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中居正広・フジテレビ騒動についての雑感

私のような50歳も間近の年代では、物心がついた頃はテレビというものが絶対の存在だった。

子供のころ、テレビで語られていることはすべて真実で、テレビで流れる世界は無限に広がっていて、テレビにはすべての娯楽があるように感じられた。
テレビに出ている人たちはみんな輝いていた憧れの存在で、自分もそうだしおそらくあの時代を生きた人のほとんどは、テレビで出ている人に何の疑問もなく自分を重ね合わせていたか、いつか自分もテレビに出る側の人間になろうと憧れていたはずだ。

しかし、そのテレビが崩壊している。崩壊というのはテレビ局という企業としてであり、テレビで流れるコンテンツでもあり、世間におけるテレビの立ち位置でもある。

私自身、テレビというかマスコミ業界とはほとんど縁がない。
プログラマとして新人の頃に、仕事でNHKには何度か入ったかな。という程度。
親父は電気工事士としてフジテレビに数年通っていたな。

それでも、この現代の日本に日本人として生きていれば、テレビの影響を避けては生きられない。
これを書いている2025年1月27日現在、中居正広に端を発するフジテレビの騒動はまだ沈静化をしていない。
この事件について、所詮は一般大衆のはしくれの貧しい雑感には過ぎないが、世間で流れている一般的な所感とは異なるような思うところが何個かはあるので書き記しておきたいと思う。


報道内容の勘違い

被害者も確定しておらずほとんどの内容は伝聞

まず、今回の事件について事実として伝えられている情報は非常に少ない。

確定情報が非常に少ないのに、中居正広という長年スターとして君臨していた人間が引退をして、フジテレビという一時はテレビ局の中でも頂点を極めたテレビ局が危機に瀕している。

今回の事件の初報の記事を乗せたのは女性ポストで、その後は主に週刊文春が被害者とされるX子さんとされる人間に直接取材をしたことで、この事件の報道の主導権を取ったように見える。

これらの記事をよく読んでみると、記事の内容のほとんどは被害者本人ではなく、関係者と呼ばれる人間の伝聞情報で、その関係の程度は記されていないから真偽の程度は怪しいものが多いのだ。

内容だけが先走りして誰の証言かという点が忘れられる

それでは、今回の事件の女性ポストと週刊文春の報道内容について、「誰が」「何を」語ったのかをまとめてみたい。
内容がウソでは無ければ事実として受け取って良いと思われる第三者以外の関係者の証言を太字にしてみた。

まずは、今回の事件の初報となった、女性ポスト(WEB版はNEWSポストセブン)である。
【スクープ】中居正広が女性との間に重大トラブル、巨額の解決金を支払う 重病から復帰後の会食で深刻な問題が発生|NEWSポストセブン

  • フジテレビ「だれかtoなかい」が中居のトラブルで2025年3月で打ち切りになる(フジテレビ関係者)

  • 中居と女性の間にトラブルがあった(関係者)

  • 中居は女性に解決金として9000万円を支払った(芸能関係者)

  • テレビ各局は中居のトラブルを水面下で調査。解決済みとみなされている(芸能関係者)

  • 対外的にお答えすることはない(中居事務所の代理人弁護士)

記事内で中居事件についての直接の情報は以上であるが、ここでは事件の当事者は何も情報をだしていない。唯一、確実な事実を話せるであろう「中居事務所の代理人弁護士」は答えないと言っているのだから、記事の内容は全て伝聞の不確定情報でしかない。
ついてに言えば、この記事では女性がフジテレビの局員であることすら明かされていない。

次の報道は週刊文春である。この記事の影響で、中居正広が出演する番組の差し替えと打ち切りがドミノ式に発生した。年末年始の特番でこの対応に追われたテレビ局員の苦労は大変なものだっただろう。
中居正広9000万円SEXスキャンダルの全貌 X子さんは取材に「今でも許せない」と… | 週刊文春 電子版

  • 私の口からは一切話せない(被害者X子)

  • 加害者もフジテレビもわたしは許していない(被害者X子)

  • 「だれかtoなかい」の打ち切りは松本人志の不在だけではなく、中居のトラブルもあったのではないか(スポーツ紙記者)

  • 2023年6月にAさんによってX子さんは乗り気ではないが飲み会に参加した。A氏は仕事上の上位にいる立場(X子知人)

  • 飲み会の直前で中居とX子さん以外はドタキャン。密室でX子さんは中居から意に沿わない性的行為を受けた(X子知人)

  • 翌日、X子さんは被害を訴えた(X子知人)

  • X子さんのメンタルの不調は明らかだった(フジ関係者)

  • 警察に届ければ自身の名前が出ることを懸念し、中居とX子は示談した。示談では守秘義務を約束した(X子知人)

  • A氏は「まともtoなかい」を企画、立案した。「ワイドナショー」も担当した(フジ関係者)

  • A氏は女子アナや女性局員をタレントの接待要員としてあつかってきた(フジ関係者)

  • トラブルについてわからない。間違っている(何に対してかは不明)(A氏)

  • 松本の姿を見るのも嫌(被害者X子)

  • 番組を作る側の拒否権が無いという状態が許される社会になっちゃいけないと思っている(被害者X子)

  • 私と同じような被害に遭っている子がいる(被害者X子)

  • 何も答えられることは無い(港社長)

  • 知らない(日枝相談役)

  • 性行為の有無、示談金9000万円については守秘義務対象なので答えられない(中居事務所の回答)

  • 手を挙げたり暴力をふるうことは無かった(中居事務所の回答)

  • X子さんが体調を崩していることは知っている。代理人を通して解決後の協力について問い合わせている(中居事務所の回答)

