
菊花は仏花にあらず
本質を見落として本末転倒したことを言い出す阿呆がいると、必ずものごとは歪むよね。
――と思うことは数多くありますが、菊の花もその類のようです。
中高生の修学旅行や、部活等の合宿で、大広間に布団を敷き詰めて就寝する、なんていう時。
必ずいたのが
「どっちが北?」
と言い出すやつ。
北枕を避ける、というのですね。
北枕は縁起が悪い、という。
人が亡くなると、ご葬儀までご遺体を安置するのに頭を北に向けて寝ませます。
いわゆる北枕です。
なので生きている人間が北枕では縁起が悪いという。
そんなもんかね? と思っていたのですが、後年調べたところ
「地球の磁極の関係で、人体は休むときには北に頭を向けたほうが安楽にできる。
亡くなったかたを北枕に寝かすのも、『楽にして休ませてやりたい』という、思いやりの気持ちからのもの」
だという記述があったので、なーんだ、と思いました。
死者だから北枕にするのではない。
北枕にすると身体が楽だから、ゆっくり休んでほしいという気持ちでそのようにするのだ、ということです。
であれば、北枕は縁起が悪いなんてのは、言いがかりもいいところです。
とはいえ北枕にすると本当に身体的には楽なのか、ということについては確かな情報は見つけられずにおります。個人的には、医学的根拠はなさそうだなと感じます。
同様に、菊の花。
「日本人の知らない日本語」にも登場するエピソードですね。
外国の方から見ると菊の花は豪華で華やかで、きれいな花。
なので、それでブーケを作ってもらってプレゼントにしてしまう。
しかし日本人には菊の花というと「仏花」甚しくは「葬式のときの花」というイメージがあるので、菊の花束をもらって複雑な心境――という事態になる。
わたしも以前から「なんでだろう」と思っていたんですよね。
菊の花=葬式、不祝儀、というイメージ。
わたし個人はそう思わないにしても、そういう「誤解」が浸透していることは感じている。
なんといっても皇室の御紋でもあるし、かの菅原道真公も白菊を好んでいたというし、ここでは菊は「高貴」なイメージです。
それがなんで、プレゼントされると「縁起が悪い」と顔をこわばらせるようなイメージにすり替わっていたのだろう? それはいつから?
と思いまして、例によって検索の旅に出ておりました。
そうしましたら、案の定と申しますか――「北枕」と同じ現象だったんですねこれも。
菊は、皇室の御紋になるくらいですからやはり高貴の花。
重陽の節句を見ればわかる通りで、不老長寿の縁起物ですらあります。
実際、解熱、解毒、消炎、鎮痛の薬効もよく知られたところです。
お刺身に菊の花が添えられているのも伊達や酔狂ではなく、菊の花の持つ殺菌力が知られていたからだそうです。
実用性も高い、高貴な花。
そういう、高級でゴージャス、格式の高い花だからこそ、仏様への尊崇の思いを込めて、捧げられたものなんですね。
意味が全然違うのよ。
だれだよ本末転倒、意味を真逆に置き換えてしかも知ったかぶりで吹聴しやがったスットコドッコイは。――くらいのことは言いたくなりますね。
仏様といえば線香もそうなんだよなー……。
なんで仏様にお香を捧げるかというと、これも「清め」の意味がある。
仏様をお祀りする場所を清浄に保つ、また、そこにいる人間自身も身を清くする「誓い」の意味を込めて、香りの良いものをお供えするんですね。
なのに、線香臭いだのと訳のわからない文句を言う奴が少なからずいる。
臭いと思うんだったらちゃんといい香りのする、ちゃんとしたお香を買えば? って話なんですよねこれ。
最近では「においの少ないお線香」が売っているというのですから、泣けましたよあたしゃ。
そんな具合で。
世の中には、ちゃんとしたことを知らず、また調べようともせず、自分の勝手な思い込み、浅はかな考えだけで、本末転倒したことをいい、それを言い広める人がかなりの人数いるんですね。
そういう人の勝手な解釈などには乗せられないようにしたいと思います。
菊は仏花と決まったものではない。
高貴な花だからこそ大事な場面や人に向けて捧げられるものだ、ということが、少しでも世に知られていくように願います。
菊の花束をもらって、素直に美しいと思える心で在れるように。
――秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ
花より先と 知らぬ わが身を
(秋の菊の艶めいている間じゅうは、挿頭にしよう。
この花が散るよりさきに死ぬ事もあるかもしれない、先のわからない我が身なのだ)

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