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2021年1月18日 6回目の18日

7月18日から半年が経った今日。時間の経過の感覚は人それぞれだけれど、私にとっての2020年7月18日は、もう遠い遠い昔のことのよう。

手の届かない場所で光る春馬くんを、あぁ眩しいなと思いながら眺める。そんな距離感だった私がこんなにも喪失感を覚え、どうやっても埋められなくて、なんでどうしてと答えの出ない問いに頭を占領される毎日。
ずっと熱量高く応援し続けて来た方、近くでその人となりを感じてきた方、共に創作に関わってきた方の気持ちがどれだけのものか、想像するだけで今もまだ奥歯に力が入ってしまう。


過去をさらって、今の思いと向き合って、心の内を文字にする。その合間に映像の中で役を生きる姿やバラエティで見せるチャーミングな姿を、拾っても拾ってもこぼれ落ちていくけどそれでもかき集めてそして落ち込んで、たくさんの記事を読んで救われてまた落ち込んで、そんな繰り返しだったこの半年。
本当のことだったのかピントの合わないまま、地に足がつかないまま過ぎていったような感覚の「2020年」という1年と春馬くんがいなくなってしまったことはセットになっていて、それが今でも私を混乱の中に引き戻す。


それでも。新しい姿を探すことが難しくなり、新しい作品と向き合う姿を見ることができなくなり、いろんなところからだんだんとその気配が薄くなっていく。それでも、そうやって進んでいく生きている私のこれからの時間。


この半年の経験ってなかなかないと思う。事実は一つ、それ以外の全部はこちらに委ねられた、というか。なかなかのスパルタだと思う。
だからこそ、たくさんの人がそれぞれの思いをそれぞれのやり方で整頓していくその過程を共にさせてもらうことが出来て、共感して、泣いて、救いとなる言葉を見つけて、そうやって過ごしてきた半年だった。
人との距離を取らなければならない状況が続いて、それが物理的なものだけでないと感じることもあって、そんな中で吐き出されたたくさんの人の心の内は悲しくて苦しいけれど、そうするしかないという清々しさみたいなものを感じることができて、それは私にとっての救いだった。



いなくなるのって消えることじゃないですよ。いないってことがずっと続くことです。いなくなる前よりずっと傍にいるんです。

『カルテット』で松たか子さん演じる巻さんが言っていた。

もともと手の届かないところで輝く人だった。
見送ることも弔うこともできなかった。それなら、いないことが続いていると考えて、彼がいないことが続いている世界を生きていく、都合よくそう考える。

悲しい気持ちの温度が下がっていくことは忘れていくことじゃない。
これからも生きていく毎日の中で、ふとした時に見えたり感じたり聞こえたり、何かのきっかけで春馬くんという存在に思いが繋がることをそのまま受け止める。支えてもらったらありがとうと感謝して、悲しくなったらなんでよと八つ当たりしながら。
朗らかな太陽に、静かな月にその姿を重ねて、空を見上げながら。
もう半年経った頃どんな思いでいるだろう、そう思う先が光のないものではないと思える6回目の18日に。



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