  • 直接の謝罪を申し入れたが拒否された(中居事務所の回答)

  • 守秘義務については双方の合意でなされた。口止めをした認識はない(中居事務所の回答)

  • 弊社社員Aに関するご質問は事実と異なるので否定する(フジ企業広報部)

  • 編成幹部が仕切ってということはいいことではない。普通はリスクが高すぎてやらないと思う(日本民間放送連盟会長 遠藤龍之介氏)

ここまで太字の内容だけを見てみると、中居正広と女性の間でトラブルがあったことは間違いないが、示談金9000万円についても性行為についても、何も事実としては語られていない。
ひろゆきがXで示談金9000万円は婚約破棄の可能性もあると、自身に注目を集めるためのわざとであろうズレた投稿をしたが、これも間違いではない。

感想や否定の内容を取り除けばさらに情報は僅少で、加害者が中居正広であることと、どこのだれかもわからない被害者が体調を崩したこと、示談と守秘義務が交わされたこと、直接の謝罪は無かったことくらいだ。
ここから言えることは、中居正広が加害者となった事件が発生したということだけで、被害者は誰で、いつ頃発生して、どこで行われて、何があったかについて、事実として確定していることは全く無い。
一部では被害者のX子さんが守秘義務を破ったように語られているが、記事を丁寧に読めばX子さんは事実を一切語らず、現在の自身のお気持ちしか語っていない。

示談金の9000万円という数字ですら伝聞としてしか語られておらず、実際、後の記事で被害者X子さんは9000万円も受け取っていないと証言している。これは、中居正広が支払った示談金額が9000万円だとしても、示談金の一部は代理人弁護士の報酬となるはずだから、X子さんが9000万円を受け取っていないのが事実だとしても、中居正広が9000万円を支払った事実の否定にはならないのだが。

この内容だけであれば、いくら「文春砲」とはいえ真偽の不確かなゴシップ記事として流されていたかもしれない。しかし、そうはならなかったのは何故だろうか?という疑問がある。

率直にいえば匿名の人間の証言など、取るに足らない情報である。いくらウソを言ってもリスクは無いのだから、中居正広やフジテレビに私怨のある人間の風説の流布である可能性だって十分にあり得る。
真偽の怪しい匿名の関係者の証言によって事実が成立してしまい、中居正広というスターとフジテレビという巨大テレビ局が窮地に陥ったことになる。

流石に全ての記事の内容をまとめるのも不毛なのでもう止めるが、週刊文春の続報の記事では、被害者のX子さんが被害に遭った後に佐々木恭子アナウンサーに相談して裏切られたという証言を、X子さん自身から語られた内容が掲載される。
中居正広「9000万円女性トラブル」X子さんの訴えを握り潰した「フジテレビ幹部」 | 週刊文春 電子版

この記事の内容をもって被害者X子さんが事件当時はフジテレビ局員であっただろう、さらに言えば女子アナウンサーであっただろうというのは推測できるし状況証拠上もほぼ間違いないだろうが、これも憶測でしかない。

1月28日追記:夕方からの記者会見で本事件についての新情報は特になかったが、被害者女性はフジテレビ社員であることも伏せられていた。

フジテレビの問題

フジテレビの何が問題だったのか

それでも、現在のフジテレビは窮地に立たされている。

2025年1月23日時点でフジテレビに広告を出している企業・団体のうち、約80社ほどがフジテレビでの広告を停止したとされている。
広告の停止自体は直接的にはフジテレビの収入減にはならないようであるが、次の広告契約更新時には更新打ち切りとする企業も多数でるだろう。
フジテレビの経営基盤が大きく揺らいでいることは間違いない。

フジテレビが窮地であることは、フジテレビが今回の報道を受けて取ったアクションに問題があったというのは間違いない。
言い換えれば、中居正広が起こした事件そのものが原因でなければ、中居正広の事件が発生した女性蔑視とされるような企業風土や業界風土にあるわけでもなく、事件報道の対応を誤ったからに他ならない。

まず、フジテレビは2024年12月27日にフジテレビの関与を否定する発表を、フジテレビWEBサイト上でした。
この発表では事態は収拾しないと見たフジテレビは、1月17日にフジテレビ湊社長が記者会見を開いた。
しかし、この記者会見の内容は参加者を限定、発表内容も的を得ていないもので、この記者会見をもってフジテレビの広告停止を申し出る企業が続出した。

この件については、北村晴男弁護士が自身YouTubeチャンネルにアップロードした動画で解説している内容が最も正鵠を得ているように思えた。

本事件に関する他の記事や動画などは、全てフジテレビやテレビ局全体、芸能界全体の体質や風土を混ぜて語っているために、フジテレビの危機の本質を見失いがちであるのに対し、北村晴男弁護士の解説が素晴らしいのは、今回のフジテレビ危機の原因のみを開設している点だ。

中居正広が事件を起こしたとはいえ、被害者がフジテレビ局員であるかどうか、事件を誘引したフジテレビ局員がいたのかどうかは、全て憶測と匿名告発者の伝聞の域を出ていないのであるから、フジテレビとしては事実無根という当初の姿勢を崩さないやり方もあったはずだった。

しかしそうはならず、湊社長は記者会見で曖昧な立場を取ったし、会見に臨んだ記者も憶測や伝聞の記事を事実であるようにフジテレビの会見で質問を続けた。
広告企業はそのようなフジテレビの対応が不誠実だとして、広告停止に動き出したというのが実態であった。

ジャニーズタレントを切り捨てたNHK

では、このような事件をテレビ局がうまくやり過ごせたケースがあったかといえば、2018年に同じくジャニーズタレントのYがNHKの番組をきっかけに起こしたわいせつ事件がある。

