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生存戦略としての「敬意を払う」
前回記事を上げてから2週間近く。
この1月は本当になんっにも! できませんでしたが、転んだままで通り過ぎるのも悔しいので、備忘録としてでも、コロナ初発症の記録をまとめて記事にしたいと思います。
今日のところはリバビリも兼ねて、ここしばらくの世間を眺めて思ったことをひとつ。
◾️悪事千里を走る
「この風の時代は、『悪事千里を走る』が加速する」
という確信と、それに伴い、
「自分や、自分の大切な人を守るには、品位が必要になる」
という確信も強まりました。
皆様ご承知のとおり、ただいまテレビの民間放送局が、大変なことになっておりますね。
それをめぐる人々の動きや、SNSを含めて人々の発信することを見て、以上の2点を強く思いました。
これまでは「悪事千里を走る」ということわざがある割に、誰もが「あの人はろくでもないことをしている」と知っているのに、権力や権威によって強固に守られ、揺らぎもしない、ということがありました。
しかしながら「風の時代」には、そういうこともどんどん、とんでもない強風で吹き飛ばされ、ひっくり返されていくだろうという、主に占星術からのお話を聞いていて「へー」と思っておりました。
まあ正直、半信半疑でした。
が。
本当に、それが現実に起きているので、なるほどなあ、と思っている次第です。
しかし、どうせ風に煽られて世間に広まっていくのなら、悪事もだけどそれよりは、世間の中に隠された、多くの人々の善意や、それで救われている命もあるのにほぼ見向きもされない善行が、世の中にパーッと広まってくれたらいいのになーとも思っています。
しかしまあ、まずは、旧体制や旧弊が暴かれる方が先に立つのでしょうかねえ。
これまで隠されていた「巨悪」が倒されるぞと嬉しがる人がいるかもしれませんが、そんなことを喜んでいる場合ではなくて。
自分自身もまた、ロクでもないことをすればたちまちに暴かれるぞ、ということです。
そう思っていた方がいい。
我が身を振り返ったときに、そのへんいかがですか。
◾️悪口の費用対効果
これはたぶん正確には、善悪の問題ではなくて
「自分がやったこと(悪行善行問わず)の結果が、世の中に隠しようもなく現れてしまう」
のだということ。
人様がそれで大変なことになっているのを、「他人の不幸は蜜の味」つって喜んでいる場合じゃない、自分も同じなんですよ、ということです。
それでわたしが気になっているのは、世の中、あまりにも、いうことも、行うことも、ひどい人が多すぎる、ということでした。
国会でもそういう議員がいるけど
— みずはら mizuhara (@gibbous_leo) January 27, 2025
他人を罵倒したり聞くに耐えない悪口雑言を並べるのを「仕事ができる」ということだと思っている人は一定数いるらしい
その人の人格を疑うほどなのに、本人は自慢げに、いかにも大仕事をしたぞというように「さあどうだ」という顔をするところが理解を超えている
理由は分かりませんが、他人を罵倒することに夢中になりすぎて、国会議員なら質疑の本来の目的を忘れてしまうし、記者なら「何の話をしてんの?」と周囲からむしろ疑問の目を向けられてしまう。
不思議ですね。
そうやって他人からは顰蹙を買っているのに、悪口雑言に「酔う」人は、そのことに気づかない。
ただ時間と本来の目的が、無駄に流されてしまうだけです。
悪口雑言、他者への敬意を持たない態度や言動は、本来あるべきものを破壊してしまう。
そして、悪口は、言われた人よりも、悪口を言っているその人の方が、より多く他者からの信用を失っていく。これもまた、真理です。
つまり、他人を罵倒したり、マウントをとって見せたりという行為は、ごく短時間では何かしら有利になることはあるにせよ、長期的には信用を失うし、時間も浪費になるし、結果、労力も報われないことになる。
では、本質、本来の目的にきちんと沿った形で、自分自身の信用も失わず、するべきことを確実に行うにはどうしたらいいのか。
簡単にいえば「礼儀正しく振る舞う」ことですね。
品位を保つという言い方でもいい。
もう少し噛み砕いていうなら、
「自分と他者への敬意を忘れない」
ということ。
忘れない、というよりも、自他への敬意を「基礎にする」ということ。
他者を罵ったり、脅したり、脅迫によって怯えさせたりすることはむしろ、結果において、あるいは長期的には、望んだ結果を破壊し、自分自身を損なうことになるのはなぜか。
自分にも他人にも、敬意を払うどころか、悪意をぶつけているからです。
悪意が目的とするのは破壊ですから。
自分にも他人にも、悪意を向けた結果が、望ましい、「良い」ものになるわけはないのです。
◾️自分を愛して
ということで、思い出されるのはこちらの本。
・Think CIVILITY(シンク シビリティ)
「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である
2019/6/28 クリスティーン・ポラス (著), 夏目 大 (翻訳)
たぶんこの本で説くことも、その表面だけを見れば「お行儀良くしろってことかよ」と冷笑して終わる人も多いでしょうが。
「礼儀正しく」、物事を見、物事に取り組み、他者と関わるには、ただ表面を取り繕うだけでは限界があるわけでして。
その限界をあっさり解いてくれるのは、自分にも他者にも敬意を払うこと。
敬意を「基礎とする」ということ。
自分の内面の話になります。
自分を愛せないものは他者を愛せない、というのと同じで。
自分を敬い、自分を尊重できない人には、真の意味では、他者を尊重することが「感覚的に」理解できない。
ここ数日間でもううんざりするほど見た、他者を尊重できないどころか罵倒してばかりいる人々は、自分自身を尊重できない人々だということですね。
多くは無自覚でいらっしゃるでしょうが。
自覚があろうがなかろうか、自分や他人を傷つける行為、という「性質」、「事実」は変わりません。
でももう、そういうやり方も、そういうやり方による効果を得るのも、限界に来ている。
そんなふうに感じています。
自分を愛する。
自分を尊重する。
それを「基礎」にする。
実際には口で言うほど簡単なことではないけれど。
それでも、今後はますます、個人個人のそんな「内面」が、重要になっていく。
そのように思います。
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