受験でうまくいかなくとも
受験業界に身を置いている人なら共感してくれると思うが、教え子のあっ!というような逆転合格劇より不合格の方がよっぽど鮮明に記憶に刻まれるものだ。僕は随分前に講師を辞めてしまって今は港区のスタートアップでばりばり働いているのだが、辞めるまでの2年間担当していた教え子の合否がゾロゾロとで揃う今の時期は、最後まで担当していない僕が言うのもなんだが、嫌な緊張感がある。
それでつい先日開成や早慶の合格結果が出てきたわけだが、教え子にもまた案の定かなりの不合格を出したようだ。前職の某塾は今年も「早慶1500人」みたいなことを言っているが、早慶附属合格者数にはかなり重複者がいるので、実際に某塾から”早慶に合格した人”に限れば1000人いないくらいだと思う。(僕も2勝だった) それでもかなり多いが。
しかしこの数字の大きさほど現実は甘くなく、通常、校舎には約30人程度の受験生がいる中でその上位30%程度が最難関私立へ挑み半数以上が辛酸を舐めている。高校受験で開成や早慶を志望するのであれば事実上某塾へ通うのがもっとも現実的な手段であるので、それを知って集まった彼らは、世間的に見れば十分に精鋭の子どもたちなのだ。(形式ばかりだが入塾試験もあるし)その中でこういう割合しか受験を希望通りに終えることができないというのが、なんというか惨い。
それで、僕も又聞きでしかないので事実がどうか確かなところはわからないのだが、受験日を終えて結果が出揃い、惜しくも不合格となってしまった子どもの中には通塾はおろか学校へ登校することも辞めてしまっている子がいるそうだ。
正直、僕がその立場だったとしたら、全く同じ選択を取る気がする。理由は2つ、ひとつ目は受験も終わり進路も確定した今、出席日数による減点みたいなものが真に意味をなさなくなったので、早起きと通学がカッタるい学校へ行く理由を見失ってしまうから。ふたつ目は、自分が「難関校に落ちた」というレッテルを周囲に貼られ、嘲笑われるのではないかという恐怖。
僕は、仮に読者に僕の生徒だった子や、同じような状況に立たされている子がいたならば、それを肯定してあげたい。行かないこと、行けないことに罪悪感を持つことはないよ、と。
何かを恨めしく思うことがあるかもしれない。それは自分を合格させてくれなかった塾の先生かもしれない。僕は、講師であった自分は、合格させてあげられなかった以上恨まれても仕方がないと割り切ることができるし、それで気持ちが楽になるならいくらでも恨んで欲しいと思う。本気で指導されている先生方も皆そう思っているだろう。恨んで恨んで、その悔しさがいつかバネになる日が必ず来るから、それは決して綺麗な形ではないかもしれないけれど、僕はそういう姿勢も肯定したい。
逆に申し訳ないと思う気持ちがあったとしたら、そういう感情を受験生が持つ必要は全くない。それはあくまでこっちの領分だ。
最後に、こんなことを学習塾の講師(だった人)が言うのも何だけれど、受験は確かに多くの人にとって重要で印象的なライフイベントであるけれど、そこで得た結果だけが人生の全てでは決してないということ。むしろ、そこで得た経験や反省や感情をどのように昇華させていくかという、生き方の部分が人生の全てだろう。
世の中に蔓延るありがちなエリート像やくだらない批判や偏見をシャットダウンして、進学までの残りの時間を休憩したり、葛藤したり、或いは希望を持って過ごして欲しいと思う。
(これは直接伝えることが叶わなかった生徒たちへの、贖罪にも似た卒業のメッセージです。