こちらは、番組の出演者であったYと女子高生が、Yの自宅で飲酒の上でわいせつ行為をしたとされている。
本件も最終的に示談になったのは中居正広の事件と変わりないが、早々に警察によって書類送検され、その一報をNHKが報じた点がフジテレビと大きく異なる。

NHKでは出演者と女子高生の連絡先交換は禁じていたが、NHKの番組スタッフが仲介をして連絡を取れるようにしたという報道もある。
そのスタッフの処遇がどのようになったかは明らかになっていない。

いずれにせよ、NHKは加害者であるタレントを守らなかったことで、NHKの番組をきっかけに発生したわいせつ事件であったが、世間的にNHKの責任を問われることは無かった。

フジテレビも初動の段階で警察沙汰にしていれば、現在のようにフジテレビの経営基盤そのものまで危機にさらすような事態にはならなかったはずである。

フジテレビは何を守りたかったのか

では、フジテレビは何を守りたかったのか?という質問を挙げれば、大抵の人は「そんなの決まっているではないか。視聴率を稼ぐ中居正広と、中居と懇意にしているのを後ろ盾に局内で権力をふるっているA局員、そしてA局員を可愛がっている港社長だろ」と。

私もずっとそう思っていた。
港社長は会見の中で「被害者を守るため公にしなかった」という趣旨の発言をしているが、それは自分を守るためという本音を隠すための詭弁だと思っていた。

しかし、11月22日に開かれた関西テレビ・大多社長の会見を見て、私は考えが変わってしまった。

この記者会見で大多社長は新しい事実を発表するかに思われたが、大筋の内容では大多社長自身の事件のかかわり方以外については、湊社長の会見と変わらない情報しか出さなかった。
フジテレビの対応についての理由は、被害者のケアと最優先ということを繰り返し説明した。

この記者会見は定例の記者会見とされているが、関西テレビにとって不利益にしかならない会見ではなかったのではないか。そもそも、フジテレビ系列で影響を受けているとはいえ、当事者ではない関西テレビが、何故この事件について語らなければならないのか。
大多社長は2023年の事件発生当時は、関西テレビ所属ではなくフジテレビの専務であった。それであれば、事件の当事者であるから説明責任はあるのだろう。

大多社長もマスコミ側の人間であるから、この局面でフジテレビの対応の原因を被害者のためと説明すれば、ウソを隠す言い訳だと解釈されることくらいは解っているのではないか。
それでもこの説明をしたのは、私は案外、正直な本音を語ったのではないかとも思うようになった。

つまり、フジテレビの少なくとも上層部は、事件を隠ぺいすることが被害者を守ると認識していたのではないか。

これは、事件を少し引いてみれば理解できなくはない。

今のところ、被害者がどのような属性の人物であるか確定の情報はないのだが、おそらく女子アナウンサーであることは間違いない。
女子アナウンサーがタレントに性被害を受けたという事件が世間に流布した場合、果たしてその女子アナウンサーはどうなるか?
一般のサラリーマンでありながらタレントとしての要素も多くもつ女子アナウンサーである。性的対象として見られることも多いし、フジテレビ自身も長年の間、それを積極的に助長して利用した面もある。

事件が明るみになれば、当然、被害者には通常の局員とは比べられないほどの下品で好奇な視線が注がれてしまう。
それこそ事実と大きく異なる、あらぬ噂も立つだろう。
被害者自身が女子アナウンサーとしてテレビで出演し続けられないのは容易に想像がつくし、女子アナウンサーを辞めた後の被害者としての人生やキャリアにも、大きく影響してしまう。
であれば、事件を隠ぺいしてなかったことにしようという対応は、「あり得る」対応だったのではないか。

もちろん、これは被害者の意思にもそぐわないものであったし、昨今問われている企業のコンプライアンスとガバナンスについても大きく逸脱している。
スポンサー企業をはじめ、視聴者、世間には受け入れられなかった。

フジテレビは中の人にとっては良い組織だったのではないか

現在、報道でもネットでも、芸能界もテレビ局も、セクハラがはびこり女性の性を食い物にする事例が多発する、あたかも地獄のような状態である記事や告発が多数出ている。
実名で性被害を訴えている女性も複数出てきている。

しかし、この訴えは事実の一面ではあるかもしれないが、芸能界とかテレビ局という、一般人からは見えない閉鎖した社会の全てではないようにも思える。
このような状態で、閉鎖された狭い世界であればともかく、世間の注目も大きく世間への影響も大きい社会が何十年も存続できたとは思えない。

すると、フジテレビは現在ネットで語られているような状況とは別に、多くのフジテレビの中の人については過ごしやすい環境である、良い組織であったのではないかと思われる。

これは、1月23日に開かれたフジテレビの社内説明会の様子からも想像できる。

報道では、ふがいない経営陣の回答に失望する社員の様子が伝えられているが、これは社員のフジテレビに対する期待の裏返しであるように取れないか。
フジテレビ社員の多くは、今のフジテレビが続くことをコミットしており、フジテレビが続くために経営陣に期待していたのが裏切られたからこその反応ではないか。

一方で、フジテレビの港社長をはじめとする、現代の企業に求められる危機時対応には遠く及ばないお粗末な対応は、そのままフジテレビが中の人にとって快適な環境であり続けたことと密接にかかわっているともいえる。

つまり、この「ゆるい」組織は、まんま中の人にとって自分たちを制限する統制のすくない自由に言動ができる環境であったのではないか。
逆にフジテレビの中から世間を覗けば、コンプライアンスだガバナンスだと新たな制約に縛られる世間が息苦しく見えたかもしれない。
もちろん、フジテレビは報道機関としてこれらが未熟な企業を糾弾していた側面もあるのだから、今のフジテレビの対応について多くの大衆が感じているように大きな矛盾を抱えている。

