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不純な動機でした!留学失敗談 01

留学までのいきさつ




前置き


 私は小学生~中学生時代まで、友人関係を親に管理され支配され続けていました。加えて異父兄があまりにも際立つ問題行動を起こし、警察のお世話にもなったりで"あいつの妹"や、母のコブ付きで初婚男性を誑し込んだという認識の保護者達による影響で同級生たちからも変な子と認識されていました。

 例えば、中学生時代。私が小学生時代の義父は、家庭内不和でストレスにより円形脱毛症になり仕方なく坊主頭で過ごしていました。それは義父が義父方の祖母たちとの別居を決意し実行して暫く経つと治りました。そうして義父は髪を伸ばしました。ただ、長髪にしてポニーテールまで結ってしまったので今までの義父のビジュアルを知る人には別人に見えたかもしれませんw

「ちーちゃんのお母さん、また結婚したの?」

 用向きは失念しましたが、学校に父兄が集まる際に義父を見かけた同級生から掛けられた言葉。当時の私は何も気づきませんでした。

「え、ただ髪の毛伸ばしただけだよw」

 と言葉を返しました。

 今思うと、同級生は同級生の親または同級生の間ともしくはその両方で、私の母は男をとっかえひっかえするふしだらな女だと周知されていたのでしょう。まあ、事実ですし、内情を知る身としては残当!と声高に同調しますw

 まあ、そんな事は当時の私は気づけなくても義父・母には伝わっていたのでしょう。そう考えると、高校進学時に義父が地元の高校でもなく、我が家の事を知る同級生もいない高校へ行ってほしいと思ったのかもしれません。

 好意的に考えたとしても上記までです。だって、それって親が決めることですか?私が決める事じゃないですか?勝手に決めつけられて甚だ迷惑至極な訳だったのです。しかし、私には選択する余地すら与えてくれなかったのと中学三年次に奇しくもクラスでいじめが発生していました。私はたまたまいじめの被害にあっていた女子と同じ班で、たまたま話をする機会が多かったのを覚えています。

 男子生徒からの言葉のいじめがあったのですが、私としては基本的にどうでも良かった。どうでも良くなくなったのは、ディベートの授業中にいじめをしていた男子生徒がいじめられっ子女子へ、ディベートから逸脱した個人的な悪口を言い続けてきたのです。同じ班の私は、私のディベートの学習の妨げになる事をしてきたので大変不快であり、邪魔なものを排除したくて。でも、教師は何も言わない。我慢に我慢を重ねた結果、私は幼かったこともありとても乱暴に、自分の使っている机を蹴り上げていじめっ子男子に、

「おまえら、ええかげんにせえよ!!!」

 と怒鳴ってしまいました。

 断っておきますが、私は、同じ班の女子が受けていたいじめについて無関心でした。なんなら、ディベートの授業のこの瞬間までそれに気づいていませんでした。しかしながら、私は基本的に自分に害がなければ何事もスルーする主義です。今でもですが自分を守るので精一杯です。10代の自分自身の面倒を見るので手一杯。私は、私さえ良ければ良い。他人の痛みなんて何百年でも放置していられる。私は聖人君子でもないし、綺麗な言葉を並べて自らまたは他者を陶酔させたりする趣味もありませんでしたし。自責・他責は楽になる方法だと知っているし、した事もある。その上で、私は自分自身と戦い続けて生きていこうと思っていましたし、現在もそうです。

 話を戻します。机を蹴り上げ、いじめっ子男子たちは黙る。教師が慌ててなあなあにしてその授業を終えました。何故か私が職員室に呼び出されてw呼ばれたので職員室に行きました。職員室までの道のりを、何故かクラスメートの女子に付き添われました。

「私もぉ~いけないってぇ~思ってたけどぉ~言えなくてぇ~。言ったイシダさんって凄いよね!!!」

 鬱陶しい事を上記以外に言われましたが、まあ、ヒーロー扱い。そんな女子たちにもイライラしながら私は職員室に呼ばれて叱られるんだろうなあってそう思って、胸糞悪かった。

 そして職員室で担任教師に掛けられた言葉。

「あの時俺も良くないと思っていたがどうしようもなかった。イシダ、助かった」

 はあ!?お前まで、取り巻き女子と同じ言葉を掛けますか???教師ってアホなの?バカなの?と思いました。

 まあ、そこまでは良いです。

 問題なのはここから。いじめられっ子女子から、放課後帰宅してから毎日毎日毎日(略)電話が掛かって来ました。いや、私はお前の味方でもないから・・・。めんどいので、はいはいはいはいと肯定しておきました。そしてついにある日言いました。

「死にたい」

 うわっ、めんどくせえ。同じ15歳の女子中学生に何を求めてんの?てか、死にたいっていうか、死にたい私に酔ってるだけじゃね?もっと構われたくてアッピルですやん!うわあ、うざあ!めんどくさあ!関わらんとこ!そう思い。

「じゃあ、死ねばいいじゃん」

 私には関係ないし、選ぶのはその子自身の責任でしょ?女子って共感されたいんでしょ?肯定されてえんだろ?切実なら否定されたくないよね?とね!まあ、わざと言いましたけど!悪いけど、私はあんたの人生に興味もないし、ああしろこうしろって指示するつもりない。なんなら机を蹴り上げた事によってなし崩し的に巻き込まれていい迷惑なのに!

