Life Goes On: 光る君へ(47) 哀しくとも
アバンタイトル。
人々の祈り虚しく……でございましたね。
「光る君へ」も今回含めてあと2話。
◾️危急存亡の秋
1週間の間、多くの人が祈るように考えてきた、「周明の生存ルート」ですが、やはり実現はなりませんでした。
しかし同じくお亡くなりになるにせよ、もうちょっと引っ張るかなと思ったのに、周明さんの登場はアバンタイトル(OP前のパート)のみでした。
隆家さんは、お優しい人になりましたね。
悲しいこと苦しいことがあっても、自分が(まだ)生きている以上、人生は続く。
「仕方がないな」
というセリフは、非常にやさしく、同情に満ちていました。
文字では表せないやさしさ。
このニュアンスを出せる役者さんもすてきですね。
泣き崩れるまひろちゃんに続いて、周明さんのカットインがありました。
あの海辺で、胸に矢を受けて倒れ、瞑目するその姿。
あの騒ぎの中ではご遺体の回収も無理だったのかなと思いました。
であれば、なおさら悲しいことです。
※
隆家さんの有能ぶりが今週も描かれることになりました。
解文(げぶみ)は、地位・階級が下位の者が上位の者に当てて提出する文、いわば上申書ですね。
通常は偉い人が下位の人に向かって、文書を提出しなさいというところ、命令なく(あるいは命令を待たず)下位の人から上位の人宛に出す。これが解文(または解状)。
通常の順序を乱すのですから、現場としては緊急事態であることを意味する。
……のですが、まあなんせ上位が当てにならないことが多いのは今も昔も同じといえます。
なので、隆家さんは、通常の形式通り、摂政(頼通さん)宛に出すのと同時に、実資さんにも送っていたのですね。
これは偉いな、と思わず感心しました。
隆家さん自身が陣定にもいた人だから、上位連中が全然当てにならないことはよくよく承知していた、ともいえます。
情報量が違うから仕方ないともいえますがしかし——平和ボケしてますねえ。
こういうのを見て、現代人が、怒ったり嗤ったりするのもわかりますが、そうではなく、
「自分もコレではないか」
とオノレの鏡にするほうが大事かもしれません。
「わかっている」人は、わずかな情報を聞いただけでも、ことの重大性、緊急性は理解するのですから。
なんせ敵の状況が全然わからないので、まずは「首都防衛」を優先して守りを固めるという実資さんの判断は支持できます。
現場にいる戦闘員と一般市民は見捨てられたも同然ですけどね。
一種のトリアージと申せましょう。
頼通さんの結論が
「このまましばし様子を見よう」
だったのにはちょっと参りました。
「様子を見てもいいから、状況がやばくなったときのための備えくらいはしておけ!!」
と思わず叫んでしまいそうになりましたわ。
せめて斥候を放つとかさあ! ねえ若様!
こういうのは平和ボケって話じゃなくて、やはり治政能力、判断力の有無じゃないかという気がします。
◾️ふたつの慟哭
政治的な話はそれくらいにして。
泣けました。周明さん。
久々に出てきてくれたと思ったらこんな退場の仕方ってある?!