すると、11年前の2014年に話題になったフジテレビの謹賀新年として出された地獄絵図広告も、多くの人間が不謹慎だと反発したのもありながら、なぜこんな広告を?という疑問にも答えが付く。

2014年に話題となったフジテレビの謹賀新年「地獄絵」広告
【謎すぎ】フジテレビ・謹賀新年の地獄絵図についてから引用

つまり、フジテレビの中から見れば、当時の日本社会は息苦しい地獄のような社会に見えたのだろう。

笑いを捨てた社会

この、フジテレビが見た地獄とは何なのか、もう少し考えてみたい。

フジテレビの全盛期、フジテレビはお笑い番組とドラマにおいて、他局を圧倒する品質の番組を数多く出していた。
特にお笑い番組は、フジテレビの独壇場だった時期もあった。

一方でお笑い番組は、下品、不謹慎、教育に悪いと、常にクレームに晒されて続けられたものだった。
そもそも、笑いとは考え方として常に笑われる人間がいて、99人が笑えば1人の笑われる人がいてもいいじゃないかという思想にある。
この笑われる者とは、大抵の場合は演者である芸人自身であるだろうけど、それが揶揄された別の人間であったり、抽象化されればそれに当てはまる一般人も笑われたと感じて不快になるだろう。

テレビでのお笑いが全盛の時代、このような笑いによって傷つく人間は無視されてきた。

しかし、現代ではそれが許されなくなったのは間違いない。
誰かが傷つく発言は、ことごとく指摘され糾弾され潰されるようになった。お笑い番組の表現の幅は極めて少なくなった。

何か発言をすると、この発言は空気を読めていなかったか、誰かを傷つけていないか、世間の常識から外れていないか、テレビの番組内のみでなく、企業内、家庭内でも当たり前になりつつあるのが現代である。
このような世界で、笑いは起こり得ないとは言い過ぎだが、笑いを捨てつつあるのは間違いないのではないか。
人々は笑いより正義や正しさを求めるようになったともいえる。
同じようなことは岡田斗司夫は「ホワイト社会」と名付けている。

これは、90年前後の全盛期の社会を引きずっているとされるフジテレビにとっては、最もやりづらい社会風潮ではなかっただろうか。

しかし、多くの日本人はこの社会を受け入れ、それに乗り遅れているフジテレビを日本から排除しようというのが、人々が意識していない根底にあるようにも思える。

1月28日追記:フジテレビ会見について

1月27日に開かれたフジテレビの会見は16時から実に10時間30分に及ぶ長丁場の会見となった。
会見では事件に関する回答の他にも、フジのスポンサー離れや経営状態、将来の展望についても質問に対して回答されたが、事件に直接関わる情報では大きな変化はなく、およそ以下のような内容であった。

  • 港社長が事件を知ったのは事件発生の約二ヶ月後。警察が入っていないので刑事事件に関わる事案ではないと思っていた

  • 女性が2024年8月に仕事を辞めた(「退社」という言葉を使ったがすぐに訂正)のちに中居正広出演番組の「だれかtoなかい」の番組終了に動き始め、2024年11月に番組終了を決定した

  • 内部調査の結果Aは関与していないが、第三者委員会で調査する

  • 当日何があったかはプライバシーがあるので話せない

  • 事件後も中居を使い続けたのは女性に刺激を与えないため

  • フジテレビはA以外の人間によって中居には事件後に複数回、去年12月に2回ヒアリングした

  • 中居は同意があったと言っていた→発言を取り消し

  • 日枝相談役取締役は業務に関わっていないので関係ない

  • A氏は退職しておらず、現在もフジテレビに在籍している

結局この会見で新事実は出てこなかった。

今回の事件のフジテレビに関して最も注目するべき点は、事件についてA氏の関与の有無であり、とどのつまり、フジテレビはこの事件の共犯だったのか第三者に過ぎなかったのかということだ。
今回の事件から発展して、フジテレビをはじめテレビ局や芸能界の性事情が大げさかつ赤裸々に報道されて情報が飛び交うのは、大衆の興味という点を除けば、フジテレビがこの事件の共犯だったとする状況証拠集めに他ならない。
今回の事件でフジテレビの共犯性を表すために「性上納」という言葉が新しく作られ、ただの飲み会からホテルの連れ込みまで、様々な伝聞での事例が報じられた。
この点についてA氏の関与はなかった、つまりあくまでフジテレビは今回の事件については第三者の立場であるという点は、それこそ週刊文春の第一報記事内の突撃インタビューから今回の記者会見の終了まで一貫して変えることはなかった。
10時間30分もかけて、会見に臨んだ記者達はこの点を崩すことはできなかった。

それどころか、性行為はあったものとして、それが一致か不一致かで30分近くやり取りをする場面もあった。
この点も、フジテレビは犯罪を隠蔽したのかどうかと言う点で全く関心がないわけではないが、そもそも性行為の有無自体が憶測に過ぎない状況でこんな押し問答をしても、という印象は拭えない。

矛盾点を厳しく詰められるでもなく、ほとんど何も口を割らなかったという点で、フジテレビの勝利と言えるかもしれないが、この会見で広告を停止したスポンサーが戻るのかは推移を見守るしかない。

テレビ局という大権力

テレビ局に負け続けた大衆

これまで、フジテレビに同情的なことを書いてきたが、スポンサー企業を含め日本社会はフジテレビを許さなかった。
これは、今回の件についてのフジテレビの対応のまずさが、直接的な原因であるが、それ以前のフジテレビを含むテレビ局への大衆の反感、反発をひたすらテレビ局が圧殺し続けてきた歴史がある。

