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東海道関宿「街道まつり」
11月3日、東海道47番目の宿場町「関宿」に行ってきました。
ここは東追分から西追分の間、1.8kmに渡って古い街並みが保存されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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この日は「街道まつり」でした。時代行列や三味線道中などを観るはずが、到着時間の関係で観ることが出来なかったので、またの機会にご紹介するとして、山車のそばでのお囃子を聴いたり、三味線や忍者ショー等の催しを楽しみました。
ところで、これ以上は出来ないと言う限界を表現する言葉に「関の山」がありますが、ここ関宿の山車が由来です。
300年の歴史がある「関宿祇園夏まつり」の山車がとても立派であったため、これ以上豪華で贅沢な山車は作れないと言われるようになり、これで精いっぱいという状態を「関の山」と表現するようになったそうです。また、山車が街道を塞いでしまうため、これ以上通れない様子を表現した言葉と言う説もあるようです。
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東追分にある鳥居。
伊勢神宮の式年遷宮の際、内宮のご正殿の棟持柱は宇治橋の内側の鳥居に使われ、その20年後にこの鳥居に使われます。ここから伊勢別街道が分岐するため、東追分は伊勢の玄関口でした。
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反対側の西追分からは大和街道が分岐しており、多くの人が行き交う活気溢れる宿場町だった関宿。江戸時代の風情を感じながら食べ歩きもして、心もお腹も満たした一日でした。