タブーよりやばいキャンセルカルチャー
2024/07/12 ブログエントリーより転載
ペケったーの方で「例の醤油皿」というトレンドワードが上がってきておりまして。
何だろうと思ってTLをのぞいてみたら、その醤油皿に対する反応、またはその反応に対する反応(論評)はごろごろ出てくるけど、大元の、話題の投稿に行き当たらない。
ただ、どうやら結構グロテスクなものであるらしいとはわかりました。
こういうこと多いですよね。
その話題ズバリが出てこなくて、周辺のご意見ばかりが並んでいるので、何の話なのかがなかなかわからない。
あきらめかけた頃にご親切に引用ポストをしてくださっていた方があったので、みることができました。
はっきりいえばなるほどグロテスクな作品でした。
添付の画像が表示されてしまうとけっこうグロいので、リンクだけ置いておきますね。
興味おありでしたらこちらのリンクからどうぞ
↓↓↓
https://x.com/yamashitashohey/status/1810540035814658069
まあグロいっちゃあグロい。
ただ、こういう趣味嗜好のものは昔からあるものでして……今回なんでそこまで炎上気味に話題になったのかはちょっと不思議。
インフルエンサーみたいな人が非難気味に取り上げたりしたんですかね?
嗜好ですから、好きな人は好きだけど苦手な人はとことん苦手。
それはわかる。
でもそこで「こういう投稿をするな」というのはやはり違うかな、と。
法令違反になるものなら通報も致しますが、「趣味の違い」であれば、それを「禁止」すべき権限はありません。
そのための、ミュートなりブロックなりの機能なんじゃありませんか、というご意見もあって、わたしもそのお考えに同感ですね。
とにかく「自分が」気に入らないものは即座に「つぶす」というのはよろしくございません。
キャンセルカルチャーの精神てこれですよねえ。
こういうものに対する嫌悪感は、ようは禁忌、タブー観から発生します。
こういうものに強い嫌悪や恐れを感じる人は、何かしら「死」を思わせるものを忌避しているはずです。無意識に。
でも、逆に、死を思わせるものにこそ、逆説的に生命を感じる、だから好き、という人もいますね。
ドクロなどのデザインが好きな人はこちらでしょう。
あるいはネクロフィリアのバリエーションという人もいるかもしれない。
わたしはドライフラワーやプリザーブド・フラワーが「苦手」ですが、心理学の先生があっさりと
「うん、あれはネクロフィリアだからね。本人、意識してないけど」
というのを聞いて、ああそうなのか、と思わず膝を打ちました。
直接のネクロフィリアという趣味はなくても、心理面では繋がりがある。
それを好む気持ちの強さや、好む「表現方法」が違うだけ、ということらしいです。
わたしはどうも「物体になった人体」への恐怖があるみたいです。
生きて元気なときは人の肉体は人ではあるのですが、お亡くなりになると、徐々にその肉体は腐敗へ向かって進んでいく。
ある意味、当たり前の現象ですが、「生きている人」が「物体」になる。その「断絶」がわたしにとっては非常に恐ろしいもの、みたいです。
同時に「食べる」ことにも、何かしら(それが何かはわかりません)の「恐れ」もあるみたいです。
食べることは相当に呪術的な側面がある。
なんでものを食べると生命維持ができるのか、という部分において、医学的な説明はさておき、小さな子どもが「なんで?」と不思議がる、あの感覚で、わたしはそれを不思議がり、同時に、どことなく「恐れ」てもいる。
そのへんが合わさってしまってダメだったんだよなー「進撃の巨人」😅
物語としてはすっごく面白くて引き込まれるんですが、あの、食人、という概念と、絵がねー💧
クライマックスを目前にして限界に来てしまい、結局未読です。
ネタバレは全然気にしませんので、お話はあれこれ聞いておりますけども。
ということで、誰にでもそういう恐れや嫌悪感はある。
なので、今回の醤油皿デザインに強く反応してしまった人の気持ちもわかる。
でも、自分がダメだからって、即座に「つぶせ」と「命令」するメンタリティのほうが、ちょっとやばいもんがありますよ。
そこのあたりはご自身でご注意願いたいと思います。
あと。
これはエロ絵についてもそうなんですが、各SNSでは、趣味嗜好による「棲み分け」を確実にするために、画像のマスキングや注意を入れるなどのツールがありますので、投稿する際にはちょっとだけ、ご配慮いただければとは思います。
とはいえ平気な人は平気だものな。
人間は諸事、自分を基準にするから、自分が平気なら他人も平気だと思っちゃうもんですよね。
なのでそこはもうお互いに、譲り合っていくしかないな、と。
そんなふうに思います。
これを機に、自分にとっては何が禁忌なのかを、内心を洗い出してみるのもいいかもしれませんね。
自分のとっての当たり前を、いちいち自分で確認したり検証する人もあんまりいないですから。