最も象徴的だったのは、2011年に発生したフジテレビ抗議デモである。

このデモは、反日感情が強い韓国を長年もち上げ続けたフジテレビに大衆が怒りを示したデモであったが、このデモの影響は一時的なもので、結局何も変わらなかった。
フジテレビの社屋内からはデモを見下げるような社員の姿が撮影され、フジテレビはこのデモを一部な愚かな「ネトウヨ」の声でしかないと断じた。
フジテレビは、視聴者の声を受け止めることは無かった。

直近ではフジテレビではないが、「セクシー田中さん」騒動がある。

この事件は、ドラマ化された内容に納得いかない原作者が、諸々の経緯を経て自殺する結果となった。
この件も、視聴者にはテレビ局側の不手際、不誠実な対応が目に見えていたが、当該テレビ局である日本テレビの対応は十分な者とは言えなかった。
事件の原因ともいえる脚本家は元女優という経歴を持つ。彼女の脚本家採用の経緯にも、今世間で取り沙汰されている性接待、枕影響がなかったのだろうか。

これは数あるテレビ局の不祥事の極々一部であるが、いずれにせよテレビ局は不祥事に対して誠実な対応を取ってこなかった。
視聴者の声はノイジーマイノリティとして処理され続けた。
その度、日本の視聴者はテレビ局に不満を溜め込んでいたことは間違いないだろう。

「表現の自由」と「政治的公平」で揺れるテレビ局

日本国憲法は第21条で表現の自由を保障している。
テレビ局をはじめマスコミは、この表現の自由を傘に、正に自由に報道と言論を日本国内にバラまき続けている状況にある。

一方で、放送法では第四条にて政治的に公平であることが定められている。

(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

しかし、この法律には罰則が定められておらず、事実上機能していない状態となっている。
一方で、この法律こそがテレビ局の報道内容が公平であることの保証になってしまい、テレビ局が偏向報道をしても、そんなはずはない我々は公平な報道をしているという免罪符になってしまっている。

この問題は高市議員が総務大臣時代に活発に議論されたが、行政的に効果的な結論が出ることが無かった。
先の石破茂が首相に決まった自民党総裁選で、最も有力な高市氏が首相になることはなかった。マスコミが石破氏を推していた報道は数多く見られた。

ジャニーズ事件で変われなったテレビ局

テレビ局が変革できる機会は、ほんの数年前の2023年のジャニーズ騒動の際にあった。
2023年、すでに故人となっていたジャニーズ喜多川が、長年の間、所属事務所のタレントに性加害を加えていたという、裁判上も確定していた事項が、BBCによって取り上げられ、テレビ局でも報道をする事態にまで発展した。

ジャニーズ報道の末、テレビ局は各局ともこれまでの隠匿体質を反省をする旨の声明を出した。

しかし、今回のフジテレビの対応において、フジテレビはこの反省を全く生かせなかったのは間違いないし、多くの人間がそのように解釈した。

誰もテレビ局には逆らえない

結局、テレビ局は何も変わらないし、大衆はテレビ局に逆らえないという空気が蔓延していたのが、この中居正広・フジテレビ事件の直前までの日本社会であったように思える。

未だにテレビ局が旧態依然の視聴者との態度を改めないままなのは、すでに全盛期の視聴率を大きく損なったテレビへのスポンサーを外せない事情がある。
このスポンサー側の事情は、高須クリニックの院長である高須幹弥氏が解説している。

つまり、テレビ局に広告を出している企業はテレビ局が守ってくれるという意図が高須幹弥の動画内の発言では無くなっているというが、他の企業にはその認識が慣習的に現在も残っていて、これがテレビ局の収入源になっていて、権力の源泉になっていると言えよう。

中居正広はなぜ凶行におよんだのか

50年も生きていれば女性の扱い方だってわかるはず

ここからは、この中居正広事件について、憶測や伝聞の情報、出所が怪しい情報が事実として仮定した場合について考えていきたい。

一部の匿名SNSや雑誌情報では、中居正広が被害者に与えた「意に沿わない性的行為」は想像以上に凄惨な内容であったようである。これは通常の(そんなものがあるのか?)強姦よりもかなりひどい内容であった。
このような情報について一部のYouTuberはこの情報を暗に取り上げて、中居正広のような何十年も芸能人として活躍してそれなりに恋愛や性上納も経験した人物が、そこまで無茶はしないだろう。
そんなことを何十年も常習的に繰り返していたら、いくらジャニーズ事務所のトップタレントだとしても、もっと早くに取り挙げられて芸能界を干されただろう。
むしろ被害者側が敏感に反応し過ぎたのではないかとも言っている。

この推測は、論理的には間違っていないように思える。

昨日今日スターにのし上がった成り上がり者であれば、急激な環境の変化や得られた名声や権力を過剰に振るってしまうこともあり得る。
しかし中居正広については、90年代からテレビ界でアイドルとして活躍し、SMAP解散や体調不良により不調な時期はあったものの、おおむね芸能人としては安定して人気と収入と名声を守れていた。
そのような人物であればものの分別はつくだろうし、50歳を過ぎてそのような過剰に乱暴な行為に及ぶとは考えにくい。

一方で、中居正広について過去に乱暴を働いた噂は一つや二つではないようで、そのような本性が今回の事件でも出てしまったのかもしれない。
それでも、噂で出ている事件の具体的な内容は、そこまでやるか?という内容であった。
そんな行動を現実に移していない人物が、この数十年のうちの大半はジャニーズ事務所という絶対権力が守っていたとはいえ、隠し通せるものなのだろうか。

