の治りが遅く、顔や体中に痣や傷跡があり、ズタズタに包丁で切られた髪の毛のことなんて気にならない。そんなのお構いなしだった。


 とにかく現実で阿幽に会いたかったのだ。









-分水嶺-




 「今あきらさんの家の近くにいます。出てきてくれませんか?」

 1通のメールに阿幽はとても戸惑った。実際に来ているのなら会ってみたい。なんて思ってしまったからだ。でも、会ったらダメだ。あの子への気持ちにブレーキを掛けているのだから…。実際に顔を見たうえで"特別"だと思ってしまってはダメ。

 あの子の事はその他大勢と同じにみなければ今後続かない。阿幽は自分自身の中にある感情が他人に傾倒することを善しとしない。自分自身が保てなくなるからだ。そんなこんなで30分程経過する。意を決して阿幽はメールの返信をした。

「こっちゃんとは会えない。だから帰って」

 とだけ。実際来てる来てないかなんて分からない。会わなければどうってことはない。ただのジョーク、琴美のお遊びかもしれない。だからこれで良いのだ。しかしながら、琴美から驚くべきメールが届く。

「それじゃあ、家の前まで行きます。待っていてください」

 阿幽に衝撃が走る。もしかして、あの子は本当に私の家に来るつもりで居る?でもなんで住所なんて知っているのだろう?ふと思い当たる。有吉か、あいつはこっちゃんにもアプローチしてたから、なんだかんだで教えてしまったに違いない。


 まずいことになったと思った。別に家の前にまで来られるのは構わない。今なら家族は家に居ないから。琴美が来たら追い払えば良いだけのこと。そう、それだけのことなのだが阿幽には引け目があった。それは写メだ。流石の阿幽も琴美と写メ交換はしていた。がしかし、それは別人。阿幽の送った写真は阿幽の姉がうつっていた。

 そうなのだ、実際琴美と顔を合わせる時に、ったくの別人として振舞わなければならない。とりあえず、"あきら"の不在に関してしつこく聞かれたら、上手くごまかす自信はあった。なんとでも取り繕える。などと、考えていたら玄関からチャイムが聞こえる。来客を告げる音。そう、琴美だ。ドアの覗き穴から確認する。写メの通りの女の子。だが、髪の毛がグチャグチャで顔や腕に痣がある。まだ治ってなかったのか。などと考えつつ、すぐに出て声をかけてあげたい衝動に駆られた。いけないっ!!ぐっと自分を抑える阿幽。余計に出づらくなってしまった。

 居間に戻って愛犬たちが鳴き喚くのを諫めながら、これからどうしようかと、考えた。このまま無視し続けても良いかもしれない。諦めて帰ってくれるかもしれない。家を間違ったと思ってくれるかもしれない。グルグルと頭の中で色んな考えが回る。その間も何度かチャイムは鳴る。吠える犬たちを尻目に阿幽はどうしよう!?と考え込んでいた。小一時間位経っただろうか?ハッとして、居間の窓から玄関先を見る。するとそこには座り込んで頭を抱えた琴美が佇んでる。

 まずいわね。このままだと、夕方になると家族が帰ってくるし、何かあったら阿幽自身も困る。かと言って、阿幽にどうすれば良いかなんて名案は浮かばない。ワンッワンッと吠える犬。阿幽に絡み付いて、来訪者が玄関先に居ると伝えてくる。犬をあやしつつ、阿幽は思いついた。丁度いつもならこれから犬の散歩に出る。都合がよい。散歩ついでに玄関先で、他人のフリして琴美を帰してしまおう。そう考えたのだ。阿幽は、即行動に移す。リードを手にした阿幽を見て犬たちは尻尾をブンブンと振り回す。お散歩の合図。そして、ウンチ袋を用意する。日よけの帽子をかぶる。よし!と阿幽は玄関先に立つ。


 玄関を開けた先には、玄関先に腰かけた琴美の背中が見えた。こっくりこっくりしてる。多分、眠っているのだろう。だが、すぐ阿幽の存在に気づき飛び起き振り向く。驚いた琴美の表情を見て内心、よし!と思う。阿幽。

