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羽を広げて: 光る君へ(45) はばたき

 あと5話。

 クライマックスのドキドキ感がやってきました。

 と申しますのは「望月の歌」までは、わりと史実のほうから、このドラマの展開がある程度予想できたけど、この先は、ドラマのオリジナル性が幅を利かせて参ります。

 いわば、純粋にドラマ(フィクション)としての楽しみの部分になるわけですね。

 このドラマのオリジナルの登場人物、つまりフィクションの人物の周明さんも出てきましたし。

 ここから最後までの数話は、ドラマそのものとして楽しんでいきたい、と思える今回でした。



◾️望月の歌・解釈


 今回はアバンタイトルが短めでした。
 あらためて、道長さんの望月の歌の解釈をいくつか、四納言のセリフに擬しての解説が面白かったですね。

 それぞれの解釈が、それぞれの登場人物がいかにも言い出しそうな感じにまとめられていて、聞いていてスーッと入ってくる感じでした。
 それぞれの解釈、それぞれに説得力がある。

 行成くんの、あくまでも道長さんに好意的な解釈は「らしく」て、ふふふと笑ってしまいました。

 道長さんの真意はいずれにせよ不明。
 なぜ本人は記録に残さなかったのかも含めて、これはもう永遠の謎ですね。


◾️史実部分のまとめ


 ドラマの最後はそんなわけでフィクション性の高い、ドラマオリジナルの展開で畳み込んでくるのではと予想されます。
 だから前回とか、なんかもう一気に数年分の歴史年表の記事を「片付け」ていたんだなと思わず納得。
 ずいぶん駆け足でしたものね。

 そういう中で敦康親王の結末だけは(ナレ死とかではなく)きっちりドラマで描かれたのはよかったなと思いました。

「道長によって奪い尽くされた人生であった」

 というナレーションに思わず「そうですねえ……」としんみりしてしまいました。

 おまけに史実でいうと急死で、死因も不明だそうです。
 そんなわけで道長によって毒殺されたなんて説まであるそうですが………流石にそれはなかったと思いたい。

 いずれにせよ、道隆さんの系統となる、中関白なかのかんぱく家はどうも短命の家系に思われます。敦康親王もその系統を引いてしまったのかもしれません。
 敦康親王のきょうだいに当たる方々も皆、夭逝していらっしゃる。
 唯一まあまあ長生きをなさったと言えるのが脩子内親王ですが、それでも行年52歳。

 逆に倫子さんの方はご長寿ですよね。

 倫子さんの母君、倫子さん、彰子さん、皆様長生きでいらっしゃる。サーチュイン遺伝子がひじょーに活性化している人々だったんだろうなあ。


◾️夢浮橋


 まひろちゃんの書いていたのは源氏物語、宇治十帖の最後、「夢の浮橋」でした。

 現代語訳の文を聞いて「ああ、〇〇の巻か」とわかるのも、与謝野晶子と「あさきゆめみし」のおかげです。

 ともあれ、源氏物語はこれで本当に終わりです。

 まひろちゃんの涙。
 見ている側にも、胸がせくものがありました。

 書き終わった、やったー! じゃないんですね。

 自分の人生と融合するように書かれた物語は、まひろちゃんにとってはもはや自分の一部のようなもの。

 その自分の一部との「別れ」には、さまざまな思いがあるでしょう。
 書き上げた満足感も、別れの悲しみも。
 そして思い出されること。
 書き始めた日のこと。
 物語に結びついている、さまざまな記憶。
 物語を読んでくれた人――そして今はもういない人々。

 ドラマもそうですが、物語の因果なところかもしれません。
 物語である以上、読者は「結末」を「楽しみ」にしています。
 この人はどうなるの、このエピソードはどうなるの、と、楽しみにして読み進む。

 けれどもその楽しみな結末を見るときは、物語が終わるとき。
 非常な楽しみと、大きな別れが、そこに同時にある。

 因果だなあ、とよく思います。
 楽しみとなる、好きな物語であればあるほど、喜びと悲しみの、いずれもが大きい。


 ところで。
 個人的には、源氏物語「夢の浮橋」を読んでいると「ここで終わる気はなかったのでは?」と思えてくるんですよね。
 あえて「完」みたいなことも書かれていないし。

