【勅使河原先生の縄文検定】 第5問
『縄文時代を知るための110問題』(11月8日出荷開始)の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/
第4問 縄文人は蕎麦を食べていたか?
↓
答え
縄文人は、ソバを栽培していなかった(つまり食べていなかった)というのが、最新研究からの結論である(小畑弘己『東北アジア古民族植物学と縄文農耕』同成社、二〇一一年)。
タデ科のソバは、寒くてやせた土地でも栽培できるだけでなく、短期間で生育できるので雑草をおさえてしまうほどの成長力があることから、縄文人が利用する栽培植物として早くから注目されてきた。
すでに戦前に埼玉県さいたま市の真福寺貝塚の晩期の泥炭層からヒョウタンやゴマ、ウリ類などとともにソバの種子が発見されていたが、当時は、新しい時代の混入物として扱われていた。
一九七〇年代から日本でも花粉分析法による研究が本格的に開始され、各地の縄文遺跡からソバ花粉の検出例が報告されるようになると、にわかに真福寺貝塚出土のソバが注目されるようになった。そして、一九八三年に北海道函館市のハマナス野遺跡の前期末の竪穴住居跡の覆土からソバの種子が検出されたことによって、縄文人によるソバの栽培の可能性が強く主張されるようになった(山田悟郎「古代のソバ」『月刊考古学ジャーナル』三五五号、一九九二年)。
ところが、最近のAMS法による年代測定の結果、ハマナス野遺跡出土のソバは年代が新しく、後世の混入であることが判明した(今村峯雄編『縄文時代・弥生時代の高精度年代体系の構築』国立歴史民俗博物館、二〇〇四年)。また、日本列島でのソバの出土例は、古墳時代以前が極めて少ないことや、朝鮮半島や沿海州などでも古代以降しか出土例がないことから、現在では、縄文時代のソバは、後世の混入かコンタミネーションの可能性が高いとして、縄文時代にソバは栽培されていなかったと結論づけられている。