「あ、あきらさん…?」

 と案の定驚いた声と表情で言う琴美。阿幽は自然に声を掛ける。

「何か御用ですか?先ほどからうちのインターフォン押してましたよね?もしかして、どなたかのお宅と間違ってらっしゃいます?」

 こういえば、誤魔化せる。そう思っていた。だが、それが甘かった。阿幽の声を聞いた途端に琴美の表情が柔らかくなった。


「あきらさん、声で分かります。写メも嘘だったんですね。別に構いません。私、直接会ってお話がしたかったんです」


 2人の間に沈黙が訪れる。そんな場合じゃないっ!ここまで来たらシラを切りとおさなければ!阿幽は必死に声を出す。


「どなたか存じませんが、今から犬の散歩がありますので、失礼します。どうかお引取り願います。では!」

 とだけ言い残し、犬を先導して足早に去る。いつもの散歩コースと逆方向へ行くので犬たちは抵抗したが、それも無視した。とりあえず、あの子から離れなければ!!という気持ちで一杯だった。散歩もいつもより長めにし、家路につく。もし、まだ玄関先にあの子が居たら…多分、家族が帰ってきている時間なので、通報なりなんなりして追い返してるだろう。と考えつつ自宅玄関前に着く。諦めて帰ったのか?それとも家族とひと悶着あったのか??などと、一抹の不安を残しつつ家の中に入る。

「ただいま~」

「あら、今日はのんびりだったのね。いつもならもっと早く帰ってるのに…」

 と阿幽の母が答える。良かった。早々に諦めて帰ってくれたのだ。ホッとして犬たちからリードを外し、ご飯の準備をし与える。阿幽も自分の食事やお風呂など日常的なことを大方済ませて、自室に戻り、パソコンに電源をつける。


 通話ソフトを起動し、矢吹がオンラインなのを確認して阿幽は声を掛ける。


「もう無理。なんでも良いからあの子から離れたい。もう連絡を取り合うのも無理」 

「おいおい、穏やかじゃないなー。俺は何も言わないよ。阿幽の好きなようにしな。あとは俺がなんとかしてやるさ」


 とだけ、その日はそれだけで阿幽はパソコンの電源を落とした。

 部屋の明かりを落とし、暗くなった部屋の中で布団に包まり震える。阿幽は何かにおびえていた。

 それは何かわからない。だからこそ、やり過ごすために布団に巻かれて朝までやり過ごすのであった。









最終章 -虚堂懸鏡-








 阿幽は琴美と会ってから徹底的に琴美避けていた。琴美は何が原因なのか分からない。写メと姿の違う阿幽の本当の顔すら気にならなかった。別に嘘を吐かれていたこともどうでも良かった。顔を見て、会話としては成立しては居なかったが言葉は交わせた。それだけでも琴美は満足だった。

 しかし状況は悪化の一途を辿る。

 矢張り、突然会いに行ってしまったのが原因なのか?そうとしか考えられない。でも、琴美には自身の衝動を抑えられなかったのだ。ただただ阿幽に会いたいと願い、行動した。


 会いに行ったことが原因にしても、このままでは嫌だと思った。なので琴美は阿幽にメッセージを沢山送った。だからといって、阿幽と話が出来る訳ではない。


 そんなある日。琴美は矢吹に声を掛けられた。あのおちゃらけた男がいつになく真面目に声を掛けてくるもんだから個人的に通話をすることにした。

「こっちゃん、阿幽に煙たがられてるぜ。何があったのかは知らないが、共通の友人にこっちゃんのある事ない事言い回ってる。俺も聞いたよ。会いに行ったんだって?ストーカーみたいで気持ち悪いって言ってたよ」


 衝撃の事実。琴美は阿幽にそんな風に思われていたことがショックだった。そのまま続ける矢吹。

「俺や他の人をあてがおうとしたのも、別に男を紹介する云々じゃなくて、面倒くさかったってからだって阿幽が言ってた。要は、こっちゃんは阿幽に煙たがられてたんだよ。諦めなよ。現に阿幽はこっちゃん以外の人間とは俺含めて毎日会議してるし、俺としてはこっちゃんが可哀相でさ。誰かが本当の事を教えてやらなきゃいけないと思って。傷つけるのは分かってたけど、理由のわからない事に傷つくより理由を知ってる方が良いかと思ったんだ」


 それから何を話したか、話して聞かされたか琴美は覚えていない。阿幽が自分を疎んでいたこと。面倒くさくて、誰かに任せてしまいたかったこと。地面が音を立てて崩れていく。もうこれ以上立っていられない。でも、まだ、ちゃんと阿幽の口から本当の事を聞かないと、納得できない。ようやっと言葉を紡ぐ。


「矢吹さん。なんとかあきらさんと二人で話せる場を作って貰えませんか?」

 と、矢吹に請う琴美。

「お、おう、俺はいいけどよ、阿幽が逃げるんじゃねぇの?まぁ聞くだけなら構わねぇけどよ。おっ丁度今阿幽からメッセージ来たわ。ちょっと言ってみるよ」


 またひとつの事実に驚愕する琴美。阿幽はおそらくオンライン状態を隠してはいるのはわかっていたが、琴美が送ったメッセージには応えず、矢吹や他の人には応えているのだ。

 矢吹は阿幽とのメッセージのやり取りをしている。カタカタカタと矢吹のタイプ音をマイクが拾い、スピーカーから流れる。何故だか妙に耳に障る。

「ところで、今こっちゃんは阿幽のこと見えてる?」

 と矢吹が問う。

「いいえ、見えてません。私からはオフラインに見えます」

「そっかー、実は俺は阿幽がオンラインに見えてんだわ。この意味分かるよな?」

「ええ…はい…」

「ということはだ、こっちゃんはもう阿幽から拒否されてんのよ。もう終わってんだよ。俺はどちらかのカタを持つ気はないけど、諦めな。こっちゃんとしても阿幽に振り回されんのしんどいでしょ?」