 漫画の「あさきゆめみし」は、いかにも現代の作らしく、きれいにクライマックスを作り、浮舟うきふねの「救済」で締めているので「物語が終わった」感があるんですけど、原作の源氏物語はそうではない。

 もしかしたら作者は、ここで終わりという意識はなかったんじゃないかな? と思えてきます。

 続けようと思えばいくらでも続けられるよね、という「気配」があるんですよね。 このへんも、タイムマシンがあれば紫式部さんにインタビューしたい点です。



 ――世の中は 夢の渡りの浮き橋か
  打ち渡りつつ ものをこそ思へ

         (読み人知らず・出典未詳)



◾️「終わり」の見極め


 前回でも、道長さんの左大臣・摂政からの辞任について、
「終わりの〝時〟を見極めるのは、なかなか難しい」
 と申しましたが、今回も引き続き、そんなことを思いました。

 賢子ちゃんが出仕することになり、藤式部は引退をする。
 それはいいのですが、引退となるとそれこそ出家でもするのかと思いきや、いきなり「旅に出る」という決意をするあたりが、本作主人公のまひろちゃんらしい決意です。

 越前赴任もずいぶん楽しんでいましたし、物語作家に相応しく、さまざまなことに好奇心を持つ人らしい計画ですね。

 物語に書いた須磨、明石の浦を見、太宰府、松浦を見たい、という。

 正直なところ、源氏物語での描写を見ると、紫式部さんは執筆以前に現地に赴いたことはあったのでは、と思われます。

 住吉大社は当時の貴族たちの信仰を集めていました。道長さんも参詣しています。
 紫式部さんも個人的に、参詣したことがあっても不思議ではないかも。


 ともあれ、その行動力は素晴らしいなと思っていたんですが、と胸を突かれたのはあの場面。 
 行かないでくれと引き留めた道長さんに、まひろちゃんがいう。

「これ以上、手に入らぬおかたのそばにいる意味は、なんなのでございましょう」

 あきらめてはいなかったんだな――と思いました。

 道長さんへの恋しい気持ちは、全然そこに残っている。

 だからこそ、まひろちゃんは、「終わり」にする、と決めたんですね。


 現在の、雇用関係であってもともあれ、近い距離にあり、会って話すことにはさほどの障害はない関係を。
 男女として結ばれることはなくても、これはこれでよい関係だと「あきらめる」ことができているなら、あえて終わらせる必要も、遠くへ旅立つ必要もない。

 けれども、結局、そんなあきらめはできなかったし、むしろ、恋慕する思いは、成就を見ることがなかったゆえに、強固な願いとなって心に根を下ろしてしまった。

 その思いは、まひろちゃんを苦しめるだけ。

 恋しいからこそ、終わらせる。
 恋しいからこそ、遠ざかる。

 そうだったんだなあ――と思いました。
 まひろちゃんはもう、これはこれでとあきらめているのかと漠然と予想していたのですが、全然そうではなかったのですね。

 「運命の人」と出会っているのに、その人と結ばれることは決してない。
 こんなことなら、運命の人などと出会わぬ方が幸せだった。(かもしれない)

 もしも、出会ったままに結ばれて生涯を共にできていたら――という思いが、紫の上の物語を書かせた。
(源氏物語は当時、『紫の物語』とも呼ばれていたとの記録もあるそうです)

