冷戦時代のスパイ衛星画像が明らかにした、アルメニアのキリスト教遺産が隠された痕跡
「冷戦時代の1977年にアメリカのスパイ衛星(KH-9 Hexagon)の画像と現代のGoogle Earth衛星画像を比較し、アゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァンで破壊されてきたアルメニアのキリスト教遺産の痕跡を明らかにする」という活動を知った。アート系Webメディア、The Art Newspaperに6月1日に掲載された記事で、筆者は米コロラド大学デンバー校とタフツ大学の研究者Simon Maghakyan氏(サイモン・マガカイヤン氏と読むようだ)。
Covert destruction of Armenian-Christian heritage in Azerbaijan’s autonomous republic of Nakhichevan has been exposed in recently surfaced Cold War spy imagery taken by the US in the 1970s, published here for the first time
(「ナヒチェヴァン自治共和国におけるアルメニアのキリスト教遺産の隠された破壊の痕跡が近年公開された1970年代の米スパイ衛星画像によって明らかになった。初公開情報」(仮)
2020年9月にはナゴルノ・カラバフ紛争が再燃し、同年11月にロシア、アゼルバイジャン、アルメニアの3か国首脳が停戦に合意したと報じられたばかりだ。ナゴルノ・カラバフと同様に帰属問題の歴史的経緯を持つナヒチェヴァン自治共和国(以下、ナヒチェヴァン)でキリスト教の文化遺産に何があり、また衛星画像がどう使われたのか。複雑な背景を整理してみる。
基本的な理解
アルメニアは「国家として、また民族としても、世界で最初に公式にキリスト教を受容した国(301年)」といい、キリスト教徒が多数を占める国。国境を接するアゼルバイジャンは主としてイスラム教シーア派が多い。
ソヴィエト政権成立時,アルメニア系住民の多いナゴルノ・カラバフとナヒチェヴァンはアルメニアへの帰属を要求し,一時はアルメニア領となった.だが,ソ連中央政府が対トルコ関係を重視したため,1921年10月13日に締結された『カルス条約』に基づき,両者ともにアゼルバイジャン共和国内の自治領域となった.その結果,両地域はアルメニア人にとっては「未回収のアルメニア」となったのである.
『ナゴルノ・カラバフ紛争の位相--冷戦終結の影響と和平の模索を中心に--』廣瀬陽子
細長い形のナヒチェヴァンは、北東側をアルメニア、南西側をイランに挟まれていて、北西側に少しだけトルコと国境を接する部分がある。乾燥した山地で、アゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ第3代大統領(現イルハム・アリエフ大統領の父)はこのナヒチェヴァンの出身だ。一方で引用にあるようにアルメニア系住民も多いという。ナゴルノ・カラバフにアルメニア正教のキリスト教会がある『中心都市近くで激戦か ナゴルノカラバフ』と同様にキリスト教会は多数ある(あった?)。
ところがナゴルノ・カラバフ紛争の最初の停戦(1994年5月)から4年後の1998年以降、ナヒチェヴァン南側の旧都ジュルファで、アルメニアのキリスト教墓地の破壊がアゼルバイジャンによって始まったことが伝えられた。墓地は15~16世紀に作られ、「ハチュカル(十字架石碑)」という固有の装飾された墓石が多数立てられていた。幅約1m、高さ2.5mもあるというハチュカルはキリスト教のシンボルである花やアラベスク様の植物などで繊細に装飾されたものだという。1998年11月の目撃例では約800のハチュカルが撤去され、UNESCOおよびICOMOS(国際記念物遺跡会議)の抗議を受けた。しかし破壊は止まらず、アルメニアとアゼルバイジャンの緊張が続く中で2005年まで破壊が続いたという。
ナヒチェヴァンのアルメニア キリスト教遺産保護活動
米国には多數のアルメニア系人が居住しており、西側最大のアルメニア人コミュニティを形成しているといい、デンバーの研究者サイモン・マガカイヤン氏は2007年にDjulfa Virtual Memorial and Museum(ジュルファ・バーチャル・記念博物館)を設立して保護活動を始めた。保護といっても現地での活動は危険で、Djulfa.comによると2005年にスコットランド人研究者がジュルファを訪問した際にはスパイと疑われ、「アルメニア人がこの地に居住していたことはない」と調査を拒否されたと書かれている。
2010年、AAAS(アメリカ科学振興協会、科学誌Scienceの発行元)は、衛星画像によってジュルファの墓石破壊を裏付ける調査報告書を発表した。DigitalGlobe(当時)のVHR光学衛星QuickBirdが観測した2003年と2009年の画像を比較し、地形の変化と破壊の痕跡を確認した。ナヒチェヴァンとイランの国境を流れるアラクセス側沿いにあったジュルファ墓地では、2003年に残っていた(最初の破壊は1998年と2002年に行われた)ハチュカルが撤去または破壊され、2009年の画像では地形の起伏が失われて平坦になったと報告している。
ここで衛星画像の登場となる。アゼルバイジャン政府が国外からの立ち入り調査を拒否しているため、ジュルファを始めナヒチェヴァンのアルメニア系キリスト教遺産の現状がわからない。マガカイヤン氏は、2019年にまずキリスト教遺産破壊の経緯と状況をアート系のメディアHyperallergicに発表した。マガカイヤン氏と協力しているアルメニアの研究者Argam Ayvazyan氏(アグラム・アイヴァジアン氏と読むようだ)は、キリスト教遺産の破壊を予見して多数の写真記録を作っていた。1964年から1987年までに、89のキリスト教会、5840のハチュカル、22000の墓石が記録された。