 などと、諦めを促され慰められる琴美。でも一言だけ、聞いておきたかった。確かめたかった。"誰も好きにならない"と言っていた阿幽。でも人間に絶対なんてない。

 確かに自分は特別だった。好かれていた。じゃなかったら毎日話してくれてなかった筈だ。琴美が親・兄弟から暴力を受けて連絡出来なかった時、メールをくれた。電話もくれた。だからこそ、自惚れていた。

「最後に聞いておいてもらいますか?"あきらさんはほんの一欠けらも私のこと好きじゃなかったのか?少しでも私の事を好き又は特別だとだと思った瞬間がありましたか?"と」

 意味は問わない。認めて欲しかった。阿幽から受ける特別待遇。琴美もバカではない。種類が違えど好意を感じていた。だからこそ、琴美は矢吹に頼んだ。

 矢吹は暫く沈黙し、静かに口を開いた。


「わかったよ」


 カタカタとメッセージを打つ矢吹。返事は即来たようだ。


「こっちゃん、聞きたいか?」

「はい、もう何も驚くこともありません」

 琴美には想像できていた。阿幽を良く知るからこそ、どう答えるかが想像できた。

「"今まで誰に対してもそんな気持ちを抱いた事なんてないし、今回も例外ではなかった。勘違いさせてごめんね"だってよ」


 ああ、と思った。そういう人だ。阿幽はそう言う人間だ。意固地で凝り固まっていて、自分の世界を守る為にはどんな手段をも厭わない。

 誰に対しても冷淡で、冷酷で。でも、その氷を少しでも溶かすことが出来ていたかもしれない。なんて、おこがましかった。

 阿幽は変わらなかった。琴美が変わったように、阿幽が変わる事を求めていた。それはとても傲慢だったのだ。もうここまで来たら、二人の関係は終わり。ただそれだけなのだ。

*
*
*


 あれからどれくらい経っただろうか。琴美は、未だネットの世界に身を委ねている。

 ただひとつ、以前と違うのは誰ももう信じない。心を開かない。”誰も好きにならない”ということだけだ。その決意は確固となり、琴美を支えている。

 日夜、暇潰しの相手を求める。男女構わず誰でも良い。1分でも1秒でも長く暇がつぶせるなら。悲惨な現実から目を逸らす事が出来るなら手段は問わない。

 純粋だった琴美は、自分自身の何かと問われれば形容しがたい大切なものと引き換えに変わってしまった。毎夜、男性相手にして罵り、嘲笑しながら日々が過ぎていく。

 だが不思議なことに、何故か今でも矢吹とは交流がある。あれ以来、阿幽の話題は一切でない。矢吹自身も阿幽と縁が切れたようだ。矢吹はと言うと、毛生え薬やEDに悩んで薬の個人輸入の為に琴美に英語の翻訳を頼むなどというくだらない用事で琴美の時間を奪う。

 琴美にとっては別に苦ではなかった。阿幽を失ってから、変わらない者もいるという事に何故か安堵を覚えつつ矢吹とのやりとりは続く。そんな中でもあの最後の日、阿幽を失った時の矢吹の言葉が忘れられない。

「"こっちゃんは偏狭だ捻じ曲がってる"って常々言っていた本人が一番のわからずやだったのさ。気にするな。時間掛かるだろうけど、ゆっくり自分を取り戻しな。俺が見た限り、こっちゃんのが善くなる余地はあると思うぜ」


 などと言われても、何の慰めにならない。だけで、何となく言いたいことは分かった。少し救われた気もした。

 だからといって、あの楽しかった日々は失われたんだ。多分悪いのは私だ。と思う琴美。自身を責め苛んでも、過去は戻ってこない。いつの日もあの日々より眩しくはない。

 あの時、あの頃、私は確かに倖せだった。ひとりだった琴美は確かにひとりではなかった。阿幽の不在は今でも琴美を苦しめる。

 夢にまでみる。夢で逢えるだけ倖せ。なんて強がれる程阿呆ではない。これからもネットの夜闇の中でこのまま変わらずにいるのであろう

 幻想が現実に変わる日まで――――

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イシダ チアキ
エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。