夏休み ピーター・ドイグ展
会社の夏休みが始まった。今年はどこか遠くに行く予定もないな〜と思っていたら、初日から猛烈に寝てしまい、あっこのままだと1週間寝続けてしまうかもれしれないと肝を冷やした。
そこで、映画か展示でも見にいこうと重い腰をあげた。ずっと見るか迷っていた映画のリバイバル上映の方を見ることに決めて、とことこ出かける。どうせ見れるだろう、と油断していたら「満員御礼」。そうかみんな考えることは大体同じなのね、と納得した。リバイバルでも見れないって、なかなかその映画を見る運命に辿りつけないなと思う。
一人作戦会議でもするか、と思い喫茶店に入る。ソーシャルディスタンスを守りつつ、店内にはそれなりに人がいた。「すいません、コーヒーひとつ。アイスで。」「え、ホット?」「いやアイスです」「ガムシロ入れる?入れない?」「入れてください」「あ、なしね」「違います」と、私のマスクのモゴモゴのせいか伝わらない。何と言っているか分からなくても、50%の確率のはずなのにこういうことって時々ある…。2問連続間違いマスターが、アイスコーヒーを出しながら「これね、ミルク垂らして、混ぜないでストロー使わないで直接飲むとめっっちゃ美味しいから。一口飲んだら後は好きにしていいから。」とニコニコしながら言って来たので、そんな変わるもんだろうかと半信半疑で飲む。ドロリとミルクが口の中に入ってきて、「あ、ヤバイミルクしか飲めてないぞ!」と思ったが、コーヒーが後からドドドと追いかけて来てミルクを包みこんで、なんだかふわふわ甘くなってすごかった(うーん、うまく言えない!)。柔らかくアイスコーヒーを嗜む秘術なんだな、これは大正解なんだなと思って、マスターに感想を伝えたかったけれど、忙しそうだったのと人がそれなりに回転していたので店を後にしてしまった。やっぱり話しかければよかったと、店を出てから少し後悔した。
映画にするか、どちらにするかで迷っていた「ピーター・ドイグ展」を目指し始める。入場制限があるらしいが、当日券でも入れそうとこれまた見切り発車で出かける。こちらは映画と違って、すんなり入れた。夏の美術館は、独特のひんやりした空気があって気持ちがいい。人が多すぎず、少なすぎず快適な空間だった。ピーター・ドイグはイギリスの現代風景画家。お恥ずかながら今回の日本初個展があるまで知らなかったが、見にきてよかったなーと心底思った。絵具が溶け合うような筆致は、いつしか全てが一つに混じり合いそうな絵を描く作家だと思った。明らかにどこかのシーンを描いているはずだけれども、その混じり合いそうな雰囲気が輪郭を曖昧にして、鑑賞者個々の原風景に繋がるような気がする。はたまた絵に描かれたところに行ったことがあると錯覚をするような、そんな力のあるような気がする。展示室に、赤ちゃんを連れているお父さんが来ていて、ちょうど『ガストホーフ・ツァ・ムルダンテールシュペレ』という今回のメインビジュアルにもなっている絵の前に立っていた。
作家とその友人が中央に描かれているのだが、衣装姿なのと、実際とはおそらく違う色合いのカラフルな塀のタイルが相まってなんだか寂しげな児童文学の世界みたいだなと思った。でも、なんだろう、赤ちゃんによく似合う絵だった。それから少し飽きてしまったのか赤ちゃんがぐずりだした。お父さんが焦って抱っこしていたが、周りの人たちが手を振ったりしていてよかった。私ももう少し立っている距離が近かったら、手を振りたかった。日本の美術館はまだまだ、静かにとか、ちゃんと並ぶみたいな空気感が強いけど、欧米の美術館みたいに子供も大人も床に寝転がったり、半日くらい居座って模写したりしてOKみたいになったらいいのに。まだ物心ついていない赤ちゃんが、今日の絵を覚えている可能性はあまりないのかもしれないけれど、なんか、いつか、瞬間的に思い出したりしないかなと思った。私が人生で初めて美術館に行ったのは赤ちゃんからはだいぶ大きくなり、小学生になった時に母親に連れて行かれたマティス展だった。一人の作家が生涯にこんなにたくさん絵を描くのかと言う衝撃が凄くて、あの時あの展示に行ったことはなんとなく私の進路に影響を与えたような気もする。そんな幼少期と、絵画について考えながらぼやぼや歩いていたら『夜のスタジオ』と言う作品に行き着いた。
「赤い床面や、形の組み合わせはマティスを彷彿とさせる」と行った内容が解説に書かれていて、「あぁちょうど今マティスのこと考えてたなぁ、つながったなぁ」と不思議な気持ちになった。時々、絵をみているとこういう、自分の点の体験が線になるような瞬間があって面白い。これは、時折絵を見に行く理由の一つかもしれない。
美術館を後にして、竹橋から神保町へ歩いていった。途中で、首都高と川(お堀?)が交わるところがある。首都高の下の橋を渡っていたら、遊覧船がやってくるのが見えた。すごい所を通るんだなと思って船を横目で見ていると、そのうち一人のおじさんが手を振っていた。「あれ誰に振っているんだろう?」と思ったが、橋には私しか歩いていなかった。マスターに話かけそびれたこと、赤ちゃんに手を振りたかったことをなんとなく思い出して、ヒラヒラと手を振った。そうするとおじさんが嬉しそうに笑って、それから他の10人弱の乗客の人もわっと一斉に手を振ってくれた。首都高の音が煩くて、声は何も聞こえなかったけどなんだか凄くキラキラしていい瞬間だなと思った。風景画にしてもいいくらい。