Hyperallergicの記事では、アゼルバイジャンのアリエフ大統領の側近が、2006年にAP通信がジュルファ墓地の破壊を報道したことに対し「ナヒチェヴァン自治共和国に破壊された文化史跡やアルメニア人墓地などまったくない」と発言としたと紹介している。
■衛星リモートセンシングによる文化遺産の破壊調査
Hyperallergicの記事では、アゼルバイジャン政府がナヒチェヴァンでキリスト教遺産の破壊を繰り返した動機として「ナゴルノ・カラバフ紛争の報復」を挙げている。他にもトルコとの関係(汎テュルク主義の影響)を詳説しているが、ここではちょっと理解が追いつかないので、ナゴルノ・カラバフ紛争というアルメニア、アゼルバイジャンの2国の対立に絞って考えてみる。半年ほど前に武力衝突があったばかりで緊張が続いていることを考えれば、キリスト教遺産の破壊が2005年で終わったとは考えにくいだろう。
そこで、アゼルバイジャンの著名な作家アクラム・アイリスリによる一連の抗議活動が登場する。アゼルバイジャンの「人民作家」という称号を持っていたアイリスリ氏だが、2012年に発表した小説『石の夢(原題:Daş yuxular / Stone Dreams)』、故郷のナヒチェヴァンの村アグリス(現ユハル・アイリス)で1919年に起きたトルコ軍によるアルメニア人虐殺を題材にし、アルメニア人に対して同情的に、またキリスト教会を美しい聖域として描写した。※未読のため各記事の紹介から。
この作品はアゼルバイジャン国内で大変な反発を受け、人民作家の称号と年金を剥奪され、アイリスリ氏は自宅軟禁状態にあるという。また2018年のエッセイでは、1997年にアイリスリ氏から当時のヘイダル・アリエフ大統領にあて、「故郷のアイリス村でアルメニアの教会と墓地を根絶する大規模な作業」が進行中であり、それを終わらせるよう求めた電文を送付したと公表した。
ハチュカルや墓地にとどまらず、ナヒチェヴァンでは教会も破壊されているという。2010年のAAAS報告文書に続いて、同じように衛星画像を用いて文化遺産破壊の現状を探ったのが冒頭に挙げたマガカイヤン氏のArt Newspaper記事というわけだ。
冷戦の記録が文化遺産の証言者に
2010年のAAAS報告書では、同じQuickBird衛星の2003年と2009年の画像を比較した。現在ではDigital GlobeはMaxarと名を変え、さらに高分解能(30cm)のWorldView-3衛星が観測している。ただこれだけの高分解能画像を購入すると非常に高価なためだと思うが、マガカイヤン氏はGoogle Earthでの配布画像を使用している。
比較用の過去の画像には、冷戦時代の高解像度スパイ衛星、KH-9(Hexagon)の公開画像を利用している。ヘキサゴンは、コロナ偵察衛星の後継として1971年から1986年まで20機が運用された光学偵察衛星。フィルムリターンと呼ばれる、撮影フィルムをカプセルに入れて地上に投下する方式で、分解能は60cm~1.2mと現代の高分解能衛星に匹敵する。2011年以降に機密解除されて画像が公開され、低解像度スキャンは米地質調査所(USGS)のサイトから無料で、高解像度スキャンは1シーンあたり30ドルで入手できる。
CORONA、GAMBIT、HEXAGONなどのKHスパイ衛星の画像が公開されて以来、20世紀半ばの地球観測画像として学術利用が進んでいる。氷河の後退などの環境研究から、遺跡に活用する衛星考古学を支えるデータにもなっている。アルメニアのキリスト教遺産の調査にナゴルノ・カラバフ紛争前の画像を利用するのは理にかなっている。
1977年10月8日撮影のKH-9画像(左)と2020年10月28日撮影のGoogle Earth画像(右)を比較したのが上の画像だ(記事より引用)。アグリスの村の中心にあったSurb Kristapor(聖クリストファー)教会で、地元の伝承では基礎は1世紀に建立されたものだといい、17世紀に改築され内部はフレスコ画の装飾もあり、19世紀には女子のための学校にもなったのだという。1977年の画像では尖塔を持つ建物といえるものが映っているにもかかわらず、2020年の画像では植え込みへと変わってしまっている。
現在の画像は、Google Mapで容易に見つけることができる。アグリスではなくユハル・アイリスで検索する必要があるが、東側に特徴的な舟型の建物があるので場所はおそらくここだ。一方、KH-9画像の方は、USGSサイトで第3次機密解除画像のセットからナヒチェヴァンを日付指定して検索すると得られるこの画像だと思われるのだが、広大な範囲を撮影しているため、人力で緯度経度の線を引いて追い込んでいく必要があるだろう。
1、2カ所、マガカイヤン氏らの活動の足跡を追ってみただけだが、これは大変な作業だ。また作業はあくまでも衛星画像、リモートセンシングという手法をとっているため、「こうして作業している間にも現地の破壊は進んでいくのではないか」と思えてしまう。
上で引用した文書には、アルメニアは「米国には多數のアルメニア人ディアスポラがおり,そのうち多くは富裕でロビー活動に長けている」「キリスト教的・文化的共感などによる国際的支援」があるとしている。ナゴルノ・カラバフ紛争で故郷を追われたアゼルバイジャン人もいるとの報道を考えれば、どちらか一方に肩入れするべきでないのだろう。ただ、アゼルバイジャン政府はArt Newspaperの記事でも駐英アゼルバイジャン大使のコメント「there is no such thing as ‘Armenian heritage’ in the Nakhchivan Autonomous Republic simply because Armenians never lived there. (ナヒチェヴァン自治共和国に『アルメニアの遺産』などというものはありません。なぜなら端的にアルメニア人がそこに居住していたことがないからです)」とアルメニア人の存在を否定している。歴史をまったく「なかったこと」にしてしまう行為への違和感は強くある。