伊勢物語 第十段

昔、男が武蔵野国まで迷い歩いてきた。
さて、その国である女を求婚した。
(女の)父は「別の人に結婚させよう」と言ったが、母はなぁ、高貴な人に執着していた。
父は普通の人で、母はなぁ、藤原(氏)であった。それでなぁ、高貴な人に(結婚させたい)と思っていたのだった。
この婿がね(=婿候補;男)に詠んで送った歌。住む所がなぁ、入間の郡、みよしのの里であった。

みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる

(みよし野の田の面にいる雁も鳴子を振ると片方に寄って鳴きますが、(あなたを)頼りにする娘もひたすらに貴方のほうに寄ると泣いているようです)

婿がねが返歌して

わが方に寄ると鳴くなる三芳野のたのむの雁をいつか忘れむ

(私のほうに寄ると鳴くという三芳野の田の表の雁(あなたの娘さん)をいつ忘れましょうか、忘れることはありません)

となあ(詠んだ)。よその国でも、やはりこういうことはなぁ、止まなかったということだ。


母親は何で雁に例えたのだろう。雁は渡り鳥で、帰るものというイメージがある。

春くれば雁かへるなり白雲のみちゆきぶりにことやつてまし 躬恒
春霞立つを見捨ててゆく雁は花なき里にすみやならへる 伊勢

古今和歌集

しかも、みよしのの田の面とは!
関西で「みよしの」といえば、吉野山の美称で、万葉集から詠まれているが、「みよしののの白雪ふみわけて(古今・忠岑)」だし、
山じゃなく、「吉野のにふれる白雪(古今・是則)」とは言っても、吉野は山と谷と滝の神仙世界で、
田は山を下ればあるかもしれないが、「みよしのの田の面」といわれると、関西人には少しイメージしにくい。というか、イメージが狂う。
現実にある風景だからいいだろう、と思うかもしれないが、歌枕は伝統のあってのものなので、歌枕の世界を変えてしまう。

これに似た状況に、「佐野」がある。

駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮   定家

新古今和歌集

定家が和歌山県新宮市の歌枕の佐野の渡りを知らないとは思わないが、実際のところはどっちかなと思うくらいに、謡曲鉢の木の「佐野の渡り」のほうが有名だ。「急ぎ候ほどに、これははや上野の国佐野のわたりに着きて候」

 さて入間の郡というと埼玉県とある。入間川が流れる。
ここには二回調べに行った。

拙著『伊勢物語考Ⅱー東国と歴史的背景』116~133頁
 第二章第三節「入間の郡みよしのの里ー藤原氏の荘園」をご覧ください。


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