なんのために周明さんが登場したのか、今のところは疑問に思うばかりです。
もう終わってしまったと嘆くまひろちゃんに「紫式部集」のヒントを与えた、という意味がこの後、現れてくれるのかどうか。
周明さんが倒れたとき、まひろちゃんはもう、彼の名前を呼ぶこともありませんでした。
言葉にならない絶叫と慟哭。
幼い日、目の前で母を殺害された衝撃が再び蘇ってしまったのだと思うと、見ている側もつらい。
ああなってしまうともはや、誰かの名前さえ、脳裏からは吹っ飛んでしまうのかもしれません。
そして、身も世もなく泣き喚いた人がもう一人。
乙丸。
大宰権帥の任を離れ、京へ戻る隆家さんに同行するかと問われ、一度は拒否するまひろちゃんでしたが。
乙丸が、あれだけ泣き騒いだのには視聴者一同もびっくり。
最初は、自分の妻に会いたい(から帰りたい)、というのでしたが、ならば乙丸は都へお帰りなさいと言われて、乙丸は叫びます。
「あんなことがあった ここにいては なりませぬ」
他の理由——「私は帰りたい」「お方さまと帰りたい」「きぬに会いたい」は繰り返されますが、「ここにこれ以上いてはならぬ」は1回だけ。
ですが、これが一番の、核心だったかもしれません。
強い衝撃を受けて、同じ場所に留まり続けることは、その記憶の中に留まり続けること。
何度も何度も、日を重ねるごと、同じ記憶によって傷つけられる。
回復するいとまがない。
乙丸があれほどはっきり自分の望みを口にするのも珍しいことですが、乙丸は以前にも、まひろちゃんの母、ちやはさんを守れなかった悔恨ゆえに、まひろちゃんを必ず守り通すのだという決意を語ったことがありました。
そう。彼はこういう人でした。
控えめで口数も多くなく、また、言葉も訥々としていますが、でも、彼の意思は非常に強固。
こんな場所にこれ以上、留まっていてはいけないという思いはずっと、乙丸の中にあったのでしょうね。
本来なら言葉を尽くしてまひろちゃんを説得したかったのでしょうが、言葉は、彼の得意とする分野ではない。
そのフラストレーションが、隆家さんからの申し出をきっかけに文字通り爆発したのだろうと思われます。
このシーンは、基本のセリフは決まっていて、あとはもう乙丸役の矢部太郎さんにお任せだったのではなかろうか——と、ふと思いました。
母を亡くして泣きわめいたという神話のスサノヲ命の泣き喚きようも、かくやと思われました。
厚い氷の中で閉じていたまひろちゃんも、乙丸の決死の駄々には思わず口元をほころばせ、隆家さんもなんともいえない微笑となり。
無事、京へ帰ることになりました。
周明を失った時間の中で凍りついていたまひろちゃんを動かした乙丸。
あっぱれでございました。
◾️おまけ
周明の亡骸についてちょっと触れたかったんですけど、どこにもうまくハマらないので、エックスにつぶやいたのをここに置いておきます。
◾️幸福論
帰京したまひろちゃんに、賢子ちゃんは源氏物語の感想を語りました。
この世の栄華を極めても、好きな人を手に入れても。
結局は誰も、幸せになってはいない。
幸せは、あってもいっときのもので、空虚なものなのだと思った——という賢子ちゃん。
そうですねえ。
何が幸福かは、人それぞれの価値観。
しかし「好きな人を手に入れた」人は、ほぼいないかもしれませんねこの物語。
源氏の大本命は藤壺の宮ですが、これは結ばれず。
紫の上も、源氏の「一の人」ではあっても正妻ではないので、源氏を「手に入れた」とも言いがたく。
そういえばこの物語で好きな人を手に入れた人って、あんまり多くはないかな。
髭黒の右大将、夕霧くらいかな?
