正義の正体は私利私欲
ブログから転載・再録
2021/04/22
加筆修正
2024/08/31
これ自分ではけっこうな大発見だと思っているんですよ。
「正義は私利私欲」
というの。
正しいだの正しくないだのを振り回すと、言い争いならますます紛糾するし、人間関係なら破壊されるし、理非の判断を誤るしで、まったくロクなもんじゃない。
「正義(感)なんてたった今すぐドブに捨ててこい」
という考えに至ったのは、もうかれこれ20年ほども前のこと。
なので正義を重視しないのみならず、
「こんなもんを振り回すと判断が狂うわ」
と思ってはいたんですよね。
その頃から、正義とは何か、と考えて、
「正義とは、相対的な価値観に過ぎない」
という結論には、なっていました。
相対的——つまり、自分以外の存在との「関係性」によって変化するもの。
戦争なんかもそれで、自分は正義でも、相手から見ればこちらは極悪人なんですね。
これが「相対的」ということ。
相対の対義語は「絶対」。
「絶対」と言ったら、立場が違うとか時代が違うとか、あらゆる条件によっても変わらない、揺るがないもの。
「正義は相対的に決まるものであって、「絶対」ではない」
「正義の表明とは、『自分にとっての利益は何か、自分はどの立場をとるか』の決意表明に過ぎない」
——ここまでは、私も考えていました。
さらに近年気がついたのは、
「正義とは、自分の利益の表明である」
ということからさらに踏み込んで、
「早い話が、正義は私利私欲である」
自分の立場、利益を守ろうとするのが正義ですから、煎じ詰めれば、それは「自分の利益」ってことです。
自分にとっては利益でも、他人から見れば全然そうではない。
不利益だったり、はっきり利害で対立する関係なら、正義どころか悪になる。
当たり前じゃんと言われるかもしれませんが。
でも、自分が「正しい」と他人に主張するとき、そのことをどこまではっきり自覚してますかね?
「正しいこと」「正義」であれば、他人もそれに従うべきだ、当然従うだろうと思っていませんか。
だからこれが正義だと主張するとき、人は限りなく「ドヤる」わけですよね。
でも実際にはそこには、なんの正当性もない。
これが自分にとっての利益(私利私欲)だから、お前もそれに従え。
主張しているわけですが、これ、道理にかなうことだと思えます?
それがアンタの利益だということはわかった。
でも、それとアタシとなんの関係があるんだ、というのが、他者の感想ではないでしょうか。
自分の利益の確保は生存するためには不可欠なことなので、そのこと自体は否定しません。大事です。
でも、
「自分の利益が、他人に対しての支配権を正当化することはない」
ってことも、自覚しておく必要があるでしょう。
自分の利益は誰かの不利益。
それなのに、「正義を振り回して他人を屈服させようとする」って、そりゃあなた、とんでもないことじゃありませんか。
でも多くの人は「正義の味方は人を殺してもいい」と信じているんですね。
自分が正義であれば人を殺してもかまなわい。
それくらいの「力」(強制力とか支配力とか)が、正義にはあると信じている。
でも、正義は自分の利益(私利私欲)に過ぎないとしたら、——私利私欲のために他人様を殺そうなんてフテェ野郎だ、というのが見えてきませんか。
なるほど正義を持ち出すと、喧嘩になるわ戦争になるわ、Twitterなら不毛なクソリプになるわ、ろくなことにならないのは「だから」なんだな。
——と腑に落ちまして。
でも、それなのに、どうして
「正義であれば他者をどんな扱いをしても許される」
と、信じてしまっているんでしょうね人類は。
正義は私利私欲。
とはいえ誰にとっても自分の利益は大事。
ときに衝突するそれぞれの私利私欲を、円滑に譲り合ってまとめて動かす。——これが、人に求められる「知恵」。
情報でもなく知識でもなく。
「知恵」。
現生人類の学名は、ホモサピエンス。
「知恵あるヒト」というのですから。
そろそろ、「私利私欲」を振り回して他人を傷つける愚というものから卒業できる、そんな知恵を身につけて行ってもいいんじゃないでしょうか。
——というのが、私の近年の「発見」です。