 私の"じゃあ死ねばいいじゃん"発言は、翌日クラス中に周知されていました。そして、私が悪人として仕立て上げられました。(特に女子にw)これだから女はきれえなんだよ!と思ったな。ヒーロー扱いからの掌返しがすげえな。そりゃ、いじめられるし、いじめるし、傍観していじめに加担もするわな。と納得。まあ、じゃあ死ねば発言は事実なので否定もしませんでした。特に、おとがめはなかった。私は別に悪いことしてない。死にたいんなら、私ではなくまず両親に相談すべきだし、教師やそれこそ親友に言えばよくね?←ここ重要!!

 いや、私、あんたの友達でもないし、親友でもねえし?なんで私が責任を背負わされなきゃあかんのだ?てか、私が机蹴り上げただけでいじめの認識をして保護者会まで開いてましたやん。大人たちがいろいろ話してたので私わかりませんやん。まあ、人生ままならないものでいじめっ子・いじめられっ子はそれはそれは手厚く保護され、私はクラスの爪弾き者になりました。義父もその事実を把握してからは、学校に行くな!と指示してくるし正直あと受験だけだしって感じで卒業式まで学校を休んで遊び倒した。

 という訳で、このような事もあったので義父は余計に私の高校進学で口出しをしてきた。私はそれが不満だった。ただそれだけです。

 あ、ちなみに"死にたい"と言っていたいじめられっ子女子は、学校からの忖度もあり見事高専への推薦を貰っていましたよ!ほんま、女子ってこわいw

 ひとつ切なかったのは、小学2年から好きだった男子がいじめっ子男子の中心人物だったこと。だっせえし、かっこわるい。私が唯一経験した少女らしい男性への恋心は壊れたw


本題

 という訳で、高校に進学する。前年まで、家政科・衛生看護科のある女子校だったんですが、普通科を新設して優秀な男女の生徒を募集していた学校。わざわざ、優秀な男子を特待生で迎え入れていた学校です。まあ、全国津々浦々のろくでもないお勉強のできない男女もお金さえあれば入れる高校でした。

 そんな中、私は優秀な男子の特待生を差し置いて学年一位をキープし続けました。特待生男子から謎の嫉妬?か何かわからんが、とりあえずライバル?扱い。同じクラスの女子生徒は"学年一位のイシダさん"と仲良くしておおけば便利といわんばかりに寄ってくる寄ってくる。正直、まわりみんな汚物だと思ってました。まあ、私も若かったからね?

 高校一年次を終えて、何かこう、何とも言えない息苦しさを覚えるようになりました。家の事、学校の事、これからの将来の事。勿論、目標はありました。獣医になりたいと思っていたので、そこらへんは調べたり対策もたてていましたよ。それでも、なんか違った。自分自身で切り拓きたくても義父・母に管理されていて、自分自身で大きな決断が出来なかった。不運にもいじめ問題があったため、なんかどうでも良かったとこもある。まあ、垂れた乳を嘆いても無駄。覆水盆に返らず。

 そうして高校二年進級時、私は学校内の掲示板をみていると見つけてしまった。そう、交換留学生の募集。これだ!!と思いました。そして、両親の承諾も得ず即応募した。したんだよ・・・。でもな、それ、掲示板で募集はかけてるけど、もう誰が行くか決まってたんです。

 それは!!!!特待生男子!!!!

 担任教師に呼び出されて聞かされた。海外留学なんて女の子だと危ないし、男の子の方が適任なのと特待生男子を呼んだ学校のメンツがあるので形式的に募集を掛けた上での出来レース。

 来た!"男の子じゃないから"

 また私の前に立ちはだかるか!しかも、特待生男子は性別男子なだけで一回も学年一位とった事ないじゃねえか!ほらな!知ってた知ってた!男の子であるだけで、なんでも許されるし与えられる!と私の中の劣等感がねw

 あまりにがっかりして、私は学年一位をとる事に価値を見出せなくなり手を抜く事を覚えた。すると逆に楽になった。でも、担任教師はうろたえた。たまたま一般入試で入学して高い高い学費を払ってる生徒なのに学年一位である事に価値があったそうで、後日別口で個人的に留学の話を持ってこられた。

 簡単に言うと、交換留学の制度は学校ではなくなんかそういう援助をしてくれる団体があるのと特待生男子をそこに送りこんで我が校は留学することもできちゃう学校なんだぜ!とやりたかった。でも、イシダさんも優秀だし留学するならば必ず学校の実績に繋がる。学校側からお金を援助するのでどうか留学して貰えないだろうか?

 あれー???なんか逆転ホームラン???

 学校側から両親へそんな感じで打診があり、両親はまあ、得意げでねえ。なんか知らんけど、このビッグウェーブは乗るしかないっしょ!!!!となる。

 という事でこんな感じで留学が決まった。理由としては、家族から逃げれて外国で私の事を知らない人たちと関わってみたかった。これだけです。そして、何より私は英語が一番苦手な科目でした。なんなら、留学の条件に英検準2級を取得してからではないと渡米させないと言われておきながら見事落ちたのに何故か渡米に至ったのです。苦手なら現地で身につければいいっしょ的な感覚で私はいた。本当に私は甘ちゃんでしたね。

エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。