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人を裁くな

マタイによる福音書 7章1節~

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」 <新共同訳より>

コレって『豚に真珠』だよなぁ・・・と思い、『豚に真珠』を検索してみると、なんと由来は新約聖書とのこと。
知りませんでした。。。こんな発見もあるから学びは楽しいですね。

さて、本題ですが、人はそれぞれ自分のものさしで相手をはかりますね。
ですが、自分の善し悪しが、相手にとって同じ判断にはならないし、相手の善し悪しも、自分にとって同じ判断にはなりません。

自分にとって嬉しいことが、相手も同じように嬉しいとは限らないし、自分がダメなことだと思っていても、相手も同じように考えているとは限らないということです。

相手にとって本当に嬉しいことは何かを本気で考えて、相手に寄り添っていくことが大切なことですね。

ただし、と言うところで『豚に真珠』に話しを戻します。
我々がいくら寄り添おうとも、相手にその気がなければ溝は埋まりません。
相手にとって価値がなければ、それは無意味でしょうということです。

ドルトムントのサポーターがシャルケのサポーターに対し、いくらドルトムントの素晴らしさ、熱さを語ったところで、ライバルチームであるシャルケのサポーターには一切興味がないのです。
それどころか、抗争に発展してしまう可能性もあります。
#突然のサッカー例え
#仲良くしよう

無意味とわかっているのであれば、相手を選ぶこともまた重要だよということですが、その際は相手を愛することだけは忘れないようにしたいですね。

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