少なくとも性欲を満たすだけであれば、もっと少ないリスクで解決する方法はいくらでもあっただろう。

ジャニーズ騒動と元SMAPの中居正広

「事件」は2023年6月に発生したとされる。

2023年6月という時期を改めて見直せば、世間はジャニーズ喜多川の性加害問題が大きく賑わせていた時期である。
当時、すでにジャニーズ事務所を退所していた中居正広にしてみれば、幸いにもこの騒ぎは対岸の火事で済んだのかもしれない。

しかし、中居正広はこの騒動をどのように見ていたのであろうか。

普通に自身の保身を考えれば、この騒動を受けて自分の過去についても探られるかもしれない。過去に関係を持った女性について、掘り返されないような対策を打つのが一般的な行動ではないだろうか。
そして、少なくとも当面は行きずりの女性との関係は控えたり、女性との派手な交友は控えて、火の粉が自分に飛び移らないようにするだろう。

逆に中居正広はジャニーズ喜多川の被害者であったのだろうか。
仮に被害者であったとしても、中居正広の今後の芸能活動を考えれば、彼が被害者として名乗り出るのは、すでに芸能人として成功していて、今後も芸能界で活躍したいのであれば、彼にとって何の得にもならない。
少なくとも中居正広はジャニーズ喜多川の性加害について、被害者であれ、被害者を横で見ていたのであれ、知らぬふりをして沈黙をするのが妥当であるし、実際にそのようにした。

重要なのは中居正広が事件を起こした当時、ジャニーズ騒動について無視して沈黙をしていたということだ。
これは、中居正広が通常では考えられない凄惨な事件を起こした、理由の一つになるように思える。

罰を受けられずに罪ばかりを重ねる地獄

加害者の立場に立って、加害者が何を考えていたかを考察するのは、実際に加害者になったことのない私にとっては、手に余るものかもしれない。
それでも、何となくではあるが、当時の中居正広の心境について、「このように考えていたのではないか」という全く根拠のない仮説はあるので、それだけ記しておきたい。

まず、中居正広もジャニーズ事務所に入所当初の新人時代はジャニーズ喜多川の性加害の被害を受けていたのではないか。
当たり前だが、中居正広にとってこれは耐えがたいものであっただろう。
その後、SMAPが人気となり中居正広も芸能界で活躍するようになる。
ある程度のところで中居正広が性被害を受けることは無くなっただろうが、当然ながらジャニーズ喜多川から受けた被害は黙ったまま芸能活動を続けることになる。被害を訴えることはできない。
自分がSMAPとして人気者になればなるほど、ジャニーズ事務所の芸能界での権力は増し、ますますジャニーズ喜多川の罪が糾弾されることは無いばかりか、新たに入所した新人たちが被害に遭う。
自分が芸能界で活躍すればするほど、自分と同じ被害に遭う被害者が増える。SMAPに憧れてジャニーズ事務所に入る新人だって多いだろうから、自分の活動も間接的に自分が負った痛みを受ける被害者を増やす結果になる。

この状態が仮に中居正広の中で、長い芸能生活の間、ずっと続いていたとして、これを精神的に正常な状態で受け止め続けることができるだろうか。
他人の痛みに鈍感であれば、何も感じないだろう。
一部の報道では、中居正広は若い頃から問題を起こす面があったという。
これが、中居正広の他者に鈍感な性格であれば、ただ中居正広は粗暴な男でしたということになるが、一方で番組司会者として優秀な面もあった。長年、キャラの強いSMAPのグループでリーダーを務めていた実績もある。
このような人物が、他人に無頓着、他人の痛みに鈍感とも思えないのだ。
すると、中居正広はずっとジャニーズ喜多川の性加害という、長年芸能界内でタブーとされた事案の、被害者と加害者の両面に挟まれて、それをどこにも発露できないまま暮らしてきたと推測できる。

そのような状態で2023年、ついにジャニーズ喜多川の性加害が世間で騒がれるようになった。
しかし、中居正広はその騒動の蚊帳の外のままであった。
ジャニーズ喜多川の性加害について、痛みがありながら訴えることもできない、自分にも罪がありながら裁かれることも無い、何事も無かったかのようにこれからも芸能人として生きなければならないとしたら、その状況を壊して自分も罰を受けたいと、一時的な衝動だったかもしれないが凶行に走ってしまった心理はあり得ないだろうか。

改めて断るが、これは私の仮説とも言えない妄想である。
いずれにせよ、中居正広の背景や心境がどのようなものであったとしても、彼の行動が許されるべきではない。

性加害事件とルッキズムの問題

ワインスタイン事件とサビル事件

芸能界や放送事業と性加害の問題は、日本だけの問題ではない。
過去には海外でも同様の事件が表沙汰となり、騒動になっている。

このあたりは以下の動画の解説が詳しいが、この記事内でも簡単に紹介する。

ワインスタイン事件は2017年に米国で発覚した、プロデュサーによる多数の性加害事件である。

この事件の発覚により、MeToo運動が世界的に発展した。
他にもあるであろう性被害を訴えて、性的な事件のない世界を作ろうという運動で、この運動は当然、日本にも波及した。
もし、この運動でフジテレビが社内の体質を変えることができれば、今回の事件は起こらなかったかもしれないが、残念ながらそうはならなかった。

サビル事件は英国で発覚した事件である。

この事件は、加害者であるサビルが有力な司会者である点と、事件が発生したBBCというテレビ局の対応が不十分であったためにトップが退陣する事態にまでなったという点が、今回のフジテレビ事件と大いに似ている。