匂宮は、中の君を手に入れたとはいえ、相変わらず浮気三昧なので、少なくとも他者から見ると大して幸福そうでもない。
幸福感とは、あったとしてもいっときのものであり、人が幸福になるのは稀である、とはいえそうです。
が。
しかし、幸福、幸せとは何か。ってことですよねえ。
人生とは空虚なものだ、つって、そこで過度に享楽的になるのも、それはそれで、虚しさを自ら倍加するだけという気もしますし。
この世は無常である。ということだけは間違いがないけど。
それでヤケを起こすのも違うだろうし……と思わずこちらも真顔になってしまいました(笑)
◾️想い人の消息
気の毒だったのは、太閤様こと道長さんでしたね。
民を思っての政、という理念が、息子にはぜーんぜん伝わっていないことがわかっちゃうし。
だからって今更どうしようもないし。
公任くんにはなんだか怒られちゃうし。
我が意の通じなさに泣けてくる思いだったんじゃないでしょうか。
中でも一番気の毒だったのは、世にならびなき権勢の人でありながら、人ひとりの消息さえ、尋ねることができない不自由さ。
刀伊の入寇がなんとか片付いたあとになっても、藤式部ことまひろちゃんの、安否も確認できない。
隆家さんに、藤式部の「接待」を指示したのですから、隆家さんに尋ねればよさそうなものですが、当時は郵便制度はありません。個人的に手紙を送るなら、自分の従者を使いに出すことになります。
それができにくい状況だったのかもしれませんね。
だからって、いわば「公式文書」で藤式部の安否確認というのは、あまりに「公私混同」に見え、他者からは怪しまれることになる。
聞きたいけど聞けない、という葛藤。
賢子ちゃんから、
「まだ大宰府にいると文が参りました」
と聞いたときの、今にも倒れそうなくらい、安堵した道長さんの表情。
さぞ気が揉めたことでしょう。
そして、あらためて、実の娘という思いで賢子ちゃんをみる道長さん。
賢子ちゃんは「なんだろう?」という感じですが、道長さんの胸中を思いますと、しんみりしてしまう場面でした。
◾️再 会
無事、帰京したまひろちゃんは太皇太后の彰子さんに呼ばれて出かけていきます。
そこで偶然、道長さんとバッタリ顔を合わせます。
いつぞやと同じ、渡廊の、あちらとこちら側で。
まひろちゃんを見て道長さん、最初は驚き、ついで、無事を確認して安堵した表情になり。
そのまま、引き寄せられるように、まひろちゃんに駆け寄らんばかりでした。
あいにく、邪魔が入ってしまいましたが。
それがなければ駆け寄って、思わず抱きしめていたんじゃないかという雰囲気。
(役者さんが)うまいなあ、と思って拝見しました。
もう終わりだ、終わったのだとまひろちゃんはどれほど自分に言い聞かせてきたでしょうか。
恋しく思いながらも、でも、「苦しかった」「離れたかった」、と、周明さんに語っていたまひろちゃん。
苦しいのも、あえて離れたいと思うのも、恋しいからこそ、なんですよね。
人の心の複雑なところですね。
◾️倫子さんの決着
そして。
待ち構えている倫子さん。
懐かしい昔語りから、いきなり一閃、切り込んできたこのセリフ。
「あなたと殿は、いつからなの?」
「私が気づいていないとでも思っていた?」
最初のキョトン顔から「えーっと……」という感じに微妙に変わるまひろちゃんの表情。
ここで、今回は終わり。
いやー、鬼ですねー。ヒキが強いですねー。
これでまた1週間待てと?!
しかも次回は最終回ですよ。
なんかもう、どっちに転んでも冷静ではいられない気分ですよ。
それにしても倫子さん。
殿が出家した今になって、どうした? と思ったけど、出家したから、でしょうかね。
当時の感覚では、出家=俗世を捨てる、ということなので、まあ夫婦関係も実質的には解消している(はず)なんですよね。同居はしているにせよ、です。
ある意味、それこそ「終わったこと」として、確認して、「総括」したいのだろうか、と思いますが、どうなんでしょうか。
それにしても「いつから」というのなら、じつは倫子さんと結婚するよりずっと以前から、になるんですよねえ。最初の出会いのときのまひろちゃん……7歳くらいでしたっけ?
もう話すならそこから話してやれ、と思いました。
まひろちゃんが、倫子・道長夫婦にとっての無礼な闖入者なのではなく。
倫子さんのほうが、あの二人の間に割り込んできた「部外者」だったのだと。
ぶちまけてやればいい——というのがわたしの思うところなのですが、さて、どうなるのでしょうか。
倫子さんとの夫婦関係が解消しているように、まひろちゃんにとっても、これはもう「終わったこと」として語られるのか、どうか。
奇妙なことに道長さんとまひろちゃんは、これほどの結びつきでありながら、まひろちゃんは彼の妾でもなく、恋人でさえなかった(ごく短期間を除き)。
そうあらためて考えますと、視聴者としてさえ、なんとも奇妙な気分になりますね。
ともあれ、次回は最終回。
予告編を見て、ちょっと胸がときめくカットもありましたが。
あまり期待しすぎず、といってやさぐれもせず。
最後の瞬間まで、平常心で臨みたいと思います。