こんな母親になるつもりはなかったのに。
私は母が大好きだ。
穏やかで、頭が良くて、手の込んだ料理は作らないが手料理はどれもおいしい。
手編みのセーターを作ってくれたり、編み方を教えてくれたり。
私が子どもの頃は、一緒にクッキーも作ったし、サヤエンドウのスジやもやしの根を取りながら、今日あったことを報告したりした。
勉強でわからないことがあれば教えてくれたし、私にとって母は、理想の母親であり目標だった。
しかし、いざ自分が母親になってみると、それがいかに難しいことかを痛感した。
育休中はともかく、仕事に復帰してからは毎日がバタバタなのだ。
日々をこなすだけで、必死。
とりあえず食べさせるだけで、必死。
サヤエンドウはスジを取るのが面倒だから平日は使わないし、クッキーなんて焼く気力もなかった。
忙しくてしんどくて時にイライラ。
私がなりたかったのは、こんなお母さんではない。
穏やかで料理上手な優しいお母さんになりたいのに。
母のようなお母さんになりたいのに。
だって、私は子どもの頃、とっても幸せだったから。
だから、子どもたちにも同じようにしてあげたいのに。
今の私は全然できてない。
母の足元にも及ばない。
自分の目指す母親像と、今の自分とのギャップがひどくて、ため息しか出なかった。
しかし、母と私には決定的な違いがあった。
母は、出産後はパート勤務しかしていなかったのに対し、私はついこの前まで正規の公務員だった。
家庭に費やせる時間が圧倒的に違った。
今なら、
「しょうがない。できないものはできない。やれる範囲でOK!」
と思えるが、この境地に辿り着くにはずいぶん時間がかかった。
決定打になったのは、自分がうつ病になった時だ。
自分に限界があることを知った。
私は母のようにはできないから、最低限のポイントだけは押さえよう、と決めた。
・子どもたちの「今日あったこと報告」はちゃんと聞く。
・子どもが友達や学校のことで困っていたら、最大限のサポートをする。
・遠足と運動会のお弁当だけは頑張る。
など、母親業の合格ラインを甘くした。
母のような丁寧な子育てはできていないが、大学生と高校生になった子どもたちは、今のところ特にひねくれることもなく、人並みには育っていると思う。
さて。
私は公務員を辞めて、母と同じくパート職員になった。
時間的余裕もできて、公務員時代よりも家庭のことに時間を割けるようになった。
子どもたちはすっかり大きくなったが、やりたかった子育てがようやくできる環境になった。
しかし。
私はまだクッキーを焼いていない。
サヤエンドウも相変わらずあまり使わない。
どうやら働き方のせいだけではなく資質の問題でもあった、ということにようやく気づいた次第である。
お母さん、やっぱ、すごいわ。