【勅使河原先生の縄文検定】 第9問
『縄文時代を知るための110問題』の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/
第9問 縄文時代に戦争はあったか?
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【答え】
縄文人は、人を殺傷する目的をもった武器というものをつくらなかったし、武力による集団間の争いである戦争もおこなわなかった。
戦争とは、武力による集団間の争いのことである。そして、戦争は、弓矢や剣などから鉄砲、機関銃、長距離砲が生まれ、やがて戦車や飛行機、さらにはロケット砲や原子爆弾というように、武器を極限なく発達させるとともに、それにあわせて防具・防御施設をも発達させるという特質をもっている。もう一つは、戦争は、階層化を促進させるだけでなく、特定の階級が兵力(軍事力)を世襲・独占することで、支配する者と支配される者という階級関係を固定化させる役割を担うことになる(近藤義郎「人類の進歩と核兵器」『戦争と平和と考古学―人類史の未来のために―』一九八八年)。
集団間の争いということでは、主に縄張りの確保という、いわば生存のための防衛行動として、動物の世界でも一般的にみられる現象である。とくに人類にもっとも近いチンパンジーでは、縄張りをめぐって集団間が争い、敵対する集団のメンバーを殺害するだけでなく、それを消滅させる事例すらあるという(京都大学霊長類研究所編著『新しい霊長類学―人を深く知るための一〇〇問一〇〇答―』講談社、二〇〇九年)。集団間の争いで、相手が死ぬまで攻撃する行為は、ほかの哺乳類ではみられないことから、これを「戦争」と呼ぶ霊長類研究者もいる(山本真也「チンパンジー・ボノボからみる戦争と協力の進化」『科学』八八巻一一号、二〇一八年)。しかし、チンパンジーは、集団間で争うことはあっても、決して武器を使うことはないので、争いが人類の戦争のように際限なく発達することはない。また、チンパンジーで殺害されるのは雄だけで、消滅された集団の雌が相手方に移っても、その雌の地位が固定化されたり、ましてや子どもに影響をおよぼすようなことはないので、戦争が階層化を促進させ、階級関係を固定させる役割を担う人類のそれとは、本質がまったく違うということである。
ところで、日本列島の戦争については、佐原真が人を殺傷するための武器や防御的集落、武器を埋葬する戦士の墓、大量虐殺を物語る大量の人骨、武器の崇拝を示す造形などから、弥生時代を起源と提唱して以来、いわば定説化してきている(「農業の開始と階級社会の形成」『岩波講座 日本歴史』一巻、一九七五年)。その佐原の弥生戦争起源論に対して、前述した縄文階層社会論の立場から、縄文時代にも「戦争」があったと強固に主張するのが小林達雄である。また、戦争とはいわないまでも、殺傷人骨の詳細な検討をもとに、鈴木隆雄は古病理学、内野那奈は考古学の立場から、縄文時代にも明確な殺意をもった戦闘がおこなわれていたと主張している(内野那奈「受傷人骨からみた縄文の争い」『立命館文学』六三三号、二〇一三年。鈴木隆雄「本当になかったのか 縄文時代の集団的戦い」『最新 縄文学の世界』朝日新聞社、一九九九年)。
縄文時代に戦争や殺意をもった戦闘行為があったとする根拠は、縄文人骨に弓矢や斧と思われる殺傷痕があることである。しかし、約六〇〇〇体ともいわれる縄文人骨のうち、殺傷痕があるのは、わずかに一五体ほどでしかない。そのうち骨格内の石鏃の遺存から殺傷具が弓矢だと確定できるものが四体、傷などの状況から弓矢と推定できるものが六体(内野那奈によれば、宮下貝塚例は石槍の可能性もあるという)、そのほかは斧や棍棒状のものと想定されている。いずれにしても、縄文時代の殺傷具は、弓矢と斧というように、縄文人のもっとも身近にある道具類が凶器に転用されたものである。しかも、弓矢による殺傷人骨は、中期に遡るものが岩手県大船渡市の宮野貝塚や岡山県倉敷市の粒江貝塚(船元貝塚)で発見されているが、その後の約三〇〇〇年間にわたって、弓矢が対人用の武器として発達をしないばかりか、そのほかの武器はもとより、防具や防御施設をまったくつくった形跡がみられない。このことからいえることは、縄文人は、人を殺傷する目的をもった武器というものをつくらなかったし、武力による集団間の争いである戦争もおこなわなかったということである。
縄文時代にも、集落での日常の生活領域や村落の共同領域を侵されるようなことがあれば、当然、防衛のための争いはおこる。とくに生業活動中などで突発的に遭遇した場合には、手にもっていた弓矢や斧が争いの道具に使われ、逃げる相手に矢を射かけることもあったことは、わずか一五体とはいえ殺傷人骨が発見されていることからわかる。しかし、こうした突発的な争いというものが、約九〇〇〇年もつづいた縄文時代に、ついに武力による集団間の争いである戦争にまで発展しなかった。