 紫の上も光る君も、もう、物語にも存在しない。
 そういうものから、まひろちゃんは別の人生へ向かおうと決意したわけですね。

 ただひとつ、賢子ちゃんの出生の秘密を明かして。


 道長さんは賢子ちゃんのことに気づいたかどうか? ということが以前話題になりましたが、やっぱり全然気が付いていなかったんですねえ。

 あの驚愕の表情。

 無音で、効果音や劇的な音楽、あるいはそれ以外の演出いっさいがない、ただ柄本佑さんのお芝居のみで表現された驚きが、かえって印象的でした。


◾️誰も幸せにしない結婚


 本来あるべきものの形を一つでも歪めれば、その歪みは波状に広がって、多くの人を巻き込んで歪んでいくのだな、と思いつつ、今回の倫子さんを見ておりました。
 つらい。

 まひろちゃんと道長さんの関係については、倫子さんはもう承知している。

 二人の関係の詳細は知らないけれど、道長さんが愛しているのは(正妻である自分ではなく)まひろちゃんだと知っている。

 それでも、彼の正妻である、政治的なことでも私的な面でも、彼のパートナーは自分であるという「矜持」が、倫子さんの支えでもあったでしょう。

 旅へ出るといったまひろちゃんに、

「わたしと殿(=道長さん)も、二人で旅に行きたいわねと、語り合っておりましたのよ」

 という倫子さんには、うーん、と思いましたね。


 倫子さんもつらい。
 まひろちゃんもつらい。

 倫子さんの(正妻としての)マウンティングだというご意見もあるでしょうが、それでも、わたしは、これはつらいなと思って見ていました。

 愛されていないとわかっている自分が、愛されている「本命の彼女」よりも〝上位〟にいると誇ったところで、なんの救いになりましょうか。

 このドラマのいいところは、単純なドラマなら、ヒロインの邪魔をするイヤな女として描くであろうポジションにいる倫子さんのことも、ちゃんと、魅力的な、深みのある女性として描いているところ。


 そうであるゆえに、この残酷さが際立ってくるんですね。

 道長さんも、倫子さんも、明子さんも、まひろちゃんも。
 誰も、幸せではない。
 それぞれが、満たされない思いに傷ついている。


 どうしたらこれを避けることができたんだろうと考えたんですけど。
 どこをどう考えても、道長さんとまひろちゃんが、きっちり、心身ともに結ばれて天下晴れてのパートナーになることだけなんですよね。

 もしそうなっていたら、若き日の倫子さんは片思いからの失恋でお気の毒ではありますが、もしかしたら、失恋後は、本当に愛し合える別のパートナーをがっちり掴んでいたかもしれない。
 倫子さんの聡明さや心映えを思えば、それは実現しただろうと思うんですよね。

 明子さんは――、うーん、まあでも、本来なら妾妻となるべき身分の人ではないので、道長さんの妾妻であること自体に傷つくことはなかったかもしれない。

 本来、結ばれるべきふたり、歪めるべきではないものを歪めてしまった。

 その歪みがもたらした破綻が二人以外のところにも広がってしまった。
 それが、この姿なのだなと思いますと。


 やっぱりどうにも、やりきれません。

 まひろちゃんを失った道長さんは、(それが直接の理由かどうかは存じませんが)出家を決意。
 倫子さんの懇願も聞き入れない。
 これは。
 倫子さんにしてみれば、離婚の言い渡しにも等しい宣告です。


 関係する誰も、幸せにならない結婚のかたち。
 そんなことを考えてしまいました。


 出家した道長さんを、見舞いなのかからかいにきたのか、昔馴染みのいつものお三方が、ホッとさせてくれました。ようございました。(特に行成くん)


◾️そしてクライマックスへ


 そしてここからは史実からちょっと離れて、ドラマとしての真骨頂となるのでは、と思われる今回のラストと、次回予告でした。

 また出てきてくれないかなーと思っていた周明さん!
 再登場です。

 そして、刀伊とい入寇にゅうこう

 望月の歌ではなくて、こちらが主な舞台背景になるとは思わず、ちょっと予想外になってきたのでドキドキしてまいりました。

 ワイルドになっている隆家さんと、双寿丸さんもいるしで、かせを外したまひろちゃん同様、「史実」から逃れたドラマ展開になりそうな予感でときめいております。

 今回のサブタイトル「はばたき」ですが。
 はばたきには、すでに出発している、というイメージもありますが、今回は、わたしには「助走」に近いイメージで聞こえております。

 大型の鳥――白鳥などが、離陸する前に羽を大きく広げて、準備運動みたいにバタバタと動かすことがありますが、あのイメージです。


 実際、羽ばたきという言葉は羽をバタバタさせること、という意味で、「出発した、飛び立って行った」というのはまたちょっと別かなという感じ。

 今回は、クライマックス、物語の終結に向けて、あらためて、羽をバタバタさせてテイクオフの準備をしている――そんなイメージで受け止めました。


 あと数話に向けての飛翔。
 どうなるでしょうか。

 終わりを迎える寂しさはあるけれど、やはり、楽しみでもありますね。

 

 

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みずはら
筆で身を立てることを遠い目標にして蝸牛🐌よりもゆっくりですが、当社比で頑張っております☺️