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演芸番外地SP 私を落語にハメた人『桂文太』


なんちゅう表記をすんねん。

「ハメた人」て。


かつて

「上方演芸マガジン 笑maga」という雑誌がありました。

No.40の表紙。

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夢路いとし喜味こいし師匠

画:いわみせいじ画伯

記事紹介:笑福亭鶴笑、旭堂南陵、林家小染、桂文紅 

顔ぶれ、えげつなー。

このえげつない雑誌に、私も拙文を寄稿していたのでございます。

「ロックな芸人」というシリーズで、毎回、出会った芸人さんを取り上げておりました。

その第6回が「桂文太師匠」でございました。

こちらがその記事。

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平成12年(2000年)2月発行だから、なんと21年前に書いたものです。

にしても文太師匠のキャッチコピーを

「私を落語にハメた人」て。

なんちゅう表記をすんねん。

面目ないことでございます。

この記事内にて

文太師匠に初めてお会いした時のことを振り返っております。

それは、さらに遡って1997年。

地域寄席の取材でお伺いした『田辺寄席』のことでございます。

「チョーおもしろかった」

とか

「馬の出てくる話だった」

とか。

「落語っていいなー」

とか。

はしゃいでるね。

というのは、それまでの私は

「落語といえば、桂枝雀」

という超ポピュラーなスタンス。

「餃子といえば、王将」

ぐらいの超ポピュラーなスタンス。

それが一転したんっすよ。

文太師匠にお会いしてから。

当時「馬の出てくる話」って書いてるけど、それが『馬の田楽』っていう題名だと知ったり、上方落語ってこんなネタがあるんや!ってテンション上がって、

「落語っていいなー。また行こう」

ってなったみたいです。

そこからいろんな落語を聴くようになり、

自分でも落語を書いてみたくなり、

今に至る。

文太師匠に導かれたんだよな。

そんな「私を落語にハメた人」についてのお話しなのですが、

もう一つ大事なことをお伝えしなければ。

それは文太師匠のお人柄についてです。

記事には、出番前の忙しい時に取材させていただいたにも関わらず、とても親切に応えてくれたと書いてある。

チョー優しい人かも!

つて。

やっぱり、はしゃいでるね。

で、この記事には書けてないけど、文太師匠のお人柄を表すエピソードがあるんです。

取材当日、相手が落語家のお師匠さんということで、ド緊張していた私。

ぎこちないインタビューをしているさなか、

若手の落語家さんが文太師匠に何かことづけに来られました。

すると文太師匠が

「あ、彼ね、僕の甥っ子弟子ですねん」

と、その若手さんを私に紹介してくださったのです。

「甥っ子弟子やからね……」

はい。

「僕、彼呼ぶ時、『おい』って呼んでますねん」

……

えっ?♡

えっ?♡

今の何?

おっ、

おもしろすぎるぅ〜〜〜〜〜!!♡

私の緊張をほぐそうとしてくださったのか、

それとも普段からそういうフレンドリーな方なのかわからんけど

なんしかこの方

めっちゃ優しいやーーーーーん!!

コロリ。

堕ちた音。


それまでもいろんな方に取材してきたけど、ペーペーのライターが鼻くそみたいに扱われるなんてザラやしな💢

やのに

やのに

文太師匠、めっちゃ優しいやん。


それにさ、それにさっきの……

甥っ子やから『おい』って w

甥っ子やから『おい』って ww

甥っ子やから『おい』って www

サイコーすぎるやないか💘


当日の文太師匠の落語に関するメモもあるので、紹介しましょう。

●メモ(田辺寄席 97.11.9)

「文太『馬の出てくる話』子どもが可愛らしい。仁鶴さんみたいに面白い」

仁鶴さんみたいにって、あんた。

表現はともかく当日の私、自分の中では最上級の賛辞だったのでしょう。

で、もっかい補足。

『馬の出てくる話』は『馬の田楽』です。


この日を境に私は

田辺寄席を始め、文太師匠の勉強会「いろはセレクション」にも足しげく通うようになりました。

●当時のメモ(いろはセレクション 98.5.23 )

文太「無い物買い」最高に落語的。

↑「最高に落語的。」

は? 

なんか、精一杯、それらしいことを書こうとしてるよね、98年の私。かわいらしい。


●メモ(田辺寄席 97.12.10)

文太「寝床」 じんわりとした人肌のような温もりのある落語。今日は前髪のブローに念が入っていた。

前半、それらしいことを書いてから、師匠の前髪のブローについて言及。なぜそこを。


●当時のメモ(田辺寄席 99.7.28)

文太「うなぎや」 おい/うん/おい/ふん/おい/はぁ  これだけで笑ってしまう。リズムだけで。枕で友達のインド人の話。自由軒でカレーの勉強。

文太師匠のリズム、間というものはほんとに素晴らしくて、それを99年の私も感じているようである。枕で、友達のインド人が自由軒でカレーの勉強してるっていう話をされたのかね?そこをメモっている。気に入ったんだね。


と、えらく馴れ初めの話が長くなってしまいましたが。

そうです。

その文太師匠と、なのです。

当時、ひそかに想いを寄せてはいたけれど、遠くから見つめるしかなかった文太師匠と、このたび我が「演芸番外地」でご一緒することとなったのです!!

人生いったいなにが起こるやら。


今から18年前、文太師匠は50歳で中途失明されました。

このことは多くのニュースや記事として取り上げられています。

網膜色素変性症。

根本的な治療がない難病です。

「ざるをかぶったように見えていたのが、網目がだんだんと太くなって、見えんようになりました」

落語家としてやっていけるのか。

でもその心配は無用だったと言います。

体に染み込んだ百五十もの落語。

体の向きや空間、距離を伝える仕草などは自然と体は動く。数え切れないくらい稽古し、演じてきた噺は口をついて出る。コツコツと学んできた知識は頭の中にあったといいます。

「ただ、見えへんようになってから、僕の落語は変わりました」

視力を失い、文字に頼れなくなった。資料や記録も確認できない。でも、

「教えてもらった言葉ではなく、体から出てくる自分の言葉で落語をするようになったんです」

50歳にして見えない世界を経験するのは、計り知れないつらさだと思います。

高座に上がれば落語はできる。でも、トイレに行くにも人の手を借りなければならない、電車のホームを歩くにもバランスを崩しせば転落してしまう……。

幸いなことに盲導犬との出会いがあり、今は二代目盲導犬の勇吾くんと行動を共にされています。


先日、ご挨拶もかねて、文太師匠が出演される「高津の富亭」におじゃましてきました。

高座を終えた文太師匠と盲導犬の勇吾くん。

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「優しい人と優しい犬」

というタイトルでSNSにアップさせていただいたお写真です。


文太師匠、見えなくなってから身につけた演目は50を越えるとか。

全200の演目の中から「第2回 演芸番外地」では、何を披露してくださるかと言いますと

一席目は『お楽しみ』(ナイショ♡)

二席目は『八五郎出世』

でございます!!

んで!ワタクシ

この時、文太師匠から手ぬぐいを預かっておりますのよ。

当日、会場におみえのお客様の中から抽選で8名様にプレゼント🎁

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かわいぃな。


6月23日(水)午後6時〜

「第2回 演芸番外地」

桂文太師匠の、じんわりとした人肌温度の、優しさあふれる落語をぜひ聴きにいらしてください。


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