これらを見ると、芸能界という華やかで大きな富と権力が集中する世界において、性加害事件というのは日本やフジテレビ特有のものではなく、体質的に起こりやすい構造のものであるということだ。
そして、過去にこのような事件が世界で発生して大問題になっていたにもかかわらず、少なくともフジテレビにはそれを防ぐ仕組みや構造ができていなかった。

AV女優に流れる芸能人

この中居正広・フジテレビ事件を受けて、芸能界やテレビ界が非常に性に爛れた世界であるような情報が、週刊誌報道を含めて乱れ飛んでいる状態である。
一方で、明確に性被害経験を訴えた人間は数名しかおらず、あとは羽目を外した飲み会程度のものを大袈裟に報道したり、ネットで流しているのが実情であるように思える。

このあたりは、実際の芸能界やテレビ界がどのようになっているのか、一般人が計り知れないままになっている。

では、芸能界の実態は今の騒ぎ程酷いものではないと、矮小化できない現実も、他の面から推察できる。

その一つに、昨今AV女優に流れてくる、元アイドル、元女優、元アイドルが(これは個人的な感覚でしかないが)多すぎる現象がある。
元々、華やかな世界にいた彼女たちが、自分の性を見世物にして切り売りしてしまうのだろうか。
いくらAV女優という職業が過去より世間で受け入れられているとはいえ、AV女優としてネットタトゥーが残ってしまえば、彼女らのその後の人生には大きな制約がかかる。現代でも就職や結婚が一般人より難しくなる現実は変わらないはずだ。

これは、今言われている芸能人の性上納が、やはり一般的にあるのだろうな、と思わせるには十分な根拠である。
そのようなことが行われていれば、その一部では不確実な成功のために有力者に身体を売るよりは、確実に金銭を得られるAVで稼いでしまおうと考えるのは不思議ではない。

容姿の美醜の価値について

アイドルにせよ女優にせよ女子アナウンサーにせよ、自分の美貌、外見的な魅力を売り物にしている。
この世界で成功するには、ちょっと可愛いね程度では許されない、たぐいまれな美貌を携えている必要がある。
そういった女性が集まる、きわめて閉鎖的な芸能界という社会で、性的な問題が起きない方が不自然なのではないかとも、男の立場では思われる。

放送にせよネットにせよ、情報が日本中、世界中に拡散できるようになった時代において、容姿の美貌を売り物にするとはどういうことなのか、あまり議論がされていないまま需要と供給のバランスによってのみコンテンツが作られ世間に広がっていたのではないかとも思う。

そもそも、男女関わらず容姿の美貌なんて、婚前の恋愛で自分の好みの相手を選びやすいか否か、夫婦生活において相手との仲を良好にしやすいかどうか、職場などのきわめて狭い社会において若干の扱いの良し悪しがでる程度の差でしかないのではないか。
つまり、そもそも大した価値の無いものに、大きな価値を付けてしまっているのではないか。

日本では放送が始まる前、遊郭の界隈でも遊女の格が美貌も含めて定められていたが、これは売春と直結していた。
そもそも容姿の美貌は、性的欲求から生み出される価値である点を見逃すべきではないし、その点から目を逸らそうとすると歪んだ結果が生まれるように思える。

自分の容姿を資本主義市場で売り出すということ

この表題について「結局、自分の容姿を売るのであれば、性的に見られるのも、性的に扱われるのも覚悟しろよ」と書きたかったのだが、この問題はそう簡単に結論付けて良い問題ではないように思えた。
よもやこの与太記事を被害者本人が読むとは思えないが、この論を進めると被害者を傷つける内容になってしまうかもしれないという懸念もあった。

改めてこの件は、別の機会に考えてみたい。

大衆のルサンチマンによる集団攻撃

憶測の確度を上げる戦略

今回の事件の特徴は、これまで週刊誌報道では決して倒せなかったテレビ局という巨大組織・巨大権力を倒せそうという点である。

これまで、週刊文春をはじめ多くの週刊誌が芸能界のスキャンダルを報じてきたが、芸能人個人を破滅に追いやることができても、テレビ局やジャニーズ事務所といった大権力を潰すまではいかなくても、危機に追い込むことはできなかった。
これは、週刊誌に携わる記者たちは、長年の間辛酸を舐める思いがあったのではないか。
特に、ジャニーズ事務所の騒動については、日本の週刊誌からは日本全体のムーブを作ることはできず、BBCという外圧によってやっと日本が動いた。
これは、それまでもジャニーズ事務所の性加害を報じてきた週刊誌記者は、特に臍を噛むを思いであっただろう。

であれば、今回の中居正広・フジテレビ事件について、自らの行動でフジテレビを倒すムーブを日本で起こすために、戦略的に動いた可能性があり、それを示す現象がいくつか見られるように思う。
それを取り上げてみたい。

今回の事件は、最初の第一報を女性ポスト、その後しばらくは週刊文春から報じられた。
内容のほとんどは週刊誌の多くの記事と同じように、匿名の告発者によるもので、記事の正確性は怪しいものである。
しかし、複数のメディアから報じることで、記事の信憑性が増す。複数の会社、記者が取材して同じ情報が出てくれば、一つ一つの記事は怪しくてもこれらは真実なのでは?と、部外者であれば考えてしまう。
おまけに、今回の特徴が週刊文春の記事で世間が盛り上がると、SNSでも匿名の告発者があらわれた。
特に「バッドマンビギンズ」と称するXのアカウントでは、過激な告発が続いた。
テキストだけであれば信憑性は低いが、このアカウントからはフジテレビの関係者であるA氏のプライベートらしき写真も投稿したことで信憑性が増した。
増したと言っても怪しいことには変わりないが、次々といろいろな方向から統一性のある情報がでると、全ては不確かな伝聞情報による憶測であっても、憶測の確度が高まってしまう。

