心臓の手術をしたはなし①先天性の頻脈って名前の動悸、つらい
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私は心臓の手術を2回している。先天的に動悸が起こりやすい心臓で生まれたから。
動悸になりやすい病気を頻脈(ひんみゃく)という。頻脈は、動悸になっているまさにそのときに病院でモニタリングできないと診断が難しい。
『心臓病』なんて言うととても重篤で大きな病気に思われる。でも、みんなが考えるような心臓病より重症度は全然低い。手術をしなくても生きていられるっちゃー生きていられる。
だけども辛い。花粉症に近い。なってるときは辛い。でも、治るとそこまで辛くない。でもまたなって「あ、そういえばこんなにも辛かったんだっけ、マジ治したいわ」となる(私は花粉症じゃないけどアレルギー鼻炎だったので分かる)。
BPM180の世界
動悸が起きる条件はいくつかある。
①水を飲まないで運動してる
②ストレスが溜まっている
③疲れている(寝てない)
④明け方突然
中でも一番厄介なのは④。明け方にいきなり心臓が大きく打ちはじめる。それ以外は予兆があったり、生活に気を付ければなりにくくなる。
でも明け方突然の動悸に関しては打つ手は全然ない。きっと「水を飲まない」がトリガーなんだろうけど、眠る前に沢山の水分を取るのは難しいし、誰でも明け方は体内の水分が少なめになるものだし。
明け方、突然動悸になって、心臓がある場所の布団を見ると、ものすごい速さで上下している。とても気持ち悪い。どん、どん、と心臓の音が部屋中に響いている気がする。
さらにこの動悸はいつ止まるかは分からない。一応飲み薬もあるけど、あくまで気休めの予防薬。動悸になってから薬を飲んでも効かない。動悸になってしまったらただひたら待つか、すぐ動悸を止めたいなら病院で血管に薬を入れなければならない。
動悸は私の元に勝手に訪れ、その上、いつ去ってくれるか分からない。天災に感じる無力感のあれを、私は日ごろから感じていた。
といっても、多くの動悸は15分程度で収まる。ただし、朝イチ動悸はとても疲れる。アプリで脈を図ったら、私の心臓は1分間に180回も鼓動していた。
BPM180と言えばランニングに適した速度である。
身体がリラックスしている布団の中で、心臓だけがクラブにワープしてパーリナイしてしまう。
心臓がガンガン動くので、横になっているのにどんどん血が巡る。じき、頭に血が集中してきて、冷静に考えられなくなる。とにかく疲れる。途方のない無力さを感じる。しかも朝の5時とか6時に。スズメはちゅんちゅん言ってるから虚無感もプラスされちゃったりね。
こんな生まれつき不思議な心臓ではあったが、20歳を過ぎるまでは動悸になってもすぐに収まっていたので、そこまで困ることはなかった。まぁみんなこんなもんでしょうと。でも、22歳に初めて、私は自分の心臓が普通ではないことを知る。
最強の頻脈
22歳のその日、私は東京の体育館で市民ミュージカルの稽古をしていた。
真夏でとても暑かった。体育館にはクーラーがもちろんなく、開け放されたドアや窓から絶えることなく熱風が出入りしていた。
私は自分の出番が終わったので壁に寄りかかり、ほかの人の稽古をぼんやり見ていた。そのタイミングで急に動悸になり、私はひとまず横になって休憩した。
が、1時間経っても動悸が収まることはなかった。クーラーの無い中で心臓だけ全力疾走を続けていたので、さすがに辛くなり、その日はタクシーで自宅へ帰ることにした。
幸運なことにその日の稽古場は自宅に近く、タクシーで30分程度で家に着いた。先に実家に連絡を入れていたので、到着を待つ母がタクシー代をにぎりしめて家の前で立っていた。
私が時々動悸になっていたことを母は知っていたように思う。だけど、このときまではほぼ数分程度で治っていたので、私含め、家族の誰も私の動悸を「治すべき病気」などと思っていなかった。
クーラーでよく冷えた自室で横になった。今でもあの天国のような部屋の空気を覚えている。クーラー様様だ。だが夕方になり、夜になっても動悸は止まらなかった。両親はさすがにビビり、夜間の救急病院へ行くことになった
さすがに半日BPM180を保ち続けた心臓は苦しかった。ちなみに、動悸がずーっと続くと浅くしか呼吸ができないので脳が酸欠状態みたいになる。普通を装うこともできるけど、とにかくまぁしんどい。全力疾走後のインタビュー状態。つらい。
すぐに当直の先生が検査をしてくれたが「ここでは見れませんね」「でも動悸は止めた方がいいので、これから救急車で大学病院まで搬送します」と言われ、まさかの病院間を救急車で移動することになった。
日曜夜のベッドタウンは水を打ったような静けさで、自分を乗せた救急車がけたたましいサイレンを鳴らして走っている事実にめまいがしていた。
つづく。
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