バッドマンビギンズによるXの投稿

現在、フジテレビにはAC広告が多数流れているが、その中にネットの憶測情報で決めつけるなという「決めつけ刑事」という広告がある。

正に今、日本社会は憶測によってフジテレビを追い詰めているのだが、その裏には、憶測が確度の高いものだと思わせるような発信者側の戦略が功を奏している。

年末直前という報道時期

初報の女性ポストの記事が12月中旬、続報の週刊文春の記事が12月下旬に発表されて、中居正広は年末年始の特番時期に急遽出演見合わせという事態に陥った。

この、報道時期のタイミングも見事としか言いようがない。
通常時のレギュラー番組の出演見合わせより、年末年始の特番の出演見合わせというのはインパクトが大きく、必然的にこのスキャンダルに関心を持つ視聴者も多くなる。
中居正広が出演を見合わせたことがより多くの大衆の目に晒されたことで、噂が噂を呼び憶測が真実味を増す事態を生み出した。
また、フジテレビ側もただでさえ忙しい年末年始の時期にスキャンダル報道をぶつけられたことで、的確な判断をして初動対応する能力が多少なりとも奪われただろう。

スキャンダル報道を開始する時期も、中居正広とフジテレビに少しでも大きいダメージを与え、初動対応を取りづらくする時期を選択しているのだ。

可視化された被害者

今回の騒動が極めて特殊な点は、被害者が匿名のままであるにもかかわらず、これもまた憶測ではあるが、ほぼ世間知として被害者が特定されており、かつ被害者がネットや出版媒体を通じて発信を続けている点にある。

これは過去に例を見ない事象ではないだろうか。

被害者とされる女性は事件があった直後から、病気として入院時の痛々しい姿をネットで公開し、その後も病気の治療中であることを開示しながら生活する様子を公表している。事件については一切何も語っていない。

このやり方は、大衆が被害者に同情を寄せるのに、最も効果的な方法であるように見える。
被害者が被害者として訴えるのに、カメラの前で泣き落としたり、毅然とした態度で向かったり、種々のやり方があったと思うが、これらはいずれも一時的な大衆の同情は誘えても、長続きしなかった。
マスコミになれてしまった大衆からすれば、世界中で発生する悲惨な事件には不感症になり、たまに現れるテンプレート化された被害者の姿も見慣れてしまった。おまけに、大衆は事件被害という経験をしていない。想像もできない体験に、本気で同情などできない。

しかし、健気に闘病に励む若い女性が、実は深刻な被害に遭っているかもしれないという事実を突きつけられたら、大衆はだまっていないだろう。
「健気に闘病に励む若い女性」というのは一般的に生活しても周囲に起こり得るものであるし、その状態だけでも同情できるものであるが、そのような人がさらに深刻な被害を受けていたとなれば、大衆の同情と怒りは、もはや報道の世界ではあふれかえった「一般」被害者とは比類ない大きさになるだろうし実際になっている。

この推定被害者には、中居正広ファンと思われる人間からのSNS上での中傷も発生している。
これらも、大衆の同情と怒りをさらに増加させる効果になっており、その怒りはフジテレビに向かっている。

攻撃する大衆

このように、今回の事件の特徴は、フジテレビという難攻不落の巨大組織を打ち倒すための情報戦略が、これまでとは異なり大衆心理を動かすために巧みに練られているか、それが意図的なものではないにせよ過去に例のないやり方になっている点にある。

大衆はこの動きに乗せられて、それぞれが自分の意思でフジテレビを攻撃するようになった。
具体的な行動を起こしている人間はごく一部かもしれないが、多くの人間がこの動きに賛同しているのは間違いない。

いずれにせよ、フジテレビが悪という集合認知が形成され、正義の錦旗を大衆は得て堂々とフジテレビを攻撃し始めた。
同様の現象は、東京五輪のロゴについて攻撃を受けた佐野研二郎の事件と同様のように見える。

一部の特権階級が影で操る悪について、それを大衆が暴いて攻撃して叩き潰す。
これは正義が成されたように見えるし、美談であるようでもある。

しかし、改めて整理するが、今回の中居正広・フジテレビの事件について、情報の多くは不確かな伝聞情報、憶測情報であって、その情報をもって大衆が大きなうねりとなってフジテレビを倒そうとしている。
この現象に、危うさは本当にないのだろうか。

大衆が社会基盤そのものを破壊する危険性

このようになってしまった大衆の怒りや正義に基づく行動は、いずれ誰も制御ができなくなるだろう。
あり得ない話であるが今更被害者とされる女性が、やっぱりフジテレビを責めるのは止めてと言い出したところで、このフジテレビに対する日本社会の動きは変わらないだろうというのは、想像に難くない。

この意見は、過去からすでにいくつかの識者が唱えているが、これは傲慢なマスコミ側にしがみついている人間の既得権益を守ろうとする、極めて自己保身的な意見だと多くの人間から解釈されて、賛同は得られていない状態にある。

大衆が怒りでまとまる源泉はルサンチマン、権力者への嫉妬が根底にある。
一方で権力者が、その権力者が私利私欲にまみれた人間であっても、その権力者によって社会基盤を保全する機能を保っていることも事実である。
大衆が怒りでまとまり権力者を打ち倒すとき、それは大衆自身も自身の生活を守る基盤を打ち壊す危険にさらされる可能性がある。
しかし、そんなものなど、今回の事件を見るにあまり関係ない、不条理であっても壊れる時は仕方ないのかな、というのをこの無駄に長い記事の結論としたい。


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